ことば探し
まゆ [MAIL] [HOMEPAGE]
 

2004年09月30日(木) イチローは少なくても5種類のスウィングを持っていて、

ほどんどの選手が1種類のスウィングしか持っていなくて、
ストライク・ゾーンのボールだけを打とうとする。

イチローは少なくても5種類のスウィングを持っていて、
どこに投げられたボールでも打とうとするし、
しばしばボールにとびかかっていくように見える。
この型破りなバッティングの説明を求められて、彼は答えた。

「ぼくにはこの打ち方が合っているんです」


01/5/27 カンザスシティ・スターでのインタビュー
「イチローUSA語録」より  デイビィッド・シールズ編
 永井 淳/戸田 裕之訳  集英社新書



イチロー選手は、
2004年9月30日現在で、シスラーの記録にあと2本と迫っている。
(年間257安打の大リーグ記録ジョージ・シスラー1920年に樹立)

イチロー選手はまた、新人の2001年に次のような成績を残した。

■メジャー新人最多安打  242
■リーグ最多単打     192
■メジャー最多安打試合  135
■球団新人連続試合安打  23
■リーグ新人最多打数   692

このすごい記録を残しつつあったシーズン途中で、
自分のやっていることの歴史的意味を
どう思うかという問いに対して、こう答えている。

「歴史のことは考えません。少なくても今は。
 今年の終わりには歴史について考えるかもしれないし、
 それを考えるのは何年も先になるかもしれません」

うーん、今年は歴史について考えるだろうか…
本当にすごいなぁ…
本当にすごい選手なんだなぁ…(感嘆)
と、こんなホメことばしか出てこない自分が情けない…


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2004年09月29日(水) たとえば、やるべきことが10件あって、1日に、3件ができ、7件ができてなかったとします。

たとえば、やるべきことが10件あって、
1日に、3件ができ、7件ができてなかったとします。
「よし、今日は3件もできた」と思いますか。
「ああ、今日は3件しかできなかった」と思いますか?

普通は、「3件しかできなかった」ではないでしょうか?
ところが、松下氏や本田氏らは、
「3件もできた」と考えたというのです。

これが大切です。

毎日毎日「〜もできた」と「〜もできた」と
「できたことの確認」をするのは、心の中で
「できる」という自己暗示をしていることになります。
その暗示効果によって、「できるという自己イメージ」を
つくり上げていることになるのです。

逆に毎日毎日「〜しかできなかった」と
「できなかったことの確認」をすると、
心の中に「できない」という自己暗示することになります。
その暗示効果により、
「できないという自己イメージ」をつくり、
実績の面でも、下降線をたどっていく可能性が高くなるのです。


「1分間成功暗示術」より   椋木 修三著
                成美文庫



私は間違いなく、
「3件しかできなかった」と思うタイプの人間だな。
今日の今日までそう思ってきたし、
そう思うのが正しいと思ってきた。
その方が、仕事がはかどると思いこんできた。
ため息をつきながら…

そうか…自己暗示にはよくないのか…
そうなのか…それなら、今から、
「3件もできた!」と思うことにしよう。
その方がなんとなくいい気分で一日が
終れそうな気がするし、
自己嫌悪に陥らなくて良さそうな気がするから。

今日のできなかったことを数えるのではなくて、
今日のできたもの数えることにしよう!






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2004年09月28日(火) 「計画」通りにいかないのが人生なのだ。

「計画」通りにいかないのが人生なのだ。

人生は思い通りに行かないのですから、「計画」も
その通りには進まないものです。
途中でいろいろと問題が起こって変更が必要になるかもしれません。
そのときには、臨機応変に対応すればいいのです。

中には、計画通りに進まないことがストレスになる人もいます。
そういうときには、「ゼロ思考」でゼロ地点に戻せばいいのです。
あまり「何歳までに」などと限定せず、
無理しないことが「計画」の基本です。


「なぜかやる気が出ない人へ」より  斎藤 茂太著
                   成美文庫



今の私に向けられたようなことばだ。
「計画」が思うように進んでいない…
もっと進んでいるはずなのに、なぜか足踏みをしている。
どうも臨機応変に対応してばかりいるような気がする。
無理しないようにばかりしている気がしている。
何か、まだスイッチが入ってないような感じで、
なかなか思ったように動けない。進まない。

会社を辞職してから、
自己管理するということが、思った以上に
大変なのだと気がついた。
誰かに締め切りを示されて、その締め切りを守るために
動く方が自分を管理できると、しみじみ思う。

自分で計画を立て、
その計画を達成しようとする時、
信じるものは、
自分自身と自分の力だけなのだと実感している。




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2004年09月27日(月) 人間関係は、知り合った瞬間から悪いというケースはあまりありません。

人間関係は、知り合った瞬間から悪いというケースは
あまりありません。
多くの場合、知り合ってある程度時間が経ってから、
なんらかの行き違いや誤解、勘違いで問題が生まれるのです。

