一陽来復 *

2006年07月23日(日) 爪もちょっと欠けた

カッターで紙を切っていたら、
定規を押さえていた人指し指がやや外側にはみ出ていて、

スパッ

っと指も切ってしまった。

でも、
あれ、痛くない、と思ったら、
指の皮を削っただけでした。

指の皮が厚くて助かったー!


今日学んだこと:
簡単に幸せになるには
 →一度突き落としてから、通常に戻すこと

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2006年07月11日(火) 教訓その2

忘れないうちに、書いておこう。

結局、その人が好きなのではなく、
その人といるときの自分が好きなのではないか、という疑問。
相手と関わる中で、湧いてきたのは、そういう疑問でした。

内向的な人間というのは、
興味の対象が主に自分の内部に向かっている人間ということで
(認識が間違っていたらどうしよう)、
私は自分が相当内向的だと思っている。
例えばこの日記には時々そういう内容
(例えば自分の人との関わり方であるとか、自分の性格であるとか)
を書くことがあるけれど、考えている時間はもっと長くて、
他の人がワールドカップとか、ミサイル発射とかに考えるのに費やす時間を、
自分はどういう人間なのかみたいなことに考えて使っている。
結局、一番興味があるのは、自分で、
自分がどう心地いい関係を築けるか、自分はそのときどう思ったか、みたいに、
とにかく一番目に、自分が来てしまう。

自分が自由気ままに振舞えそうな人だから、良かったんじゃないかと、
誰でも良かったんじゃないかと、思うわけです。
きっと、そういうことは、あまり人間関係にプラスには働かないんじゃないかと。
なぜなら、相手が、そういう人だったら、悲しいから、
自分を、自分だから好きだと思ってほしいから。

結論も何もないです。
もう寝よう。

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2006年07月09日(日) 教訓1

私にとっての「自然体」は、
けっこう「勝手気まま」「わがまま」と同義になってしまう。
親しい人間には、ときどき、かなりひどいことを言ったりやったりしている。
そういうふるまいを、したくなってしまうから、してしまう。
そういうことが、必要だから、してしまう。
家族とは、そういうマイナスを0にするくらい、
楽しいプラスの時間を共有していると思うから、
甘えている。

相手の気持ちになってみる、
思いやる、ということが、
自然にはできない。
かなり意識しないと、できない。
自分では普通にふるまっているつもりでも、
ちょっとしたことに配慮が足りなかったり、
気を遣えなかったりする。
ときどき、挨拶や礼儀といった、社会人の常識も忘れる。

そういうことをしてこなかったぶん、
そのためのエネルギーがたぶん人より必要で、
余裕をなくすと、忘れる。

そういうことを、分かってくれて、
仕方ないわ、ぺぱだから、
とは、世の中のほとんどの人は、思ってくれない。

小さな、心地よい関係のなかで、ぬくぬくしてきた、
ツケが回ってきているのかもしれない。

まず自分に配慮が足りないということを自覚すること。
そして相手の気持ちになってみるという努力をすること。
それでもちょっとしたときに出てしまうかもしれない、
マイナス面を、打ち消すくらいの、
プラス面をのばすこと。

これらが、失恋からの教訓でした。(また別の視点から書くかも)

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