ことば探し
まゆ [MAIL] [HOMEPAGE]
 

2009年05月29日(金) ■未来も過去も、「いま」からつくっていく

車のフロントガラスがバックミラーより大きいのは、
これまで通ってきた場所よりもこれから行こうとしている
場所の方をたくさん見なさいということなのだろう。
人生も同じようなものだ。
成功する人生を送るには、いままでいた場所に
固執するのをやめて、これから向かう場所を見ることだ。(略)

過去にはもう戻れない。単なる記憶として残そう。
過去から学ぶことはあっても、
ぐずぐずととどまっている必要はない。
いつまでも過去を引きずっていては、
よりよい未来をつくることはむずかしくなるだろう。

過去は住み着くところではない。
参考にして学んだりする対象だ。
過去があってこそ、いまの自分がある、と考えればいい。
過去は取り替えられない。
しかし、未来は自分でつくることができる。
自分で責任を引き受け、
これからの人生の質を高めていけばいい。



出典元 「腐ったバナナを捨てる法」
おすすめ度 5
著者名 ダニエル・T・ドルービン


過去を思い出し…あれこれと考えはじめると、
いろんな思いがわき出してくる。
それは、悲しい、悔しい思いや、恥ずかしい思いだったり、
幸せな思いや、懐かしい思いだったりする。

しかし、どんな思いがあっても…それは過去のことだ。
過去は過去、これから先のことではない。
過去の思いに浸ってばかりはいられない。
過去の中にばかり生きてはいられない。
これから先の人生を生きて行くには、やっぱり前を、
これから先を見ていかないといけないと思う。

これから先のことは、いまからつくりだしていく。
過去から知恵をもらい、経験をもらい、勇気をもらって。
そしてまた、いまから後はすべて過去になっていく…
だから、いまから、いい過去もつくりだしていけるのだ。
つまり、よりよい未来をつくりだしていくことは、
よりよい過去をつくることでもある。
自分なりのよりよい未来、過去をつくりだしていこう。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「期待大のわが家の野菜たち…いっぱい採れるように〜」

今年もいろいろと植えてみた。昨年成功したものもあれば、
失敗したものもある。今年はいっぱい採りたいなぁ〜

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2009年05月28日(木) ■過去の出来事を変えることはできない。だが、未来は変えることができる。

人にはそれぞれ歴史がある。現在に至るまでの人生を、
そしていまの自分という存在をつくってきた物語だ。
さまざまな偶然と出来事を経験した末に、
あなたはいまこの状態にいる。(略)

いまの状況にあなたを運んできた過去の出来事を
変えることはできない。
だが、未来は変えることができる。
これまでの人生は面白く、エキサイティングで、
やりがいあるものだったろうか。
それとも重苦しいだけの人生だったろうか。

どちらにしても、未来の物語はこれから書かれる。
あなたの未来は、いまこの瞬間からはじまる。
大事なのはここから何をするかだ。
ここをスタート地点として、よりよい人生が始まる、
限りないチャンスとすばらしい経験にあふれる人生が
始まると思えばいい。



出典元 「腐ったバナナを捨てる法」
おすすめ度 5
著者名 ダニエル・T・ドルービン


この本では、前に進むために、
これからよりよい人生にしていくためには、今持っている
腐ったバナナを手放すことが大事と言っています。

「多くの人は、気持ちの上では
 「現在の地点からもっと進みたい」と望む。しかし、
 実際にはいまの場所、いまの自分の状態から動こうとしない。
 自分が持っているバナナを、いまのままの状態を、
 自分の習慣を、居心地のよさを、過去を手放そうとしないのだ。

 いまこの地点から先に進む唯一の方法は、
 いまの自分を引き止める人、もの、習慣と決別しようという
 強い意志を持つことだ。
 腐ったバナナを捨てること、それは
 思い切ってやってみることから始まる。
 大胆な行動をとってみる、勇敢な決断をしてみる、
 果てしない願望を抱いてみる、寛大な行動をとってみる。
 人生の質は自分の力で変えられるという事実を素直に受け入れ、
 行動すれば、たちまちあなたの世界はよりよく変われる」

ちなみに、この本でいう「腐ったバナナ」とは、
ある地点から別の地点へと移ることをはばむなにかであり、
しかもあなたが執着していて、好ましくない影響を与えるもの
ということです。


腐ったバナナを見つけてしまうことは切ないし、怖い。
そして、さらに、それを捨てたり、手放すのは勇気がいる。
しかし、それが本当に自分にとって腐ったバナナなら…
勇気をだして、強い意志を持って、捨てる、手放そうと思う。
これからの人生を自分のものとして生きていくために…。






■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「思い切って「高いもの」にしてみた…失敗は許されないね」

今年はブランドものに挑戦だ。だから、失敗は許されない。
ということで、いろいろとしてみている。

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2009年05月27日(水) ■待っていても情報は入ってこないし、動きもでない。