しかもその行き違いは、発生当初は
「まぁ、いいか」という程度の小さな行き違いですが、
何度か我慢をしたり、見逃したりしているうちに、
大きな行き違いになってしまうものです。


「なぜかやる気が出ない人へ」より  斎藤 茂太著
                  成美文庫



そうだなぁ…そんな感じだ。

最初は小さなことだったことが、だんだん気になってきて、
最後はどうにもならないほど、気になってくる。
気になってきて、間柄がぎくしゃくしてくることも
ストレスだが、その人にそのことを、
言うか言うまいか考えるようになって、悩んだり、
さらにストレスがたまってくるのだ。
しかし、その本人は、全然気にしてないことが多い。
(もちろん、反対から見れば相手もそう思っていることが
 あるだろうが)

気楽に、最初の頃のように、
「まぁいいかっ」くらいに見逃せるといいなぁ…。


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2004年09月26日(日) 自分では絶対に選ばない役割を、他人から押しつけられたからといって、

自分では絶対に選ばない役割を、
他人から押しつけられたからといって、考えもせず、
エネルギーを垂れ流して「演じる」のはやめましょう。
やめなければ、心身ともに自分をだますことになります。


「いちばん大切な私」より  フィリップ・マグロー著



ときどき、この「役割」に縛られそうになる。
私などかなり自由だし、
回りに押しつけられることなどあまりないが、
それでもやはり、「役割」がないわけではない。
そして、その「役割」を自分に課しているのは、
自分自身である。

私はその「役割」を一応果たしている。
その「役割」が自分を支えてくれることもあるし、
生きて行くには「役割」は必要なものだと思っているからだ。
(もっとも本当に必要かどうかはわからない。
 あった方が力が出せる人も、
 「役割」に縛られて力が出せない人もいるから)

ただ、私の場合は、少なくても、
人に押しつけられた「役割」でないだけ、自分で責任がとれる。
「役割」をちゃんと果たそうと思える。
これが、押しつけられた「役割」なら、
とても果たせそうにないと思う。

「あなたには、こんな役割がある」などと
こうあるべき「役割」を押しつけられたら、
私は反発して、その反対なことをやるか、全くやらないか、
自分なりにその「役割」の中身を変えていくだろうと思う。
そうでなければ、「役割」などとても果たせないから。
「役割」は自分で見つける方がいいと思う。



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2004年09月25日(土) 文句を言われるのは自分も悪いからだと認識するべきだ。

口うるさく言ったり、言われたりする関係を変えるには、
言われる方も責任を引き受けなくてならない。
文句を言われるのは自分も悪いからだと認識するべきだ。

ところが、言われる側は問題から逃げようとばかりして、
事態をいっそう悪くする。
相手を無視したり、どなりつけて黙らせようとしたり、
さっさと部屋を出たり、いい訳を並べるばかりだ。
うるさい相手を非難していればいいから、気楽だろう。

しかし、状況を良くするには、言われる方も、
自分がどんな形でその原因を作っているかを
考える必要がある。
口うるさく言うのは、相手が助けを求めているのだ。


「嘘つき男と泣き虫女」より
  アラン・ピーズ&バーバラ・ピーズ著
  主婦の友社



まるで父のことを書いているようなことば(一部)だ。
そうだ、父は母を向き合うことを避けてきた。
それはもう、ずっと前からだ。
何をやっても無駄だと諦めているし、
話をしたり、話を聞いたりすることが面倒なのだろう。

違う本(「もしも男に言葉があったら」)によると、
女性からの「話があるの」ということばは、女性としては、
「話し合って、より良い解決法を見つけましょう」という
程度の意味だが、男性にとっては、
「第三次世界大戦を戦う覚悟はよくて?」と言うほどの
もっとも恐るべきことばの一つであると言う。
なので、無意識な恐怖感から「頼む、勘弁してくれ!」という
逃げの反応が出てしまうという。

「話し合う」ということばの持つ意味からして、
男性と女性とでは大きく違っているらしいのだ。
だとしたら、女性側の、
「話を聞いてほしい」「話を聞いてくれない」と
いうことばの意味も恐らく、違っているに違いない。
男性にとっては、それらのことばも
恐るべきことばなのかもしれないなぁ…

ということで、女性側の方が
男性に恐怖感を持たせず、上手に「話し合う」土俵に
持ち込むコツが大事だと言うことである…
(ふぅ…面倒だな。)


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2004年09月24日(金) 女が口うるさくなってきたら、それは何か言いたいのに、男が聞いてやってない証拠だ。

女が口うるさくなってきたら、
それは何か言いたいのに、
男が聞いてやってない証拠だ。
耳を傾けない限り、がみがみは続く。

男が女の話を聞けないのは、
女の話しかたがまちがっているからだ。
間接的な言い方では、男は反応しない。


「嘘つき男と泣き虫女」より
  アラン・ピーズ&バーバラ・ピーズ著
  主婦の友社



この本には、こうも書いてある。
「口やかましさに歯止めがきかなくなる女は、孤独で、
 失望感にうちひしがれ、欲求不満に陥っている。
 自分が愛されている、
 感謝されているという実感が持てない」と。

