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嫌いな食べ物「キュウリ」


2004年09月29日(水)

ああ。
何かもう色んなことが突然如何でも良く成った。
一人だとか二人だとか三人だとか四人だとか、ああもう好きなだけ好きな様にすれば宜しい。

私はあそこへ行く。
貴方は其処に居れば宜しい。


乳臭い臭いが鼻を突いて離れないよ、御前。
今更になって嫌いにならないで下さいなぞと、馬鹿にするのも好い加減にしてくれ。御前の手先が浸かっているものを見た。今私に何をしようが、其の肉から擦り抜けるのも容易い。


怠慢で緩慢な生活の続きに、久しぶりに憎むものを見た。
如何やら私は、下らない次元において、私と他人を同等のものとして甘やかすものを好きじゃないらしい。


2004年09月22日(水)

ネットに出ても最近は日記を書いて終わらせる。何が不満だというわけでも無く、ただきっと、今私にはそれ以上のことをするだけの力が無いのだろう、と思う。

無理をしなくなった。私の欲求はいつだったか忘れた頃から、非常に軽いものとなって、睡眠以外の欲望は押さえることが出来るようになった。そして休日に睡眠時間を15時間以上取るようになった。

一日という単位はちょっと異常だ。

こういう気分のときは、本当にパパに会いたくなる。彼は何をしているだろう、彼は何をしているだろう、彼はママと何処に行っているだろう、ママはまだ、可愛いままで居るだろうか。

書くものが何も無いので、寝ようと思った。


そうだ、御前に私の中の一部なぞ見せてやるものか。


とか、さぁ、こういうこと書くと良いのかね。(笑)嗚呼もうやってられない。好きにしてくれ……。嗚呼でも、結局のところ、私はねぇ、貴方のことをとても愛すけれども、今度愛する行動が出来るのなら、抱くでなく、泣くでなく、キスするでなく、多分貴方をにくくて殺すわ。……とか。嗚呼、もう、どれが本音でどれが嘘だか分かったもんじゃないね。(笑)ていうかもう自分でも良く分からん。言葉って面倒だ。……好きだけどさ……


多分眠いんだろうなぁ


2004年09月20日(月)

この日記は、もう随分昔の私を知っている人が見ている可能性があって、ゆえに私は言葉を作るのにも、また言葉を選ぶという作業をすることがある。それは何とも面倒な作業で、うまいこと表現出来なれば結局私の書きたいことの一つも表現出来ていないものにすら、なる。だから今日はやめよう。そういうことを。(前置き)







もう他人の長い爪を見て、痛そうだと思うことも無くなった。私の爪を深爪することも無くなった。
あの人が居た二年と八ヶ月は、私の爪はいつも短かった。あの人の柔らかすぎる肉の中に、私の指先が入り込む所為だ。私は毎週欠かさず爪を深く切ったし、毎週あの人の爪が長いのを見て、どうしようもなく哀しい想いに暮れた。毎週の愛撫を与える私は、二年と八ヶ月の間に、どれだけの愛撫を与えられたろう。
時折男に触れられた。泣きながら、御免と言って拒む言葉を続けながら、セックスをしたがる私の身体を彼等はどう思ったろう。情けないことこの上なかった。
何の妄想も、何の状況も無い自慰を覚えたのもこの時期だ。
長い幸せな、恋人生活の中で、私の身体に与えられた、エロスの快楽の回数は、10すら行かない。
快楽が全てというわけじゃない。けれど余りに空しかった。それでも素晴らしかったのは、どうしてだろうとたまに思う。拒みながらセックスしたがる身体が当時の私なら、セックスしながら求めるのが今の私か。
時も、金も、全て今私のものとして此処にある。色んな状況のセックスも楽しめる。不倫と、浮気と、親子ほど違う人との重なりだとか。けれどこれの、何が私の自慰と違うというのか。

