原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2004年01月28日(水) 「らしさ」とジェンダーフリー ライブ

★1・「らしさ」とジェンダーフリー
★2・今日はライブ!!



★1・「らしさ」とジェンダーフリー

> 暴力に対して暴力以外の方法で対処できるように最大限の知恵と勇気を用いることこそ、
> 真の「男らしさ」なのではないでしょうか。

という言葉をあるところで見つけた。禿同(激しく同感!)。

「ジェンダーフリー」は「性差をなくす」ことを目的とはしていない。
そうしたい人は、他人に迷惑をかけない限り「男らしく」しても「女らしく」しても、どっちもしなくても、いいのだ。
なんか、ジェンフリ(←って勝手に略した)について誤解している人は、誰も彼もが「男も女もごちゃまぜになって」(←どっちともいえない人はどうすればいいの?ということには無神経)、性差のない、何か「つるん」としたひ弱な存在になればいい、みたいに考えていると思っているのではないだろうか。

石原裕次郎でもいいんだよ。(その兄貴はどっかおかしいけど)
江角マキ子だっていいんだよ。
仲間由紀恵もいいじゃん。
上戸彩もいいじゃん。
KABAちゃんだっていいじゃん。
モー娘。もいいじゃん。
おすぎとピーコもいいじゃん。
キムタクだっていいじゃん。

・・・できれば「会津里花だっていいじゃん。」と言われるようになりたい!

わたしは、最初に引用したようなタイプの男性に憧れるなあ。
殴られても、殴り返すのではなしに相手の攻撃を止めるなんて、めっちゃカッコイイじゃん。

# 自分のところだから好き放題書くけれど、そういう意味では
# 今のアメリカは本当に男らしくない。
# 金的蹴られたからといって、相手の家まで押しかけて火をつけて皆殺し?
# そんなのただの凶悪犯じゃん。
# そこまでされた相手が更に殴りかかってくるからといって、
# 子分まで動員してわが身を守ろうとする。
# あー、まったく情けない。ゲスなヤ○ザよりひどい。
# こーいうことはみんなで騒ごう。
# アメリカの卑怯な暴力性は、
# キレると突然暴力的になる「オ○マ」(←本当にそういう人がいた)よりも
# ずうーーーーーーっとたちが悪いぞーーーー!!!
# おまいらそれでも男か?と、小一時間問い詰めたい。
# バカ面下げて動員されてる日本の(使えない)兵隊さんたちもかわいそう。
# でも、決して「使える」ようになって帰ってきてほしくない。
# 日本人男性の暴力性をたちの悪いものにするだけだから。
# アメリカ並みの「加害者再教育プログラム」が必要になっちゃうじゃん。

はいはい、後半で激しく話題がずれてますねー。
でもね、ジェンフリと平和/戦争の問題って、地続きだと思うんだよね。

日本は「平和の輸出国」になれる道を自らどぶに捨ててしまった。
「闘わない先進国」なんて、世界で唯一の貴重な存在だったのに。
このことは、たぶんこれから先も何度も恨みがましく言わなければならないだろう。
(わたしの「予言」はかなり当たる;父譲り)

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★2・今日はライブ!!

今日は、今年最初のライブ!
正直、途中いろいろあって、かなり技術的にはキツいけど
(それに風邪引いちゃった!できるだけ安静にしてるけど)
今夜は最高に魂込めて歌うつもり!

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2004年01月20日(火) フェミニズムは男性のためのもの

フェミニズムは、良い意味で男性のためにある、と思う。
この国の多く人々がそのことに気づいて、
自分の存在に対して安定した自信を持って
生きていけるようになれば、と思わずにはいられない。

世の中には「フェミ・ヘイター」と呼ばれる人たちがいて、
なんだかムキになってフェミニズムに対して攻撃してくるけど
(たまにネットで見かける)、
そういう人はよほど自分に自信がないんだなあ、ということが
手にとるようにわかる。

そういう人は、別にフェミニズムでなくてもかまわないから、
自分に自信を持って生きていけるようになってほしい、としばしば感じる。
そうすれば、わざわざフェミニズムを目の敵にして
ぎゃあぎゃあ騒ぎ立てることもなくなるだろうから。

フェミ・ヘイターには男性が多めのようだけれど(もちろん女性にだっている)、
フェミニズムが男性の誇りと揺るがない自信のためにある、ということに
いつか気づいてくれれば、と、余計なお世話なのはわかっているのでこっそりと、
祈っている。

