ことば探し
まゆ [MAIL] [HOMEPAGE]
 

2010年05月31日(月) ■評価されてない、認められていない、と思うとき

多くの場合、人は、
自分がやっているわりには認められていない、
評価されていないと感じている。

一方で、逆の立場では、多くの人が、
こんなに誉めたり評価しているのに、相手は、
そのことに気づいていないと感じている。

その理由は、相手が成し遂げたことが、
私たちにとって、どういう貢献をもたらしているか、
という視点に欠けているからだと思う。

人は、一見、
自分だけよくなろうと思っているように見えても、
深いところでは、「この場」に貢献したい、「この場」に
つながっていたいということを求めているものだから。
成果を認め合おう。



出典元 「人を動かす10の法則」
おすすめ度 4
著者名 伊藤 守


誰もが、正当に自分を評価してほしい、認めてほしい、
と思っているが、それがなかなかしてもらえない。
だいたいにおいて、評価は自分が思っているより低いものだし、
思ったように自分を認めてもらうことも少ない。

それは、評価は、その対価や見返りとセットだし、
評価のモノサシは、あってないようなものだし、
認めることは、その人の言い分を認め受け入れたり、
それゆえ、負けたような気持ちを持ったりして、
こちらの負担になるようなことも多いからだ。
だから、簡単には、評価できないし、
素直に認めることもできない。
かくして、人に評価や認めてもらうことを求めても、
なかなか手に入らない、ということになる。
本当には、心の中で評価し、認めていたとしても。

だから、あまりに評価や認めてもらうことを求めすぎると、
がっくりきたり、ジレンマに陥ることになってしまう。
それよりも、そのことだけに振り回されず、
自分のやったことに誇りを持とう。
自分がやった成果をまずは認めてあげよう。
そして、できれば、相手のやった成果も認めてあげよう。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「あれは、どうなっている?その後のお話」

何人かの方からメールをいただいたので、その後のお話です。
今日は、ベランダ野菜中心です。

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2010年05月28日(金) ■死ぬまで夢を持て。叶わなくても、しょせん夢だから

《お知らせ》
本日の「ぼちぼち日記」で、
「20年後のありがとうのために」という、
ひとりの母親から息子へのメッセージを紹介しています。
子育て中の方、誰かを育てている方、自分のこれからの
人生に迷いのある方には、読んでいただきたいメッセージです。
ぜひ、読んでみてください。 <(_ _)>
「20年後のありがとうのために」



ばあちゃんが遺してくれた中で、
俺が一番好きな言葉がこれだ。

「死ぬまで夢を持て。
 叶わなくても、しょせん夢だから」
失敗しても落胆するな。
あきらめるな。


という、ばあちゃんからのメッセージが
伝わってくる一言だ。
ばあちゃんは、いい方向に向おうとしてやったことなら、
どんな結果になっても失敗ではないと、言っていた。
そう言ってもらえると、
「失敗しても、いいんだ」
と、勇気が湧いてくる。


出典元 「がばいばあちゃんの笑顔で生きんしゃい!」
おすすめ度 5
著者名 島田 洋七


洋七さんは、この本のなかでさらにこう言っています。
「人生は、思うとおりになんていかない。
 失敗して、当たり前なのだから。
 これは長い苦労の末、
 ばあちゃんがたどり着いた結論だったのだろう。
 そして、それでいて、
 「夢を持ちつづけろ」
 と言うことができたばあちゃんは、俺の誇りだ」


人は、自分が、苦労したり、ダメだったり、
失敗したり、夢やぶれたりすると、ついつい、
「夢なんて持っても仕方がない。
 そんなものは持つだけ無駄だ。
 どうせ、かないっこないんだから」
などと言いがちだ。
そして、気持ちもやる気も元気もしぼんでいく…

しかし…年を重ねても、苦労しても、失敗しても、
「私は、まだこんな夢があるの」などと話せる人と、
「夢なんて何もない」と、言い切る人と、
どちらが、心豊かに生きられるだろうか。
どちらが、話をしていて楽しいだろうか。

私は、叶わなくても、死ぬまで夢を持ちたいと思う。
たとえそれが、人からみたら、ささいな夢でも、
かないっこない、と思われるような夢でも…
そして、「ああ、いい夢みたわ〜ふふふ」などと言って
死ねたら、とても幸いだと思っている。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「■「20年後のありがとう」のために」、「5年後の自分にありがとう」のために…」

とてもステキな、1人のおかあさんからのメッセージです。
ぜひ、読んでみてください。 <(_ _)>

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2010年05月27日(木) ■「してあげたこと」は、すべて忘れることです

「私はあの人に、これだけのことをしてあげたのに」
人は、してあげたことは、細かいことまでよく覚えています。
そのかわり、人にしてもらったことは簡単に忘れてしまいます。

