2005年08月27日(土) |
久しぶりに書いて、こんなん。 |
前回の日記はなんか痛々しいので、上書きします。
もともとコミュニケーションはそんなにうまくないのですが、 ちょっと込み入ったことを伝えようとすると、 途端に伝わらなくなります。 この人は「外」の人だ、と思うと、緊張してうまく話せなくなってしまいます。
私は「内」の人と、「外」の人に対する態度の差が激しいです。 これは、自分ではいかんともしがたいことで、治せるものなら治したいです。 「内」の人というのは、家族や、長い付き合いの友人。 「外」の人というのは、それ以外の人たちのことです。 「内」の人と、「外」の人で態度が違うというのは、 なんだかすごく閉鎖的な田舎臭さと通じるものがあって、ちょっと嫌になるのですが、 そう感じる一方で、「内」の人の間での安心感は何物にも代えがたいものがあります。 そういう人間だからしょうがない、そう割り切れればいいのですが、 大抵の人は「外」の人間に対してもそこそこうまくやっているように見えて、 なんだかコンプレックスを感じるのです。
「外」の人に対しても、様子を見つつ、自分を出せていけたら楽になるのに。
でも「内」の人に接するときの自分も、「外」の人に接するときの自分も、 自分なんだよな、などと思ったり。
「外」の人に接するときの自分の、「真面目」で、「おとなしい」というパブリックイメージが、時々重荷になります。
痛々しいのは今回の日記でも同じでした。あぁ…。
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例えば私が、気まずい気持ちになったり、 その場にいたたまれなくなったとしても、 そういう気持ちなんて、 私が感じていなければ、 無いのと同じなのだ。
だから別に、私が感じたいたたまれなさは、 深くこだわる類のことではない。 私が忘れれば、存在しなかったのと同じことになるのだ。 私が感じた気まずさは、私以外にとっては大して重要なことではないから。
という考え方を、少し前からするようになりました。
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