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2004年08月15日(日) 匂い

ベン・バウンダーさんは、とっても気のいいおじいさんである。1年ほど前、初めて私が彼に日本語を教えることになった時、私に宛てて自己紹介のメールを送ってきた。そのとき私は Boeing とか missile とかの単語をキャッチできなくて、 Boe ってどういう意味の動詞だろうとか、 miss した ile ってなんだろうなんて思った。そう言えば、ずーうっと昔のことだけど、 handicap のことを handi な cap ってどんな帽子だろうなんて思ったこともある。(バカだ)

バウンダーさんのオフィスは、クリスタルシティというまるでポケモンに出てくる町の名前みたいな所にある。1年ぶりに彼に日本語を教えることになって、クリスタルシティまで車を走らせた。彼のオフィスビルの1階には、メキシコ料理のファーストフード店やクリーニング屋や郵便局など雑多な店が入っている。そこを通り抜けながら、床を清掃した洗剤の匂いと、タコスやブリトーの匂いに懐かしさを感じて、ああアメリカに帰ってきたんだなぁと思い、不思議な気持ちになった。普段、メキシコ料理なんて食べようとも思わないし、食べたこともないから。

匂いほど、懐かしい気持を呼び起こすものはないと思う。写真のように記録することができないもの、感じて初めて実感するもの。

懐かしいといえば、今回、しみじみ懐かしいと思ったのが、夫の匂いだった。そんなふうに思ったのはたぶん初めてで・・・、私たちもそれなりに年月を経てきた夫婦になったのだなあと少し嬉しかった。



2004年08月13日(金) 今日は何曜日?

英語で新聞を読むようになってから気付いたちょっと不思議に思ったことがある。日本語の新聞では、「九日午後九時頃、○○の事故が発生し・・・」となるところ、英語の新聞では、「水曜日ブッシュ大統領は、○○を訪問し・・・」となるのである。

・・・と、ここまで書いて、気になったのでワシントンポスト紙を確認したら、「8月9日、・・」と真っ先に書かれていた。どうやら、私が読んでいたのは、エクスプレスというワシントンポストのプロモーション版だったかららしい。プロモーション版というのは、駅で毎朝、号外のように配っている縮小版で、写真等はワシントンポストと同じ物が使われているが、記事の数も量も少ない。(たぶん記事の内容も簡易になっているのだろう) アメリカでは新聞を宅配で定期購読する人が少ないため、新聞を読む習慣をつけようというキャンペーンのために、広告を収入源として、無料で配っている。

で、我家の留守番電話の話になるのだけど、この電話、留守電のメッセージの後に「水曜日午後3時10分」とアナウンスが入る。これでは、長期の旅行などから帰ってきたとき、どの水曜日だったのか分からないではないか。多くのアメリカ人は今日が何曜日かと気にしながら暮らしているのだろうか。給料だって、週給だし。(私の場合は隔週の金曜日が給料日)

それとも、聖書の影響? それとも、30という数字は大きすぎて、7までしか把握できないとか? (←アメリカ人をバカにしすぎ)

帰ってきて留守電を聞いていたら、夫が私に掛かって電話だけを削除しないで残していたようで、仕事の依頼がいくつかあったのだが、いつの水曜日なのかさっぱり分からず、「すぐかけなおして」と言っているけどもう他の人に依頼済みだろうなんて思って、なにもしなかった。

ところが、今日また電話があり、明日から日本語の先生の仕事を再開することになった。週に2回か3回ではあるが、こちらでの生活は自由すぎて、自分を律しないとずうっとグータラしてしまうので、ちょうどよかった。



2004年08月12日(木) Everything is OK ?