動く、反応がある、次の動きが発生する。
待っていても情報は入ってこないし、動きもでない。
しかし、少しでも発信したり、
こちらから動いたりすれば、必ず何かの反応がある。
そこからまた次の動きが発生したりする。


「取るんじゃなくて、出す。
 待つんじゃなくて、動く。
 こういうことがわかって、よかったです。
 以前の自分は、きっと被害者意識のかたまりで、
 人のせいにばかりしていたんですね」


出典元 「やる気を生みだす気づきの法則」
おすすめ度 5
著者名 菊入 みゆき


自ら、動かないと反応もなく、情報も入ってこない…
今は、そういう時代になっていると思う。

私は、どちらかというと、
準備が整ってから行動を起こす、起こしたいタイプの人間だ。
しかし、最近は、行動を起こしながら、修正していく、
付け加えていく、進んでいく、
そんなことが大切ではないかと感じている。

そう感じながらも…
完璧に準備ができてから、もう少し準備をしてから、
もっと学んでから、もう少しまとまってから、
もう少し時間にゆとりができたら…などなど、
自分に対していろいろと言い訳しつつ、
今のところにとどまっている。
これでは、いけないなと思う…

自ら、動こう!
待ってばかりいないで!
ぐたぐた言い訳ばかりしてないで!




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「「廃品回収業者」の実態…学びました。」

なるほど…こんな感じなのか…
よーくわかりました、学びました。

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2009年05月26日(火) ■自分の「壁」からのメッセージとは…?

「壁」にぶつかったとき、
「ああ、ダメだ」と考えるのではなくて、
「これは、私が自分のもてる力をフルに出し切った証だ。
 私が全力を尽くしたという証拠なのだ」と、
むしろ感動してほしいのです。
あなた自身を誇りにしてほしいのです。

そして、それができたときはじめて、
ここまでの私は自分のポテンシャルを120%出し切ったのだ。
だから、いままでの私を捨て、新しい私として
生まれ変わるときがきたのだ、というふうに心から納得できる。
いままでの自分にしがみつくことをやめることができる。(略)
そして、新しい自分へと生まれ変わることができるのです。

壁とは、ある重要なメッセージである。
ここからは、いままでの自分を捨てなさい。
新しいあなたからはじめなさい、というメッセージなのです。



出典元 壁
おすすめ度 4
著者名 石井 裕之


例えば、たいていの人は、壁にぶつかればぶつかるほど、
意地になって「これまでの方法を繰り返し」
悪循環に陥ってしまいがちだそうです。

しかし、壁にぶつかったということは、
いままでの経験や実績では対応できないレベルにまで
成長しているということなので、今までのやり方では、
通用せず、これをいったん捨てなくてはいけません。

ここで大切なことが、ゼロ(原点)にもどってみること…
「初心にもどること、初心にかえること」だそうです。
例えていうと、「初恋のように向き合うこと」で、
まだ何もなかったころの新鮮な気持ちを取りもどし、
以前と同じ関係を期待するのではなく、これまでに
存在したことのない新しい関係を創造していこう、
という気持ちを持つことが大切だということです。

実は、この本を読んでいたとき、偶然にも、
愛する人を、突然死で亡くすという夢をみました。
そして、はっと気がつきました。相手に対して、
欠点ばかりが目につき、ぶつぶつと言いがちだけど、
これは「壁」で、そういえば、新鮮な気持ち、
感謝の気持ちをすっかり忘れていたと。
(そう気がついても、なかなか初心にはもどれないのですが…)



「壁」だなと感じたら、その「壁」を超えていくために、
ゼロ(原点)にもどる、初心にかえる、初恋の気持ちを思い出す…
こんなことが大切なんだと常に自分に言い聞かせようと思う。


■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「自分の粗相を叱る…でも後の祭りだね」
自分の粗相にがっくり…どうしてこうなのかなぁ…なんて
思ってしまいました。

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2009年05月25日(月) ■そのネガティブな状況の中から、何を見出すか?

その問題と真っ向から対峙し、
その問題の中にあるポジティブな意味を
積極的に見いだすことによってしか、
問題は乗り越えられない、のです。
なぜなら、
「問題には、意味がある」からです。
その問題の中にある「よき意味」を自分を掴みにいくこと。(略)

大切なのは、「何を見出したか」ではなく、
「都合の悪い状況に直面したとき、そこから
 目を逸らすのではなく、じっと見据えて、
 そのネガティブな状況の中から、
 ポジティブな何かを発見しようとする努力する姿勢」
なのです。


出典元 「壁」
おすすめ度 4
著者名 石井 裕之


この本の著者、石井さんは、
何か問題や都合の悪いことが起こったときに、
「こんなことにこだわっていてもしかたない」と
嘯き(うそぶき)、そこから目を逸らしてしまうのは、
ポジティブシンキング、プラス思考なのではない。
本当の意味のポジティブシンキングは、
問題があっても、苦しい状況の中にあっても、常に
その中に、前向きな何か、意味を見つけ出していく、
その「姿勢」だと言っています。