母は父に対して、とても口うるさい。
父も毎日相当辛いだろう…と思うが、
こうした母の口うるさい行動の裏に、
父が母の話に耳を傾けないこと、
母が、何を言いたいのかわからないということがあり、
その母は、感謝されているという実感を持てない思いを
持ち続けているのかもしれないと考えたら、
少し違う目で見えるようになった。

この本によると、この解決方法の1つは、
毎日家事をこなしていることをきちんと認めることだと言う。
(認めて、感謝の気持ちを表すことも大事)

なるほど、今度父に、
母の家事仕事に対して、感謝するようにアドバイスをしよう。
といっても、父も頑固だから素直に聞くとは思えないし、
二人にとっては、余計なお世話かもしれないが…。
とりあえず…

私にとっては、年老いた二人が仲良くしてくれ、
楽しいそうにしてくれることが…、
こちらのことをあれこれ心配してくれるより、
百倍嬉しく、心安らぐことなのだが…

そして、私も二人に対して、
口うるさくならないように注意もしよう…


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2004年09月23日(木) 女は結婚すると将来のことを心配しなくなる。

女は結婚すると将来のことを心配しなくなる。
男は結婚したとたん、将来のことが心配になってくる。

 「嘘つき男と泣き虫女」より
  アラン・ピーズ&バーバラ・ピーズ著
  主婦の友社



なるほど、そうかも…


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2004年09月22日(水) 「非を認めない人」をつくる「コンプレックス」と「傲慢」と「プライド」

「非を認めない人」をつくる
「コンプレックス」と「傲慢」と「プライド」

「自分で非を認めない人」とは、
「劣等感の強い人」、「劣等感のまるでない人」、
「自己顕示性の性格の人」の三つに分類することができます。

コンプレックスがありすぎる人と、
その逆でコンプレックスなど微塵もなく、傲慢かつ無礼な人。
そして、性格的にプライドが高く、
他人に負けるのが悔しくてたまらないという人。
この三つです。(大まかな目安として)


「絶対に《自分の非》を認めない人たち」より
 斎藤 茂太著  詳伝社



明らかに非があっても、認めない人はいる。
(今日はそんな場面に運悪くぶつかってしまった)
私はそういう人たちに出会うと、「強いなぁ」と
思ってしまうけど、実際の心の中はどうなのか…
よくわからない。

しかし、突っぱねてあるいは強がって「非を認めない人だ」と
わかりやすい分、回りの人はみな「そういう人」だと
知っていて、その人の扱いにもだいたいは慣れている。

一番イヤらしいタイプは、
謝った振りをしながら、こちらにも非を押しつける人達だ。
「こちらも悪かったけど、あなたにも非があるでしょう」と
さりげなく(あるいは強引に)取引しようとする人だ。
こういう人は、本当に悪かったとは決して思ってはいないのだ。
「一応形的に謝るけど…本当は悪いと思ってないよ」が
見え見えな人だ。
こういう人も、立派に、決して「非を認めない人」の
部類に入るだろうと思う。

悪いときには、すっきりと謝った方が
人間の器が大きいと思うし、世間受けもいいと思うが、
そんなことより「非を認めない」方が
その人にとっては大事なことなのだろう。

……などと、書きつつ、自分を振り返れば、
私も立派に「非を認めない人」の部類に入っているような気がする。
自分が悪かったことをすっきりと認めて、謝るのは…
本当に難しい。本当に辛い。本当にイヤだ…
(プライドが高いのかなぁ…)
あーあ、情けない、器の小さな自分だ。


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2004年09月21日(火) おもしろい話をするからといって、対話上手とは限らない。

上手な対話者の場合は、自分の経験世界を会話の中に
織り込みながら話をする。
すると、表面の話だけでなく、
ここ何年か自分がどんな経験をしたかを話すことになる。
さらに相手の経験世界からも上手に話を引き出す。
これが「質問力」である。

おもしろい話をするからといって、
対話上手とは限らない。


  「質問力」より  齋藤 孝著 筑摩書房



さらに、この本には、
「楽しい場を作っていくためにはお互いに
 経験世界を混ぜ合わせることが大切だ」と書いてある。

いるんだよなぁ…
自分の話ばかりをして、自分受けしてる人。
(あなたにそんなに興味はないって)
こちらが話してもすぐに自分の話に戻してしまう人。
(こっちの話も聞いてよ)
こちらの体験をまったく質問しない人。
(全くこちらに興味を持ってないんだろうなぁ)
自分に注意が向かないと、違う話を持ち出す人。
(子供じゃないんだからさ) ※()内は本音。

はっきり言って会話になってないと思うけど、
そういう人たちは、
それが会話だと思っているのだろうなぁ。(たぶん)
ただ一方的にしゃべってるだけだと思うな。
(一方的に話すことが会話と思っているのかな)
そんなのは会話じゃない。
対話って言わないよなぁ。ぶつぶつ。


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2004年09月20日(月) 立派なことはできなくても、小さなことを立派にやることはできる。