ワシントンに戻ってきた日、空港に着いたのが午前で、家に戻って4人でお昼ご飯を食べに出て、その後夫は仕事に出かけ、子どもと私は疲れていたので、バタンキューと倒れるように寝てしまい、そのまま昏々と眠りつづけた。夫は9時ごろ戻ってきたらしいが、私はまだ寝ていて、ひとりで夕食の支度をして、片付けもして、12時頃やっと起きてきた私に、もう寝るよと言ったらしい。それから私はなぜか日記をアップし、すぐにまた寝た。次の日の朝まで。18時間くらい寝たことになる。これで私は、時差ボケと無縁である。すごいぞ、私、偶然だけど。

今日、時差ぼけで寝ている長男を置いて、次男とお昼ご飯を食べに行った。ちらし寿司と和風ハンバーグを食べていたら、ウエイトレスさんが来て、「いかがですか?」と言った。息子がぽかーんと「訳わかんない、何言ってるのこの人」という顔をしていたので、「 Everything is OK ? のことだよ」と説明した。

アメリカのウエイターやウエイトレスはチップ制なので、お客が食べている時に顔見せにやってきて、“ Everything is OK ? ”と聞いてくる。「全てのものはいいですか?」ってなこと聞かれても、まずいよとか、辛すぎだよとは言えないので、普通は fine ! って答えるだけで、半分儀式のようなものだと思っている。(たまに、「箸もほしいのですが」とか言うこともあるけど)それを日本食レストランで日本語で聞かれると「いかがですか?」となるのだろうけど、あんまりないことなので、息子がポカーンとしてしまったという訳だ。

以前、別の日本食レストランで、「大丈夫ですか?」と聞かれたことがある。そのときは私も、何のことだかすぐに分からず、えっ、私、病気みたいな顔してるの? それとも知らない間に、箸を落としてるとか? といろいろ考えてしまい、夫が「大丈夫ですよ」と言って平然としているのを見て、やっとその日本語の意味を理解したのだった。そんなこと言われたって、わかんないよ、ふつう。よくわかったねー、おっと。

Everything is OK ? を日本語に訳して使うのは何か間違っている気がする。



2004年08月11日(水) アメリカのせんれい

ワシントンダレス空港で荷物をピックアップしたら、スーツケースの角がへこんでいた。実家でもらった、まだ一度しか使っていない新品同様のスーツケースだった。クレームはどこに言うのだろうと、そこにいた係りの人に聞くと、韓国語訛りのあまり上手くない英語を喋るその人が「自分が係だ」と言い、「(業者に)家まで荷物を取りに来てもらって、修理に出して返ってくるのを待つか、ここで現金20ドルをもらって終わりにするかのどっちかだ」と言った。思わず “Twenty!?” と聞き返し、2000円って言ってるんだよねと息子に確認してしまった。

悩むところだけど、もし修理の方を取ったら、責任感の欠片もない英語の下手な事務員と電話でやり取りして、ピックアップの日にち(時間は指定できない)を決め、また戻って来る日には家で待機で、きれいに直るかどうか分からない仕事ぶりの結果を待ち、もしかしたらガッカリすることになるかもしれない。そんな一連の気の重い出来事が頭をぐるっとひと回りした時、「20ドルでいいです」と言っていた。

空港まで迎えに来てくれていた夫が、その話を聞いて「え、たった20ドルで妥協して、直さないの」という顔をしていたけど、「まあいいんじゃない」とだけしか言わなかった。そりゃああなたには、クレームすることなんて、日常茶飯事の朝飯前かもしれないけど、わたしは日本から戻ってきたばかりで、まだこっちに Adjust できていなかったんだもの。(←適応って言えよ:by昨日の日記)

私もまだまだだね。 これがアメリカが私を出迎えてくれた洗礼だった。




2004年08月10日(火) 成田空港

成田は曇り。

空港のチェックインカウンターで偶然Kさん一家4人と会った。日本に帰ってくるときも、テニス仲間のHさんと一緒だったし、飛行機を降りる時には、Iさんの家族とも会った。ワシントンの日本人コミュニティーは狭い世界だなと改めて思う。

結局昨日は頼まれ物の買い物をしただけで、あわただしく終わってしまった。いつものことながら、夜中まで荷造りをしていて、たった3つほどの荷物でこんなに大騒ぎしてするなら、引越しなんてどうなるんだろう。結婚してから、こんなに長く同じところに住んでいるのは初めてで、引越しの大変さには慣れているはずだったのに、すっかり忘れてしまった。

また、あちらの生活に気分を慣らしていかなければならない。何かというと、「 Adjust する」という英語まじりの日本語を喋る、もとキャスターだったという女性が居たなあと思い出した。ちゃんと「適応する」と言えばいいものを・・・なんて。