夫婦や恋人同士のいさかいの多くは、
「してあげたこと」と「してもらったこと」の
不釣り合いへの不満から生まれます。
誰でも、自分が人にしてあげたことは重大なことに感じますが、
人にしてもらったことは軽くみてしまいがちですので、
釣り合いがとれるはずがないのです。


「こうしてほしい」という要求には、きりがありません。
「こうしてくれてありがとう」という感謝こそ、
愛の喜びがあります。
「してあげたこと」は、すべて忘れることです。


出典元 「3分間で気持ちの整理をするリラックスブック」
おすすめ度 4
著者名 たかた まさひろ


自分の「してあげたこと」は、よく覚えているし、
重大で、たいそうなことだと思える…
たとえそれが、ささいなことでも。
それだけ、自分が「してあげた」と思うことがらは、
自分の思いや心や何か犠牲が入っているのだと思う。
だからこそ、その「してあげた」ことに対して、
それ相応の感謝、お返しをしてもらいたいと願ってしまう…

しかし、それは、相手もまたそうなのだともいえる。
仮にそれが、こちらにとっては、ささいなことに見えても。
だから、相手がしてくれたことを軽くみてはいけない。
それは、相手の思いや心を軽く扱っていることになってしまうから。

けれども、中には、「してあげた」と言わない人もいて、
そういう人は、とてもありがたい何かをしてくれても、
その後のお返しや感謝も求めず、さらりとしている。
なぜなら、それは「自分がしてあげたいと思ったからした」
のであって、誰かから、強制されてしたのではないし、
誰かに感謝されたり、お返しをもらうために、
したからではない、とわかっているからだ。
少なくても、そう考えて、してあげたことは、
忘れるようにしているのだと思う。

どちらにしても…
「○○をしてあげた、△△をしてあげた」と、
自分が「してあげた」ことを数えるなら、
「してもらったこと」も、数えてバランスをとっていこう。
また、同じ「してあげる」なら、楽しくしていこう。
その方が、不満も小さくてすみ、精神衛生上もいいように思う。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「忘れ去られた、過去の道」

のような道を見つけたので、歩いてみると…
やっぱり過去の道でした…

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2010年05月26日(水) ■もしも、あのとき、こうしていたら、ああしていたら…

人生には、脇道に逸れそうで逸れない
危うい一瞬というのがあるのです。
「こちらに来れば」と、別の道に誘われる。
「あっちの道」を行けば、
波瀾万丈な人生が待っているかもしれないし、
もっとドキドキした毎日が送れるかもしれない。
心惹かれるけれど、結局は平凡な「こっちの道」から
離れることはしない。

何年もたって、「もしも、あのとき」と
選ばなかった人生を思い描くことがあります。
「あっちの道」と「こっちの道」、現実は一方だけ。
いつも、もう一方が少しだけ良く思える。
後悔ではなく、
「あっちの道」を行く自分の幻が、ただ眩しいのです。


出典元 「人生、どうにかなるさ!」
おすすめ度 3.5
著者名 新井 えり


どんな人にも、誰でも、
選べなかった、選ばなかった道がある。
逆をいえば、選んできた道がある。

そして、ときに、そんな道に思いをはせる…
その選ばなかった道、選べなかった道は、
今の自分がみじめなときだと、うんといいように思えるし、
今の自分が満たされていると、「これでよかった」と思える。

また、ふと、
もしも、あのとき、こうしていたら、ああしていたら…
選んできた道は、これでよかったのだろうか…
などと、考えてしまうこともある。
人は、そんな思いを持ちつつ、
揺れながら、生きているのだと思う。

自分が選んできた道は…
思った通りでないかもしれないし、
思ったようにはいっていないかもしれない。
選んできた、なんて言いたくないかもしれない。
それでも、やっぱり、今の道は今の道。
大切にしていかなければ…と思う。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「こんなのを見つけたら、見ちゃうよね?」

って、思うのは、私だけでしょうか?

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2010年05月25日(火) ■こういう連鎖がキレない人間関係をつくっていく

世の中のひとりひとりが「やりっぱなし」にするのではなく、
自分のやったことが周りの人にどんな影響を与えるかを
想像する癖をつけてほしいものだ。
そして「社会のルール」を自分なりに守ること。
そういう心構えをするだけで、世の中のイライラは減少する。
それだけでキレる人も減少する。


いや、それよりもみずから、
「あの人はちょっと違うわよねえ」
「彼はいつもちゃんとしてるな」と
と思われる人間になるように心がけてみてはどうか。

自分で開けたドアは自分できちんと閉める。
トイレはきちんと流す。
ポイ捨てしないのはもちろん、気が付いたら、
他人のゴミもゴミ箱に入れる。たったそれだけ。
周りの人は、きっと見習う。
そういう連鎖がキレない人間関係をつくっていくのだ。


