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嫌いな食べ物「キュウリ」


2004年03月28日(日) 作ったものの理由についてつれづれ(多分理解出来ない、私も理解出来ない)

もの作りに関して、きっと私は、文字や絵やその他の色々を、別段それ程思案の後に行うわけでも無い。私は指を動かして、手を動かして、足を動かして、思いのままにそれを作るだけで、そこに私の表したい何かがあるわけじゃ、無い。
でもきっとそれらは、だからこそ私の一部を切り取ったものになる。

でもねえ。

何も考えてないんだよ。

良くないよ。

裏が、あると思うのでしょう。


何も無いよ。

ただ此処にいるだけだ。


あたしの涙とかに、理由が無いことのほうが、ずっと多いんだよと言っても多分理解しないね。


それを聞かれたら、多分私は幸せなんだよと言うでしょう。幸せという意味も全く分からずに、ただ幸せなんだよと言って、笑って、後に泣くのかも知れない。
そしたらそれを、また裏があると思ってそれを私に貴方は乞うのだ。

乞われても出るのは私の肉ばっかりだ。

切り売りをしてるよ。
内臓や皮膚や、眼球や、或いは鼻。
伸びた爪を私が深く深く切っていくのは、外への理由付けらしいよ。

だって肉を差し出すのは一寸痛いじゃない?


2004年03月25日(木) 今日を思いつくまま書く

今日は酷く冷たい雨が降った。

DOGVILLEを観た。
もう一度観ようと思っている。

今日は酷く冷たい雨が降った。

彼女とキスをしたのは今日は数える程だ。
そしてその代わりに、


クソ不味いイタリア料理を食べた。



今も冷たくて良く指が動かないから、今日はもう書けない。


2004年03月21日(日) 一つの過去話

いつだったか、ある人がこんな話をしてくれたのを覚えている。

戦争の時代には、数多くのUFO発見証言が寄せられるのだということ。
彼女はそれを、UFOではなく、人間がやって来たと思っているということ。
そして人間は、人間でない何かによって飼われているのだということ。

いつだったか、ある人がこんな話をしてくれたのを覚えている。

バイオリズムは一つではなくて無数にあって、一番自分にとって都合の良いものをバイオリズムだと思い込んでいるのだということ。
更に、一番不幸なものをも選びやすいということ。
それは不幸が、人間にとって果てしなく甘いお菓子だからということ。

………。

色々なことを教えてくれたその人はもういない。
私の名前を叫びながら、囁きながら、求めながら、消えたのだそうだ。
病院に行ったがそこに彼女と呼べる精神はいなかった。

私の手元には、彼女から貰った石が幾つか転がったままだ。
それ以上もそれ以下も無い。
たったそれだけだ。
意味も無く、未来も無い、唯の石ころだけがまだ手元にある。
…だがそれだけ。

彼女の部屋には私からの手紙が美しく並べられていた。


2004年03月14日(日) 無題

最初に見た泣き顔は多分ママのだった。
それからお姉ちゃん。
まだパパの泣き顔はまだ見たことも無い。
それからクラスメイトの泣き顔を見て、
最近は恋人の泣き顔ばっかり見ている。

私の泣き顔は見たことも無い。

ごめんね、と言ったものもあるし、
何で泣くの、と言ったものもある。

でもこればっかりは、何も言えないんだよ。

そろそろ死ぬよ。
地球が沈んでしまうんだ。
そろそろ消えるよ。
何も無いんだ。
泣いて、泣いて、泣き顔を沢山見た。
でも私が泣くのはまだ見たことも無いね。
世界が崩れて、崩れてしまうんだよ。
だからもう、どんなに泣いても駄目なんだ。

世界が消えるよ。
いなくなるよ。

もう、あんまり実感が無い。
生きてるって泣くことだね、と私は言ったらしい。
そして、パパは泣いたんだそうだ。


四歳の冬だった。



記憶が無いよ。


2004年03月11日(木) 小説というものと私

何とは無しに、文章が書きたくなることがある。何とは無しに、無意味な単語を連ねたくなることがある。
けれどもそれは執筆と称されるものであってはいけないのだと思う。私は執筆、というその概念に、深く囚われ過ぎていて、文章を書くという気合でモニタ前に座ると言葉が指先から紡ぎ出ない。何も考えずに打った文章のどれもが、紡ぎ出ない文章のそれよりもずっと気に入ってしまうからということも、ある。