2004年08月09日(月) わすれものはなあに。

昨日になってやっと兄の家族4人と会うことができた。(長男と同級生の甥は合宿で2週間も高校に泊り込んでいたんだそうだ) 新橋で待ち合わせて、汐留の日本テレビと、お台場のフジテレビと、お台場モールのショッピングに行った。

兄と会っているときに偶然平塚に住む「いとこ」から電話がかかってきて、近くに来ていることがわかり、合流することになった。いとこと義姉とは10年ぶりくらいの再会だった。いとこが、お台場まで来てくれたから、ちょっと待ったけど会えてよかった。いとこくらいの親戚ってわりと近くに住んでいても、なにかないと、会いそうで会わないものだ。


明日には帰るというのに、午前中は荷物が届くのをずっと部屋で待ってて、やり残したこともいろいろあるのに、相変わらず日記なんて書いてて、買ってくるように頼まれた本や薬などはこれから買い物。

なんだか大きな忘れ物をしている気分。


2004年08月08日(日) 買い物

下の息子と二人で新宿を歩いていたら、
「ちょっと、おにいさん」と
腰の曲がったおばあさんに声をかけられた。

「伊勢丹はどっちの方に行けばいいですか?」って。
私は、(あーぁ、おばあさん人を見る目がない)と
不思議に思った。

息子は私と一旦離れて、あとで待ち合わせしようとしても、
「どこか分かんないからできないよ」
というほど新宿や都会の街に不慣れなのだ。

ゲームソフトや音楽CDを見たいから、
ちょっと待ってて、なんて待たされて 
私もいいかげん疲れてしまった。

それよりなにより、どうしてあのおばあさんは
いつもぶすっとしてて、愛想もなにもなさそうな
息子に声をかけたのかしらん。

息子が困った顔して、
私が助け舟を出して、代わりに答えたけど。

早く帰らないと雨が降りそうな空模様の
新宿午後5時。

何とか大きな買い物を終えて、
山手線に乗り込んだとき、案の定、雨が降り出した。


2004年08月06日(金) 疲れたわけ

むかし、子どもがまだ小学生と中学生だった頃、「英語には、そばかす( freckle )っていう単語はあっても、にきびっていう言葉はないんだよ、だってにきびのある人がいないから」と言われて危うく信じそうになったことがある。ほんとはちゃんと、にきび( pimple )という単語もあるんだけど。聞いたことないからって、無いと決めつけるなー!

この日の日記に、日本で買いたいものは質のいい衣類と書いたけれど、アメリカに無いものはいろいろあって「にきびの薬」もそのひとつ。これは、いま中2で、にきび花盛りの下の息子のリクエストである。それから、歯ブラシ。ムコウには、ブラシの部分が大きすぎて歯が磨きにくいものしかない。毛先が山切りカットだとか、球と先細だとかの凝った作りのものもない。それから、美白化粧品を含む化粧品全般。あちらの人は、日本人ほど色白を気にしていないから・・というより、以前から疑問に思っていたのだが、黒人の女性もファンデーションを塗るものなのだろうか。今まで確かめたことがない。

ってわけで、帰る準備のため薬屋さんに行くことにした。すると、お茶のパック、豆腐の石鹸、納豆の何とか、コラーゲンがどうのこうの、しみそばかすが薄くなる飲み薬、などなど、もう覚え切れないほどの見たこともない新製品があって、どれもほしーい!という気分になった。とりあえず、いくつか選別しなければいけないので、箱やチラシに書かれている説明などかたっぱしから読んでみたのだけど、それが、ぜーんぶ読めてしまうので(←当たり前)とても疲れたのだった。思えば、薬屋さんでも、スーパーマーケットでも箱に書かれている説明を読みながら商品を買うことなんて、ムコウでは、したことがない。てきとーに買うことが多い。もしくは分からないものは買わないとか。

昨日の夜は、上の息子が友だちと飲み会(高校生だから飲んではいないけど)に出かけて、10時半過ぎに戻ってきた。いつも学校から2時半(クラブ活動のある日でも4時半)には戻ってくる息子の母としては、とてもとても心配で、銭湯に行きそびれてしまった。ああ、東京人母への遠き道のり。