2004年01月19日(月) Affirmation

IFF〜家族機能研究所今日一日のアファメーションより

自分は生きるのに、あたいする人間です。
自分は、自分のままでいいのです。
自分は愛するに、あたいする人間です。
自分は、自分の居所をつくっていいのです。
自分を、うんと好きになります。


1月19日 危険に桃戦する

 適当なチャンスを逃さないで、ある程度は危険に挑戦しましょう。

 人生にある程度のリスクはつきものです。失敗することや、拒否されるのを恐れていると、得ることができるものも得られなくなってしまいます。

 むやみと危険度の高いギャンブルなどに手を出すのはいけませんが、嫌いな仕事をイヤイヤやるよりは、失敗の可能性はあっても、考えた末に思いきって違う職を得る訓練をする方が人生のやりがいがあります。

 自己成長のためのワークショップやセミナーなどは、参加するのに不安があったり、お金がかかったりしますが、何もしないと知識は得られません。

 自己評価の高い人とは、適当なリスクに挑戦できる人です。

2004年01月14日(水) Affirmation アディクション・セミナー

★1・第15回アディクション・セミナー
★2・ライブの予定



西尾和美「今日1日のアファメーション」より

自分は生きるのに、あたいする人間です。
自分は、自分のままでいいのです。
自分は愛するに、あたいする人間です。
自分は、自分の居所をつくっていいのです。
自分を、うんと好きになります。


1月14日 親の愛情について考える

 親の愛情について考えてみましょう。

 多くの親たちは子どもを自分たちの都合でつくるものです。
「まちがって、できちやった」「子どもは産むものだから」「家族をつくるのは当然だから」「年をとってから、さみしいから」など、自分たちを中心に考え、産んだ方がいいかどうかを本当に子どもを中心にしてじっくりと考えることは少ないのです。
このようにして生まれてきた子どもは、大人の道具として扱われたり、親の心理的欲求を満たすために生きるようになってしまうことがままあります。

 親の子どもへの愛情のように見えても、実は親が自分を愛して欲しいから溺愛するということもあります。
親の愛とは本来、報酬を期侍しない、無条件なものです。
子どものためだと言って子どもにギューギュー圧力をかけるのは、本当の愛ではありません。
子どものしたいことを全部させる甘やかしも、本当の愛ではありません。

 あなたに子どもがいたり、これから子どもをこの世に産み出すチャンスがあるのなら、ぜひ真剣に考えて、真の愛を与えられるようになりましょう。

 自分が十分に満たされていないと、無意識のうちに、子どもに期待してしまいます。
真の愛情を得られなかった人は、意識的に、自分で自分に愛を与えましょう。
また、本当に自分のことを思ってくれている人たちとつきあうようにしましょう。




★1・第15回アディクション・セミナー

会津里花公開スケジュール」に
第15回アディクション・セミナー」のことを載せました。



★2・ライブの予定

たぶんMS Wordを持っている人しか見えないのだろうけれど
Jackie Matthewsよりライブのお知らせ#2というのを作ったので、
見れる人はどうぞ。
A5版でプリントアウトもできますよ♪

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2004年01月13日(火) やばいモード

昨日、……ううーん、もうちょっと前から?いろいろあって、わたしは自分らしくできずにいたような気がする。
それが今日出てしまったみたい。

体のケアをちゃんとしてやらなかった(またか!?)のと疲れてたし寒かったしで、自分の部屋に行けずに下の部屋のコタツで寝てしまった。
それで、早朝に目が覚めた時にはかなり鬱に入っていて、なんか突然PCにつないだと思ったらやれレスだ返信だ、と忙しくやり始め、逆にお昼近くなってからもう起きていられなくなって寝てしまった。
そしたら、今度はやるべきことをやる(っていうか「やりたい」)時間にちゃんと起きられなくなって、……

ああー、お洗濯、まだ洗濯機の中だよぉ。
寒さに耐えられない。
昨年はどうしたっけ? ……あっ、今年よりもはるかに厚着していた!
それに、もっと暖かい部屋で寝起きしていた。
なんで昨年よりも今年のほうが貧弱な環境で寝起きしている?