小説、というものを書きたいと思ったことはもうずっと前からだ。
だが一度も、それに着手したことは無い。

私の中で小説という部類は、完全に最初から最後まで、美しく構築された城でなくてはならない。感覚と成り行きとで、物理を無視した小説など既に小説では無い。小説とは、最初の一文字から最後の一文字まで完全に見通した上で書くべき高等技術だ。其処に感情のうねりがあってはならない。うねるように見えるその文章も、「そう」見えるように仕組まれている、これは罠でなくてはならない。
全体を書き終えたとき、どんなに無意味なものであっても、作品の一つの部位を構築するものでなくてはならない。無意味が無意味であってはいけないのだ。

…私はこれが酷く苦手だ。よって小説は書けない。私の文章は、私の文字は、私の言葉は、そのとき脳に浮かんだ事象でしかなく、紡がれるうちに変化する、所謂…私ですら何処に向かうとも知れない一つの狂気だ。規則性も何も無い。激しい内面の変化と、言葉の音と、韻と、リズムと、それだけが私の文章の機軸であって―――その私の特性が如何に、小説書きに向かないか、ということも知っている。

何故ならその文章は、まるで纏まりを見せぬ言葉の綴りでしかなくなるからだ。


そして私は、幾度もモニタに向かい、私の作ることの出来ない城を夢見て落胆したか知れない。文章を徒然に書いてもう3年程度。何とも情けない。


2004年03月09日(火) 無意味

こんな日は空が何時もより紅く見える。
通常であれば足元から崩れ去るのを想像するけれど、
実際そんな局面に立つと、
どうしてもそんな風には思えない。

骨の節々が、
やがて少しずつずれていって、
何時の間にか肉を飛び出して突き出ている。
そのままにしておこう。

飛び出た骨は、
動けば動くほど外へ出て行く。
そのままにしておこう。

そして出てしまった。
歩けない。
痛い。
身は崩れたというよりも、
溶けてしまったみたい。
踏まれれば伸びる。
マンホールの中にも入る。

そして痛いと、
そう気付く。

今更気付いてももう遅い。
骨は何処かに落してきたよ。
犬がくわえて持って行ってしまったから…
穴を塞ぐものも無くなった。

足から崩れるのとは、
また随分違うね。
うん、
そうかも知れないね。
そうかも知れない。
だからこうして、
今も少しずつ、
痛いような気がしているんだね。




今日は目が干からびるような日だね。
とっても冷たいよ。











風邪を引くとそんなことを考える。


2004年03月08日(月) ブリキのおもちゃのイメージはこう。

陽気な踊り子が此処に居ました。
彼は言いました。
僕は何もかも失う運命なんだよ、ムッシュ。
観客は笑います。
彼は少し笑って踊ります。
くるり
くるり
くるり
くるり
そうして観客に言いました。
どうして笑うの、どうして笑うの、
誰も僕の足は止められない。
笑いは木霊し、跳ね返りました。
彼は踊ります。
くるり
くるり
くるり
くるり
そのとき彼の瞳から、
一つ光の粒が落ちたのを、
観客は誰も見ていなかった。
アッハッハ
アッハッハ
笑いすぎてもう何も見えないよ。

最後のセリフ、言ったのは誰?


2004年03月06日(土) 夢前後

一片。
嫁。
苛む。
象る。
唇。

欠伸。

嘔吐
嘔吐
嘔吐
渦巻き
嘔吐
渦巻き
嘔吐
渦巻き
渦巻き
渦巻き

消失。



そして朝。
まどろみと記憶と緩やかな曲線。

寒気。

また一歩鏡に進んだという実感と、
加速するニコチン。


2004年03月05日(金) そんな話

それは一つのものを象るらしい。
そうしてそれが壊れたあとに、
何かとても不可思議なものが、
そこから抜け出て霧のように散っていくらしい。

魂とか、
精神とか、
そんな単純な、
そんな下らないものじゃぁない。

散るその瞬間に、
酷く瞬いて人の目を焼き潰すらしい。

ほらあそこ。
ほらあそこ。
ほら、
ほらまた。

そんな風にあの人は、
優しく光り散るそれを教えては、
私の目を一つずつ、
そうして潰していってしまった。

だからきっと、
私はその象る何かが、
一体何であるか、
もうその光を見ることのできない所為で分からない。

ねえ、
もう教えてもらっても、
何も見えないんだ。

「ほら、
ほらまたあそこ。」


さくま