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嫌いな食べ物「キュウリ」


2004年07月26日(月)

引き続きです。

之程、自分の低脳さが長期間続くのは若しかしたら人生初であるのかも知れない。
私は自分自身を評価するのに、非常に頑固ではあるし、自分の思想に固執しやすい女だけれど、適度に理解力はあり、生きにくいながらもそれなりに生きることの出来る女だと思っていた。
若しかしたら之は間違いであるかも知れない。

普通でいられるのは理解出来ていないからだ。

最近は毎日、喧嘩をする度に聞いていた女声のメタルばかり聴くようになった。理解出来ないのを、何処かで理解すべきだと思って居るのだろうか。泣く涙も少なくなった。出そうでも出ないということが多い。

理解しようにも、理解できないという(しかも内容として、単純な日本語文章で唯一行だけなのだ)、そんな状況がこんなに長く続く状態に、先ず自分自身驚いている。


そういえば、今日から友人が一週間、泊まりに来る。迷惑は掛けられない、と思うけれども、たまには、ハグくらいするかも知れない。嫌がるだろうなぁ……苦笑の嵐を貰うだろうなぁ……。……多分、彼女の優しさに甘えるかもしれない。やっばいなぁ……物凄く私が愚かに思えてきた。


言葉では幾らでも言えます、私一人身だから、だとか、私彼女と別れたから、だとか、私恋人と別れたから、だとか。さらりと言えてしまっているあたりが、もう既に理解の無い言葉を口から出しているからだという、その理由に気付くのにすら、結構かかったな……。
嗚呼、でも、もう少ししたら、理解出来るんじゃぁ無いだろうかと思って居る。そしたらもう、吐かなくて済むのじゃぁ無いかという未来に対する安堵も然り。


それにしても……。何で一年後の約束なぞしてしまったんだろう、色々と。いや、友達であれば、また会って、普通に遊びには行けるんだろうが。


2004年07月24日(土)

最近は眠りが良くない。眠いのに瞳を伏せると、身体が渦に巻き込まれるような気がして、嘔吐感が酷い、というのは昔から良くあったのだけれども、最近はそれに疲れて何時の間に眠ってしまっている、ということが無くなった。3時間? 4時間? 判らないな。
心情は至って普通であります。何が在る訳でも無く。唯、この普通ぶりが非常に自分としては胡散臭くて耐え切れない。如何いった現象だろう……。
会社ではたまに気持ち悪くて吐く様になった。
それでも会社の人につられて飲みに行ったり、社長と取締役と飲んだり、するのだけれど。……まぁ私の場合、飲むと言ってもアルコールを一滴も飲まないので、食べる、喫む、専門なのだけれども。

と、うだうだ書いて居るが、それよりも何よりも、日本語やばくないか? 睡眠だとか、神経だとか、心情には余り危機を感じないが、この日本語の羅列は危機を感じるやばさだ。

蜥蜴の尻尾に良く似てるな……構成が似てるけれども、ぶつり、ぶつり、切れてやがる。気持ち悪い。


2004年07月20日(火)

やばいのかもしれない、一寸。朝起きたときの思ったセリフにそう思った。早く何とかしないといけないのかもしれない。判ってはいるが上手くいかない。絶望的な朝ばかりだ。全く新しい気がしないのが良くない。前日との時間の繋がりを感じるのが良くない。良くない気分で、何も食べる気がしなくなってきた。このまま食べる気が起きない生活にならないだろうか、と、危惧しながら、そういう生活を望んでいる自分が居る。これがまたヤバイ気がする。良くない。非常に自分が良くない。やっていけることはやっていけるのだろうが。京都もハモもあまり興味が無い。朝の音楽が暗すぎる。私の趣味がほとんど、いやになる。それでも好きなグリーグの爆音とか、ああもう何だか、静かに赦せない気がしてくるのだ。良くない。良くない。静か過ぎる。暗すぎる。美しすぎる。良くない。馬鹿ばかりだ。特に私の内部が。これは何とかしないといけない。全てにおいて、私の素晴らしさを感じなくなっている。友人は数少なく、だけれどあまりに言うには長いのかも知れない。静かに生きるにはまだ、私は若いのだろうと思うけれど、濁った海に簀巻きにして放り投げられたのに近い。漂って、いつ涙が出るか知れない。何もする気が起きない。絶望的な朝だ。これから笑わねばいけない場所に行くと思うと、それがまた寂しい。良くない。如何やったらいいのだろうか。

