原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2000年06月30日(金)

★1・ちょー多忙!! ひ〜(+o+;;;

04/07/01 編集

でも、忘れないうちに。

☆多忙な中でも、「ハリー・ポッター」読破!
…白状します。
原書を読み終わることができたの、たぶん(「宿題」を除いて)これがはじめてだと思います。
そりゃ、お仕事で必要な文章はたくさん読んでるけど、300ページもあったのはなかったからねえ(^^;

感想:    生還!!

☆なんか、たまたま富樫義博「幽遊白書」の1〜2巻を読みました。
連載中は,なんか「ジャンプ」がイヤになった頃だったので途中から読まなくなっちゃったけど(だって、なんだかどの漫画もぜんぶ「格闘技もの」になっちゃうんだもーん。中には作家の「持ち味」をすっかり殺してまでそっちに持っていってしまう作品もあったので、正直「全体主義」みたいで気持ち悪かった)、今最初のほうを読み返してみて、改めて「あ、この人、何かがわかってる」と思わされてしまいました。

☆私にかけられている呪い:

私の望みは、それがどんなことであろうと―正しくても、間違っていても、良いことでも、悪いことでも―叶ってはいけない。

ハリーの呪文で、呪いが解けるかも。

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2000年06月24日(土)

★1・非当事者と当事者の「非対称性」
★2・Congratulations!!



★1・非当事者と当事者の「非対称性」

04/07/01 編集

たとえば、ときどき自分の男性器のことをことさらに大声で自慢する「ヤロー」がいます。
(最近はほとんど見かけなくなりましたけれど)
私には宇宙人か人間以外の動物か、という感じでとにかく感覚的にも理性的にも理解できないのですが、周囲は顔をしかめながらもいちおう「許容」していたように思います。
(あっ、そうか、私が「男の群れ」に紛れ込んでいたからなんだ、きっと)
女性は、特に男性に強要されたわけではなく、自分の肉体の美しさを強調するような姿をすることがあります。
決して「自棄(やけ)」などではなく、それがその人の「プライド」という人もいます。

でも、半陰陽の人が「半陰陽らしさ」をアピールできる環境、あるのでしょうか。
……

すみません、変なことを書いてしまって。
別に「そんなの差別だ!」とか、まして「半陰陽者のヌード写真集を出せ」とか、そういうことを言いたいわけではないんです。
ただ、今の私、自分自身が「男でも女でもない」状態になって、なんだか実感するんです。

半陰陽の人が、そのままで、自分の持っているからだのかたちを、誇りを持ってあらわすことができるようになればいいのに。

…と。
もちろん、すでにそうしている人もいるでしょう。
けれども、世の中でかなり多くの人が、まだまだ「そういう人もいる」とは思っていないのではないでしょうか。

すみません、わかりにくいことを書いてしまって。

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★2・Congratulations!!

04/07/01 編集

to U and F(T)!!

すっごく、嬉しいの!!

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2000年06月23日(金)

★1・「非当事者」として
★2・エヴァに乗る世代



★1・「非当事者」として

04/07/01 編集

私は「理解している」なんて言えない。
「あなたたちはこうなんですよ」などと、したり顔で言うことはできない。

誰でも、人にはなかなかわかってもらえず、でもあまり触れたくない、触れられたくない、だからまたわかってもらえなくなってしまうことの多い「プライベート・ゾーン」を持っているのだと思う。

このことについても、私はたまごさんとのやりとりで貴重な体験をしたように思う。
たまごさんがご自分から「からだ」のことに触れるまで、(多少生硬な感じになってしまったけれど)「あなたのからだはいったいどうなっているのですか?」という、してはいけない質問をしないですんだのだ。
(はじめのうち、話題が違う方向に向かっていたから、ということもあるのだけれど…助けられました、takaharuさん!)

