ことば探し
まゆ [MAIL] [HOMEPAGE]
 

2004年10月31日(日) ほんとうに裕福な人間とは、財産を黄金ではなく、

ほんとうに裕福な人間とは、
財産を黄金ではなく、
友人の数で数える人間のことである。


「究極の贈りもの」より  ジム・ストーヴァル著
             グスコー出版




久しぶりにとても面白い本に出会った。というより、
読もうと思っていてなかなか読まないでいた本だった。
こんなに面白いならもっと早く読めば良かった…

この本は、
大富豪が死んで、その遺産相続をする話だ。
みんなには、財産を分けたのだが、
大富豪の姪の息子ジェイスンにだけは与えない。
ジェイスンにだけは、相続をするために12の課題を与える。
その12の課題は、大富豪が死ぬ前にビデオに撮ってあり、
毎月一つずつこなしていくことが義務づけられている。

その12の課題をこなせなければ、財産はもらえない。
最初ジェイスンは、その課題を与えられたことを怒るし、
ばかばかしいと思っている。
しかし、その課題をこなすうちに徐々に変わっていく。

例えば、今日のことばの課題は、
「真の友情」の原則について考えよ、というものであった。
ジェイスンは友情について考える…
そして、答えを見つけ始める…。

今日はいい本を読み終えた…
幸せな日である。
私も本当に裕福とは何か、
友情とは何かに考えてみようと思う。




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2004年10月30日(土) 相手を「分析する」のをやめましょう。

相手を「分析する」のをやめましょう。
あなたは、つい、
「この人はこんな人だ」
「こう言ったのはこう思っているからだ」などと、
相手の分析を頭の中で始めてしまいます。
悪意がないのはわかるのですが、それでは、
いつまでたっても心の距離は縮まりません。


「好きになる理由、好かれる理由」より
       伊東 明著  三笠書房



分析は…したくなくても頭の中につい浮かんできて、
あれこれしてしまうなぁ…
それがあまりよくないことはわかっているけれど、
きっとこうだ、ああだと頭の中に
あれこれ浮かんできてしまう…

その分析に酔って、嬉しくなったり、
自分がかわいそうになったり、みじめになったりして、
一喜一憂するのだ。
しかし、頭の中であれこれした分析は、
こちらの頭の中で考えたことなので、
事実と違うことが多い。

そうわかっているのに、ああだこうだと
分析をしてしまうのだなぁ…


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2004年10月29日(金) 人生でもっとも大切な仕事は、

人生でもっとも大切な仕事は、
はるか彼方にあるものを見ようとすることではなく、
目の前にはっきりと見えるものを
きちんと実行することだ。


     トマス・カーライル
     スコットランド思想家



はい、その通りだと思います。

やらねばならないことはあって、
やろうと思っていることもあって、
それは目に見えている。
しかも、かなり前から。

わかっているけど…、目の前に見えるものを
なかなか思うようにきちんと実行できない。
これができると、随分生活がきちんと
するんだろうなぁと思いつつも…
目の前にことを処理していくことがなかなか
難しい…
なぜだろう…
意志が弱いんだな、あーあ。




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2004年10月28日(木) 信じるかどうかはあなたの勝手だが、「怒り」は、ときとしてとても役に立つ。

信じるかどうかはあなたの勝手だが、「怒り」は、
ときとしてとても役に立つ。
怒りは、人を動かす。
それは怒りが“エネルギー”だからである。
人が怒ると、多量のアドレナリンが発生して脳を刺激し、
神経が活発になって、力がわいてくる。

あなたはこのエネルギーを肯定的にも
否定的にも扱うことができる。(略)

怒りのエネルギーは、うまく利用することができる。
だから、自分の怒りを判断するとき、
良い悪いか、正しいか誤りか、といった判断を
くだすのではなく、怒りの表現が
「適切か不適切か」ということに
焦点をあてて考えるべきなのである。


「ささいなことでカッ!となる男たち」より
トーマス・ハービン著 深井 照一/佐藤 美保訳
                 廣済堂出版



怒りの感情の扱いはやっかいだと思う。
確かにエネルギーかも知れないが、やっかいだ。

しかし、そうばかりも言ってられないので、
このごろ、怒りの感情を持つと、
なぜ、こんなに私は怒っているのだろう、
どこに、何にそんなに怒っているだろうと、
考えるようになった。(反省を込めて)

だいたいは、
自分がバカにされているんじゃないと思ったとき、
(おいおいそれはないだろう、ふざけてんじゃないわよ)
何かをやっていて理不尽だと感じるとき、
(ちょっとおかしいんじゃないの、その対応)
何度も繰り返されて、あきれるとき、
(またぁ?いいかげんにしてよ)
私の場合は…こんなものだ。

こうして書いてみると、かなり単純に思えるが、
本人は真剣である…
そして、怒った後にむなしさを覚える。
そして、最後に自分に腹を立てる。
(また、やっちゃったなぁ…)

