原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2000年07月31日(月)

★1・でも…()

04/07/01 編集

でも…
お仕事がぁ〜!
お洗濯がぁ〜!!
すでに眠い〜!!
だあ〜っ!!

宝くじ当てて、自分のために生きたい。
「卑怯」って言われても。
そんな泣き言を言いたくなってしまうくらい、しんどいです。
自分が女か男か、またわからなくなってきそうだし、「男でしかない」ということになっちゃったら、きっと消えてなくなってしまうでしょうね、「私」なんて。
私は、あまりにも無駄にがんばりすぎる。
本当に、何の役にも立たないことに心血を注いで、けっきょく人に迷惑をかける。

兄に言われたの、「経済的に自立しろ、それから自分のやりたいことを考えろ」って。
でも、今まで無理してそうしようとしてきて、それでコケて今の私があるんだから、「経済的な自立」なんてこと考えたら、きっと今度は本当に死んじゃうよ。

「私は早く ここを去りたい できるなら 鳥に なって」

中島みゆきさんがこんな歌を歌っていたけれど、歌に込められている想いとは別に、私も同じ言葉を胸に抱いてしまうのよ。

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と、とあるところに書こうと思ったけれど、あんまり悲しいのでやめました。
って言って、結局ここで書いちゃったらおんなじことじゃん。

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2000年07月28日(金)

★1・疲れた…(鬱ぎみ)

04/07/01 編集

もう、お仕事なんてしたくない。
働かなくても生きていける(かもしれない)、なんて、知ってしまったら、どうしても期待してしまうじゃないの。

セロトニンのめぐりが悪いらしいのですが、そんなときは疲労と睡眠不足が最大の敵。
なのに、私の要領の悪さのせいで、どうしても疲れて睡眠不足になるようなことばっかりしてしまうのです。
もしかしたら、どんなお仕事しても、私はそういうところから抜け出せないのかもしれない。
…なんて思うことが、そもそも私の症状の始まり。
だったら、「精神健康衛生法」でしたっけ、あれの適用を受けて、生活保護を受けて、もう二度と「仕事」なんかしない生き方をするのがいいのかもしれない。
それとも、誰か、稼げる人を見つけて、お嫁さんになれたら…
はは、私じゃ絶対無理だよね。
だって、見かけは男だもん。

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2000年07月26日(水)

★1・To work or not to work...?

04/07/01 編集

全てを忘れて倒れてしまうまで働けば、私の「迷い」は消えるのでしょうか。
「働く」ことを忌避してでも、自分の「想い」を大切に抱えていくべきなのでしょうか。

たぶん、大半の男性と女性の半分くらいは「前者」を選ぶのでしょうね。
私だってそうしようとしたことがありました。
でも、倒れただけで、何の解決にもなりませんでした。

ひょっとしたら、人間って、そんなふうに何度でも同じまちがいばかり繰り返す、チョーおバカ?
メダカ?(「すくいようがない」)
かなりたくさんの人の運命を変えてしまっているのに。
自分ひとり「懲りない」だけですまされるようなことではないのに。

いなければいいのに。
私なんて。
中途半端に人に期待を与えて、わざわざそれを裏切ってみせるような卑劣な真似をするくらいなら。

誰も私を許しはしない。
いちばん許してほしい人は、決して許してはくれないだろう。

…あれれ…?
なんだか、「嘆きの壁」ふうになってしまいました。
だいじょうぶ、きっと大げさに言っているほど、本人は気にしてなんかいないから。
ごめんなさいね、もしもこんな様子の私を心配してくれる人がいたとしたら。
本当に、大げさなだけだから。
誰かが、そう言っていたもん。

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2000年07月22日(土)

★1・パソコン、直る;断片集(07.23掲載)

04/07/01 編集

・トンデモな托鉢僧
私は好意でたずねたのに。
「おまえなんかに言うことはない!早く行け!」と追い払われた。あれでは、仏道を閉ざすも同じじゃないか。
なぜ托鉢僧って、ああいう人が多いのかしら?
この社会のあり方のせいでそうなってしまうとすれば、ご本人がたはかわいそうだけれど、そういう制度をいつまでも残しておくこと自体、やめればいいのに。
・露天商
ここ1週間ぐらいで会った人。ハンガリー人、フランス人。
「セルブース」(こんにちは)「コソノム」(ありがとう)・・・「コ・ソ・ノ」は「φ」の発音。「さようなら」は長くて忘れちゃった。
・ホルモン
やったー!「女性数値」にやっと入った。
・ねむの木村
すてきだった。吉行淳之介の文学館、抹茶、カレー・・・

ここで、臆病な私はこの後の内容を伏せてしまったのでした。
ヒンシュクー!!
(っていう、よく分からないほのめかしをしているのは、本当は早く人にも知らせたいことがあるから。でも、焦らせるだけで、みんなには教えてあげない、まだね!)