--------------------

私は、やっぱり今でもまだ自分の身体についている男性器を人に見られることは、男性だろうと女性だろうといやです。
たとえば、公衆浴場のようなところで見られるのもいやです。
(だいいち、「男湯」に入ればいいのか、「女湯」に入るべきなのか、今はもう分からないのです)
多くの男の人たちはこう言うでしょう。
「男なんだから、男湯に来ればいいじゃないか!」
また、女の人たちは言うでしょう。
「やめてよ、気持ち悪い!」
…もっともだと思います。
でも、言われた私は傷つくと思います。
だから、「温泉に行こう」というようなお話は、誰ともできないのです。
私にとっては、「温泉に入る」ということが、すでに私の「プライベート・ゾーン」にかかわる問題になってしまうのです。

私はインターセックスの問題については非当事者です。
でも、自分の体験することを思うとき、(種類と方向が少し違うために)もしも私には理解できないことだとしても、せめて気持ちを察してあげることだけは、できるようになりたいのです。
私自身が、「理解してはもらえない」人々から、察してほしいと思うから。

「おまえは、女に対して何かあこがれのようなものがあるようだが、男は男なんだから」

(付記:この言葉を言った人は、「理解していない」けれど察してくれたのでした。実は、その人にはとっても感謝しているのです)
(前のと同じところへの書き込みです)

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★2・エヴァに乗る世代

at 2000 06/23 10:04 編集

=今、「17歳」。

不安を受け止めて。

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2000年06月21日(水)

★1・「言いたいけれどうまく言えない気持ち」

04/07/01 編集

…って、ありますよね。
で、他人から変に突っ込まれると、暴走してしまう…
でも、そのままだと、傷口がもっともっと開いてしまう。
だからと言って、黙っていると、問題はいつまでたっても解決しない。

ISの問題も、そういうところがあるのではないでしょうか。
性教育で、「プライベートゾーンは、人から無理やり触られそうになったり見られそうになったりしたら『いやだ!』と言っていいんだよ」という指導をします。
(今は小学校1〜2年生かららしいです。うらやましい… 私は学校の先生ではありませんけれど)
ただ、たぶん大切なのは「触っちゃいや!」と言うのと「話しちゃだめ!」というのは別だ、ということです。
子どもの心の中で、この二つがごっちゃにならないようにていねいに教えてあげられることを望みます。
私は「自分の問題を人に話してはいけない」と思い込んで育ちましたけど、その結果むしろ社会との接点を失ってしまい、その分だけ自己認識がゆがんでしまったのではないか、と思うのです。
ISの人たちのお話を見ていても、「男だと思え!」というような規制にさらされている場合が多いと思いました。
身体の中から沸き起こってくる認識と、周囲から規定される認識のずれ…苦しいものです。

そういう自分の苦い経験があるからこそ、私はIS(やTS)について公平な態度がとれる子どもを育てたいのです。
私自身は「教職」の資格があるわけでもなく、非力ですが、せめて本職の先生方にはお願いしたいし、子どもを持つ親御さんたちにも自分の持つ認識を再検討してもらいたい。

自分の世代では、自分だけではなく社会そのものが傷つき、病み、性に対する認識がゆがんでしまっている。
けれど、この先の世代では、それがもっともっと自由で素直なものになってほしいのです。

(ある掲示板への書き込みです)

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2000年06月17日(土)

★1・大修館「言語」
★2・2、3行ずつ



★1・大修館「言語」

04/07/01 編集

昨日届いて、ちょこっとぱらぱらめくってみたら、…うああ!! 私にとって「キーワード」になるようなことがあちこちにちりばめられている!

・聖書の記述「アダムは百三十歳になって、自分にかたどり、自分のかたちのような男の子を生み、その名をセツと名づけた。」
聖書のジェンダー観を、言語領域から分析!

・特集「子どものことばをどう育てるか」

・CODA(ろう者どうしの親の間に生まれた聴者の子)=「手話」と「音声言語」のバイリンガル!
しかも、その当事者の1人に言わせると、手話のほうが音声言語よりもずっと適確にものごとが表現できるそうで…
決してマイノリティの「ひがみ」とかではなく、どうやら本当にそういう面があるようなのだ。
確かに、「言語」といえば文字と音声、という「常識」は、目と耳と口、という感覚器官の組み合わせが今ある「(非常に注意を要する意味で)普通の」状態が前提となってはじめてある程度効率的なのよね。

チンパンジーなんかは、思いっきり「ボディーランゲージ」らしいし、ボノボに至っては性的な刺激(?)をコミュニケーションの手段にしているみたいだし。(^^;

私のコミュニケーション手段は「音」と「手」です。
(*^^*)