立派なことはできなくても、
小さなことを立派にやることはできる。


             作者不明




泣けることばだと、ひそかに思っている。

「今日も小さなことを立派にやった」と思える日を
増やしていけば、それだけで充分立派な人生を
生きたといえるのではないか…。
それが、立派なことなのではないか…。


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2004年09月19日(日) モティベーションとは、夢が作業着を着るときだ。

モティベーションとは、夢が作業着を着るときだ。

               ハル・ローチ



新球団参入を表明している、ライブドアの堀江社長が、
テレビのインタビューで
「僕は今回のこと(新球団参入)はきっとうまくいくと
 楽観視してます。 
 そう思ってないと、モティベーションが維持できませんから」
と言うようなことを言っていた。

そうか、堀江社長は、こういうふうに考えて
モティベーションを維持してるのかと妙に感心してしまった。

私は、堀江社長に新球団を作ってほしいと思っている。
どういうふうに球団を運営していくのか、
新しい試みをしていくのか、見てみたいからだ。
きっと新しいことをやってくれると思うからだ。
楽しみにしてるんだけど…、どうなるのかなぁ。


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2004年09月18日(土) 社会は、なにが「ふさわしい」かを決めてしまうので、「ふさわしい」とされる世の中の規範からはずれると、

社会は、なにが「ふさわしい」かを決めてしまうので、
「ふさわしい」とされる世の中の規範からはずれると、
人は罪悪感を感じることがあるのです。(略)

悪いことをしたわけではないのに罪悪感を感じてしまうと、
人はその原因をつきとめようとして
自分が罪だと思う行為を心のなかに思い描こうとするものです。
はるか昔の、とるに足らないことをあてはめてみたり、
自分で悪事をでっちあげたりします。


「いつだって、誰かがいてくれる」より
 A.J.ツワルスキー著 笹野洋子訳
 講談社



プロ野球の古田選手の苦しそうな顔を見ると、
「あなたが悪いんじゃない」と言ってあげたくなる。
きっと、どこかに罪悪感を持ってしまっていると思う。
(もちろん、迷いやもっと重い想いがあるのだと思うが)

自分が正しいと思ったことや、
自分の信念を貫くときでさえ
人は罪悪感を持ってしまう。
また、世の中の多く人が、支持してくれても、
多くの人が「正しかった」と言ってくれても、
罪悪感を持ってしまったりする。

それほどに、罪悪感とは、自分で制御できない、
押さえようとして押さえられない、
人間的な感情に私には思える。


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2004年09月17日(金) 行き先がわからなければ、どの道を通ってもどこへも行き着かない。

行き先がわからなければ、
どの道を通ってもどこへも行き着かない。

   ヘンリー・キッシンジャー
   (米国の政治学者、外交官)



そうだなぁ…
行き先がはっきりとなければ、
目的地には行けないなぁ。
どの道を通ってもなぁ。
道の問題じゃないな。

もっとも、
行き先を決めずにその時まかせに行く道も
それはそれでありだと思う。
行った先で何かを見つける行き方だな。
見つかるかどうかはわらないけれど。




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2004年09月16日(木) 創造において最も困難なのは、始めることだ。

創造において最も困難なのは、
始めることだ。


              著者不明


全くその通りだと思う。
いつも何かを「始めること」が
なかなか難しい。
(もっとも「始めた」後も大変なのだが…)

しかし…
自分から始めないと、何1つも始まらないのだ。
まず、一歩。これが大事だな。


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2004年09月15日(水) 「ほんとうは私のことをそんなふうに思っていたの?」

「ほんとうは私のことをそんなふうに思っていたの?」

相手の目を通して自分を見るためには、
自分の殻から出て、強い意志をもって客観的に自分の
欠点に目を向けなければなりません。

自分について、また相手が自分をどう見ているかについて、
何かいやなことを発見してしてしまったとしても、
自分の性格に対する相手の反応を理解する方法は、
これしかありません。

自分の考え方や感じ方を知るには、
ストレスを感じている状態(とくに大切な人と対立したとき)の
自分の行動をチェックするといいでしょう。
そのようなときにこそ性格の「核」が
あらわれ、コントロールできない
「ほんとうの」思考や感情の
パターンが明らかになるからです。


「心を読む本」 みくに出版
          D・グレン・フォスター
          メアリー・マーシャル著
          新田 久美訳



「えっ、ほんとうは私のことをそんなふうに思っていたの?」
こんなことは、切ないがよくある。
自分に近い人に、そう感じると、
力が抜けて、ガックリくる。
「あっ、そう……」と。
(もっとも、相手も恐らくそういう感情を
 持つこともあるだろうが…)

自分が思い描いている自分像と
他人から見た自分像が大きく違っているからだ。
また、自分が思っていることや、感じていることが、
他人のそれとは、全然違っているときがあるからだ。

これは仕方ないことだと思うが、
時々、埋めようのないミゾを感じてしまう。
だからと言って、人の感じている私像を
変えることもなかなか出来ない。
一度出来上がった「その人像」は
そう簡単に、変えられるものではないからだ。