どんな状況でも、意地でも、何が何でも、
ポジティブな何かを発見していくぞという姿勢は
とても大切だと私も思う。
一歩踏み出すとき、前に進んでいくときには、
そうしなければ、ネガティブなことに
覆われてしまい、足がすくんでしまうから。

どんなことからも、ポジティブな何かを発見していこう。
それは、きっとみつかるし、あるから。
そして、それは、きっと、
前に進む原動力となってくれるから。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「自分の粗相を叱る…でも後の祭りだね」
自分の粗相にがっくり…どうしてこうなのかなぁ…なんて
思ってしまいました。

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2009年05月22日(金) ■私たちは八つの風に吹かれて、自己を失うことが多い

禅のことばに、「八風吹けども動ぜず」がある。
人生には私たちの心を乱れさせる八つの障害があるというのだ。

利(得になること)
哀(損になること)
毀(き)(陰でそしられること)
誉(陰でほめられること)
称(本人がいるところでほめられること)
譏(き)(本人がいるところでそしられること)
苦(心身を悩ますこと)
楽(心身を喜ばすこと)

そう、言われてみれば、
私たちは八つの風に吹かれて、自己を失うことが多い。

明末に、洪自誠という人が残した人生訓の書、
『菜根譚』に名句がある。

「風、疎竹(そちく)に来たる、風過ぎて竹は声を留めず」

疎竹とはまばらにはえている竹のことだ。
そこへ風がさぁーと吹くと、竹がさわさわと音を立ててゆれる。
でも風が過ぎ去ってしまうと、竹はもとの静けさに即座に戻る。
人間も竹の心に学べ、という意味である。


出典元 「人生、「不器用」に生きるのがいい 」
おすすめ度 4
著者名 藤原 東演


利哀毀誉称譏苦楽は、こんなふうにもまとめられている。
利衰(経済的な栄枯)
毀誉(名声のあるなし)
称譏(評判の良し悪し)
苦楽(精神的な苦楽)

利哀毀誉称譏苦楽で、心がざわざわしても、ぐらぐらしても、
竹のように…それが過ぎ去れば、
すっーとさわやかに元の落ち着きを取り戻したいものだと思う。
なかなかそうは思ったようにはいかないけれど…

何か心にあると後を引いてしまうことが多い。
気持ちをいくら切り替えようとしても、そのことから、
頭が離れなかったり、どうしても気になったり…
しかし、ざわざわやぐらぐらをずっーと持ち続けていても
いいことはないし、持ち続けていたくもないので、
これからは、心に竹を思いだし落ち着きを取り戻したい。

「風、疎竹(そちく)に来たる、風過ぎて竹は声を留めず」
私も好きな句です。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「自分の粗相に怒る!まったく何やってんだか!」

自分のした粗相に嫌になる…ことありませんか?
今日はそんなお話です。

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2009年05月21日(木) ■話がわかったからといって、人は、行動を変えるわけではありません

「わかった」と「そのとおりに行動する」
とは別問題。


話をしていて、「わかったか?」と聞いて、
部下が「わかった」と言うと、次の瞬間から、
部下の態度が変わると思っている上司がいます。

話がわかったからといって、人は、
行動を変えるわけではありません。



出典元 「小さなチームは組織を変える」
おすすめ度 4
著者名 伊藤 守


「わかった」=すぐに「行動する」「態度を改める」
というより、
「わかった、その話はね、でもそれだけ」
「わかった、なるほどね、だから?」
という感じのことが多いのではないだろうか。

自分のこととして考えてもわかるが、
それが「わかった」からといって、
すぐに、行動したり、態度を改められるかというと、
そんなことはなかなかできないように思う。
自分の考えもあるし、自分なりの行動習慣もある。
自尊心だってあるし、頭の中では疑問もあったりするからだ。
だから、すぐに実行できるものではないと思うのだ。
人に言わされた「わかった」ならなおのこと。

人は、人に言われたからではなく、自らが、
本当に「腑に落ちて」、あるいは、心の底から
「わかった!!」「気がついた」「納得した」
と思えなければ、
「行動する」「態度を改める」には
結びついていかないように思う。

誰かが、「わかった」と言ったからといって、
今日から、行動や態度が変わると期待しないほうがいい。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「こんなことしちゃいけないよね〜でも可笑しいね」

そんなものたちを見つけた。
よくないよなぁと思いつつ…思わず笑ってしまった。

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2009年05月20日(水) ■「ノー」と言ったら、あとにサンキューをつけなさい」