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★2・2、3行ずつ

04/07/01 編集

書きます。

(1)タバコ
やめられない人のこと、「見下げる」のはやめられそうです。
(ごめんなさい、今まではそういうところがどうしてもあったんです)

(2)私が「暴力」に極端に拘る理由
自分が暴力を受けたから。
そうして、そのことに「気づかなかった」から。
または、「気づいていない、傷ついてはいない『ふり』をした」から。

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2000年06月16日(金)

★1・良きこと
★2・補足 to 「問題発言(?)」



★1・良きこと


04/07/01 編集

…あり。
いのち、わき出づ。

…なぁんて、ちょっと「古文」みたいな書き方しちゃったけれど、…

私は、「天職」を得て、本当によかった。
もしかしたら、お仕事を通じて「人を信じる」ことができるようになるかもしれない。

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★2・補足 to 「問題発言(?)」

06.16・
at 2000 06/16 04:10 編集

たぶん、私の昨日の書き込みを見て、

「またコイツは恨み節かよ…」

とイヤな思いをした人がいるでしょうね。

少し良い言い方をすれば、「男」は文化なしには「男」にはなれません。
そして、決して「暴力」をもってしか「男」という名の文化が成立しないというわけではないのです。
「暴力ぬきでは男になれない」ということ全体が「幼稚」なだけです。
(また、そういう幼稚な段階で踏みとどまろうとする傾向は、残念ながらかなり強いようにも見えるのですが…)
ちょっとみなさんの周りを見回してみてください。
「暴力」ぬきで素敵な男を演っている人、いっぱいいるでしょ?
もしもここを読んだ男の人がいたら、どうか素敵な男をしっかり演じてくださいね。
(演じなければ男にはなれない、という意味で。
それは、「女」が「ある」ものではなくて「なる」ものであるのと同じことです。)

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2000年06月15日(木)

★1・悲しい日
★2・問題発言(?)



★1・悲しい日

04/07/01 編集

二人の知り合いの、誕生日。
今では悲しい思い出になってしまった日。
悲しみの内容は異なるけれど、二人のために祈りましょう。

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★2・問題発言(?)

04/07/01 編集

こんなことを思ってしまった。

-----------------------------------
「男性」って、実はインターセックスの一種なんだよー!!

って言われたら、純男さんはどう思う?
(「純男さん」=「普通の男性」のこと;固有名詞ではないよ(^^; 読み方は「すみお」でいいけど)

誰か、本当に、医学的な根拠をもってこういうことを言ってくれればいいのに。

-----------------------------------

なんでこんなことを思ったのかというと、男性って、放っておけば男になるのではなくて、「自覚的に」ときには「ムリして」男に「なる」と思うのね。
それなのに、そのことに対して「幼稚!」としか思えないほど無自覚な人が多すぎる。

ボーヴォワールはこう言いました。
「女は女に生まれるのではない。女になるのだ」と。
私は今、こう思います。
「男は男に生まれるのではない。男になるのだ。ただし、放っておくと男に『される』だけだよ、ホルモンで。」

男性ホルモンって、ぜんぜん「自然」なものではないと思う。
人間の身体を信じられないようなかたちに改造する、恐ろしい「劇薬」だと思います。
だから、それでもあえて「男になろう」と思う人は、そのような変化に耐えていくだけの自覚、覚悟が必要なのだと思うのです。

私には「本宮ひろし」の漫画がどうしても理解できませんでした。
あるところまでは面白いなあ、と思うのですが、なんか突然走りだすようなポイントがあって、そこから先はぜんぜん思い入れられなくなってしまうのです。
自分が男だ、と思い込んでいた頃は、ただ単に「自分とは相性が悪いのだ」と思っていましたけれど、今はいったん「他人事」として突き放してから理解できるようになってきました。
「男になる」ためには、あんなふうに極端な走り方をすることで「自覚」するしかない人だって多いんだろうなあ、と。

でも、正直、コワいですね。
「男になる」ためには、暴力の力を借りなければ自覚できない、なんて。
(やっぱり理解できていないのかもしれない;だから私は男にはなれません、きっと)

私は、「男でも女でもない自分」と、(少なくとも当分は)しっかり向き合って生きていかなくてはならないのです。
それは、この「性別2元論社会」で生きていくためには「男でも女でもある」ことを演じなければならない、という意味です。