んー、まあ仕方ないや……
1日休んで様子を見よう。



なんか、何もかも放り出したくなっちゃった。
―とだけ書いて、あとはじっとしていよう。



某掲示板で、久しぶりにまたわたしが叩かれているらしい、と感じる。
でも、それは「わたしには関係ないこと」と思うべきだ、と思い直した。

まだ、誰かの書き込みがわたしを非難しているように思えて仕方ない。
本当はね、たとえ現実にそうだったとしても、無視してしまえばいいのに。
だって、意識してしまって苦しんでも、何も起きないもん。
わたしを非難している人は、その人自身の問題をわたしに貼り付けて勝手に傷ついたり怒ったりしているだけで、
それをいくらわたしに突きつけられても、わたしにはどうしてあげることもできないもん。

2004年01月12日(月) 清水

清水駅前銀座商店街でライブをやることになった。
詳細は↓
会津里花公開スケジュール2月14日(土) 清水銀座ライブ!
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場所:リビングハウスこまつ(清水駅前銀座商店街)
時間:18時30分開場 19時開演
料金:500円(1ドリンクつき)
出演:Jackie-Matthews (会津里花+Himagine)
内容:「トランスアーティスト」会津里花のトーク&ライブ。今回はオリジナル中心で歌いますけど、それと同じくらいの時間しゃべらせていただきます!(汗 内容はきっちり決めていきます。密度の濃い90分にしますからね♪

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2004年01月11日(日) いっぱいいっぱい

ああーーーー、どうしよう。
気になることが、なんかこれでもかというくらいあれもこれもとたまってきてしまっている。
どうしよう。
一つ一つ片付けていけばいいのだけれど、わたしは優先順位をつけるのがすごく苦手だ。
だいたい、いちどに二つ以上のことを同時にやっていてはじめて安心する、というたちの悪いタイプなのだ。

ええっと、ええっと、何からまず考えたらいいのだろう……
ああ、そうか、まずは自分が生活できることにプラスに作用することを優先する。
そこから遠ざかることほど後回しにする。
今マイナスになってしまっていることを、せめてゼロにする。
マイナスだけど謝って済むことなら早めに謝って終わりにする。
生活が成り立つように行動する。

で、でも、ええっと、ええっと……

なんでもいーから、落ち着け自分。

2004年01月09日(金) わたしという女

デカくて男っぽくて、おまけに遺伝子や戸籍まで「男」になってしまっている、わたし。

これじゃあ、誰もわたしを女として見てはくれないだろう、と思っていた。

でも、いろいろ努力を重ねてきたおかげで、わたしのことを女として見てくれる人が、少しずつだけど現れてきた。

ありがたいことだ。

「戸籍上男なら、どう逆立ちしたってしょせん男」
という考え方もあるだろう。
それを変えることができる、という法律ができたことを良く思わない人もいる(らしい― わたしは会ったことないけど)。
わたしも、実はまだ戸籍の性別を変えられる条件から外れてしまっているし。

けれど、戸籍を犬儒するのは、そういうものが「昔から変わらないもの」であってくれないと自分を保てないほど自信のない人たちに任せておこう。

わたしは、今までよりもいっそう、自分らしくなっていくんだ。

2004年01月08日(木) 居場所

後ろ向きの文章しか書けないのが、今のわたしの問題点。

それはともかく、昨日は体調悪くて「プチひっきぃ」なんて言ってたら、結構心配してくれた人がいたようで。
すみませんでした>ご心配いただいた方
今日はもう、だいじょうぶです。
午後だいぶ遅くなってからだけど、ごそごそと動き始めました。

午前中は、寝たり起きたり食べたり。しかも、寒くて炬燵から出られないし。

いろいろと支払いが滞っているのに気がついた。
それをある程度済ませて。

で。本当はそんな余裕ないかも? スタバで今年1年使うマグカップを買った。
やっぱりデザインにこだわってしまう。
「お正月マグ」は完全に品切れ。
「クリスマス・マグ」しかない。
でも、これは決して妥協なんかじゃなくお気に入りになりそうなので、今年まるまる使って500円弱(半額になってた)なら高くない。


第6回GID研究会のHPにリンクしました。
そういえば、いちおう「会津里花をきっかけにする」というリンク集、あるんですよ!
あんまり更新してないので忘れられちゃったかもしれないけれど。