オードリー・ヘプバーン主演の映画
「マイ・フェア・レディ」の中にこんなシーンがあります。
イライザ「ノー」
ヒギンズ教授
「「ノー」と言ったら、あとにサンキューをつけなさい」

そうです!
「ノー(いいえ、またはいらない)」だけではなく、
その後に「サンキュー」をつける。
つまり
「いいえ結構です。でもありがとう」
と必を添えるのです。(略)

こんなちょっとした言葉の裏に、
人間同士のコミュニケーションに最も大切な「思いやり」が
潜んでいることに、私たちは気づかなければなりません。



出典元 「「心が届く」ちょっとした会話術」
おすすめ度 3
著者名 新名 美次


ぶっきらぼうに「いらないっ」とか
「行かないっ」なんて言われると…
あげようとして悪かったかな、とか、誘って失敗したな、
などとも思い、なんだか寂しく感じ、勝手に傷つく…

けれど、
「それはいらないけど、ありがとうね」
「行かないけど、ありがとう」
と、言われたら、気持ちが違う。

それは、こういうことだと思う。
「今日は、それはいらないけれど、
 私にくれようとした気持ち、ありがとう」
「今日は、行けないけれど、
 誘ってくれてありがとう、嬉しかったわ」

それが、自分にとっているかいらないかではなく、
行けるか行けないかではなく、その人の好意、気持ちに
ありがとう、ということではないかと思う。
ノー、いいえの後の、ありがとう、忘れないようにしたい。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「今超人気の食べものを食べてみた…」

それは、赤坂サカスで見つけた。
今、大人気でほとんど買えない食べ物だという。
それを口の中に入れてみた…ふぅーん…

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2009年05月19日(火) ■チャンスをつかんだから、チャンスをつかんだ顔になっているのではない

チャンスをつかんだから、
チャンスをつかんだ顔になっているのではないのです。
チャンスをつかんだ顔でいるから、
チャンスが転がり込んでくるのです。
人間の表情は、結果でなくて原因です。

その人がどういう表情でいるか、
その人に入ってくるものが決まってきます。
いつも「チャンスを逃した顔で」いる人には、
チャンスは来ません。
表情が結果だとは考えないことです。
表情が原因で何かが変わると考えることです。


チャンスが欲しかったら、
チャンスをつかんだ顔でいればいいのです。
成功したかったら、成功した顔でいることです。
お金持ちになりたかったら、
「お金持ちの顔」でいることです。
モテたかったら、「モテている顔」でいることです。

幸せになりたかったら、「幸せな顔」でいることです。
幸せな顔でいると、幸せが勝手に入ってきます。
幸せになったら幸せな顔になろうとしている人は、
いつまでも不幸せな状態です。
目の前に幸せがないので、幸せはいつまでも来ないのです。



出典元 「チャンスは目の前にある」
おすすめ度 3.5
著者名 中谷 彰宏


いつも不機嫌そうな顔やしかめっ面をしている人のところに、
チャンスや幸せが入ってくるだろうか?

いつも愚痴や悪口ばかりを言っている人のところに、
チャンスや幸せがやってくるだろうか?

いつもどなり散らしたり、暴力をふるう人のところに、
チャンスや幸せが巡ってくるだろうか?

いつも悪事を働いたり、人を傷つけている人のところに、
チャンスや幸せがくるだろうか?

どうなんだろう…?
チャンスや幸せ…くるだろうか?
チャンスや幸せ…つかむことができるだろうか?

幸せになったら、幸せな顔をする…
と、思っている人はいつ幸せな顔になるんだろう?
いつ、幸せがくるんだろう?




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「知能指数が低く、バカといわれたお坊さま」

昨日に続き、周梨般特お坊様のお話、後編。
若い者は、周梨般特のジャマをしようとしたのだけど…

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2009年05月18日(月) ■どうしたら次のチャンスを手に入れることができますか

「どうしたらチャンスを手に入れることができますか」
と質問する人は、いつも
「今度チャンスが来たら」と考えています。
頭の中は、常に次のチャンスの方を見ているのです。
今、目の前や手の中にあるチャンスもあります。
「どうしたら次のチャンスを手に入れることができますか」
ではなく、大切なのは、
今、持っているチャンスをどう活かすかです。

「次をどうしたらいいですか」と言う人は、
いざという時、目の前に来たチャンスを活かせません。
目の前を全然見ないで、次ばかりを見ているからです。

今している仕事があるなら、
今の仕事でつかむチャンスを考えることです。
仕事が変われば別のチャンスがつかめるとは考えないことです。
今、関わっていることでチャンスを活かす方法を
考えればいいのです。



出典元 「チャンスは目の前にある」
おすすめ度 3.5
著者名 中谷 彰宏


今の仕事をしっかりやらないで、
次の仕事でしっかりやろう、今度で本気をだそう、
と思っても、なかなかむずかしいのではないだろうか。

今、自分の出せる本気を出さず、適当にやっていれば、
人間はその感覚を覚えてしまうから、
知らないうちに身につき、習性になってしまう。
それが、楽であれば、あるほど…早くしっかりと。
いったん覚えたその習性、感覚を「次は、今度は」と、
思ってもなかなか抜け出せるものではない。