・仕事は、男として。
・プライヴァシーは、女として。(これは自分がそう思っているだけ;人が見てもそうは思えないところが悩みの種なのよー(;_;))

実は「世の中は男と女の2種類で成り立っている」というのも、所詮は
雑な観察によるちょっと幼稚な「決め付け」
であり、
単なる「理屈」
でしかないのですが、まだまだ多くの人がそう思い込まされて生きている時代なので、たとえ「へ理屈」だと思っても、つきあってあげないと生きていけなかったりして。

でさ、私が自分の感じたとおりのことを言うと、それを「理屈っぽい」って言う人もまた、多いのよね。
(たとえば、私の元パー…ああ、それは言わないことにしたのに。どうしちゃったんだろう、私?)
最後の一言がいちばん「問題発言」なのかも。

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2000年06月09日(金)

★1・「性のグラデーション」を読み始めました
★2・「受け入れ」の性差
★3・「受け入れ」の性差(続きor補遺)
★4・電話
★5・好きです、モー娘。!



★1・「性のグラデーション」を読み始めました

04/07/01 編集 (←ここからは「#19」から「#20」へ転載した日付を入れることにします)

走り書きです。

・私は、精神的に「インターセックス」と同じような来歴を持っている。
具体的には、「知らされないで生きてきた」こと。
・だから、「最後のところで袂を別ってしまう」=「身体を変える/変えない」からといって、決して「分かり合えない」わけではないと思う。
・(少なくとも)ひとつだけ反省。
私は、漠然と「GIDの治療は早ければ早いほどよい」と思ったり言ったりしてきた。
それは、「形成手術」も含めて、ということだったのだけれど、思春期にならなければ自分の「性指向」はわからないんだから、それまでに「身体のかたち」を決めてしまうのは、まずいよね。

今まで読んでいなかったのが、不思議なくらい。
なぜこんな、私にとって「必須」としか言いようのない内容の本を読まなかったのだろう。
まあ、この本は最近出たそうだから。
でも、少なくとも、橋本秀雄さんの意見は、もっと詳しく知っておくべきだった。

私は今日、パッドの入ったタンクトップを下に着込んで(だって、イタイんだもーん(*^^*;;)町へ出た。
でも、自分が「普通の女性には見えない」のは、よくわかっている。
どんなに肩幅を狭く見せても、腕の筋肉は隠しようがない。
そんな中で「性のグラデーション」を読んでいて、自分がどれだけステロタイプの「性別(二元論)」にこだわっているか、そうして、自分がどれだけその枠から「はみ出している」か、思い知ったのだった。
で…… 「それでも、いいじゃん」と思った。
コンビニでも、ファミレスでも、誰も私に「キモチワルイ」とは言わなかったのだから。
まあ、女の子たちと男たちとで、視線がなんとなく違うのがおかしいんだけどね。
(なぜこんなふうに「違う」のか、ちょっと思いついたことがあるけれど、それは次の記事でね(^^;)

ああっ、「走り書き」のはずだったのに。
疲れちゃったよぉ。(;_;)

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★2・「受け入れ」の性差

04/07/01 編集

これも「走り書き」…のハズ。(^^;

どうも、(私がステロタイプのオトコを憎んでいるから、ということだけではなく…って、アヤシイけど)
「GID」とか「IS」とか、性について「ヴァリエイション」とされるような人たちに対して、男性よりも女性のほうが柔軟に受け入れることのできる人が多いような印象を受ける。

このところずっとそれを思い悩んできたのだけれど(実は具体的な人間関係にも少なからず関わることなので)、そこにもう一つの考えが重なってきた。

人間の身体は、(聖書にはとても象徴的に「男が元で女はヴァリエイション」とでもいうような書き方をしているけれど)「女性型」が基本で、「男性型」はいうならば「オプション」なのだ。
うーん、よい喩えが浮かばないけれど……
(私は、とっても「比喩」の得意なGIDの人を知ってるけど、気軽に聞けるような関係じゃないからなあ……)
あっ、そうだ、私がついさっき再インストールした、「Windows」みたいなものだ!
DOSの表面に、あぶなっかしくのっかているだけの、実はとっても脆弱な、基盤の脆い存在。
「GID」や「IS」が「性のグラデイション」を成し、「ヴァリエイション」といえるのなら、「オトコ」は実はヴァリエイションの「最も多いかたち」なのだ。