まぁ、あまり深刻にならずに、
どう見られても、どう感じられても、
「これが自分だから、仕方ないか」と
思うのが、一番いいかと思ったりする。
しかし、「これが、私」と開き直る前に、
一度自分の性格を点検してみる必要はあるのかも知れない。









 




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2004年09月14日(火) ただ無気力に過ごす時間も必要だということに気がついていました。

ライターをしている友人と私はよく「怠慢さ」について話をします。
二人とも昔から創造的な作業を行う過程のなかには、
ただ無気力に過ごす時間も必要だということに気がついていました。

表面的に見れば、「怠慢さ」は罪悪にすら見えるかもしれません。

しかし、創造性が要求されるプロジェクトを
いくつか体験したあとでわかったことは、
何か新しいプロジェクトを進行させていくためには、
こうした無気力な時間が必要なのです。

「ワクワクする仕事をしていれば、自然とお金はやってくる」より
 マーシャ・シネター著  ヴォイス編 VOICE出版



会社を辞めてから、はや8ヶ月。
仕事を辞めてから「無気力」状態が続いていた。

何かをしようと思っても、
何かをしなくちゃと思っても、
どうしても、以前のようなやる気が起きてこなかった。
大好きな海外旅行さえ、億劫な有様で。

仕事を辞めたらあれもしよう、ここにも行ってみようと、
わくわくと、夢のようにいろいろと考えていたが、
そういう気持と裏腹に、頭も体は全然動かなかった。
(今も、まだ動いてはいないが)

まだ私の中で、この
「何もしない時間」「何も考えない時間」が
どのように必要なのか、大事なのか、
よくわかってはいない。
答えは、これから見えてくるのだと思う。

この間は、出来ることをしてればいいと
無理に何かをしなくていい、
好きにしたいことをしてみようと、
自分に言い聞かせてきた。
何かをすることだけが、意義あることではないと。
きっと時が来ると、言い聞かせてきた。

そして、
やっと、この頃少し「やる気」のようなものが
わき上がってきた。
(全面的にというわけではないが)
ちょっと嬉しい…



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2004年09月13日(月) 男女が対立するようになってから、真実が浮き彫りになります。

残念なことに、
男女が対立するようになってから、
真実が浮き彫りになります。

別れる決心がつかないと、女性はその強さや自立性、
強引さを前面にだして主張しようとはしません。

一方、男性は捨てられるまで、自分の傷つきやすさや
依存しがちな傾向、恐怖を感じることはありません。


 「なぜ彼は本気で愛してくれないのか」より
  ハーブ・ゴールドバーグ著 角 敦子訳
           KKベストセラーズ



いったん「別れる」と決断した女性は強いと思う。
別れると決めるまでは、相当悩みもするし、
愚痴も悪口もいい、右往左往もするが、
いったん「別れる!」と腹をくくると、
割り切りが出来て、
ハッキリと自分の思っていること、
気持を相手に対して言うようになる。

つまり「別れる」と心の中で決心がつくまで、
なかなか言わないと言うか、
言えないでいるというか…
言っていても、男性にはあまり届いてないというか。

なので、女性が自分の気持ちをハッキリ、
きっぱりと、遠慮なく言うようになったら、
何かを、決心をし始めていると思っていいだろう。
何か、腹をくくりはじめていると思っていいだろう。

女性が本気で「別れる!」と決めると、
本当に別れるケースが私の回りでは多い。
特に離婚の場合はそう言うケースが多いような気がする。

友人が腹をくくったらしい…
いままで愚痴を言っていた彼女が、
いきなり、前向きなことを話しはじめた。
うーん、強いなぁ…
けど、好きだなぁ…




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2004年09月12日(日) 「なんとなくだるい」「気力がわかない」「物事が決められなくなった」…

「なんとなくだるい」「気力がわかない」
「物事が決められなくなった」……こうしたことを
忙しいせいだ、体調が悪いだけだと思っていませんか?

じつは、それだけではありません。
日本全土を覆っている「ウツな気分」が
あなたの心と体を蝕んでいるのです。


「ウツな気分が消える本」 医学博士 高田 明和著
             知恵の森文庫



最新の脳研究の知見からみると、
好き嫌いがあまりない人がウツになりやすく、
その反対に、好き嫌いがはっきりしている人が
ウツになりにくいと言う。
なので、この本では、
「大事なことは好き嫌いで決めろ」と言っている。
(好き嫌いとは、直感、第一印象などとも同じらしいが)

おおっっ、そうか…好き嫌いで決めていいのか、
よかったぁ、しかもその方がウツになりにくいのか、
私は大丈夫だな、などと単純に思ったのだが、
実は、好き嫌いで決められない人は多いのだという。
「私は、好き嫌いなどという感情に流されず、
 冷静に判断する」
などと言う人もいるらしい。
わかるような気もするが、
冷静に判断して、嫌いなものを選ぶ人もいると言うことだな。