あと、この「なぐり書き」みたいな内容は、本当はもっと膨らませるはずでした。
時間がないので、そのまま載せます。m(__)m

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2000年07月14日(金)

★1・一時復帰のパリ祭

04/07/01 編集

お祭り騒ぎ。
昔、ある人に聞いて、私の「夢」の一部を形作るようになった言葉。

「労働がお祭りになる日」

ときどき、もしかしたら、今、それが実現しているのかもしれないと思う。

もう一つの、夢。
このページにある、いくつかの掲示板。
ここに書いてくれる人たちの多くが、やさしい気持ちで書いている。
そりゃ、もちろん、へこんだりいじけたり(←私がいちばん多いんだけれど)するときもあるし、それは表せばいいと思う。
でも、たとえ「それじゃホンネじゃない! 甘えてる!」と言われても、お互いがお互いをいたわりあい、癒しあえるような関係を作ろうとする努力、やっぱり大切だと思う。

さあ、今日はパリ祭だ。
みんな、おおいに騒ごうよ。


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2000年07月06日(木)

★1・読感・「風と木の詩」(07.23掲載)

04/07/01 編集

私には、ジルベールに似たところがあるのかもしれない。
きっと、小さな頃から女の子だった読者の中にも、自分とジルを重ねて涙してしまう子がいるのだろう。
私は、「同時代」の頃(=雑誌に連載されていた頃)には、ときどきちらっと読みはしたが、どうしても入っていけなかった。
「露骨すぎる!」(私はジルベール、というよりもオーギュに似たことをやっていたのかもしれない。決してブロウやアダムではなかったが… 要するに、あのお話の中に出てきた「年長の嗜虐者」の役をやっているような気がして仕方なかった)
「救いがない!」(だって、ジルは死んじゃうし、オーギュもついに心を開いた姿を見せてくれはしなかったんだもん! あ、でも、連載中を知っているから言える「裏話」:一度だけ、「ジルに心を開いてしまったオーギュ」を書きかけた回があったのですね。ところが、そのとき、竹宮さんはとても調子が悪かったみたいで―なんだか、身を削りながら描いているみたいだった―、その回は確かページが規定の半分ぐらいしかなかったのだった。そうして、その次の回では、なんと、「先月の掲載分はなかったことにして、ここから書き直し…」という、私にしてみれば前代未聞の事件を目の当たりにしてしまった!あれはビックリしたなあ…)
でも、本当の理由は違う。今なら分かる。
私は、あまりにもジルベールに似すぎていたのだった。容姿はともかく(^^;
あんまりそのままだったから、「これのどこがそんなにイイわけ?」と思っていたのだった。
迷えるジルベールの魂が、どうか安らかでありますように―。

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2000年07月02日(日)


★1・あれ?なんでこんな話になったんだろう?

04/07/01 編集

そりゃ、私だって、愛する人との間に子どもはほしい。
けれど、「私の身体に宿した子ではない」という思い、もう繰り返したくない。
不器用なせいで、子どもが生まれてからも「仕事、仕事」と生活を顧る余裕もないままに生きてしまった。
でも、本当のことを言うと、あの子がかわいければかわいいほど、愛している気持ちが募れば募るほど、自分ではない人のお腹から生まれてきたことがやりきれなくなるの。
だから、私は避けていた。
そうしたら、案の定、私の子じゃないようになってしまった。
今でも愛している。
だから、あの子が遠いところにどんどん行ってしまうことが、悲しくて仕方ないの。

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2000年07月01日(土)