出典元 「人間関係で「キレそう!」になったら読む本」
おすすめ度 4
著者名 斎藤 茂太


自分のやったことに対する想像力がなくなってきている、
こんなことを最近よく耳にするようになってきた。
自分がやったことが、周りにどんな影響を及ぼすか、
想像出来ない人が増えてきている、ということらしい。

例えば、電車の中でのお化粧なども、本人は、
「何をしても私の勝手でしょ、私は全然平気」と
思っているだろうが、見ている方は、
白日の下では見たくないものを見せられた感じがして、
また、同じ女性として妙に恥ずかしく居心地が悪いものだ。
しかし、本人は、そんな周りの人の気持ちなどは想像もできず、
時間がないから仕方ない、知合いがいないから平気とばかりに、
自分だけの世界に入り込んでいる。

ちなみに、このような現象は、
見知らぬ他人に対しては羞恥心が全く働かず、
逆に、ちょっとでも知っている人、仲間内見られると、
非常に恥ずかしい気持ちになるという、
羞恥心の矮小化ともいえるそうだ。
(つまり、見知らぬ他人には、想像力が働かず、配慮もせず、
 知合いや仲間内だけに、想像力を働かせ、配慮する、
 ということでもある)

そして、こういう現象が多くなってきているから、
見知らぬ人の中にあっても、ゴミをさりげなく拾って捨てる人や、
電車で気持ちよく席を譲る人、節度ある態度に感心して、
いい刺激や影響を受けたりして、見習いたくなると思うのだ。
こんなさりげない周りへの配慮、自分のやったことに対する
想像力をなくさないようにしていきたい。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「ちょっといいことをしたお話」

そして、こんなことがあったのでした。

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2010年05月24日(月) ■欠点やダメなところばかり数えていたら、自分が嫌いになるだけ

自分の欠点やダメなところばかり数えて、それを悔やんだり、
責めてばかりいると、どんどん自分を嫌いになってしまいます。
欠点やダメなところなんて、いくら数えて確認したって、
少しも解消できません。解消できないあげくに、大事な大事な、
誰よりも大事な自分を嫌いにさせる効果しかありません。

大丈夫。
欠点やダメなところが気になるときがあったとしても、
まあいいや、それはそれ、って思えばいいんです。
そんなこと放っておいたほうがいいんです。
放っておいて、どんな小さなことでもいいから
ほめてあげられる何かをみつけてあげましょう。そして、
「こんな素晴らしいところだってもっているじゃない」
といってあげましょう。


人間って、とっても不思議な動物です。
自分で自分をほめていると、少しずつかもしれないけど、
自分の輝きが増してくるのがわかります。
今まで気づけなかった素晴らしい自分に、
次から次へと気づき始めます。


出典元 「きっと、あなたは癒される」
おすすめ度 5
著者名 金盛 浦子


自分のことを欠点だらけだと考え、嫌っていて、
認めてない人が、仮に誰かに、
「好きだ、愛してる、大切に想っている」
「あなたは素晴らしい人だよ、魅力的だよ」
と言われても、それを、素直に受け止め、
受け入れることはできないように思う。
例え、心からそう思って言ってくれたにしても…。
これは、とてももったいないことではないだろうか。

ああ、ここがこうだったら…
これができない自分は、駄目な自分だ…
どうしてこういう性格なんだろう…
確かに、そんなところもあるかもしれないし、
生きているのだから、落ち込んで、
こんなふうに思うときもあるけれど、もし、こう思うなら、
バランスをとって、自分のいいところも見つけてあげよう。

世の中、正と負、プラスとマイナス、日と影があるように、
欠点があれば、同じほど、長所も優れたところもあると思う。
そのこともちゃんと認めて、
「こんな素晴らしいところだってもっているじゃない」
と、自分のいいところ、素晴らしさを見つけてあげよう。
だって、自分は自分なりに、本当に頑張っているのだから。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「この花が、野菜のルーツだったとは…」

TVで知って驚きました。だって、こんな写真も撮っていた
からです。

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2010年05月21日(金) ■Aさんは、すごくまじめ。Bさんは、楽しむことを優先する人、さてどちらが…

Aさんは、すごくまじめな人。
誰にも負けないように、全力で頑張って、一生懸命登ります。
どうせ登る山なら、標高が高くて有名な山ほど
価値があるとも思っています。

Bさんは、何にしても楽しむことを優先する人。
だから誰かに追い越されても気にしないし、
のんびりのんびり景色の変化を楽しみながら登るし、
疲れたら無理しないで休みます。
登るのは低い山でもかまわないし、頂上までたどりつけないまま
回れ右して下ることがあってもかまわないと思っています。