この怒りの感情を肯定的に扱えるようになるには、
歳でなく、相当精神的に大人にならないと
駄目だなと思う。(無理か…)


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2004年10月27日(水) 気分がめいった時に、人にグチを聞いてもらうのもいいですのですが、そればかりではいけません。

気分がめいった時に、人にグチを聞いてもらうのも
いいですのですが、そればかりではいけません。
あなた自身も、人のグチを聞いてあげられる人間に
ならなければいけないのです。

一方的にグチを聞いてもらうだけで、
他人のグチは聞きたくない。
これは、「人を大切に思う心」がある人の
することではありません。


「強い自信をがみなぎる本」より  植西 聡著
                 成美出版



グチを言う自分がイヤになる。
それでもついついグチを言いたくなる。
心の中に、納めておけないし、
言った方がすっきりするからだ。

だいたい友人にグチることが多いのだが、
グチを聞いてくれる友人はありがたいといつも思っている。
聞いてくれるだけでどんなに救われることか。
ありがたい。
だから、友人のグチも喜んで聞こうと思う。



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2004年10月26日(火) 終わる愛というのは、ある意味でその人が「終わらせた愛」なのである。

終わる愛というのは、
ある意味でその人が「終わらせた愛」なのである。


「終わる愛、終わらない愛」より  加藤 諦三著
                  PHP文庫




「終わらせた愛」かぁ…
何度あったことだろう…
終わらせた人たちは今、どうしているんだろう。

逆に「終わらない愛」もある。
今のところというべきかも知れないが、
それは「終わらせない愛」にしたい。
そのために、努力しないといけないな。
今の愛を大事にしないといけないな。


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2004年10月25日(月) 自分の誠意が誰にでも通用すると思うな

自分の誠意が誰にでも通用すると思うな
      (略)

自分の流儀が誰にでも通用する……
そんな世界をユートピアというのかもしれない。
そんな世界にあっては、人間は必ず救われる。
努力しただけ報われる。
だが、この世の中はそんな世界ではない。


「終わる愛、終わらない愛」より  加藤 諦三著
                  PHP文庫


本当にその通りだなぁと思う。
自分では誠意と思っているものが、
実は相手には全然通じてなかったり、
最初は誠意と思ってくれたのに、そのうちに
当たり前になってしまったり…
そうなると、こちらはがっくりきてしまう。
私の誠意って…何?ってことになる。

だいたい、誠意は伝わらないものだと思って
やる方が気が楽だし、
誠意が伝わって、感謝される、自分が大事にされる、
自分の価値が上がる、仕事が増える…などと期待して
やらない方がいいと思う。

それに、誠意は、いつも見せちゃいけないな。
本当の時に(どんな時?か)取っておかなくちゃ
いけないものなのかもしれないなぁ…
器がちっちゃいかな…
小さいから、なおさらだな…


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2004年10月24日(日) 古くなったものや使えなくなったものを処分すれば、

古くなったものや使えなくなったものを処分すれば、
新しいものや必要なものが入ってくる余地ができる。

見すぼらしい古い服でいっぱいになったクロゼットは、
新しい服を招き入れてくれない。

かつてあなたがしがみついていた、
ガラクタであふれかえっている家には、
今日の生活を本当に高めてくれるものを
収納するゆとりがない。


「ずっとやりたかったことをやりなさい」より
ジュリア・キャメロン著    菅 靖彦訳
              サンマーク出版




天気がいい日に、
夏に使ったものを片づけて、秋冬に使うものを引っ張りだし、
あちこちと整理しようと頑張ってみた。

思ったように整理ができなくて、いらいらした。
その原因は…ものが多過ぎるということにあると思う。

ここを整理するには、まず、これをどけねばならず、
(片づける前にものをどける、これが結構手間なのだ)
このところに何かをしまうには、今あるこのものを
どこかに移動せねばならない。
(どこかに移動しようとすると、その移動先も
 整理せねばならなくなる)
移動しようとすると、何か足にぶつかったりする。
(だいたいどこかをぶつけている、これがまた痛いのだ)
そして、気がつくと回りは手に負えないほどに
散らかっていたりするのだ…

思ったより時間がかかり、だんだんイヤになってきて、
最後は、まぁこの辺に入れておくかとどこかに押し込む。
とりあえず、ここに入れておこうと思って、
結局その季節中そのままなのだ。
決してスカッと整理できないのだ…

もっとばっさりと処分すればいいのだが、
いろいろと思い出があるものは、処分するのに抵抗がある。
まだ使えそうなものもそうだ。
(しまっておいてもだいたい使わないのだが…)
しかし…一方で、古いものにしがみついていてもなぁと
思ったりもする。
その葛藤を乗り越えて、捨てるべきものを見つけるのは、
なかなかに骨が折れることだと毎回の実感である。


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2004年10月23日(土) 私たちは自然のただ中で生活しながら、しかも自然を知らない。