2004年08月05日(木) 拍子抜け

複数の子どものいる親の多くが思うことだと思うけれど、兄弟の性格って、正反対くらい違うものだ。私に似て倹約節約型の上の息子と違い、下の子はあるだけお金を使ってしまう。(←昔の夫に似ている)

だから昨日から下の息子も一緒に暮らすようになって、どこか買い物に連れて行けとうるさく言われるのかと思ったら、朝は9時半までグースカ寝ているし、朝ご飯が遅かったから、昼も一人で食べるから勝手に出かけていいよと言うし、結局、昨日彼は、近所に出かけた以外は、部屋でテレビを見たり本を読んだりしていたようだ。

せっかく東京にいるのに・・なんて思わないのだろうか。私としては、なんだか拍子抜けである。

夜になって、「8時のチャンネル権と9時からのチャンネル権のどっちがいい?」と二人が話していて(けど、私には尋かれない)、とりあえず喧嘩することもなく相変わらずテレビ三昧していた。こんなふうにテレビをたくさん見るのも日本にいるときだけだからまあいいか。

それにしても、オリンピックを日本にいるときに見られないのは残念。


2004年08月04日(水) 私、都会人?

ウィークリーマンションの部屋を引越しした。今までは2人部屋だったのが、昨日から3人部屋になって、2倍くらい広くなった。階も5階から6階になって、向きも見晴らしのよい方に変わり、快適さがいままでと格段に違う。東京に住むなら最低でもこのくらいのところに住みたいなあと思う。ちなみに、いま住んでいる所の辺りで、このくらいの部屋(6畳+4畳半+2畳のキッチン+ユニットバス)を借りると家賃は月、12万円くらいする。

夕方、名古屋から新幹線でやってきた下の息子と新宿で合流した。「品川駅にいま着いた」という電話があってから、新宿に着いたと次の電話がかかってくるまで長いこと待たされて、財布を落としちゃったんじゃないだろうかとか、反対方向の山手線に乗っちゃったんじゃないだろうかとか、そわそわと落ち着きなく心配していたら、息子からやっと連絡が入った。誰かが線路構内に入ったせいで電車が遅れたんだそうだ。

中学2年生にもなっても、母ってものは心配しすぎ。

いつ携帯に電話があってもいいように、電波の届く新宿駅西口のロータリーのところに腰掛けて待っていたら、上の息子に「どうして建物の中に入らないの?、そこでも電波届くんでしょう?」と言われデパートの中に入ったとたん、「ふー、やっと息ができる。さっきのところ、排気ガスとタバコの煙で苦しくって息もできなかったんだよ、ママはなんともなかったの?」なんて言われてしまった。この子は、健全な街、ワシントンDCの郊外でいろいろ不純な情報から隔離され、純粋培養されちゃってると思っていたけど、空気まできれいじゃなきゃ住めない人になっていたとは・・・と驚いた。

(世田谷に住んでいた時、喘息持ちだったのが、アメリカに引越しして治ったほどだから、やっぱりムコウは田舎なのだ)


2004年08月03日(火) 木陰で

昨日は丸の内線にあるT大学のオープンキャンパスに行った。今までに、ふたつ行った大学のオープンキャンパスと違い、今回は予め申し込んで抽選に当たった受験生しか入ることができない。保護者も入れない。なので、行ってもしょうがない気もしたけど、やっぱりついて行った。

お昼休憩には一緒にご飯を食べようと思い、11時半頃から建物横の木陰のベンチで待っていたら、何人かの保護者も同じように待っていた。はじめに座ったベンチの人は、私が隣に座っても、こちらを見もせず、見ている東京地図をわざわざ隠すように私に背を向けるタイプの人だった。待っている間、暇だからお喋りでもしたかったのに。

それから、12時過ぎても、子供たちが全然出てくる気配がなくて、建物の前にいた大学のスタッフに「午前の部は何時までですか?」と尋きに行った。すると「1時半です」という答えで、11時半に待ち合わせしていたから、どうしようと決めかねたまま、またベンチに戻ると、今度は別のおかあさんに「1時半まで出てこないそうですよ」と話しかけた。