さて、AさんとBさんと、どっちのほうがたくさんの
“幸せな山登り”を体験できるでしょうか。



出典元 「きっと、あなたは癒される」
おすすめ度 5
著者名 金盛 浦子


この本で、著者はこう問いかけています。
「あなたはどう考えるでしょう。人生って、苦がなければ、
 楽はないものなのでしょうか。人間は、それまでに重ねた
 苦痛の多寡に応じた幸せしか手にできないものでしょうか。
 
 すごく正直に、本音の本音で考えてみると分かるけど、
 大して努力なんかしてないのにすごく幸せそうに生きてる人って
 案外たくさんいると思いません?
 その一方で、「すごくまじめに頑張り続けている」と本人が
 いっている割に、不幸な目や災難にばかりあってしまう人も、
 決して少なくないじゃないですか。

 乱暴に聞こえるかもしれないけど、
 人生ってそういうものなんだ、と私は感じてきました。
 努力と幸せの間にはほとんと相関関係などないし、
 まじめに頑張ったからといって幸せになれるとは限らない。
 むしろまじめに頑張りすぎると悩みばかり多い不幸な日々に
 なってしまうのが人生というものだ、と感じています」


人それぞれ生き方や考え方があり、
苦労や努力なしに、何も手に入れることが出来ない、と、
それを楽しんで頑張る人もいれば、顔の眉間にしわを寄せて、
必死で頑張っている人もいると思うし、苦労や努力を、
そうとは思わずに楽々と乗り越えてしまっている人もいる。

どの生き方や考え方が、自分の幸せに結びついていくか、
生きやすいのか、これもまた人それぞれだと思うが、
私は、仮に苦労や努力があっても、それらが前面に出る、
顔にもろに出てしまうような生き方はしたくないなあ、
出来れば、そんなことも笑い飛ばして生きていきたいなあ…と思う。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「突然変異と先祖帰りがよくあるらしい花」

なるほどね〜こんな花もあるんだね。

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2010年05月20日(木) ■「貴人(人生の先生)は自分で探せ」ということわざ

「あの方がいてくれたから、あの時を乗り越えられた」
と感謝できる人物に巡り合う。
困ったときは意見を求め、時には叱ってもらえる
「人生の先生」。

中国ではこのような人物を「貴人(きじん)」と呼び、
「貴人は自分で探せ」ということわざがあるそうです。


信頼する人の一言で迷いから抜け出せ、
応援してくれていると思うと安心する。
時には、その人がそばにいるとわかっているだけで、
人は生き抜くことができるのです。


出典元 「人生、どうにかなるさ!」
おすすめ度 3.5
著者名 新井 えり


私にも、かつてそんな貴人である先生がいたのですが、
残念ながら、大分以前にお亡くなりになり…
それ以来、なかなか出会えないでいます。

でも、その先生は…確かに現世にはいませんが、
何かあって、話しかけるといつも答えをくれます。
「おまえは、相変わらず、すぐにそういうなあ…
 でもなあ、人間なんて、そんなもんじゃないだろう。
 生きていれば、いろいろあるんだよ。
 そこをわかってやれ」
「ま、いいじゃないか、やってみろ。
 やってから、だな」
だいたいこんな答えですけど…
生きておられても、きっとこう言ってくれたと思います。

貴人と出会えない場合は、本の著者さんでも、
歴史上の尊敬する人物でも、この人ならと思う人を、
自分の貴人と思い、きちんと話しかけたり、
相談してみたりするといいそうです。
きっと、答えをくれると思います。
また、その人だったら、どう答えるか、
そうするかを考えてみるのもいいそうです。

「貴人は自分で探せ」、本当にそうですね。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「この植木の中の貼り紙は何だろう?」

なんて、不思議におもって近寄ってみると…
そうなんだ…でも、いいのかな、なんて思ったのでした。

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2010年05月19日(水) ■我々の心に忍び寄る満たされなさの感覚の理由

我々の心に忍び寄る満たされなさの感覚は、
ある程度経済的にも恵まれた状況で生じる。
あるいは、なにかを成し遂げた後で生じる。
傍らから見れば満たされているはずなのだ。
それなのに、なぜ、満たされないと感じてしまうのだろうか。

その問いに答えるヒントを、人間性心理学の創始者の1人である
A.マズローが与えてくれる。彼によれば、
人間の基本的欲求には以下の5つがある。
(小口忠彦訳「改訂新版・人間性の心理学
 モチベーションとパーソナリティ」)

1.生理的欲求…食欲、排泄欲求、睡眠欲求、性的欲求
          ホメオスタシス(体の危機管理)など
2.安全欲求……安全、安心、安定、依存、保護を求める欲求
        不安や恐怖から守ってもらいたい欲求など
3.愛と所属の欲求…人と愛情で結びつきたい欲求、家族や仲間
          としっかりと結びつきたい欲求など
4.自尊と承認の欲求…自分に価値があると実感したい欲求、
           他の人から注目されたり、賞賛されたいなど
5.自己実現欲求…より自分自身でありたい欲求、未来の自分に
         適していることをしたい欲求など