そういえば、今日見た夢は不思議だった。「人間は音を好むけれど、エミネムを買いに行く私は、凄く嫌いだ」と、言って、ツタヤの前で立ち往生して、買いたいエミネムを買わないで結局、何事も無く其処を行過ぎる夢であった。

だからといって、私が今、別にエミネムが買いたいわけでも欲しいわけでも何も無い。何も無い。起きる曲はグリーグとラフマニノフばかりだ。ほかに何も無い。ショパンを聞くには、まだ足りない。ただそれだけだ。


2004年07月19日(月)

なぜだか非常に日常的な生活を送り始めた。日常であるから日常なのだけれども。肋骨の中身がよく疼くようになった、わけもわからず。遊びに行くことも出来る。本を買うことも読むことも。非常に普通だ。この日記を再開したのも一つの日常のうちだ。きっと帰ってきたのだ。煙のようなものが、全く関係の無いところから突然、肋骨の上から二番目あたりにぼわりと上って消えるようになった。それが何だか、私はきっと知っているが、そこを処理することは非常に難しい。共存していくのか。マルボロのパッケージを見ると出てくる涙だとか、無駄に煙を捕まえようと動いてしまう指先だとか、そういうものと共存していくのか。肋骨を二つ、取る手術をしたらどうだろうか。コルセットやビスチェを着るのには丁度良いのかも知れない。……記憶と知識がときおり、胸の煙から血管を行過ぎて脳内に入り込むようになった。記憶と知識は、過去から生み出されるのかと思うと、私の肋骨は一体何を覚えてきたのだろうかと思う。非常に普通だ。何もかもが日常的すぎて、私の口癖が一つ増えた。ただ、これを日常的と私そのものが捉えるには少々合わないらしい。海馬が妙なことを処理しはじめた。林檎やら、東京やら、宝石箱やら、棚やら、ジュディ・アンド・マリーやら、牛角やらを。それぞれをファイル付けして、本棚に戻してしまう作業が酷く寂しい。そのうちに、一つ戻るたび、私は一つ涙をこらえるのに、また一つ戻すたび、一つ、本棚から落ちていくのだ。たまらない。追いかけてくる何かから逃れるために走るけれど、いつも息切れしてつかまってしまう。どう逃げたら逃げ切れるのかさっぱりわからない。こまった……道順がよくわからない。こんなときに、神保町の駅などを思い出すけれども、付随してやってくる煙がたまらなくつらい。息切れして、死ねといわれているみたいだ。喉に穴があいてるんじゃぁなかろうか。ヒュゥヒュゥ音がしないわけでもなさそうだ。ああ


2004年07月18日(日)

長く短い、春であったように思う。
あんなに素晴らしい女性を私はかつて、きっとこの目に見たことが無い。
顔や性格や、持っているものが最上というわけでは無かった。
だけれど私はきっと、彼女以上のものを他の誰かに見たことが無い。

思えば幸せな季節であったと思う。

終わりすら幸福であったことが、唯一の不幸だ。

愛していると私が言った。
好きで大事だと彼女が言った。
そして別れた。

何故に別れが来たのか、私は理解出来ずに居る。
理由は判っても判別し切れない。

求め合って口付けする、そんな別れ言葉であった。


何も無く此処に行き着く私の意味を感じない。
働き、笑い、他人と話す私の意味を感じない。
私の感情の行方を感じない。
切り替えられてしまう心が、何故一つなのか判らない。
出来るならどちらかを切り取ってしまいたい。
「おいで」ともう言えない。

何故私が此処で息をすることが出来ているのか、
何故私が此処で明日を待つベッドの近くで座っていられるのか、
何故私がちっぽけな作業をしていられるのか、
まるで自分が信じられない。


私が何者であるかいまいち判らない。
名は言えるし冷静にもなれる。
だが一体果たしてそれが、なんだ。
失ったばかりだ


さくま