★1・「借り物」の「カテゴリー」
★2・過去の記念日
★3・ザ・スクープ



★1・「借り物」の「カテゴリー」

04/07/01 編集

☆「GID」のの中に「IS」に拘る人がいる(目立つ)わけ
(もしかしたら、私だけじゃないかもしれないなー、と思って(^^;)
いちいち書かなくてもいいことなのかもしれないけれど、自分の身体が「間違った方向」に育っていってしまうのを、なんとか自分なりに理解しようとして、「自分は実はISだった」、それも違っていたとわかれば「ISだったらなぁ」ということになるのですよね。
現実のISの人の中には、自分の身体のあり方を「認める」ことさえもできない人だっているので、こんなふうに「うらやましい」などと思われたらハラが立ちますよね。

で。それどころじゃなくて。

☆本当は、「IS」とひと言で括ってしまうのも、どうかなあ、という気がしてきました。
「性の種類は人間の頭の数だけある」という言葉を誰が言ったのか知らないけれど、「IS」とまとめて呼ばれてしまう人たちの中には、どんなに「カテゴライズ」してまとめようとしても「同性」というような括り方のできない人たちがたくさんいるのです。
その意味では、たとえ「分かりにくい」ものだとしても、一つ一つの「性別」(それは、現在はそれぞれの「症例」とされているけれど、なぜそれが「〜症」と病気の名前で呼ばれなくてはならないのだろう?)について、できるだけ多くの人が「知る」べきだと思うのです。
ただ、それが結局ステロタイプな「性別概念」を作り上げてしまい、そこから「あてはまらずに抜け出す」人が出てくるのでしょうけれど、そうなったらGIDと状況は同じになるので、それはそれでいいのかもしれないとは思いませんか?

☆そして、私は
自分の身体がどうしても認められない人。
「IS」(ってけっきょくひと言で括ってしまっていますけれど、許して!個別に指す言葉がないんだもん、まだ)の人たちが自分の身体のことを知ったばかりの頃(あるいは、それから長いこと)の状態と似ていると思います。
そうして、GIDの私は、ISの人に言われます。
「甘い!」
確かにそのとおりなのかもしれません。
現実に存在する身体を自らの「宝」として受け入れていくこと、本来それが「正解」であるはずです。
なのにごちゃごちゃと理屈をつけて(決してそうじゃないんですけれど、周囲にはそんなふうに見えるのでは?)「変えられないことを受け入れようとしない愚かさ」にしがみついている。
そこまで分かっていれば、GIDから離脱すればいいじゃないか。
…いいえ、だめです。
どんなに筋が通っていても、私にとってはもはや、後戻りすることは腐ったはらわたの臭いがする地獄のようなところへ帰っていくのと同じようなことなのです。
「人間は、人生は、しょせんきれいごとでは生きていけないものなんだ。いつまでも子どものようなファンタジーにしがみつくのはよせ」と言われても、身体があの恐怖に対して怯え、すくんでしまうのです。

「今の私は男にも女にも見えない」と、どこかの掲示板に書きました。
でも、本当は、まるっきり「男」にしか見えないようですね。
足首を切り落としたり、内臓を抉ったりすれば少しは大きすぎる身体が小さくなるのでしょうか。
でも、そんなことをしても、私はいっそう「私ではなくなる」だけなので、そんなことはしたくありません。
たった1ヶ所だけでいいです、自分が女性であることをちゃんと確信することができれば…
「FtM」なんて、言いません。
「女性であることを自己確認できる」なんて、典型的なMtFなのでしょう。
しかも、私の場合、それは「自分に対して」できればいいです。


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★2・過去の記念日

04/07/01 編集

…でした。

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★3・ザ・スクープ

04/07/01 編集

私の知っていることがらも、かなり入っていた。
「布川 敏」さんのところを見ていて、私は思わず涙ぐんでしまった。
とても素敵な、やさしそうな人。
この人だけが、「正しい性別」の戸籍を持っているおかげで自分の顔を隠さないで生きていられるのか。

私は?
「だから、なんか勘違いしている男だろ?」
ならば、この身体を壊して。消して。焼き尽くして!
私は、自分が「男として生きていた」時を、この頭から、心から、すっかり消し去ってしまおうとは思わない。
けれど、これからの人生をそれでも「男」として生きていかなければならないとしたら、それは私にとって地獄の業火に焼かれ続けるのと同じことなのだ。
生きることは地獄を歩むことなのか?
「そういうことだってあるのさ」なんて、したり顔する人は、きっとそういう目に遭ったことがないのよ。

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