彼の理論の主柱は、第一にこれらの欲求はいずれも人間にとり、
基本的な欲求だということである。(略)   

彼の理論の第二は、これらの欲求が階層をなしていると
いうことである。すなわち、下位の欲求がある程度満たされると、
次のより上位の欲求が必然的に優勢になる。
逆にいえば、下位の欲求がある程度満たされると、
もはやその欲求は強い動機とはならなくなる。
このために、より上位の欲求を満たすように我々が
動いていかないと、早晩、空虚感や焦燥感に
とらわれざるを得ないというのである。(略)

さらにマズローは、人間にはいかなる欲求でも、
ある程度の期間満たされると、それに慣れてしまい、
当然と思ってしまう傾向があることを指摘する。
授かる幸福を忘れ、最高の喜びさえしだいに色あせてしまう…
とりわけ、それを得るのに努力したり、骨を折ったりする
必要がない場合にそうである。このために、
大部分の人間は永遠に満足しきることはないという。


出典元 「「満たされない心」の心理学 」
おすすめ度 4.5
著者名 根本 橘夫


もちろん、これらの欲求の進行過程は、揺れつつ進むので、
例えば、自尊と承認の欲求が優勢な場合においても、
愛する人の裏切りにあえば、愛情欲求が優勢になったりするし、
リストラにより職を失う危険が予測されれば、
安全の欲求が優勢になったりと、順番が入れ替わるそうです。

これは、心理学のかなり有名な説ですが、
本当にそうだなぁ…
人間の欲求には限りがなくて、すぐに次があって、
かなっても、すぐにそれも当たり前になって、
満足する、足を知る、ということがなかなかできない
やっかいなものなんだなぁ…と、思います。
今、自分が1〜5のどのあたりの欲求段階にいる思われますか?




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「ヨロイヅカ「ピスタチオとチェリーのタルト」どんな味?」


いろいろな組み合わせがあるものだなぁと思いつつ、
食べてみると…

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2010年05月18日(火) ■部下をほめることが苦手という上司

ほめるという行為は、
単に相手の行為を結果を賞賛する手段ではありません。
その行為の主体である人間、つまり、部下の存在そのものを
認めることを意味します。


したがって、ほめられた部下は、結果に満足すると同時に、
上司に認められたことで自信を持ちます。
その自信が、前向きな考え方や行動の源泉になるのです。(略)

部下の美点を上手に見つけて、そっと肩を押す。
その力に部下は大きな勇気を実感し、それまでは、
やろうとしなかったことにも果敢に挑戦しようとするのです。


出典元 「“結果”を出す部下をつくるコーチング術」
おすすめ度 4.5
著者名 桜井 一紀


この本では、こう言っています。
「部下をほめることが苦手という上司がいます。
 照れくさいし、面と向ってそんなことはできない、
 というわけです。
 仕事はうまくいって当たり前と思っている人ほど、
 部下をほめませんし、会社とはそういうものだと
 思っているようです。
 しかし、その考え方は正しいのでしょうか。
 まして、部下が自ら進んで結果を出してくれることを
 期待しているなら、大きな間違いだといわなくてはなりません」

また、昨日紹介した本、
「「ほめる力」がすべてを決める!」でも、こう言っています。
「仕事がどんどん入ってきて、叱咤するだけで
 人がついてきた時代は、「叱る」だけですんだ。
 が、部下にやる気を起こさせ、いい仕事をしてもらわないと、
 仕事が取れなくなるに及んで、「叱る」だけでなく、
 よいときにはよいと口に出して、「ほめる」ことが、
 人々の意欲と能力を高める上で重視される時代になったのである」


「叱る」と「ほめる」で、どちらがいいのかという議論もあるが、
自分が、どうされたら、力でるかやる気がでるか、自ら動く気に
なるか、悪いところを直していこうと思えるかを考えてみれば、
答えは見つかるのではないかと思う。

そして、ほめることは、結果だけでなく、
相手の存在を認めること、それが自信につながる…
出来て当たり前、上手くいって当たり前だからほめない、
では、人はもう育たない、このことを覚えておきたい。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「■ヨロイヅカのケーキを買いに行く」

川島なお美さんのご主人がやっているケーキ屋さん、
おいしかったので、今度は、買いにいってきた。

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2010年05月17日(月) ■今すぐ使える、ほめ言葉9個

ほめるという行為は、相手により、場所により、
状況により、さまざまに変わってくる。
だから、あるときには効果的だったほめ言葉が、
別のときには逆効果になる、ということもある。

したがって、私は、ほめ言葉というものは、
たくさん覚えるよりも、いくつかの効果的なほめ言葉を
しっかり使いこなせるほうがいい、と、考えている。
私が重宝しているほめ言葉9個を選んでみた。