私たちは自然のただ中で生活しながら、
しかも自然を知らない。

自然はたえまなく私たちと話していて、
しかも私たちにその秘密をあかさない。

私たちはたえず自然に働きかけるが、
自然をどうする力もない。


 「自然についての断章」から  ゲーテ



また、ものすごい地震が起こってしまった…

友人と連絡がつかない…
大丈夫でいるだろうか…


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2004年10月22日(金) あなた自身の癒しが、他者にとって最大の希望のメッセージなのだ。

あなた自身の癒しが、他者にとって
最大の希望のメッセージなのだ。


「ずっとやりたかったことをやりなさい」より
ジュリア・キャメロン著    菅 靖彦訳
              サンマーク出版



自分も含めてだが…
みんなが癒されたらどんなにいいんだろうと思う。
世の中違ってくるだろうと思う。

自分が癒されて、いつも優しい気持ちでいられたら
どんなにいいんだろう…
そうして回りの人に優しくできたら、
どんなにいいんだろう…
そう出来たら…私は幸せだな。




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2004年10月21日(木) ポイント、ポイント、ポイントはなんだ?

私には口癖、というより、胸の中で
しょっちゅうつぶやいている言葉があります。
「ポイント、ポイント、ポイントはなんだ?
 今重要なこと、緊急なことはなんだ?」
というものです。

こうつぶやくことによって、頭が一番重要なことに
集中して思考出来る環境を整えていると言っていいでしょう。

「一冊の手帳で夢は必ずかなう」より
 GMO・グローバルメディアオンライン株式会社
 代表取締役会長兼社長 熊谷 正寿著
             かんき出版



私も唱えてみよう…
このごろポイントが定まらないことが多いから。
「ポイント、ポイント、ポイントはなんだ?」
うっうーん、なんだろう…
これは、ちゃんと考えねば…いかんな。


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2004年10月20日(水) そう、まじめはみじめへの第一歩なのだ。

私はよく生徒たちに、
「まじめに考えすぎるとみじめになるよ」という話をする。
ルールをどんなにまじめに守って優等生になっても、
考える力はつかないし、発想も貧しくなり、
どんどんみじめになっていくのだよ、と。

まじめな人ほどみじめになる。
そう、まじめはみじめへの第一歩なのだ。

なぜなら、ルールに対してまじめな人は、
私にいわせれば、人生に対しては不まじめだからである。
全身全霊を賭けて「問い」をたてようとしていないのだ。
人生について真剣に考える人なら、ルールそのものが
窮屈でしかたないはずなのだ。


「答えが見つかるまで考え抜く技術」より
 駿台予備学校講師  表 三郎著
  サンマーク出版



この本の中では、「ルールや知識がすべてでない」と
言っている。
それより大事なことがある、ルールや知識に縛られると
自由な発想がどんどん奪われて、みじめになっていくのだと。

よく「まじめな人が損をする」と言うし、聞く。
(私自身も何度もそう思ってきた…まじめかどうかは別にして)
まじめな人が損する…
なんだかそれは世の中の不公平の一つにも思えるが、
恐らく損をするように出来てるのだと思う。
悲しいことだが…そう思う。
なぜだろう…

それはやっぱり、何かに縛られすぎて、
小さくまとまるからではないか。
小さく、堅くまとまって、わかりやすいから、
手玉にとられやすいのではないか。
(例えば、何をするのか、言うかわからない人は、
心配だから、気を配るけれど、
やること、言うことがわかってるような人に対しては、
気を配らないし、気にもかけないというように)

また、自分で自分をまじめの枠で縛って、
融通がきかなくなっているのではないか。
自分の利益になることでも、排除してしまうのではないか…
などと、自分を振り返ってみた…


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2004年10月19日(火) 小さい頃から私たちはいい子になろうとして、パパやママ、近所の人や先生など、

小さい頃から私たちはいい子になろうとして、パパやママ、
近所の人や先生など、自分以外のあらゆる人の欲求に
耳を傾けることをいちばんに身につけてしまいがちです。(略)

さて、そういう訳で、私たちは
人の幸福に対する責任はほとんどいつも、そして
ほとんど全面的に自分にあるのだと思い込む習慣が身についています。
〈相手が幸せではないのは自分のせいだ〉というわけです。

また、それと同時に
自分の幸福に対する責任がほとんどいつも、そして
ほとんど全面的に相手にあると思い込む習慣もあります。
この場合は〈自分が幸せでないのは相手のせいだ〉と
いうことになります。

しかし、はたしてそんなことでよいのでしょうか?
相手の欲求をいつも自分が満たし、
自分の欲求をいつも相手が満たすというのは、
どこかおかしくないでしょうか?


