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嫌いな食べ物「キュウリ」


2002年01月29日(火) 1月29日6時25分

 もう直ぐPL様5人ほどとお会いすることになっています。もう直ぐ、と言ってもまだまだ先なのだけれども。矢張り耽美サイトのPL様達だから、耽美服を着ていくべきなのかしら。と言っても私はゴスではないので…持っている数も少しのみ。嗚呼。
 先ず黒髪で、緑の瞳は確定。黒髪なんだから、普通の瞳では単なる日本人のようでつまらない。というか黒髪に緑の瞳、という次点で既にとても胡散臭い。あり得ない。緑の瞳も、あまり世界では見ませんね。ブルーが掛かった、とかそういうのでなく、緑緑している瞳は。どうせなので作り物のような格好をしていくことにしました。
 じゃあ黒ずくめで!と思う私は単純なんでしょうか。いや単純で結構だけれども。黒のレエスフレア。黒のレザーパンツ。蛇皮のブーツ。キャラメル色のロングコオト。これで決まり。

 …駄目ですか。

 本当にこれで行くつもりです。気が変わらなければ。(笑)…あり得る。

 林檎嬢の罪と罰をスクラッチで聴くのは(唯単にCDに傷が付いているだけ)変な思考を齎します。

 然し最近本当に平和呆け…好い加減この私の馬鹿さ加減に飽き飽きしています。何とかして思考をする方向へともっていきたい。昔のような苦悩が必要です。例えば身体と精神の分離状態。

 そういう意味では芸術学の授業を再履修というのは嬉しい結果…。(哀


2002年01月28日(月) 1月28日3時36分

 リストのラ・カンパネラをもしかして私は初めて聞きました、今。酷く今まで嫌悪をしていて、聞くのも嫌だったのですが。何故か今日に限って聞いてみたのです、最後まで。嗚呼。最後のほうはとても私好みですね。
 こんな曲だと知っていたら、ピアノの先生に三年前、「ラ・カンパネラやる?」と問われた際、頷いておけば良かった。そして途中で飽きなければ良かった。まあもう構わないけれども。私の持ち曲はショパンのバラード一番よ。十分貫禄あるでしょうが! 其処等の大人でも弾けないわよ。伊達に二歳からやっているわけではないので。(笑)感覚派だけど…。

 さて。私は最近不安定ではない。然し其れが時に不安になることがある。其れは前にも何度か書いた現象なのだが…つまり私は精神の不安定、というものに慣れ切ってしまい、其れに快楽を見ているからのように思われる。

 ちなみに私は、人に対する反応の仕方が其々である。誰しもそうだとは思うのだけれども。特に私の場合は、好きな人には猫のように懐き、嫌いな人には寄り付きもしない。そして好きな人であっても、たった一言で私の気分は害され、態度が豹変することがある。
 其れはもう既に友達にも指摘され、私の恋人においては其れがとても嫌いらしい。私の苛々、というものは決して私に向くことは無く、他の人に向く。

 私が鬱で、しかも気分が害された場合、私の頭の中の構造はこうなる。

 私は世界から完全に遮断され、周りの人間は煩い蝿。私は如何に其の煩い蝿たちに、精神的衝撃を与え、傷を付け、呪いのように何ヶ月も苦悩にのたうち回すか、其の方法を考える。そして最良の方法で精神的な苛めを行う。其れは長々とやるものでなく、唯一つの行動で傷を付けることの出来る、我ながらに酷く頭の良いやり方だ。

 然し其れは私がそういう状態であるときの話であって、常に其れを考えているわけではない。好きな人にはなるべくそう言った私の精神的な刃を向けたくない。其れは私が今、正常であるからそう言えることだけれども。

 私の精神は強く脆いものです。然しそう言った鬱のペエスは最近めっきり遅くなりました。
 これは良いことなのか、悪いことなのか?

 誰か不安定を私に下さい。誰か私に傷をつけさせて下さい。

 何故皆こんなに優しいのかしら。

 嬉し過ぎて涙が出る。


2002年01月26日(土) 1月26日20時57分

 はい。今現在サイトの改装、というか改名、というか完全に別物にする為の準備をしています。結局は私の趣味サイトになるようです。ギムナジウムのPC達については、余り変わらず、唯過去の作品として載せ、御屋敷のPC達については、未だ同じ様に載せるつもりで。余り変わってません。唯きっと、サイトの印象はがらりと変わるでしょうが。
 所で好い加減にBBSのティ・カップを止めて、ちゃんとしたものにしたいのですが、CGI等全く判らない私にとってはやる気が失せる代物。もうティ・カップのままでは駄目ですか…。それとも誰かやって下さい。

 最近穏やか過ぎて不安です、妙に安定して不安定。こういう期間は何時も不安になる、如何し様も無い。

 私は不安定に慣れすぎた。


 不安定が欲しい。


2002年01月24日(木) 1月24日マイナス何時間何分間

 はい。暇すぎたので新年会のときのやる気のない私の写真を何処かに隠してペエジに載せてみました。(笑)行き成り消したりすると思いますが。暇なら探してみていただければ。
 嗚呼、私は別にビジュアル系じゃないです、唯、周りの女の子達がよく騒いでいるだけで。私はクラシック派です。(笑)

 それだけですが。其れでは。


2002年01月23日(水) 1月23日2時24分

 今、友達が家に居るのですが。私は今日、初めてやくざの方と御話致しました。とても怖かったです。凹みました。(笑)
 今は気分じゃないので説明は後ほど。(笑)何時か。するか知らないけれども。先ずはそれだけ。