ともかく、だ、私は嫌いなことは選びたくない。
なぜなら、嫌いなことはしたくないからだ。
したくないことが、うまく行くはずもない。
うまく行かないことは続かないと思うからだ。


などと、考えていると、あるある大辞典で
若返りに「コエンザイムQ10」というサプリが良いという特集を
やっていて、体も元気になるし、肌にもいいと紹介していた。
これはよさそうと直感が働いたので、
すぐに通販で申し込んでみた…こんな私をみていて、
「あなたはウツにはならないよ」と隣人は言う。
そうかな…


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2004年09月11日(土) 思い通りの結果が得られなかったときに、

思い通りの結果が得られなかったときに、
自分のやり方やスタイルそのものを反省してみる人は、
意外に少ない。

むしろ、自分の努力が足りないからだと決めつけて、
同じやり方をさらに一生懸命に続けていくケースの
方が多いだろう。

たとえば男と女の衝突にしても、いつまでも
同じスタイルに固執していれば、
相手から返ってくる反応もいつまでも同じである。

結果的に、そうした誤った努力は、
事態を改善するどころか、むしろ
悪化させてしまうことにもなりかねない。


「わかりあえない理由」より  デボラ・タネン著 
 田丸美寿々訳 講談社



自分のスタイルに固執していると、
結果がいつも同じパターンに陥りやすく、
その状況からなかなか抜け出せないことを、
この頃実感している。
自分も自分のスタイルに固執しているが、
相手も、同じように固執しているからだ。
(意識してるか、してないかは別にして)

いろんな人に対して、あの人が
こう来たら、こう反応する…という条件反射が
知らずのうちの出来上がっていて、
そのパターンをお互いに繰り返している。

良い結果が出ないのに、同じスタイルに
固執しているのは、あまり効率的でないと
この頃、やっと気がついた。
その自分のスタイルを変えることはまだ出来ないけれど、
まぁ、ちょっとづつ反応を見ながら変えていければいいと
思っている。





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2004年09月10日(金) 自分の意志で選ばなければ、事態がうまくいかなくなったとき、きっと、あなたは後悔します。

覚えておいてください。

自分の意志で選ばなければ、
事態がうまくいかなくなったとき、
きっと、あなたは後悔します。(略)

自分以外の人に、
自分にとって一番よい選択をしてもらうことなど、
出来るはずもないのです。


「人生は100回でもやり直しがきく」より
 アレクサンドラ・ストッダード著
 大原 敬子訳  PHP



この本では、こうも言っている。
「決断を下すまでに必要以上に時間がかかってしまうのは、
 自分の判断に自信が持てないからです。
 言い換えれば、自分が本当に何を望んでいるのかが
 わからないからです」と。

友人は、手術をする病院を決めるとき、
病院や、先生や、手術の症例などの、
情報をたくさん集め、体験者に話しを聞き、
伴侶にも、友人にも、相談した結果、
すっかり迷ってしまった。
その結果、家族が介護しやすいという理由で、
一番近い病院に決めた。

その結果、術後の対応に満足いかず、
「これから、長くつきあっていく病院を選ぶのに、
 自分なりの基準を持たなかったので、結局、
 家族がいいという病院にしてしまった」と言い、
その治療方法にも、不満を持ってしまった。
結果、治療もうまく進んでいない。

こんなことはどうなんだろうなぁ…と
思ってしまった。












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2004年09月09日(木) あなたの顔は公害になっていませんか?

「別にいいじゃない、楽しくもないのに笑わなくたって。
 人に迷惑をかけているわけでもないし」
となかには居座ってしまう人もいるかもしれません。
でも、ちょっと待ってください。

あなたの顔を長時間見ているのは、
あなた自身ではなく、まわりの人間です。
あなたの不機嫌そうな顔によって、
まわりの人がどんな気分になるか、
考えてみたことはあるでしょうか?(略)

ムスッとした仏頂面の人を見かけると、私はつい、
「あなたの顔は公害になっていませんか?」と
問いかけたい衝動にかられます。


 「笑顔セラピー」より 
  心理カウンセラー  野坂 礼子著
  KKベストセラーズ



ここまで、まわりの人に気を使う必要はないと
思えなくもないし、
仏頂面をする自由もあると思いたいが…
仏頂面は、実は、脳の動きも悪くし、
年齢とともに自分の顔を作り上げていく行程にも
シワの出来方にも、影響を与えるという。
仏頂面をすることが多い人は、
普段の表情も、仏頂面に近付いて行くという。

考えてみれば、その仏頂面がどんなものであるか、
まわりからどんなふうに見えているか、
本人は全くといっていいほど分からない。
(自分の仏頂面を一度、ビデオで見たら
 ショックを受けるだろうなぁ…)

鏡に映してみても「恐らくこんな感じにみえるのかな?」
程度にしかわからない。
もしかしたら、
もっとすごい仏頂面をしてるのかもしれない…
時々、仏頂面もしたい私としては、痛いことばである。
時々、このことばを思い出すことにしよう。


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2004年09月08日(水) 麻雀には勝つ方法はないと言ってますが、負けない方法はある