また、周りは、今のその人の習性や姿勢を見ていて、
それがよければ、次もきっとやってくれると判断するが、
今の習性や姿勢が適当であれば、次はしっかりやるだろうとは、
なかなか思ってくれないのではないだろうか。
また、きっと適当にやるに違いない、と思ってしまう方が、
自然なのではないだろうか。
そういう意味でも、今の延長上に「次、今度」があるのだと思う。

失敗したら、気持ちを切り替えて、前向きに、
「次、今度」に賭けることは大事だけれど、
今を見ずに、今、しっかりやらずに、本気を出さずに、
「次、今度」のチャンスはなかなかつかめないように思う。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「「きよめよ」「きよめよ」「きよめよ」のお話」

お釈迦さまのお弟子さんの周梨般特(しゅりはんどく)という
生まれつき知能指数の低いお坊さんのお話です。
私が大好きなお話です。

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2009年05月15日(金) ■独自の花であれ 独自の光であれ

小さい花でいい
独自の花であれ

小さい光でいい
独自の光であれ



出典元 「坂村真民一日一言―人生の詩、一念の言葉」
おすすめ度 5
著者名 坂村 真民


自分の花を咲かせよう、光ろうとする人が、
少なくなってきているように感じる。

それは、
大きな花やウィンドウに飾ってある色とりどりの花、
となり咲いている花たちと比較して、また、
遠くで輝いている大きなまぶしい光や、
そこかしこで光っている他の光と比較して、
「こうなれないなら、やっても無駄
 これ以下なら、どうでもいい」
とばかりに、自ら、咲くこと、光ることを
放棄してしまっているからではないだろうか。

その人にはその人の花があり、光がある。
それは、大きさでなく、比較するものでなく、
ただ、自分の花であり、光であることが
大切なのではないかと思う。

たとえ、小さくでも花は可憐で美しい。
小さな光でも、何かは照らせる。
それに、こうして生をいただき生きている。
自分の花を咲かせよう…
自分の光を放とう…
それを放棄しちゃいけないと思う。
それはきっと輝き、誇りとなるから。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「よもぎフォカッチャ。味はどうかな?」

よもぎを入れて、フォカッチャを作ってみた。
味はどうだろう?香りはするかなぁ?
友人はなんていうかなぁ?

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2009年05月14日(木) ■初めの一歩を踏み出すのに決意などいらない

日本列島を正確に測量した最初の人は、伊能忠敬であった。
49歳のとき、家業の酒造業を息子に譲り、50歳から
天文学、暦学の勉強を始める。
55歳から71歳まで17年間、日本列島を歩き続け、
「大日本沿海実測全図」(通称「伊能図」)を完成した。
ぜん息の持病に苦しみながら、72歳で亡くなるまで
自分の夢を追い続けたのである。
忠敬が踏破した距離は4万3千キロ。
地球を一周と10分の1を歩く距離であるから驚く。

ところで、もし忠敬に、
大事業の決意のほどを尋ねたら、なんと答えただろうか。
「初めの一歩を踏み出すのに決意などいらない」と
答えたに違いないと思う。

私たちが大きな仕事を前にして、なぜ勇気を失うのかを
考えてみたらわかる。まず、大きな仕事だ、大変だ
という思いで、やる前から萎縮している。そして、
できるだけ無理しないで、最短距離で目的地に到着したい、
失敗して笑われたくない…これらの、要領よくやりたい、
という雑念にとらわれてしまう。

一方、忠敬は、こんな小さな心に
かかずらわっていなかったに違いない。
たとえそんな心があっても、それはそのままにして、
まず1歩を踏み出して、2歩目はそのときに考えればいいと、
我が道に飛び込んでいったのである。



出典元 「人生、「不器用」に生きるのがいい」
おすすめ度 4
著者名 藤原 東演


伊能忠敬は、50歳から自分の人生を始めた。
それまでの50年間は、義務や義理、人(家族、従業員)の
ために生ききり、その後は、持病があったこともあり、
それなら最後は自分の夢を追いたいと決意し、
自分の夢へと向かっていったと言われている。
そして、結果的にとてつもなく大きな仕事を成し遂げていく。
一歩を踏み出して。一歩から初めて。


私などは、さほど大きな仕事でなくても、
やる前に萎縮したり、無理なく楽にしたい、
最短距離でやりたい、などと考えてしまい、
そう考えれば考えるほど、一歩が踏み出せなくなることが多い。
本当に情けないなぁと思ったりしている。