「なんでわかってくれないの!」と思ったときに読む本 より
 トーマ・ダンサンプール著 高野優監訳 野澤真理子訳
 紀伊国屋書店



自分の欲求は自分で満たさないと、誰も満たしてくれない。
自分の欲求は自分で満たそう、
相手が私の欲求を満たしてくれるのを待つのはやめよう、
待っていても無駄だ。
私の思い通りの欲求を、誰かがかなえてくれたためしはないし。
(まぁ多少はあったと思うが…)
これは長い間、相手に求めて欲求不満をためてばかりいた、
私の、後悔と経験から出した結論である。

私は気がついた…
相手は自分のことでいっぱいなのだ。(自分もだが)
人の欲求を満たすほどの余裕などないのだと。
(仮に、満たしてあげたいという気持ちがあったとしても、
 そういう余裕ある気持ちがあるのは一時だったり、
 相手のかなえてほしい欲求とズレがあったり、
 何か違うヨコシマな目的だったりすることもある)

だから、欲求不満して、ぶつぶつとくすぶって、
誰かが私の欲求をかなえてくれるのを待つより、
自分でかなえた方が早いと。
その方が、気持ちがすっきりすると。

そう気がついたら、気が楽になった。
そして相手の欲求に答えるのも最低限にすることにした。
だって、どうせ完璧にかなえてあげることなんて
出来ないのだから。


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2004年10月18日(月) 自分の感情や欲求を切り捨てた結果、ぼろぼろに疲れている人が大勢います。

長年の習慣のせいで私たちはこう思いこんでいます。
自分のことを考えたら、人のために何かをすることはできない、
人の気持ちを思いやるためには、
自分のことは忘れなくてはいけないと…と。

その結果、たくさんの、本当にたくさんの人たちが
自分を顧みないで人のために行動しています。
そして、そのせいで、あとあと大きな代償を払うことになったり、
自分の意図とは反対に、
かえって相手にツケを払わせたりする結果を招いてしまうのです。
これはとても悲しいことではありませんか?

だから、私は世の中の人みんなにわかってもらいたいのです。
自分の喜びや幸せをいちばんに考えたからといって、
人のことが思いやれなくなるわけではない…と。

でも現実には、悲しい二元論から逃れられないために、
自分の感情や欲求を切り捨てた結果、
ぼろぼろに疲れている人が大勢います。


「なんでわかってくれないの!」と思ったときに読む本 より
 トーマ・ダンサンプール著 高野優監訳 野澤真理子訳
 紀伊国屋書店



ぼろぼろに疲れている人、本当に大勢いるなぁ…。
みんな自分のことをさておいて
人のために尽くしているような人だ…
疲れているだろうなぁ…


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2004年10月17日(日) 男と女、どっちが嘘つき?

男と女、どっちが嘘つき?

ほとんどの女は、この問いに対して男だと断言するだろう。
だが、実験で調べてみると、嘘をつく回数に男女差はない。
問題は嘘の中身だ。

女は相手を気持ちよくさせるために嘘をつき、
男は自分を良く見せるために嘘をつく。

女は人間関係を穏便にするために嘘をつくが、
自分の気持ちはなかなかごまかせない。

男は争いを避けるために嘘をつき、
若い頃は無茶をやったと話を大きくするのが大好きだ。


「嘘つき男と泣き虫女」より
  アラン・ピーズ&バーバラ・ピーズ著
  主婦の友社



男女で嘘の中身が違うから、頭に来るのだな。

隣人も、確かに女の私には理解できない嘘をつく。
良く見せるために嘘をついているのかなぁ。
(全然良くは見えないのだが…)
確かに無駄な争いを避けるために、見え見えの嘘を
つかれることがあるが…そういう嘘にかえって
腹が立って、争いの元にもなるのになぁ…
(どうしてわからないかな…ぁ)

逆に女のつく嘘も男の人には理解出来ないんだろうな。
どうしてこんなことで嘘をつくのかと思ってるんだろうか。
(きっと思ってるな…)
うーん、確かに、確かに男女のつく嘘の中身や
嘘の概念とか、効用も、大きく違っているな。
恐らく、根っこから違っているんだろうなぁ。


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2004年10月16日(土) 落合監督は井端弘和選手会長を呼んだ。「選手会として、徹底的に戦ってこい。

ペナントレース終盤はストライキ騒動と重なった。
落合監督は井端弘和選手会長を呼んだ。

「選手会として、徹底的に戦ってこい。
 優勝や日本シリーズがなくなってもかまわない。
 世の中にはそれ以上に大切なことがある」

選手のプライドが経営者側に押しつぶされるのが、
落合には耐えられなかった。
オーナーとは、もちろん意見を異にする。
それでも彼は選手をある種の権力から守ろうとした。
他球団の監督にはまねができなかった。

揺るがない座標軸。
リーダーとして最も必要で、しかし、
最もむずかしい役割を落合博満は、こなしきった。


 朝日新聞 10月2日スポーツ チェンジ
「揺るがなかった座標軸」より 編集委員 西村欣也



日本シリーズが始まった。
今年はいろいろなことがあっただけに開幕出来て
よかったと思う。
スポーツ好きの私としては、何がなんでも、
日本の野球も選手も頑張ってほしいと思うのだ。