 1.「いい顔になったね」
 2.「それが君の取り柄だ」
 3.「大事なところでよく頑張った」
 4.「君は貴重な存在だ」
 5.「○○さんがほめていたよ」
 6.「いいセンス持っているよね」
 7.「君たちと一緒に仕事がしたかった」
 8.「最初からこれだけできれば大したものだ」
 9.「ありがとう」

           (注/言葉をまとめました)


出典元 「「ほめる力」がすべてを決める! 」
おすすめ度 4
著者名 福田 健


こんな言葉を、さりげなく、タイミングよく、
言われたら、やっぱり嬉しいだろうなぁ、
いい気持ちになり、がんばろうと思うだろうなぁと思う。

けれども…いざ、自分がほめようとすると、
仮にその人のよさや仕事を認めていても、気づいても、
嫉妬もあったり、どこかひっかかりがあったりで、
ほめたくない気持ちもあったり、
こんなことを言っても大丈夫かとか、
複雑な気持ちもあり、なかなかほめられない。
自分の方が、ほめてもらいたい気持ちが強かったり…。

しかし、そんな自分の、小さく、ケチったれた気持ちは
取り払って、相手のよさに気づいたら、認めたら素直にほめよう。
相手のよさや、素晴らしさ、仕事、を素直にほめよう。
きっと、その方が、気分がいいから。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「「プチヴェール」を食べて、決意したこと」

ついに食べてみました!そして、決意したことがあります。

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2010年05月14日(金) ■「私は貧乏だから価値がない」と言うことは…

「私は貧乏だから価値がない」と言うことは、
世の中のすべての貧乏な人を侮辱することになります。
貧乏でも、明るく前向きに生きている人はたくさんいます。
自分の弱さを一般論にすりかえてごまかしてはいけません。

「私は太っているからモテないのだ」と言うことは、
世の中のすべての太っている人を侮辱することになります。
「私は体が不自由だから不幸だ」と言う人は、
世の中のすべての身体に障害のある人を侮辱することになります。
あなたはもう、何かに理由をつけて、「自分は価値がない」
などということはできません。それは、
同じ境遇の人に対して、とても失礼な発言なのです。(略)

自分が、自分の価値観に従って、自分を無価値だと決めつけ、
悩んでいる…その姿は、自分で自分の首をしめながら、
誰かに助けを求めているのと同じです。
その手をゆるめさえすれば、楽になるのです。



出典元 「3分間で気持ちの整理をするリラックスブック」
おすすめ度 4
著者名 たかた まさひろ


自分で自分の首をしめている…
そんなことは、案外あるもので、たとえば、
「こうであらねばならない」「こうあるべき」
などという思いが強すぎると、
そうできない、そうならない自分が、
とても無価値に思え、苦しくなってくる。

回りは、そんなことは、誰も期待もしていないし、
そこまでしなくてもいいと思っていることでも、
自分が「こうであらねば価値がない」などと思い込むと、
その価値観にどうしてもしばられてしまう。

自分で自分の首をしめていること、ありませんか?
自分で自分を苦しくしてしまう、しばりはありませんか?
自分で自分の価値を落としていませんか?
本当にそれが、生きていくのに、
必要かどうか、大切かどうか、
ちょっと見直してみませんか?




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「今年のベランダ菜園は、うんと力入ってます!」

張り切りました。そして、こんなふうになりました。
今年はいっぱい収穫したいです(笑)

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2010年05月13日(木) ■幸せの絶頂期に、それを手放す効果的な方法

「ぼくはこの人を愛しているんだろうか」
という疑いをもてば、
「違うかもしれない」
という結論にたどりつくに決まっているじゃない!

「いまの自分でいいんだろうか」
という疑いをもてば、
必ず「よくない」
という結論にたどりつくに決まってるよ。


幸せの絶頂期に、それを手放す効果的な方法があります。
それは、
「これでいいのかな?」「いつまで続くのかな?」
と疑うこと。


出典元 「今日が新しくなる小さな辞典」
おすすめ度 4
著者名 伊藤 守


自分にでも、相手にでも、誰にでも、なんにでも、
疑いを持てば、その疑いを打ち消すのは難しくなる。

そして、ああでもない、こうでもないと考えに考えた
その疑いに対する自分の答えは、たいてい、
気持ちのすっきりする答えではなく…
「きっと(たぶん)そうに違いない」(断定)
「もしかしたら、こうなのではないだろうか…」(さらなる疑い)
「でも、本当に、そうだろうか…」(迷い)
「やっぱりわからないなあ」(あきらめ)
などなど、かえって自分を、不安にさせたり、
落ち込ませてしまう答えになることが多いように思う。