ところで、今日の記事のタイトルは「居場所」なんだけど、なんでそんなタイトルをつけたのかというと:
弟の実家に……あ、そうじゃなくてわたし自身にとっても「実家」には違いないんだけど、今はそれは弟の家なわけで、わたしはそこに居候させてもらってる、ということになる。
わたしはこの家では「本当はそんなに図々しくしてはいけないはずのことをやっている困った姉キ」なのです。
で、寝床も「なんとかして収納スペースを増やしたいから」ということで、床面の高さが130cmもあるハイベッドにしちゃったし(これはわたしの精一杯の「遠慮」なのです)、その置き場も電気ストーブしかない部屋。
はっきり言って、寝にくいし寒いし。
(エアコン使いたかったら「母の部屋」があるけれど、なんだか肺がんになってしまいそうで怖くなってしまい、使っていない)

本当は、早く自立したいのです。
でも、今は収入が全くと言っていいほど「ない」ので、11月頃までは割とゆったり使っていたお金ももう使えません。

誰か仕事ください!>もちろん音楽の。歌ってにぎやかにするんだったらお任せ!それなりに感動してもらえるし、笑ってももらえるよ♪
2月にはステージがいくつか重なりそう。ギャラが出るのはそのうちの一つくらいなんだけど、大切にしないと。

わたしはこの社会に居場所がほしいんです。―と、いうことなんです。

2004年01月07日(水) ひっきぃだぁ〜い!

今日のわたしは、気分はなんとなくウキウキしてるのだけれど、体調が自分で思っているより良くないみたいなので、プチ「ひっきぃ」状態です。
で、元気がないせいで自信もないみたいで、いろいろメールとか来てたりするんだけど返事も書けません。
あう、これも言い訳だわ。

あ、そうそう『会津里花・文芸編http://www.jackies.jp/indexfic.htm』で、リンク先が前に使っていたODNのサーバー(いちおう今でも生きてるけど)になってしまってて、「戻る」のつもりが違うところに行っちゃうようになってたのを、昼間直しました。
よろしかったら覗いて見てね。

またなんか小説でも書こうかな。
あっ、そうか、それはわたしのPC環境が変わってからだっけ。
楽しみ
(↑移り気で計画性まるでなくても、浮かんだ時に書くのがいちばん!だよホントは)

あ、そういえば、これ→会津里花公開スケジュール(2004年1月7日)も「日記」として使うことができるんだった。
っていうか、もともとこれは日記機能のCGIじゃんね。

今日は「ニール・ヤングマ」という人のライブに行きたかったけれど、行けなかった。
正直、悔しい。
……と、「スケジュール」のほうにも書いてしまった。
あうう、何やってんの、わたし。ごちゃごちゃになってしまうじゃん。

2004年01月04日(日) 言い訳

うーん。
ここ数日、言い訳の多い文章が目立つなあ、ここ(この『原案帳#20』)。
薬が足りないせいでこんなにまでなるか。
っていうか、「薬」に依存してはいけない、と思うんだけど。
早く止めることができるようになればいいのに。

ええっと……
あ、そうだった。
どうしても薬に頼らなければならない、ということは、(なんかめちゃくちゃ当たり前のことを書くけど)薬がないとまともに動けなくなる、ということだ。
なんだかんだ言って「1日2錠のミラドール(最低量)」のおかげで、12月にはライブを確か11本(?自分ではちゃんと数えてなかったのだけれど、相方のMr.Himagineが数えてくれた)もやれた(含・ベースで助っ人参加)。
その分思索とかここの記事とかはめっきり減ってしまったけれど、そのペースで「がんばる」ことができたら、きっと自分の念願もかなうだろう。
(「がんばる」という言葉を再び使えるようになるのに、まる3年かかった)

まあ、いいや。
次にメンタル行って薬をもらうまでは低機能状態になってる、ということで。
急いであれもこれもやると、次にやらなければならないことをどんどん増やすことになってしまい、下手すると自滅の元になってしまう。
いつかどこかで聞いた名言:仕事は手際よく片付ければ片付けるほど増えていく。
低機能状態=お正月休み、ということで。そーじゃん、それでいーじゃん。
いつも通ってお世話になっているN先生のクリニックがお休みなのに合わせて自分も休みをとってる、っていうことで。

いいんだよ、低機能って言っても年賀状は作ってるし。宛名書くの面倒くさいけど。
(年賀状の宛名書きフォームを、このPC「ばりゅちゃん」にはインストールしてないので、手書きで書くしかないのです(-_-;)