そのお母さんとは話が弾み、どこから来ているかとか、何学部を受験するかとか、ずうっとお喋りしていた。

この前、東京の子どもたちが、塾とか予備校とかで1日12時間も必死で勉強して、なんだかへとへとになってという話で、ワシントン時代の友人と盛り上がっていたその日、家に帰って6時のニュースを見ていたら、偏差値が85もある秀才君の勉強漬けの日常生活や、大阪から新幹線でお受験塾に通ってくる5歳の女の子のニュースをしていた。反射的に、息子と2人、「こんなのぜったいいやだよねー」と言い合ったばかりである。

けど、ベンチで話をした地方都市在住のその人の子どもは、ずっとクラブ活動に夢中で、親が心配するのも聞かず、絶対続けると言って、「成績が少しでも落ちたらすぐやめること」という条件をちゃんとクリアして、塾にも行かず、3年までやり通したんだそうである。今の成績は高校の先生も認めてくださっているらしい。

それまで、日本の受験生たちって異常だと思っていたのが、その話を聞いてなんだかほっとした。

・・なんて、甘いのかなあ。


2004年08月02日(月) 「今日も暑そう」

昨日は日曜日だというのに、息子には午後3時までの用事があって、私は特に予定もなくて、ここのところ息子べったりになっていた私は、開放された気分になるより寂しいなぁって気分のほうが大きくなってた。そんなものかしらん。それじゃあ、家のことでもしてるからと、洗濯したり、片付けしたり、入浴剤を入れて朝風呂に入ったり、お昼寝をしたりしていたら、いつの間にか待ち合わせの約束の時間近くなっていてあわてて出かけた。

今まで便利だからという理由で近くのコンビ二で買い物することが多かったけれど、もう少し足を伸ばして、スーパーマーケットや地元商店街で買い物をすると、安いし、夕方6時過ぎると半額になるし、半端な端数の金額はおまけしてくれるし、ちょっと地元民って感じで嬉しい。

嬉しいといえば、息子が「ボク、今のこの生活、わりと気に入っているよ」と言ったことが、私をひそかに喜ばせた。1ヶ月という短くもない期間、不自由な生活してて、必然的に長時間顔つき合わせてるせいで、会話も増えて、私は楽しいと思っていたけど、彼もそれを楽しいと思っていたのかしらん?

と思ったら、東京の刺激がたくさんある生活のことを言っていたらしかった。確かに、ワシントンDC郊外の田舎や、私の実家のある田舎と較べたら(否、ニューヨークと較べても)、ここ東京は、どこよりエキサイティングな街なんだろうなと私も思うよ。


2004年08月01日(日) 浮いたり沈んだり

昨日、三田にある大学のオープンキャンパスに出かけて、とってもとっても恥ずかしいことをしてしまった。総合政策学部の授業で、あるNHKの番組のビデオを見せられて「感想は?」と訊かれ、的外れどころか、全く正反対のことを、それも感極まって涙混じりに喋ってしまったのだ。バカか私は。(問われなくても、バカなんだろうけど)

メディア・リテラシー(=メディアの裏を読み解く力)の授業なんだから、その番組を批判的に見ることをしないでどうする。なのに私は、その番組の製作者の意図にまんまと嵌って、感情移入までしてしまったのだ。

その番組は、トルコ地震の起こった後で、各国が仮設住宅を国際援助したさい、日本の政府のとった対応がいかに不適当だったかということをレポートしたものであった。

私自身の背景が、海外に住んでいる所為で、普通の日本人以上に日本への愛着や、愛国心とも呼べるものが増幅されてしまっているということにあり、番組のなかで、日本政府の海外での評価が、「不手際、不適切」など低い評価をされたことが、恥ずかしいとか情けないとか感じられて、とても悲しい思いをしたのだ。


「ママは落ち込みやすいからねー。 昨日、○智(大学)で、褒められたからって、調子に乗っちゃったんでしょう?」と、その時は他の模擬授業を聴きに行っていた息子に指摘され、たぶんそうだったんだろうなと思った。


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