もちろん、その疑いをはらすことができる答えを
すっきりと見つけられる人もいるとは思うが、
たいていの人は、気持ちが暗くなるのではないだろうか。

だからといって、「疑うな」というわけではなく、
(疑うのは、自分を守るための本能でもあるので)
その疑いに対する、自分が見つけた答えは、
あくまで自分が考えたものであり、その答えが
当っているかどうかはわからないものなのだから、
「こうに違いない!」などと、決めつけない方がいいこと、
そして、たいていその答えは、暗く落ち込むものになりがちだ、
ということを、しっかりと認識しておいたほうがいいと思う。
疑いとは、そうしたものだと。

もし、疑いを前向きに活かすなら、
「……かもしれない、でも、それならそれでいい、
 そのときは、そのとき」
と腹をくくり、その疑いをすべてを飲み込み、
気にしないようにすることかもしれない。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「やるだけ、やってみろ。どうなるんだがな〜」

と、言われた野菜。
確かに…頼りないね〜

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2010年05月12日(水) ■いかに加えるかではなく、いかに抜くか…

「入り口ではなく出口から発想」
「前からではなく後ろから物事をみる発想」
とてもいいましょうか。
あふれるもの、漏れるもの、捨てるもの、
出て行くもの、失われるもの、そうしたものに
着目することから、いい発明が生まれるのです。(略)

いかに加えるかではなく、いかに抜くか…
換言すれば、「足りない」のではなく、
「よけいなものが多くないか」と考えること。
それが抜く技術の要諦です。
繰り返しになりますが、そうした着想から、
いろいろな発見が生まれてきます。



出典元 「「抜く」技術」
おすすめ度 5
著者名 上原春男


例えば、こんな事例が書かれています。
「たとえば資料整理もストックするばかりで、不要なものを
 捨てないと、結局、必要なものを探し出せなくなってしまうし、
 人間の場合も同じで、はけぐちがないとストレスが内部に
 たまって、さまざまな症状を引き起こします。
 入り口の「押す力」の増大ばかりに注目がいきがちですが、
 出口の「引く技術」のほうが、もっと重視されて
 しかるべき大切なことなのです」


この本は、何度読み返してみても、学ぶことが多い本で、
押すだけでなく、力を入れるだけでなく「抜く」
足すだけでなく「引く」、「足りない」のではなく、
逆に「多すぎる」のではないかと考えてみることが大切で、
それによって新たな発見や道が開けると教えてくれます。

仕事でも、ことばでも、料理でも…
ついついなんでもかんでも「やりすぎ」たり、
あれもこれもと「足しすぎ」たりすることがあって、
かえってそれによって、わかりづらくなったり、
誤解されたり、変になったりすることがあるものです。
そんなときには、「抜く」「引く」などの考え方を
してみるといいのだと思います。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「「無理なんじゃないのぉ〜」と言われたけどチャレンジ」

今年は、これにチャレンジ。
きっと大丈夫だと思うんだな。

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2010年05月11日(火) ■自分の欲望、不満にはきりがない

人間の欲望には果てがありません。
給料が20万円の人は「せめて25万円あれば…」と思いますが、
現実に25万円の給料が得られるようになれば、今度は、
「30万円くらいはほしい」となってしまいます。
病気で入院したときは、「健康が一番だ」と思いますが、
病気が治って元気になり、日常生活に慣れたころには、
またささいなことに不満が募ります。(略)

欲望から要求が生まれ、要求から不満が生まれます。
欲望に果てがない以上、不満にもかぎりがありません。
現在に不満を抱いている人は、結局、どのような人生を
送ろうとも一生不満を抱くことになるでしょう。
時間とともに不満の種類が変わるというだけのことです。
根本的に不満を解消する方法は、
「欲望を抑えること」しかないのです。


と言っても、適度な欲望は、
向上心には欠かせないもので、悪いことではありません。
まったく欲がないのは、「無気力」と同じです。
大きすぎず、小さすぎず、適度な欲望を持つということが、
心豊かに暮らすための秘訣です。


出典元 「こころのおそうじ」
おすすめ度 5
著者名 たかた まさひろ


欲望や不満は、きりがないなぁ…と
自分を見ているとつくづくそう思う。
「これができたらきっと満足する」
「これをしてもらったら、幸せ」
「これがあったら、何もいらない」
などなどと、最初は思っているけれど、それが達成されると、
今度はそれが基準となり、当たり前となり、
次の欲望、欲求がつぎつぎ生まれてきて、それが叶わないと
「なんで叶わないのか」と、不満のもとになる。
やはり…「これで十分、ありがたい」と
足る(たる)を知らないとダメだなぁ…と思う。

大きすぎず、小さすぎず、適度な欲望を持つ、
そして、自分の不満を上手におさえ、コントロールしていく、
それが理想だけれど、なかなかこれがむずかしい。
人間、なかなか適度ができないもので、どうしても、
どちらかに極端に振れて、不満となり、苦しみにもなる。