朝も8時頃には目が覚めてるし。
今日はちょっと動こうっと。
プロモーション用のデモ音源作りとか。
本を読むとか。(←低機能な時にはこれがあんがい有効)

静岡新聞と朝日新聞だけじゃなく、中日新聞もけっこう大きな記事にしてくれてたし。
あとでスキャナで取り込んで、どっかにページ作って貼っておこう。
あ、そうそう、ライブの時のけっこういい写真もあるし。……ああ、これは面倒くさいから後回し。

そうだ、こんな「原則」もあったっけ。

1.悲劇のヒロインの真似はもうしない。(今でも時々やってるので注意)
2.辛くて苦しい時はちゃんと表現する。(これだけはだいじょうぶ・・・? あんがいできてない場面、今でもあるぞ)
3.限界設定を自分で決める。(↑の「これは面倒くさいから後回し」というのがそれ?)
4.順次、害のないアディクションにシフトしていく。(かなり周囲への害は減ってきてると思うんだけど……?自信ない)
5.選択肢は必ず三個は考える。(うう…… いちいち選択肢を立ててものごとを考える習慣そのものがないよー!)
6.ゲロの始末は一人にはさせない。(ネットでは少なくとも2個か3個は「ゲロ吐き」に使わせてもらってるから、これは大丈夫でしょう)

ということで、どうもわたしは「表現する」ということには長けているけど、「冷静に考える」という点は苦手らしい。

なんか、年明け早々から、わたしは妙に「自己チェック」ばっかりやってるような気がする。
次は例の「エゴグラム」?

あ、お昼だ。朝ごはん食べ過ぎたような気がするので、お散歩がてら町まで出ようかな。
そうそう、いちおう「チラシ」だけは最新のものを作っていつでも配れるようにしておこう。
(※チラシ→オンラインでは会津里花公開スケジュールhttp://ydl.nazca.co.jp/1/jackies/をご参照ください)

2004年01月03日(土) がんばっても不安なあなたへ

私は自分の人間らしさを勲章と思い、祝福します

私のやるべきことはただ一つ、自分に正直であること―――私でいることです

完璧をめざしたり、完璧なふりをしたりする必要はまったくありません

私の一番の財産は、誠実さ、ムリをしないこと、リスクを負おうとする意志です

私は、じっと静かにしていることを楽しめます

失敗するのはあたりまえのことです。人間はそういうふうにできているのですから

私の人間らしさのゆえに、人はたやすく私を愛し、ふれあいの手をさしだすのです

私がやっていることは、今のままで充分です

私の身体は、現在あるそのままで美しいのです

私は内なる声から必要だと告げられたことを、かたく信じます

私は、何をやるかにかかわらず愛されるべき存在です

私は、今日この瞬間のありのままの自分を受け入れます


(「がんばっても不安なあなたへ」原題 Overcoming Perfectionism より)
http://www.iff.co.jp/book/allbook/bk_054.html

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今の日本に、心から↑のように思える人がどれほどいるのだろうか。
そんなふうにはとても思えないからこそ、なんとかして上を目指そう、少しでも「まし」になりたい、と思うのではないか。
上なんか目指さなくても、生きていてやるべきこと、自分に与えられた役割、そういうものは自然とやるようになるだろうに。

わたしも、自分の体がどうしても許せなくて、女に「戻る」……といっても現実には「女みたいな外見に近いかたちになるような手術を受ける」ということだけど……ことにした。
それ自体は間違っていなかったと思う。だって、今のほうが以前よりも楽だもん。
(ツッコミ:そーだよな、おまえは家族に対する責任を果たすこともしないで、自分1人分の生活費も稼がないで、ぷらぷらしてるだけだもんなー!!) い、いや、そーいうことじゃなくって。

もしも↑のアファメーションを前から知っていたら、わたしは手術を受けずに自分の体を再び受け入れることができただろうか?
……できたかもしれない。
でも、それには現在ある以上のリスクを要したかもしれない。
っていうか、男のままで生きていたら、自殺とか犯罪とか、そういう決定的な過ちを犯していたのではないだろうか。(それらを「過ち」と定義づけるならば、の話だけど)
わたしは、それだけは嫌だった。
いろんなかたちで今でも人に迷惑かけて生きているけれど、いつまでも嘘ついて「男です」って言って生きていたら、取り返しのつかないことをしてしまったのではないか。
実際、女に戻ることを決意する直前には、かなり異常な状態になっていた、と今は思い起こされる。
男として生きる自信も希望も可能性も能力も、何もなかった。「ない」と思い込んでいた。
あ、違う。
むしろ男として生きることに、まるっきり「うんざりしていた」のだ。
「男をやってるとこんなにひどい目にあうのか」と。
「殺したり殺されたりするところに引っ張り出されるのか」と。(反戦だけのことを言っているのではないよ)