でも、今の社会では、そのようには教えられない。
それには理由があって、(長いから省略! 岸田 秀でも読んでね(^^;)いわば「種の保存」のための「文化戦略」のようなもの。
その戦略においては、「オトコ」は「ヴァリエイション」なんかであってはならない。
一生懸命「立てて」(笑)あげなければならないものなのでした。
(だって、そうしないと「種の保存」がうまくいかないでしょう?(爆笑))
それなのに、「実はオトコは、基本形であるオンナのヴァリエイションとして、ISやGIDを通じて地続きになっている」と言われたら、自信が揺らいでしまうに決まってるよね。

今日(じゃなくて、もう「昨日」)私を見て違和感ありげな表情をしたのは、例外なく「オトコ」たちでした。
そうして、その「違和感」が、私には「自信のなさ」「不安」に見えてしまったのでした。
(で、その表情を見ていたら、さらに「こっちがちぢこまっている必要はないのね」と思えてしまった。だって、こちらが萎縮したり不安がって警戒してしまったら、相手=オトコをなおさら傷つけたり警戒させたりすることにしかならないもん!)

女の子たちは、みんな私のことを「そういう人もいるのよね」っていうような顔で見ていました。
まあ、「同性なんだから当たり前」って思われているのならば光栄だけれど、どっちかと言えば「自分は基本形」というのを、身体か心のどこかで感じているように見えたのでした。
だから、「オトコ」以外のヴァリエイションがちょっとやそっと増えたって、カンケーないのね。
頼もしいわぁ。♪

〜♪〜〜♪〜〜♪〜〜♪〜〜♪〜〜♪〜

……と、ここまで書いて、読み返すまでもなく
「なんて偏向した内容なの!」
と思った。
いまどき、過激派まがいのフェミニズムだってこんなこと言わないかも。
たぶん、私自身が「胸の付いている自分」として外出することに、自分でも気がつかないほどのストレスを感じていたからなのでしょうね。
だから、こんなに「言葉が多い」し。
(みなさん、もうおわかりでしょうけれど、私は緊張や不安によってとてつもない「多弁」になってしまいます(^^; どうかお許しをm(__)m)


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★3・「受け入れ」の性差(続きor補遺)

04/07/01 編集

自信がないと受け入れられない典型例がもう一つ。
思春期前期の女の子。
自分の身体の変化についていけず、この時期の女の子たちは性に対してとても繊細になっている。
(思春期後期にわたって、徐々に慣れていくのだろうけれど)
そのせいか、やっぱり私のような者に対しては拒否的であることが多いような気がする。
でも、前述の「オトコ」との共通のキーワードは
「自信がない」
ということ。
「自信がない」ことのいちばん大きな原因は、人間の性が根本的に「つくりもの」だからだと思う。(岸田説に固執してるみたいね、私(^^;)

さて、「性のグラデーション」の続きを読もう。

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★4・電話

04/07/01 編集

電話のベルが鳴る。
私はびくっとしてしまう。
伝言が聞こえる。
私は息を潜めて耳を澄ます。
その声に、私はほっとする。
こうやって書き込みはできるのに(内容は少しヘンだけれど)、人とお話ができない。
メールにもちゃんと返事できるのに。
今週になってから、会話したのはほんの2、3人だ。
(実際は4、5人かしら)
いちばん最近話したのは、昨夜、コンビニで買い物をしたときのレジの子。会計を打ち間違えて、一瞬戸惑っていたので、正しい金額を言って、「だいじょうぶ。落ち着いて」と言えた。
その子がにこっとして、私もとてもほっとした。

でも、人と話せない。
どうしよう。
今日行くはずだった病院にも行けなかった。
困ったな。
お金もないし。

「助けて」って言いたいけれど、私のこのめちゃくちゃになってしまっている部屋を人に見せるのもイヤ。

私は、この密閉された部屋で、ゆっくりと死んでいくのか……
(萩尾望都に、たしかこういう意味のセリフがあったはず)

何かから逃げている、私。
だから、書き込みの内容がうわっ滑りなのよ。
それが何なのか、わからない。


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★5・好きです、モー娘。!