だから、せめて、知っておこう。
自分の欲望、不満にはきりがないことを。
あれが手に入れば、今度はこれがほしくなることを。
そして、その欲望、不満と上手につきあっていくコツを、
自分なりに身につけていくことが、心豊かに暮らす秘訣だと。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「山の春は、絵画のように美しいね〜」

本当に、美しい里山の春でした。
山菜は採れなかったけど。

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2010年05月10日(月) ■人の心を傷つけるのも人間なら、救ってくれるのもまた人間

人の心を傷つけるのも人間なら、
救ってくれるのもまた人間です。
世の中には、冷たい人もいますが、
温かい心を持った人もたくさんいます。


冷たい人に傷つけられたからといって、
全ての人に心を閉ざしてしまっては、優しい人と、
出合うチャンスも失ってしまうことになります。

世の中で、他人と関わり合いながら生きていこうと思えば、
批判されるということは避けられないでしょう。
逃げるばかりでなく、それに対処していく
知恵をつけなければなりません。


出典元 「こころのおそうじ」
おすすめ度 5
著者名 たかた まさひろ


世の中いろんな人が確かにいる、そして、
私の感覚では…、恵まれているせいかもしれないが、
冷たい人より、温かい人の方が圧倒的に多いように思う。

辛いときに、つきあって寄り添ってくれる人、
いつも温かいことばをかけてくれる人、
失敗したときに、カバーしてくれる人、
そんな人たちの方が多く、ありがたいと思っている。

もちろん、イヤな人、不愉快な人、イジワルな人、
どんな人かわからない妙な人もいるけれど、
そのような人たちとも、
「絶対にイヤ」と心を閉ざして拒否するのではなく、
うまく距離をとりながらつきあうことにしている。
そうしている中で、誤解もとけたり、偏見もとけたり、
人となりがわかってきたりするので、拒否だけはしまいと思う。

ただ、実害を与える人もいるので、そういう人の側には、
できるだけ近づかないようにしている。
こんなことも、人間関係を保つひとつの知恵だと思う。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「遅き春の街…美しいね〜」

山菜は、今年は採れませんでしたが、そのかわりに美しい春を
見ることができました。

《お知らせ》★「今日のことば」4月の人気ベスト5をUPしました。
 最高は17ポイントでした。どのことばだったか、
 チェックしてみてくださいね。ご協力ありがとうございました。
 「4月の人気ベスト5」

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2010年05月07日(金) ■目の前にある不自由さえも自分で選んでいけるのが、自由

《お知らせ》★「今日のことば」4月の人気ベスト5をUPしました。
 最高は17ポイントでした。どのことばだったか、
 チェックしてみてくださいね。ご協力ありがとうございました。
 「4月の人気ベスト5」



まったく制限のない、自分の思うがままの世界を
自由だと思い込んでいることこそが、不自由。
目の前にある不自由さえも自分で選んでいけるのが、自由。


だいたい制限というものは、
外からきているものだと思っているみたいだけれど、
制限というのは、いつも、その人の内側にある。
自分が自分に与えている制限を知っている状態、
そして、それをもう一度、自分で選び直している状態を、
自由っていうんだ。


出典元 「今日が新しくなる小さな辞典」
おすすめ度 4
著者名 伊藤 守


この本には、もう一度、自分で選び直していく自由の
こんな身近な事例が書かれています。
「お昼にラーメンしかないと思って、
 毎日ラーメンを食べていた人に、メニューを見せる。
 そこには、いろいろな食べ物がある。
 で、やっぱりラーメンを食べる。
 いままでは、ラーメンしかないと思っていたんだけれど、
 今は、いろいろある中から、自分でラーメンを選んで食べている。
 この自由がたまらなくいいんだ」


以前(若いとき)は、行動の自由に制限があって反発もし、
自由になりたい、などと考えたり悩んだりもしたけれど、
現在では、自分で行動する自由が比較的与えられていて、
それほど、自由について真剣に考えることはなくなった。
しかし…このごろは、心の自由がなくなってきているように思う。

誰かに何かを言われるから、これをしちゃいけない、
回りの空気にあわせなきゃ、恥をかかないためにしなくちゃ、
成功しなきゃ、幸せにならなきゃ、などなど、
自分の意志というより、回りを気にしてだったり、
誰かに何かを言われるのがイヤで…とか、
自分で自分の心に「こうでなければならない」と、
制限やしばりをもうけて、心の自由をなくしているように感じる。

仮にそんな状態にあっても、自分の中でもう一度考えて、
「私がこうしたいから、こうしている、
 私は、自分の意志でこれを選んだ、これでいい」
と、言えるようでありたい。
それが、心の自由でもあるように思う。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「道端の…がんばっているね、いるね〜」

今週はお休みしています。

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