今、私は毎週末どこかに行く。新宿、原宿、渋谷、銀座、日本橋、丸の内、池袋。何処にもあるサーモンピンクを、一つずつ消していくのだ。
今日は原宿だった。同じ店、同じ時間、嗚呼私はあそこの席で、彼女を怒った。トイレから帰ってくる彼女の目が腫れているのを見て、御免ねと言いながら、しかし反対したのだ。三ヶ月前、私はそんな香りのするところをことごとく避けて通った。今、そんな香りのするところを一つずつ、私だけの記憶に変えようとしている。
今なら多分、普通に会うことが出来る。恋愛であるか、そうでないのか、友愛であるのか、それすらもわからない次元で。
逃げいるのも良いのだと思う。そうやって私は毎週、サーモンピンクを消しながら、一方で、ある人に誘いの手を伸ばす。おいでおいで、どうせ遊びなのだから。一度寝たらそれきりさ、そんな風に。
「私は穢れているでしょうか」なんて下らない、ばかげた、反吐が出そうな言葉は吐きたくも無い。(そんな言葉を吐くような奴はクズだ!)私はね、いつもこうしている。

そういえば、朝にヨーグルトを食べる習慣が私のものになった。床を毎週水拭きする習慣も私のものになった。カレーに豆を入れたがるのも私のものになった。


……余りにはっきり言い過ぎただろうか。
もう、良いや……時折ね、だって、目頭が痛くなることがある。喉が嗚咽するんだよ。考えられない。信じがたい。


2004年09月18日(土)

以前の私を情けないと思ったことは無い。悔いたことも恥じたことも無い。時折、当時の私の感情の揺れが其の侭行動と心情に直結していくという経路が、また、極論めいた其々が其の侭本当の思考として根付いていくということが、羨ましくなるときすら、在る。
今の精神状態は多分非常に静かだ。何が在るわけでも無く、毎日に特段の楽しみも無いが苦しみも無く、つまらなくは無い。唯、以前の私の様に皮膚の外で起こる其々の事象が、私の皮膚を通った瞬間に私の憎悪と愛との両極端に変化するということも無くなった様だ。

私一人が暫し、非一般的に身を置いていた訳では在るまい。だがきっと私の皮膚は焼け爛れすぎたのかも知れない。周りの其々にでは無く、其れに対する私の心情と感情と思考と其の他諸々が、私の皮膚を焼いて鈍くさせた、と、こう表現した方が正しい様に思う。

驚くには驚く。けれども「驚く」という言葉の、もう、使い道が既に違ってしまった。私は常に行く着く。「嗚呼、まぁそうなんだな」。

納得するにしても、しないにしても、対象となる所が既に違ってしまったらしい。物質其の物では無く、物質が内に入ったときの私に及ぼす色々に納得する様になったらしい。……どうやら。


こんな私の状態を、私は嫌いじゃない。唯、以前を思い出しては笑いながら、嗚呼戻りたい、と言う。泣き叫んで包丁を枕の下に隠して寝る、なんて、ことをしたいとはもう思わないが、そうせざるを得なかった私の、其の肌の敏感さがもう一度欲しい。
……まぁ、敏感に成ればまた包丁を枕の下に隠して寝る様な行動をするんだろうが。(笑)


良く分からない感情で、けれども、「貴方の過ごした思春期をもう一度、欲しいですか?欲しいのならあげましょう」なんて万能の神が言ってくれたら、三年くらいまた欲しいな。(笑)


自分の身体は弁当だとか言いたいね。(当時は良く言ってた)
今私の身体は何だ。……。……。お菓子かもね。ピリリと辛いやつ。(笑)酒のツマミ。(飲めないけど)


2004年09月10日(金)

嗚呼こういう会話をしなくちゃなぁだとか、嗚呼こういうロールがしたいなぁだとか、嗚呼約束を立てなくちゃなぁだとか、やりたいことは色々あるのだけれど、如何せん現在、私生活にてネットに長く上がるということが無いので出来ていない。
……まぁ、ネットに長く上がっていないのは大半は私の自堕落に在るのだけれども。

最近はむやみやたらに良く寝るようになった。というよりも、兎に角眠い、眠い。夜の10時? アッハー私の就寝時間です、ってなもんで。
そんな状態である自分の身体に不安を少々感じているところで在ります。