大げさな勇気や決意なんていらないから、
一歩を踏み出そう、
一歩から始めよう、
たった今から、
そう自分に何度も言い聞かせていかねばならないと思う。
踏み出すまで何度も何度も。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「山菜オリジナルメニューにチャレンジしてみた!」

採ってきた山菜で、フォカッチャを焼いてみることにした。
オリーブオイルを使って。チャレンジメニューだ。

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2009年05月13日(水) ■熱意があった人が、ハシゴを考えつく

熱意がものを生み出す

“なんとしても2階に上がりたい”
という熱意があれば、ハシゴというものを考えつくんです。
ところが、ただなんとなく、
“上がってみたいな”
と思うぐらいでは、そこまでいかない。

“どうしても、何としてでも上がりたい。
 自分の唯一の目的は2階に上がることだ”
というくらいの熱意があった人が、ハシゴを
思うのですね。


出典元 「松下幸之助 運をひらく言葉」
おすすめ度 4
著者名 谷口 全平


生前、松下幸之助さんがいちばん大事にしていたものは、
“熱意”だということです。この本によると、
「知恵や才能ももちろん大事、
 しかし熱意がなかったらそれらは生きて働かない。
 たとえ知恵や才能がなかったとしても、熱い熱意があれば、
 あたかも、磁石が周囲の鉄粉を引きつけるように、
 協力者を引きつけ、ものごとを成し遂げさせるものだ」
これは、幸之助さんの体験から生まれた
実感、信念でもあったそうです。


熱意は…
何かを成し遂げるためには必要だと思う。
熱意がなければ、人は動かないし、
何かを成し遂げることもできない、
熱意あってこそ最後まで成し遂げることができる、そう思う。

そう思うが、この熱意…
持ち続けていくことがなかなかむずかしい。
最初は大いにあっても、何かのきっかけでくじけたり、
いつの間にかしぼんでしまったり、
成果が見えないと疑問に思ったり、
その熱意が空回りしてしまったり…

しかし…
そんなことを超えて、意識せずに持ち続け、
決して消えることがないのが、
本当の自分の芯からの熱意、望みなのかもしれない。
そんな熱意があるのならば、なんとしても持ち続けたい。
本気で持ち続け、本気で向き合っていけば、
必ず必要なものを引きつけ、道は開けてくると思うから。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「これは、とてもやめられませんね〜」

山菜採りをすると、本当にこう思う。
だって、こんなだったもん。

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2009年05月12日(火) がんばれば、疲れる。これは当たり前のことだ。

がんばれば、疲れる。これは当たり前のことだ。
その「疲れたとき」に「がんばるぞ」と、むりやり自分のお尻を
叩けば、がんばり過ぎがたたって、ある日、
「何だかなぁ、生きていくのがイヤになってきた」
ということにもなりかねない。(略)

「あきらめの悪い人」は「がんばるぞ、がんばるぞ、
 ずっとがんばり続けるぞ」とやってしまいがちだ。
だから、ストレスがたまりにたまって、
どこかで身動きとれない状態になってしまう。
健康的に生きていくコツは
「がんばるぞ。少し休んで、またがんばるぞ」
という、いわば緩急のリズムといっていい。

仕事の成果は、まだ十分に出ているわけじゃないけれど、
一休みして、またがんばろう…でいいのだ。
そのほうが結果的には、いい成果があがるのではないかと
思うが、どうだろう。



出典元 「あきらめ力」
おすすめ度 4.5
著者名 斎藤 茂太


この本では、こうも言っている。
「あきらめた地点で、すべてが終わる」
 という言い方をする人がよくいるがそうではない。
「また、がんばる」ために、
 いってみれば再出発をするために、あきらめるのだ。
 自分の心や体の疲れ具合と相談しながら、
 あきらめるべきときは、しっかりとあきらめてほしい」


もしかしたら、この本で言うところの「あきらめ力」は
「区切り力」のことかもしれないなぁ…と思った。
あきらめると言うより、区切りをつける、
と、言った方がしっくりとくる感じがする。
それはさておき…

疲れると、あきらめること(区切りをつけること)が
なかなか出来なくなるそうだ。
思考が麻痺して、なにも考えられなくなって、
あるいは、考えたくなくなって、先のばしにして、
ずるずるとなってしまうらしい。
集中力も続かなくなるからミスも増えるらしい。

疲れたら、あきらめて(区切りをつけて)
いったん、身体も心も休めてから、次に向かう方がいいし、
それが、長くがんばるコツではないかと思う。
一休みして、また歩こう、それでいいのではないか。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「春の山菜の女王さまはこれですよ」

楽しい山菜採りの話。春は山が美しいですね〜
山菜の女王はこれです。

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2009年05月11日(月) ■あきらめたほうがいいのだが「あきらめきれない」