麻雀の神様、阿佐田哲也は、麻雀には勝つ方法はないと
言ってますが、負けない方法はあると言っています。
負けない方法の1つとして、
「上手に降りる」という戦法があります。

勝負事で考えるならば、自信のないレースには
「降りるのも攻め」なのです。
これは決して安全策を取るというのではありません。

「降りる」に「攻撃的な降り」があることを
忘れてはいけません。
降りることは決して守りではないのです。
(一部略)

 「運をつかむ人、のがす人」より  さい ふうめい著
                  産能大学出版部刊




例えば…
ケンカをして、ついついことばが強くなり、
どんどんエスカレートしていく。
なかなか後戻り出来なくなって、
気持ちはもういいと思っているのに、
私も悪かった、言い過ぎたと思っているのに、
いったん振り上げてしまった拳(のような感じ)を
上手に下ろせないままになる。
そして、お互いに不機嫌なまま、いや〜な思いを抱えたまま、
無理矢理終わりにすることがある。
こんな時、
「上手にこの(不毛な)ケンカから降りられたらなぁ」と思う。
(例えが高尚でないが…)

こういう些細なケンカも、勝つ方法はなく、
負けない方法を自分なりに考えた方が
賢いのではないかと思ったりする。
(ケンカの場合は、いや〜な後に引くような
 終わり方をしないということにでもなろうか)

勝ち負けではないが、やっぱり言い負かされると
気分がよくないので、上手(攻撃的)に降りて、
とんとんにしておきたいと思う…のだが…











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2004年09月07日(火) 親しくなっても、なれてはいけないのです。

親しくなっても、なれてはいけないのです。
親しさをはぐくむ努力には、よりよい人間関係をつくり、
友好関係を継続させる効果があります。

しかし、自分の立場や役割を忘れて、気を抜いたとたん、
親しさは惰性にのみこまれて、なれなれしさに姿を変え、
不作法を犯すことになってしまいます。

相手は、あなたの態度が鼻についてきます。
不快になるのです。


「好かれていると思っている男、
 嫌われていると思っている女」より
 Dr.ジョージ著
 鈴木 文織訳   中経出版




親しかったら(或いは恋人同士だから、夫婦だから)
何をしても、言っても、許されると思い込んでいて、
それが「親しさ」だとか、「愛」だとか言う人がいる。

親しいから頼み、あなただからこんな事も言えるなどと言って、
好き勝手なことをしたり、何かを押しつけたりされる。
(もっとあるが…)

私は、そういう「親しさ」や「愛」は、いらないと思っている。
あっても、押しつけられた「親しさ」や「愛」は、不愉快なだけだ。
もちろん、そんな友人もいらない。
「親しき仲にも礼儀あり」…本当にそうだと思っている。
どんなに親しくても、不作法は不作法でしかない。

などと、書いてきたが……
自分の両親、隣人に対しては、どうしても
自分の価値観を押しつけ、「親」だからこうあるべきと言い、
隣人には、毎日生活してるからついついぞんざいな口をきき、
すっかりと慣れきってしまっている。

これじゃぁ、「愛のテクニック」など身に付きそうにもない。
いかんな…何とかしなくちゃ。













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2004年09月06日(月) 捨てられる女とは、ただ愛することしか知らない女である。

捨てられる女とは、ただ愛することしか知らない女である。
男を夢中にさせる女とは、愛のテクニックを知っている女である。


               バルザック



本によると、愛のテクニックとは、
コミュニケーション全体のテクニックのこと
(日常会話、見栄え、セックス含むなどなど)らしい…
「愛のテクニック」は、自らが学び、
実行していくべきものだという。

毎日の日常生活のなかでは、どうしても
「愛のテクニック」などとは無縁になる。
(だいたいそんなことを考える余裕もないし、
 ちょっと照れくさい)
そんなのは恋愛中の人たちだけが必要なものと考えがちになる。
しかし、そうではなくて、「愛のテクニック」は
毎日の生活にこそ、活かされるものだという。
長く続く関係にこそに必要なものであるという。

うーん、確かに、毎日の生活のなかに、
お互いに感じられる何か暖かいものは必要だと思う。
それが「愛のテクニック」と呼べるものかどうか、
「愛のテクニック」で得られるものなのかどうか、
わからないが、確かに、暖かいなにかは必要だと思う。
それが何か…模索中である。
模索して見つかって、それが行動に素直に移せるかどうか…
それが大事なことなのだが…


とりあえず…見栄えを整えてみることにして、
心も身体もキレイになるという「セレブのためのパワーヨーガ」
なるものを買ってみた…(短絡的だな)
取りあえず、第一歩ということで。











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2004年09月05日(日) 運のない人に調子を合わせない。

運のない人に調子を合わせない。

普段から運を逃すような生き方をしている人、
また、下降運の真っ只中にいる人は、
どんな人の周りにもいます。

大事なことは、その人に調子を合わせないことです。

運のない人に同情して、心まで不運な人の水位に
下げるのは間違いです。
自分の上昇運をも棒に振ることになります。
(一部略)