さて。

明日にでも何か、変わるのかも知れない。

女とは非常に姑息なものだ。冷酷で忘れやすい、馬鹿が元になったと考えるべきだ。私も例外では無く其の通り、姑息で適当だ。……何処が良いのか。何が良いのか。唯私が求めるものが、探しているものが、結局のところ、父親への憧憬にあるのだと分かっているのだけれども、そしてそれが如何に無駄であるのかということも分かっているのだけれども(無駄と言ってしまうこと自体が既に憧憬だ)、それでも受けてしまうという現実があった。
明日、何か変わるのだとしても、嗚呼先は見えているのだけれどな。
唯、たまに自分がおぞましくなる。異常なのじゃなかろうか。




嗚呼余り関係は無いけれど、この人生の内でどれよりも嬉しい逢引の相手は父であります。今現在、ですら。彼が私の部屋に来るというので、社長の誘いを断ってしまったほどに。私であるのに、手を振りながら笑いながら、走って、待つ彼の元へ行く。……こんな光景は彼に対しては日常。彼の腕を取る勇気は無いけれど、彼のスーツのすそを握って歩く、それが至福。
ファザコンであるという自覚はある。もうずっと、昔から。


2004年09月07日(火)

嘘の無い情熱から作り出されることの無い、お話のいくつかは、ゲームであると思う。

私は今いくつかのゲームを所持している。情熱を捨て去った、もう殆ど腐敗して動くことの無いそれと、飾り立てた情熱という言葉だけの中身を伴わぬそれと、情熱というにはあまりに生ぬるいそれと、突然降って沸いたように私の身体に必要の無い情熱を浴びせ掛けて、此方が受け答えする前に帰って行くそれと。
数え上げればきりが無い。どれもこれも、欲望から生まれているばかりで、私が日々によって、気分によって、進めるゲームもまたそれぞれだ。

こういう生活が悪いとは思わない。良いとも思わない。仕掛けているのかもしれない、仕掛けていないのかもしれない、気付いたら、手元には、もう何個ものゲームが居た。
「いつが暇なのか分かりません」だとか
「元気?」だとか
「ペット飼いたいなぁ」だとか
「水族館!」だとか。
或いは電話してしょっぱなから泣いていたりだとか。
或いは電話して出ないと、一週間電話の電源を切っていたりだとか。
時折悪態をついたりだとか、舌打ちをしたりだとか。
かと言って突然珈琲を持っていったり、禁止を解除してみたり。

私を隠さないでいるといつも手元にゲームがあった。なぜだかしらない。私はいつも、そのゲームたちを眺めては、終わらないものだったり、終わるものだったり、永遠に続くものだったり、消えているものだったり、区別がつかずに、ただ夜寝る前にいとしく思った。

けれど、それに充足感が全くない。深みもなければ、くだらないことも、美しいことも、ばかばかしいことも、死ぬほど泣くことも、何も無い。
今、私の手元に残っているのはそんなものだ。
毎日、甘い菓子ばかり与えられる。

私が答えるのは何通りもある。舌打ちか、笑いか、無視か、世辞か。


ときおりこんな現象に泣きたくすらなる。そういうときにゲームというのは全く役立たずだ。


2004年09月04日(土)

今日は大掃除の予定の日であった、けれども、寝続けること18時間。気付けば既に、後4時間半で一日が終わるというこの有様。毎日仕事に行くは行くが、そうまで自分自身、疲れているのかと再認識。
最近は周りの変化が少々、笑えて来たよ。

とてつもなく下らないことなのだけれども、勇気の無い人に「どーんと来い!」と、一押ししてやるには如何したら良いのだろうか。何時までも、意味ありげな笑いでそっと後ろから近付かないで下さいな……。

良いじゃん。楽しきゃぁ。良いじゃん。どっちにしろさ、無理なんだから。今更……貴方の小手先の、意味が分からん。結果として無駄であるものに、一喜一憂するためのスパイスが、要るとは私には思えんよ。


無駄という結果を知ってなお、そういうスパイスを使いたがるのは年齢差でしょうか。人生経験でしょうか。貴方37歳だからか? 43歳もそうだね……。28歳もか。32歳もか。


もう良いよ……面倒です、あなたがたそういうの……。目的は一つで、結果は全部無駄であるのだから、人が違う、ただそれだけじゃぁないのか。もーーーーーー。うんざりだよ。ほんとう……


さくま