04/07/01 編集

テレビでモーニング娘。が歌いながら動いているところを見た。
今の職種に就いてから、(元々あんまり見なかった)テレビというものを、ほとんど見なくなってしまったので、娘。を見るのは本当に久しぶり。
(といっても、娘。をはじめて見たのは、単身赴任のときに知らないうちに加入したことになっていたCATVで日曜日にちゃんとやっていた「ASAYAN」なんだけどね;地元では、なんか10日遅れでヘンな深夜の時間帯にしかやってなかった。あれで、自分の娘がヘンなオーディションに出るのを防ぐつもりだったのだろうか、地元のお父さんたちは? こういう閉鎖性、大キライ! ああいう「同時性」を売り物にする番組、ほかの番組削ってでも生で流すべきなのに。ぷんぷん。でも、「コムロ・オーディション」のときにはだいぶうちの県からも応募していたなあ。どこで見つけてたんだろ、あの子たち? たぶん、雑誌とかにも載ってたんだよね)
最近の娘。って、なんだかコメディー・ミュージカルみたいになってしまっていて、ちょっと「3の線」に走っているようでイヤ、という気もしないではないけれど、……理屈はいいの!
デビュー当時のメンバーはもう3人しか残ってないけど、辞めていった子たちのことも含め、あとプロデュースしているつんくの気持ちも思うと、私は見ていてついつい泣けてきてしまうのよー!!!
私も、十代の頃にあんなオーディションがあったら、ぜったい挑戦したかった!
もち、女の子として、よ。 ああ、でも、中学生の頃にはもう、飯田香織よりも背が高かったからなあ、私。
合宿しているところをずっと見つづけた。
なんだか、私が学生の頃にやっていた音楽活動の様子と、どこか似ていた。
平家みちよが優勝し、いったん挫折した子たちが集められたのも、私の経験にどこか似たところがあった。
……
そう。だから、私はすっかりあの子たちを自分と重ねてしまったのだった。
そのうち、つんくの「秘話」を読む機会があった。
あまり知られていないが(ってその雑誌には書いてあった。でも、きっと今では知らない人もあんまりいないでしょう)、つんくが下積みっていうか昔つきあっていた彼女に、一度は別れちゃったんだけど売れ出してからもう一度会いに行ってみたら、その彼女は交通事故か何かで亡くなっていた……
もちろん、つんくがその死んでしまった彼女への未練だけで動いているとは思えないけれど、「なつメロ路線」とか、なんとなく気持ちが窺い知れて、……切ない。
まあ、つんくの「仕掛け」に、すっかりハマっている私なのでした。
もしかしたら、こういう感覚は、「オヤジ!」って言われてしまうのかも知れないんだけどね。
「オバサン」で娘。のファンだっていう人に会ったことないし。
どうなんだろう、純女さんたちは。
ともあれ。
一人一人がちょっとずつソロをとるところを見ているうちに、涙がボロボロこぼれてきてしまった。
その涙は、決して苦い涙ではなかった。
一人一人が、ちゃんと個性を持ち寄って一つのステージを完成させている。
そんなふうに見えるの。
何よりも、彼女たちは、ステージで歌って踊ることを、心から楽しんでいる!
だから、「3の線」みたいでイヤ、なんていう頭でっかちな批判も、あっという間にふっとんでしまいました。
ああ、なんだか、中澤裕子が「先生」で、新人の子たち(裕ちゃんよりも14歳年下?それじゃあ、私となんか、「生きている時代が違う」じゃーん!)が「生徒」に見えたりもして。
飯田、相変わらずボケかましてる。
保田、がんばってる。
まりっぺ、実力あるのよ、君は!
なっち、だんだん「お姫様」化してるな。
ごまちゃんは、私があんまり見なくなってから入った子なので、よく知らないや。

みんな、がんばってね。

いいじゃん、モー娘。のファンでも!