自分が滅びるだけなら、まだいい。人に危害を加えるのは、絶対に嫌だ。
それなのに、「男の自分」は、現実に人に危害を加えているじゃないか。
嘘がわたしを追い詰める。そのせいだ。
自分のいちばん奥底にあるアイデンティティについて嘘をついてしまったら、それ以上の何をやっても自分でいられる余裕などあるわけがない。
余裕がないから、ほんのちょっと傷つけられた程度で、その何倍もの傷を相手に返してしまうんだ。
もう、そんなの嫌だ!!!!
……
ということの果てに、わたしは自分に嘘をつくのを止めたのだった。

うーん、まあ、「正しい」とか「間違っている」とか言い出すと、この世の誰も自己肯定なんてできなくなってしまうと思うので、とりあえずわたしは今のわたしを受け入れたい。

戻れて、よかった。本当に、よかった。
わたしは女として生きることに慣れてはいない。
無理してだろうと嘘ついてだろうと、現実にわたしは40年近く「男」として生きてしまったんだから。
だけど、女として社会適応するためにあれこれ苦労するのは、ぜんぜん嫌じゃない。
だって、自分らしくできるんだもん。
(わかりにくくてごめんなさい>これ読んだ皆さん)m(__)m

2004年01月01日(木) あけおめ

みなさん、あけましておめでとうございます。


……といっても、なんだか今のわたしは心のどこかがはくはくしてしまって、いまいち心を込めて「あけましておめでとう、今年もよろしく」と言えない雰囲気で過ごしています。
やってないことが残っていたり、やるべきことをあんまり考えつかなかったり……

そういえば、昨年の年越しは、なんだか闇雲に音源を作っていたっけ。
あの単なる「続き」を今年やる、というのはなんだか進歩がないような。
もちろん、続けていきたいこと、というのが今年のメインテーマのような気もするので、そういう意味では「今年の目標=昨年からやり始めたことを続けていくこと」と言えるだろうけど。

今年の目標(昨年から継続するもの以外の付け加え):
1.今年こそは本を書く!(昨年暮れまでに書くって言ってたのに〜〜(泣)
2.収入を得て自力で生活できるようになる!(除・「就職」)


「2」は昨年からやり始めたことを発展させることでどうにかしようと思っている。
「生きていくためには何をやってでも自分で稼いで食っていくのが当然だ」という考え方には、わたしは同意できない。
もしも今のわたしに実はそれしかできないのだとしたら、それは何か大きな問題を見落としているからだと思う。
わたしには、わたしにしかできないことをやって社会の役に立つ、人を喜ばせたり励ましたりする、そういう役割があるはずだ。
そうして、それによって当然に収入を得て、それによって生活を成り立たせる、そうする義務があるのだ、と思う。

今のところ、自分が本来やるべきだと思うことで収入を得ることはほとんどできていない。
(なので弟にかける経済的負担は増大するばかりだ)
きれいごとを言っている場合ではない。
なんとかして、自分がやっていることをちゃんとお金にしなければ。
……でも、焦っても無駄。
今なすべきことをする、ということの積み重ねでしか、真っ当なお金は稼げないだろう。
悪銭(あぶくぜに)をつかむのはいやだ。
(かつて貿易商社「マン」をやっていた頃、そういうお金がこの世にはあるんだ、と知った)
まぁ、2000年(=トランス開始=女性として社会適応しようとし始めた年)以降のいろんな経験で、わたしもちっとは学習してきていると思うし。

今年は、もっと「しっかりする」ことを心がけよう。
……あ。「自分の心を大切にする」のも忘れないようにしないと。
せっかく、そういうことが少しはわかりかけてきたんだし。

こういう「困ったちゃん」なところもあるわたしですが(&人を振り回して迷惑かけたりするところも多々ありますが)、

本年もどうかよろしくお願いいたします♪


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