しかし…この落合監督のこのことば、
私はかなり感動した。
 


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2004年10月15日(金) たった一つの美しい考えを、もう1人の心に種蒔く人は、

たった一つの美しい考えを、
もう1人の心に種蒔く人は、
アラ探しをする人が全員集合したときよりも、
世の中に大きな貢献をするものである。


 「思考は現実化する」より  ナポレオン・ヒル著
       騎虎書房       田中 孝顕訳



ついついアラ探し専門家になってしまう。
探したくなくても…見えてしまうのだ。
見えるとどうしても気になる。
気になると、口に出して見つけたアラを言いたくなる。
口に出すと、うまく行くことも行かなくなる…
うまく行かなくなると、結局不満がたまる。
わかっているが、この悪循環を断ち切れない。

アラが見えても、大きな気持ちでいれたらいいな。
あーああ、アラが見えない私になりたい。
              


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2004年10月14日(木) 「ご注文のヤツが入荷しました料金的には変わりませんから、

「ご注文のヤツが入荷しました。料金的には変わりませんから、
 じゃぁご自宅へ配達ですね。ご住所もっかい確認します。
 マンション名とかありますか?
 お届けまで1週間ぐらいかかりますが大丈夫ですか?」

右の文中の傍線(上記文の斜体太字)は不適切な言葉です。
それを直したのが次の文です。

「ご注文の商品が入荷しました。料金は変わりませんから、
 それではご自宅へ配達ですね。ご住所もう一度確認します。
 マンション名ありますか?
 お届けまで1週間ぐらいかかりますが、よろしいですか?」

正しい言葉に慣れていないと、不適切な言葉は
なかなか直せない、難しいものです。


「そのバイト語はやめなさい」より  小林 作都子著
                  日本経済新聞社



言われるたびに、違和感を感じるバイト語があって、
私の場合は、
「○○円からお預かりします」と
「コーヒーでよかったでしょうか?」という言葉だ。
いつも、これを言われるたびに、おいおい違うだろう、
「○○円お預かりします」
「コーヒーですね?」だろうっていつも反論したくなっていた。
(いや、事実した、無駄だったが…)
たぶん、丁寧に言っているつもりなんだろう…
お客に違和感を与えているとも知らずに…
(いや、不快感だな)

この本にもこのバイト語について書いてあって、
そっか、私だけでなくて、みんなも(少なくても著者も)
おかしいと感じていたのか!と妙に嬉しくなった。

しかし、こういう言葉は、どこから広まったのか…
どうして、正しい言葉が広がらず、
こんな半端な言葉が広まってしまうのか…

どこかのマニュアルから?
出所はどこなんだろう…
どこから広まったんだろう…


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2004年10月13日(水) 私のところにくる患者さんたちは、マイナス発想にかけては“達人的な領域”に達している人たちがほとんどです。

私のところにくる患者さんたちは、マイナス発想にかけては
“達人的な領域”に達している人たちがほとんどです。

そういう人たちにプラスの発想をしましょうと言っても、
「話としてはよくわかります。でも、いいほうに、いいほうに
 考えていい気になってしまい、もし悪くなったら
 どうするんですか?」とか、

「前もって悪いほうに考えておいて、覚悟を決め、心の準備を
 しておくから、悪い結果が出てもあきらめがつくんです。
 それをいいほうにばかり考えていたら、落差の大きさに
 ショックを受けて、立ち直れなくなっちゃいますよ。
 それを思うと、悪い方に考えておくほうが安心です」と
 答える人のほうが多いようです。(略)

しかし、その人はあらかじめ覚悟を決めて、
心の準備をしていたはずですから、
それを楽々と乗り越えることが出来るだろうと思いきや、
実際には落ち込んでいるわけです。

悪いほうに考えているのなら
あきらめがつきそうなものなのですが、
そうは行かないのが人間なのです。


「こころの体操」より  於保 哲外著
            素朴社



私の回りには、このタイプが結構いる。
悪いことを予測したり、
悪いほうに考えることが好き(?)なように見える。
(本人が意識してるかしてないかは別にして)

自分にとって打撃にならないように考えているのだろうが
悪い結果だと、やっぱり打撃を受けるようだ。
そして、かなり後を引くように見える。
でも、準備をしているのだから、すこしはその打撃が
やわらいでいるのかもしれない。
後の引き方も短かくてすんでいるのかもしれない。
(その辺のことはよくわからない)
もしも、その心の準備をしていなかったら、
打撃はそんなに大きいのだろうか…

私はある時を境に、悪い結果を予測するのはやめにした。
悪い結果を先に予測して、先につまらない思いをしたくなかったし、
駄目だったと思うのは、本当に駄目だった時でいいと思ったからだ。
(もしかしたら駄目じゃないかもしれないし)
それに、仮に駄目だったからといって、全部が駄目なのではなく、
それが駄目だっただけだとわかったからだ。
世の中、駄目なこともあれば、いいこともあると、
そう思った方が私には立ち直りやすかったからだ。