 「運をつかむ人、のがす人」より  さい ふうめい著
                  産能大学出版部刊




なるほど、そうか…
運が悪いと自分で言っている人の回りには、
確かに悪そうな雰囲気が漂っている…ような気がする。
そうか、同情して、自分の運を下げてはいけないのだ。
そうだ、だってこちらの運も下がったら、
救いようがなくなるもの。
合わせてはいけないし、合わせる必要はないな。

著者はこうも言っている。
「基本的には、運のいい人を中心に『基準値』を
 作った方がいいのです」



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2004年09月04日(土) オリンピックにはオリンピックの戦い方がある。

オリンピックにはオリンピックの戦い方がある。
それをもう少し考えるべきだったかもしれない。


           日本野球 中畑清ヘッドコーチ
 Number610号9月16日 アテネ五輪特別編集
       「ドリームチーム北京への教訓」より




野球だけではなくて、場が違えば
戦い方が違うのだろうな。

野球の戦い方はよくわからないが、
オリンピックの戦い方が、
プロ野球の戦い方とは違うようだということは
素人の私にも何となくわかる。

圧倒的な力があったら、
戦い方など考えなくてもいいのかも知れないが、
一発勝負の時や、力が均衡している場合、
相手の力が分からない場合には、
戦い方を考えなくていけないという。
それを見極めたり、作戦を考えるのも
監督の仕事になるのだろう。

今回の教訓が、4年後に活きるのかどうか…
本当に教訓となるのか…
(今のプロ野球を見ていると不安になるが)
何とか、是非、活かしてほしいものだ。




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2004年09月03日(金) 「生きて帰れてよかったね」

野口のゴールに続いて2分24秒後に5位で土佐が、
5分23秒後に7位で坂本がゴールした。
再会を果たした3人の日本人選手は抱き合ってこう言ったという。
「生きて帰れてよかったね」


 Number610号 9月16日 アテネ五輪特別編集
       野口みずき「命がけのラストスパート」より




思わず、涙が出た…
過酷だったのだ…想像もつかないほど。


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2004年09月02日(木) 愛されたいなら、愛する練習をしよう。

いちばん望むことを実現するには、
それを実行し、練習しなければならない。
一晩では無理でも、練習することによって変化がおきてくる。
さらに、つづければ、あなたが望むその習慣が、
生まれつきであるかのように深く身についてくる。

(略)

愛されたいなら、愛する練習をしよう。
楽しみたいなら、楽しい人間になろう。
言い争いを望まないなら、正しいのは自分だと
言い張らない練習をしよう。

あなたのまわりに集まる人は、あなた自身をうつす鏡だ。


「成功している人はこうしている」より
            ヴァロリー・バートン著
                 野田 恭子訳
     ディスカヴァー・トゥエンティワン出版 



深く身につけるには、やっぱり練習がいるのだ。
楽しては、身につかないのだ…
やっぱり練習は必要なのだ…
(当然だな)

にしても…にしてもだ、私にとって難しいのは、
なんといっても「正しいのは自分だと言い張らない練習」だ。
これは、自分との戦いになるだろう…
どうやって練習したものか…よくわからないが、
ともかく、何だか、練習あるのみだ。おーーっ。









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2004年09月01日(水) 「何かを手に入れるということは」と彼は言う。

「何かを手に入れるということは」と彼は言う。

「それが自分のものだと宣言することだ。
 自分のものだと主張することだ。
 それを自分の大切なもの、自分が守り抜くものの
 一部にすることだ。
 結婚でもいい、友情でもいい、技術、挑戦、失敗でもいい。
 宣言することで、私たちは自分の大切なものを手に入れる。
 
 人生は運次第だというふりはやめて、
 自分で自分の人生をコントロールするんだ」


         テレビ脚本家 フレッド・ナイブのことば
  「なりたかった自分になるのに遅すぎることはない」より
       スティーブン・チャンドラー著 桜田 直美訳




「ほしいものがある」「手に入れたいものがある」と
思うことは、大きな力になるという。
ほしいものを最初から、手に入らないと
自分から諦めたら、それは恐らく手に入らない。

ほしいと思ったら、ほしいと強く望まねばならない。
まず、そのほしいと強く思う気持ちが一歩となる。
その一歩が、
ほしいものを現実的に手入れる方法を考えだし、
手に入れるための努力をする力となる、そうだ。


オリンピックに参加した選手の多くは、近年、
イメージトレーニングの時間を練習の中に取り入れているという。
自分のほしいものをイメージし、
手に入れた時の自分の幸せな姿をイメージし、
そして、喝采を浴びている自分をイメージして、
頭の中にイメージの持つ力を蓄えていくという。

そして彼らは、それを口に出すようになる。
口にするのは、その力をさらに現実に近づけるためだ。
イメージの持つパワーを自分に近づけるためだ。

オリンピック選手のようになかなかできないが、
「ほしいもの」「手に入れたいもの」は
自分の中でしっかりと持ち続けていたいものだ。
少なくても自分から無理だと諦めないようにしたい。



















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