------------------------------------

(なんか、ここまで書くと「おたく?」って言われそう。あ〜あ……)

------------------------------------

こんなことしていると、職場の人たちから軽蔑されるぞ。
人が仕事してる間に、おまえは何をしているんだ。

あ、思い出さない方がよかったかも。
だんだん、身体が動かせなくなってきた。
金縛りみたいになって、その場から身動きすることができなくなってしまう。
今、ぱその前に座っているけれど、この姿勢が変えられなくなってしまいそう。
他の姿勢ができるかな?
……
できない。
……
できない。
左ひざの裏側を右ひざで押さえている格好なので、左足の先のほうの血行が悪くなって、痛くなってきた。

バカみたい、言い訳するのにこんな「お芝居」して。
早く連絡しろよ。

動けない。
早く、見切りをつけなさい。
どっちかに決めなさい。
(あー、やだやだ、「どっちかにしなさい」も、私にとっては悪夢のキーワードじゃん! 昔から、私は二者択一を迫られると、身体が強ばって口も開けなくなってしまうのだった。しかも、そういうときほど決断を迫られている。それで何度、拷問みたいな目にあったことか。「返事をするまで帰さない」「返事をもらえるまではここを動かない」……私が悪かったの、ぜんぶ。)

あれれ、この文章、後半、ヘン。
ひざ、動いた。

だいじょうぶ。

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2000年06月06日(火)

★1・またもモデムが…

at 2000 06/09 05:06 編集

私の「ばりゅちゃん」、またまた「モデムがありません」だって。……もう、知らんわい!!
え〜〜〜〜ん。(;_;)
で、「オフライン」のみで書きます。
実を言うと、いろんなことがあったの。
細かく書いていると、たぶん夜が明けてしまうので、項目だけ。
(とか言いながら、気が向いたことは細かく書いちゃったりして。それは成り行き任せ〜♪)

1. 私の子どもに会いました。
ポケモンで遊び、私の家に(初めて!)呼んで、一緒にパソコンでゲームをやりました。
そうそう、その前に、友人の彫刻の個展に一緒に行きました。
彼はまるで「評論家」みたいにしゃべりまくって、スゴかった。
さすが、わが息子。
2. その、友人=彫刻家の、個展。
一緒に詩集を出したりもしたことがあったので、感慨深かった。
3. そうして、その友人の「打ち上げ」をやる、ということで、バンドやライヴハウスをやっている友人のところに、何人かの友人と一緒に、集まりました。
なんだか、私のこと、みんなにバレちゃっていたけど、ごく自然に受け入れてもらえたようです。
「なんだ、そうだったのか(やっぱり)」って。
はっきり言って、メチャクチャ嬉しかった!!
ありがとう!! (嬉し涙)
4. そういうことがあったせいか(+もう一つあったんだけれど、それは今のところヒミツ(^^;)、今日はなんだか大胆に振舞ってしまいました。町まで、こんな格好で出かけたの。
・ピンクのストライプのTシャツに、黄色のカプリパンツ。
(いいトシして(^^; でも、案外似合っていたのでは?)
その後、とあるところに出かけるのに、マオカラーシャツ(立て襟の人民服みたいなやつ)にGパンだったんだけれど、紙袋に細めのロングスカートを忍ばせていって、……
ついに着替えてしまった!
実は、私が人前でスカート姿になるのは、昨年5月の「エリザベス」以来! 
でもよかった、「似合っていますよ」って言ってもらえて。
5. 今のところヒミツのことがら。でも、実はとっても気になることがら。
6. 前後するけれど、元パートナーさんが、私に海パンとパジャマを渡したのです。
そのココロは?????
しばらく考えているんですけれど、やっぱりわからない。
よりを戻したいのかな? 私がちゃんと「オトコ」に「戻って」。
彼女は、そんなに「甘い」人ではなかったはず。
そう簡単に、私のことを許すなんて、できないはず。
私だって、「オトコに戻って」彼女とよりを戻すのだけは、もう、イヤ。
それは、体が怖がっているもん。
哀れだなあ、と思うけど。自分も、彼女も。
7. そのことと関連して、江角マキ子主演の「独身生活」をヴィデオで見ています。
母親によってがんじがらめになっている娘。
きっと、死ぬまで気が付かないんだろうな、あの母親。
哀れ。
私には、子宮がないから、その「感覚」まではわからない。
それもまた、哀れ。

なんだか、終わりの方は「哀れ」ばっかりになっちゃった。
箇条書きにもなってないし。

〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

後記:「独身生活」をさらに見ていたら、母親はちゃんと気がつきました。
それ、とっても嬉しかったのだけれど、なんだかその後、リバウンドなのかそれとも「嫉妬」?なんでこんな言葉が出てくるのかな?とにかく、そんな気分になって、滅入ってしまいました。
いったい、どうしたのでしょう。


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