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2004年10月12日(火) ストレスの中で最も大きなものは“人間関係”だとよく言われますが、その中でも最大なものは

ストレスの中で最も大きなものは“人間関係”だと
よく言われますが、その中でも最大なものは
“自分関係”だと、私は考えています。

自分関係といっても、なじみがないかもしれません。
これは、簡単に言うと、自分で自分の生き方、
生きる姿勢をどう評価するかということです。

とくに、競争社会にあっては、それが
健康を左右しかねないところがあります。


「こころの体操」より  於保 哲外著
               素朴社



「他人関係」でなくて、「自分関係」か…

確かに、
自分と折り合いをつけるのがむずかしい時がある。
他人のことなら諦めもつくが、
自分ことだと、いつまでもうじうじと
諦めきれないようなこともある。

あーあぁ、ばかばかって、自分を情けなく思ったり、
ああでもない、こうでもないと考え込んだり、
ああすればよかった、こうしたらよかったと、
後悔して自分を責め続けるようなところがある。

そうか…それがストレスになっていることも
あるってことだな。
うん、確かにあるな。
他人のことも気になるが、
自分のことも気になる…ってことか…。
自分と折り合いをうまくつける方法も
見つける必要があるなぁ。


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2004年10月11日(月) 孤独の価値を通して内側に安定した安らぎを得られるようになったときに、

孤独の価値を通して内側に安定した安らぎを
得られるようになったときに、
愛は求めるべきものから、
与えるべきものへと向きを変える。

それは、
自分を支えるために他人を愛することではなくて、
他人の孤独を知ってそれを自分の孤独と同じように、
慈しむ心である。


 「楽しく生きる」より  高橋 和己著
                三五館



このごろ、精神的な余裕とは、
ものすごく大事なものではないかと感じている。

私は仕事を辞めてから、精神的な余裕が出来た。
このことは本当に身にしてみて感じている。
精神的な余裕が、持てる自分の時間に比例するのかどうか、
よくわからないが、私の場合はそうだったようだ。

会社を辞めたら、人と会う時間が減り、
社会とのつながりが切れて、
寂しくなるのではないか、
孤独感が増すのではないか…
時間をもてあますのではないか…
などと心配していたが、そんなことは杞憂だった。

こんなふうに余裕が出来て、初めて、
出来ることがあり(当たり前だが)
感じられる感情もあることを、知る毎日である。
精神的余裕は大事だ。
これがあれば、孤独にも耐えられる(と思う)

なので…、これからは、私の回りにいる人に、
愛を与えるべく…努力しようと思う。
(まだ強い意志にはなってはいないが…)


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2004年10月10日(日) 「答えはどこにもない。なければ自分で考える」

「答えはどこにもない。なければ自分で考える」


 「スローなビジネスに帰れ」より  阪本 啓一著
                   インプレス



日本は「お墨付き症候群」に陥っているらしい。
何かをするとき、買うとき、
誰かの、何かの「お墨付き」がほしいのだ。
「お墨付き」があれば、安心するからだ。

例えば、日本国内の小さな企業が
これまでどこもやっていない商品を開発したとする。
とてもいい商品であるにもかかわらず、国内では
「実績がない」
「社名を聞いたことがない」
「企業規模が小さい」
「ブランド力がない」などという理由で、
取引してもらえない(らしい)
そこで海外に売り込むことになる。
海外で採用され、その商品が評価されると、
日本国内企業が群がってくる…そういう事象が多いという。
海外で評価を受けたという「お墨付き」を得たのだ。
そうなって初めて、その商品を受け入れる。
なんだか情けない話だ。

ところが「中華思想」というのは、
「おれが考えて解を出さなければ、
 世界のどこにも、わかるやつはいない」
とする考え方であり、
「お墨付き症候群」とは対局にある考え方だという。

取引するとき、誰かの評価など当てにしないし、
誰が何かを言っていたとしても、
自分の感覚、目を信じるのだ。
つまり「自分が一番思想」なのだ。

誰かの評価を当てにする国と、
自分が一番と思っている国。
どちらが生き残っていけるのだろう。
どちらが強いだろう…


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2004年10月09日(土) 人生とは、くだらないことが一つまた一つと続いていくのではない。

人生とは、くだらないことが一つまた一つと
続いていくのではない。
一つのくだらないことが〈何度も〉
繰り返されていくのだよ。


 「仕事は楽しいかね?」より
  デイル・ドーテン著  野津智子訳 
              きこ書房



なんだか…怖いことばである。
くだらないことが〈何度も〉繰り返されるのか…
そういえば、「人生はくだらないことの集まり」と
言った人もいたな…(誰だったろう)

「なんてくだらないっ!」と怒りの感情が入って
そう思うことが続くと、いらいらするし、
ああ、やだ、とやる気をなくしてしまう。
でもその逆に、「えーっくだらないぃ」と
ちょっと笑えて楽しいくだらないだと、
ストレス発散になるし、肩の力が抜けていい。