あきらめたほうがいいのだが「あきらめきれない」
というときがある。おそらくはあきらめることで、
すべてが無に帰してしまうのが怖いのだ。
「いままで自分は、いったい何をしてきたんだ。
 まだ、何の成果も上げていないじゃないか」
そういう気持ちになる。
何か形になるものを残せるまで、
あきらめられないように感じる。(略)

しかし挫折であれ、手痛い失敗であれ、どのような体験も
あなたにとっては「貴重な体験」であり「いい勉強」に
なっていることを、忘れないでほしい。
「無」ということでは、けっしてないのだ。

それを糧にして、あきらめなければならないことは、
すんなりとあきらめて、また新しい人生の目標に
向かって歩んでいくほうがいいと思うのだ。

「あきらめる」とは、いってみれば、
部屋の空気を入れ替えることである。
窓を開けて、新鮮な空気を取り込もう。
よどんだ空気は外に出してしまおう。
そうやってゆっくりと深呼吸をすれば、
「よし、やってやるぞ」と新しいファイトもわいてくる。



出典元 「あきらめ力」
おすすめ度 4.5
著者名 斎藤 茂太


「あきらめる」ことをいつの時点でやるか…
これは大きな頭の痛い問題である。
人は、なかなかあきらめきれない動物だ。
「もう〜あきらめた!」と思っても、決めても、
すっきりあきらめられることは滅多にない。
心の中で何か、どこかがくすぶり続けていることも多い。

しかし、そうは言っても、いつまでも
くすぶり続けていてはなかなか前に進めない。
どうしたって、ダメなものはあるし、
やってみても、どうしても出来ないこともある。
自分ではどうにもならないことも人生にはある。
そんなときには…悔しいが、本意ではないが、
あきらめることも必要だと思う。

しかし、やってもいない前から、あるいはまだやれるのに
早々にあきらめると、どんどん自信をなくしていくし、
もう無理なのに、まだまだ大丈夫とあきらめないで、
ずるずるいくと、いつか、すべてをなくす…
むずかしいけれど、迷うけれど、
タイミングは自分で見つけ、自分で選択するしかない。

あきらめた方がいいか、あきらめない方がいいか…
答えは、自分の心がいちばんよく知っているように思う。
今の状態が本当にはどうなのか…自分の心の中に
素直に真剣に問うてみるといいのではないだろうか。
そして、あきらめることが、決して無駄ではない、
無ではない、これからのための勉強になっている、と
知っていることも大切だと思う。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「このお手入れはすごいね〜どうやっているんだろう??」

今日は、昨日からの続きで
「どうやってお手入れしているのかなぁ…」
と、思ったものだけど、感心したお手入れ編です。

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2009年05月08日(金) ■「なにもしたくない!」というときはある

「なにもしたくない!」というのは、
「なんだかやる気がでない、でもそれは疲れているせいなのか
 (だから無理しないで休んだ方がいいのか)、
 でもちょっと無理すればやれそうな気がして
 (だったらがんばってやったほうがいいのかな)、
 でもやっぱりなんかだるくて
 (怠けたいだけ?)、
 なんだかすっきり休めない、かといって、とっとと動けない、
 ああ、嫌だなぁ(やることいっぱいあるのに)、
 もう〜ほんとに、何もしたくない!」
とぐたぐたぶつぶつもらしているつぶやきを
一括したひと言なんですね。

なんじゃそれ?という人は、こころを休ませるのが上手な人です。
なんにもしたくないときは、なんにもしないでいられる人です。
でも、こころが疲れてくると、どんな人も、
こころがなかなか休まらなくなります。

なかなか休んでくれないこころを休ませるには、こころを
ゆっくりゆるやかに解いていくような作業が必要です。
たとえて言えば、せいべい布団のように
堅く薄くこわばったこころを、縁側に出して陽にあてて、
ふかふかのお布団に戻していくような作業、
とでも言ったらいいかなあ。



出典元 「なんにもしたくない!」
おすすめ度 4.5
著者名 森川 那智子


誰かの言ったことが気になって…
周りに何かと気を使ってしまって…
あれこれと先々のことを考えて…
環境や周りのことが気になって…
やることがいっぱいで…
仕事のプレッシャーで…
病気や身体のことが心配で…
いろいろなことで、こころも疲れている。

そうすると、
イライラしたり、とげとげと誰かにあたったり、
気分が落ち込んだり、何もする気になれなくなったり、
人に会いたくなくなったり、逆に会いたくなったり、
食欲が落ちたり、逆に過剰になったり…
こころの疲れは、いろんなところに顔をだしてくる。

こころもがんばっている…
自分を守るために必死でがんばっている。
だからときには、こころをねぎらってほめてあげよう。
「よくがんばってくれてありがとう、
 いつも無理をきいてくれてありがとう」って。
そして、ゆっくりと休ませてあげよう。
(どうやって?)
こころの休ませ方も、みつけていこう。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「このお手入れはすごいね〜どうやっているんだろう??」