断ち切りたい、いらいらの続く
「くだらないこと」はどっかで見切りを付けて、
繰り返さないようにして、
楽しい「くだらないこと」は自分のために
取っておいて、楽しもうと、
都合良く考えることにした。


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2004年10月08日(金) あなたがいま立っているところ、そこがあなたのステージだ。

あなたがいま立っているところ、そこがあなたのステージだ。
さあ、力の限りを尽くして、ひとさし舞ってみろ。
あなたのステージをみんなが見ている。
誰も見ていなくても、天が見ている。


トム・ピーターズのサラリーマン大逆襲作戦
「プランド人になれ!」より  トム・ピーターズ著
                  仁平 和夫訳        
                 TBSブリタニカ



そうか…、今、この場が私のステージか…。
ちょっとしょぼいが…そうかもしれない…
そうか…ここでひとさし舞わねばならないのか…
ちょっと力不足だな…はずかしいな。
だから、今みんなに見られるのは抵抗があるな。
でも天が見ててくれるのは嬉しいぞ…

などと、ぶつぶつ言いながら…元気をもらったことばである。


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2004年10月07日(木) 「球界の常識は私の非常識」と主張してきた落合博満監督(50)の采配は、

「球界の常識は私の非常識」と主張してきた
落合博満監督(50)の采配は、就任直後から話題になった。

鉄則は、
■選手のプライドを絶対に汚さない
■プロの意識を持って考え行動する
■チャンスは平等に
だという。


 「アエラ」'0410.11号  落合「オレ流」采配術より



落合監督はかつて3冠王を3度も取った人である。
その落合監督は今年いわゆる「オレ流」を貫いて
中日を優勝に導いた。
自分流を貫くことを、現役時代から貫いてきたので、
回りが何を言っても全然気にならないと
違うインタビューで話していた。
他人流をやっても、誰も責任をとってはくれないとも。
そして、その中から自ら生み出したいわゆる「オレ流」

中日選手会長の井端選手はこう言っている。
「(落合流は)オーソドックスでやりやすい。
 攻撃では、基本は来た球を打つ。
 ごちゃごちゃ言わないかわり、
 (選手自身が)自分で考える必要がある。
 その分うまくいったら自信になる。
 (監督は)褒めることはあっても怒らない。
 選手に萎縮する雰囲気がなくなったことは大きい」
 (「アエラ」'0410.11号  落合「オレ流」采配術)


私はこの記事を読んで、しばらく考えてしまった。
落合監督の「オレ流」の鉄則が常識でないとしたら、
また、井端選手の言うことが本当だとしたら、
球界ではどんなことが常識なのだろう、
今までの監督は、どんな采配をよしとしてきたのだろう…と。
かなり不思議に思ってしまった。
どうなんだろう…
 


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2004年10月06日(水) 問題は心の底からそれを望んでいるかどうかなのである。

「仕事で大成功をおさめて億万長者になり、
 豪華客船で世界一周旅行がしたい」
「画期的な発明をしてノーベル賞をとりたい」
「都内の一等地に高級マンションを購入し、
 ハワイにも別荘をかまえたい」

夢は大きいに越したことはない。
そういう壮大な計画を立てるのも大いにけっこうだ。
しかし、
問題は心の底からそれを望んでいるかどうかなのである。(略)

夢というものは、
「こうなればいなぁ」といった漠然としたものではなく、
心の底からにじみ出る強いものでなくてはならない。
要は、本気で「そうなる」と思える願望を打ち立てるのだ。


マーフィー「夢を叶える魔法の言葉」より  植西 聡著
                     成美文庫


大きな夢より、本当に叶えたい夢、つまり
本当に、本気でどうしても叶えたい夢を持つことが
夢を実現できるかどうかのポイントであるらしい。

人が持っているからと持った夢でなく、
誰かに押しつけられた夢でなく、
他人と比較した夢でなく、
叶うのは、
自分が心から望んでいる夢。
諦めようとしても諦めきれなくて、にじみ出る夢
自分が本当に心から「こうなりたい」と思う夢なのだ。

大きければいいってもんじゃない、
自分が本当に望む夢の大きさでいいんだと思う。
自分に合った夢がいいんだと思う。
夢は叶えるためにあるのだ。
だから、本当に望む自分の夢を見つけて、
その夢に向かって、進んでいきたいなぁ。


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2004年10月05日(火) 「ここまでやっているんだ、肩の力を抜いてやれよ」

メジャー1年目、首位打者になると、
2年目も首位打者は当然だと言われました。
でも、僕は昔も今もギリギリのところで、
今ある自分のすべてを出そうとやっているんです。

オリックスで首位打者をとり続けたときも
自分のバッティングがわからなくなって悩みましたよ。
そんなとき、三輪田さん(※)が
「ここまでやっているんだ、肩の力を抜いてやれよ」と
言ってくれたんです。
あの言葉は親の言葉ですよ…
いつも思い出しているんです。