今日は、昨日からの続きで
「どうやってお手入れしているのかなぁ…」
と、思ったものだけど、感心したお手入れ編です。

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2009年05月07日(木) ■ありのままの自分を見せると、自分も相手もラクになります

いいところも弱いところも含めた
ありのままの自分を見せると、自分も相手もラクになります。
「自分は偉い」「自分はすごい」という鎧を脱ぎ捨てるだけで、
世界は大きく変わるのです。
自分の弱さを声に出して認めることは、勇気がいるかもしれません。
しかし、いざ認めてしまうとさまざまな苦痛から解放されます。(略)

今、あなたがむしゃくしゃした思いを抱えていたり、
人に対して攻撃的になって生きづらさを感じていたなら、
「それは、自分を良く見せようとし過ぎている証拠だ。
 人に八つ当たりしたり、イジメに走りやすい状態にある」
と、自分を責めることなく、すなおに気づいてみてください。
自分の弱さをさらけ出すという勇気を持つことで、
世界が大きく変わるのです。



出典元 「あなたはいつも守られている」
おすすめ度 4.5
著者名 鈴木 秀子


自分のことを良く見せようとしていることはよくある。
何もこんなところでかっこつけなくていいのに…
見栄を張らなくてもいいのに…
優位に立とうとしなくてもいいのに…
と頭ではわかっていてもなお、
自分を良く見せたい、と思って背伸びしてしまう。

それが適度ならいいけれど、あまりにいいかっこしたり、
良く見せたいと思うと、知らずに心に力が入り、
普段の自分でない自分でいなければいけなくなる。
最初のうちはそれでも通るけれど、そして、
それが苦痛でなければいいけれど、無理を重ねると、
辛くなり、疲れたり、いらいらしてきて、
自分を苦しめたり、追いつめたりすることになることにもなる。

さらに、いいかっこや良く見せるために背伸びして、
自分にとってプラスになるかというとそうではなくて、
逆に、タカピーだと誤解されたり、周りが気をつかったり、
切ないが、そんな背伸びを見透かされている、なんてこともある。

人間誰しも、弱点があり、悪いところもいいところも持っている。
そんなところを認めたから、見せたからといって、
自分の価値が下がるわけではないし、等身大の自分でいられた方が、
無理なく、自分の本来の力や良さを発揮でき、
自分も周りもラクなのではないかと思う。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「このお手入れはすごいね〜どうやっているんだろう??」

今日は、昨日からの続きで
「どうやってお手入れしているのかなぁ…」
と、思ったものだけど、感心したお手入れ編です。

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2009年05月01日(金) ■敬虔な感謝の心を決して忘れない、その感謝の心が幸せを呼ぶのです

「4月の人気ベスト5」
UPいたしましたので、見ていただけると嬉しいです。




「払い込みはできるだけ少なく、給付はできるだけ多く」
と主張するのは、天を恐れぬ欲深さというものです。

そもそも年金とは相互扶助の発送から出たものです。だから、
いくら自分が納めても、早く死ねば本人にとって払い損に終わる。
でもその人の納めたお金が長生きをした誰かの役に立つ。
そう思えば決して損得の問題でないことがわかるはずです。

健康保険料については自分が健康でまったく医者に
かからなければ、支払った分はこれも払い損になります。
でも、そのお金は病気で苦しむ人の役に立つ。
健康保険証を使わないことは健康の証しなのですから、
むしろ払い損は感謝に値する出来事のはずです。
いつも損得ばかりの話をするのは寂しい限りです。(略)

不満を引っ込め、感謝の心を持って、
あらためて自分の周りを見直してください。
あなたは何か「見えない力」に
支えられている存在であることに気づくはずです。
そのことに気づいた時、あなたはますます幸せになるでしょう。
敬虔な感謝の心を決して忘れない、
そして、その感謝の心が幸せを呼ぶのです。



出典元 「偶然と幸せの法則」
おすすめ度 5
著者名 安部 芳明


こんな気持ち…確かに忘れていたなぁと
思い出せてもらったことばでした。

損得における世間のいろいろな情報に振り回され、
得した人、損をした人などと比較したりして、
いつの間にか知らずに欲深になって、
その本質を忘れ、損得ばかりを考えがちになる…
これは、いけないなぁと思ったのでした。

折しも定額給付金が入ってくる。
私などは、何も考えずに入ってくる前に、すでに
使ってしまったけれど、入ってきたら、あらためて感謝し、
これからは、気持ちよく感謝の気持ちを持って、
年金や健康保険料、税金などを支払おうと思う。
目には見えないけれど、きっと何かの誰かの役に立ち、
そして、それが自分にも戻ってきているのだと思うから。

ぼちぼち日記に先日、幸せを呼び込む、
「ありがとう」を唱える「感謝法」の話を書きました。
もしよかったら読んでみてくださいね。↓
「ありがとうの感謝法」




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