「名スカウトはなぜ死んだか」より  六車 護著
                    講談社    

※三輪田勝利氏は、イチロー選手を見いだした元オリックスの
 名スカウトマン。1998年スカウト中に自殺。



インタビューキライのイチロー選手が
「三輪田さんがいなかったら今の僕はありえません。
 三輪田さんのとのことなら喜んで話します」といって
このインタビューに応じたと言う。

なんだかじーんとした話だった。


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2004年10月04日(月) 明日のことを今日やれば、人に勝つ。

明日のことを今日やれば、人に勝つ。


「一分間成功暗示術」より  椋木 修三著
              成美文庫



でっ、出来ない…

(と言っては、いけないのだが…)
明日のことは明日しようと延ばし延ばしで、
今日やるのが精一杯な私にとっては、
痛いことばだ。

だが…このことばの意味は、よーくわかる。


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2004年10月03日(日) ドキドキ、ワクワクとかプレッシャーは僕にとってはたまらない。

やっている間は、
プレッシャーから解き放たれるのは不可能だから、
背負ってプレーするしかない。
でも、ドキドキ、ワクワクとか、プレッシャーは
僕にとってはたまらないこと。
これが勝負の世界にいる者の醍醐味。
それがない選手ではつまらない。


  2004 10/2 安打記録259本を達成した後の、
        イチロー選手インタビューより



「勝負の世界にいる者の醍醐味」…かぁ。
思う存分以上に味わっているんだろうなぁ、イチロー選手は。




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2004年10月02日(土) ちっちゃな積み重ねがとんでもない記録をつくるただ一つの道なんだとわかりました。

1年で記録を作るというのは、誰にでも可能性がある。
ある程度の期間をかけて
突出した記録を残したと言う人は、
長い間安定して成績を残さないといけない。
ぼくにとってはどっちも大事です。

ちっちゃな積み重ねがとんでもない記録をつくる
ただ一つの道なんだとわかりました。


      マリナーズ イチロー選手のことば



ついに大リーグ記録を達成した。
オリックス時代からイチロー選手ファンの私としては
ともかく、ともかく嬉しいことである(ただ感嘆)
今日はTVに釘付けになっていた。
(明日もそうだろう)
スゴイ人なんだなぁ…

しかし、イチロー選手の回りにいる人が口を揃えて言う、
イチロー選手のすごさは野球や、練習に対する姿勢だけでなく
道具をとても大事にすることにもあるという。
バット、グローブ、スパイクをはじめ、手袋、ユニフォーム、
ヘルメットに至るまで、ともかく毎日必ず、
ひとつひとつ時間をかけてゆっくりと丁寧に磨くのだという。
道具と話しているかのようだと仲間は言っているらしい。
これは、野球を始めた頃からの習慣だという。

私はこの話を聞くといつも思っていた。
きっと道具達にイチロー選手の魂が乗り移っているだろうな、
道具達も、イチロー選手の声に応えているのだろうなぁと。
今日はきっと、道具達にも「ありがとう」を
言っているに違いない。

そういえば、弓子夫人にも感謝の気持ちをはっきりと言っていた。
あのような場で、感謝されたら女房冥利につきるだろうなぁ…
心の芯から、羨ましい…と思った。
いや、本当に羨ましい…
私も一度でいいから言われてみたい…ぞ。
      


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2004年10月01日(金) 誰にでもある独自の恋愛パターン

誰にでもある独自の恋愛パターン

恋愛経験を重ねたり、カウンセリング的な感覚で過去の
恋愛や自分自身の内面を探ることにより、
必ずやあなたの恋愛パターンは見えてくる。

なぜなら、恋愛というのは
決して運や偶然で決まるものではなく、
親子関係や過去経験などにより形成された
あなたの「心」があなたの恋愛を
決定づけているからである。

あなたがどんな恋愛をしようと、そこには必ず
「あなたらしさ」が出るのだ。


「恋愛依存症」より  伊東 明著
 KKベストセラーズ



いつも同じ「恋愛パターン」を繰り返している友人がいた。
なぜか、「君とは結婚しない」と言われてしまう、
結婚まではたどり着けないというパターンだ。
(友人は、スラリとした美人で、十人並以上の人である)

しかし、友人も4回ほど同じようなパターンを
繰り返したら、さすがに気がついた。
回りは、2回目の時から気がついていたけれど。

幸い彼女は自分の恋愛パターンに気がついて、
自分から見つけようとするのをやめて、
お見合いをし、今秋めでたく結婚することが決まった。
とりあえず、よかった。

なぜ、彼女がその「結婚しない」パターンにはまったのか…
そのパターンの原因やカラクリが、回りからよくみえる。
しかし、本人は全く気がついてなくて
「なぜ、私だけ、こんななの?」と思っていた。
そんなものなのだろうなぁ…
そういうクセは、自分では
なかなか気がつかないものなんだろうなぁ。


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