 …はあ…。

 私が死んだらやくざに殺されたかも知れません。うふふ。シャレにならない。(哀


2002年01月22日(火) 1月22日18時42分

 可也遅めの新年会を友達三人としました。私は今の所レズビアン、もう一人はゲイよりのバイセクシャル(勿論男性)そしてノンケの女の子が二人、という不思議な新年会でした。
 私は何故か男装させられて、女の子二人にキャーキャー言われていました。「君が欲しいって言って」とか言われて。なんじゃそりゃ、と思い乍もフェミニストとして「君が欲しい」と言った私。馬鹿ですか。嗚呼。(くらり)
 あとは、其の、ゲイの人は女装して、何故か演技指導を受け、絡んだりした写真を撮られました。これは何の罰ゲエムですか。本当に。…。
 サイトに載せる許可を貰ったので、ゲイの人の女装写真をもうそろそろ載せるでしょう。もしかして裏を作ったら、もしかして私の写真があるかも知れませんね。(笑)というかもしかしてオンパレエド。適当主義者。
 何人かの人や、親にも指摘されたのですが。私は如何やらエピキュリアンで刹那主義、そしてペシミストだそうです。運命決定論者はばれませんが。というか知っている人って居るのでしょうか。運命決定論。

 運命決定論とは、人間が体内から外の世界に生まれ出た其の瞬間に、人生における全ての事柄(髪型、顔つき、癖、喋り方から、小さな時間と行動まで全て)を運命というレエルにインプットされる、という考え方です。つまり運命からは絶対に逃れることが出来ず、逃れようとしている、其のことすらも既に運命としてインプットされている、ということです。

 然しそう考えると、エピキュリアンだったり刹那主義であったり、ペシミストであったりするのはその派生かも知れません。
 確かに私は将来が如何、というよりも今にしか興味がないし、快楽というものを求めすぎているとも言えるし、そして世の中を冷たい視線で見ていることも事実です。
 人間の生きる無様な姿と言うものを冷酷に批判することもあります。然し其れはつまり私が生きていることに対する批判でもあるのです。

 彼らは何故、そんなにも何も考えずに生きていられるのか。嘲って罵って、殺してやりたい気分になる。そして其れはつまり私を殺してしまいたいことになるのです。

 然し私は私を愛しています。誰よりも愛しています。どんなに愛している他人よりも、自分を愛しています。そして私に傷を付け、見下す人は許しません。ブラックリストに載る、この二人は必ず私からの報復を受ける羽目になるでしょうね。

 アハハハハ!

 美しくみすぼらしくなってね。(笑)


2002年01月18日(金) 1月18日6時29分

 …とりあえず…。ギムが無くなって、と言うか私のPCが先に消えるのでしょうが、そうなったら私のサイトを日記サイトにでもしてみますか。文章を書くわけでも無し。絵を描くわけでも無し。如何したものかしら。それとも閉鎖してみますか。如何でも良いが。

 兎に角早めに去るでしょう。PBC界から、さくまゆう・璃乃・夜来香が居なくなるかどうかは未だ決めても居ませんが。というか決めるとかという問題でもない。好きならやるのでは。あと場所が好きならば。

 唯思うのは、介するものが無くなって、今まで繋がっていたPL様と喋らなくなることがあるのならば、其れはとても哀しいことですね。其れこそ一時の、ある意味位置を求める行為でしかなかったと判断しますが、私は。

 …唯の趣味サイトにしますか。というか私の趣味なんて無いのだけれど。

 ギム、終わるまでは、終わるときも、なるべく自分の美学に沿ったような散り方をさせたいですね。最後まできちんと散らせたいです。何も得られなかった、という事は決してないのですから。


2002年01月15日(火) 1月15日22時21分

 身体の不調が一々気になる私は、だからと言って自律神経失調症を直そうとは思いません。
 倒れたりしますが!脱水症状も起こりますが!精神安定しないときもあったりしますが!脱力感に襲われて、自暴自棄になったりしますが!そして何もかも捨てたくなったりもしますがね。(笑)
 運動なんて出来ません。あんなに心臓に負担になるようなものが、何処が身体に良いの?不思議でならないわ。嗚呼、確かに歩いて五分の学校に行くのにも息切れするのは異常だと思うけれどもね、自分で。(笑)異常だよ…私。

 偏頭痛も其の一環かしら?其れとも煙草の所為?御免なさいお姉ちゃん、貴方は私の姉であり、呼吸器官内科医なのにね。(笑)
 「二十歳未満吸い始める人のほうが、肺癌になりやすいんだと学会でも出ているのよ、私は昨日其れを聞いてきて、自分でも発表したんだから!」
 アハハ御免ね御免ね。(笑)でも無理です。

 因みに今は首が痛くて仕方がありません。これはプロモーションヴィデオを編集していたから?
 「トマト」と名付けられた私の作品、プロモーションヴィデオは、如何やらシュールで気持ち悪いものになりそうです。
 お題は「人は人を喰って生きる、そして喰われて死ぬ、其の繰り返し。やがて誰一人として人が居なくなり、人間は滅亡する」。友人に散々笑われました。私らしいそうです。まあ学校のホームペエジでも散々気持ち悪いペエジですからね、そう思うでしょうね。血糊を使わずにグロテスクさを表現するなんて容易いものです。今の私には。今の所ね。

 人が食べているシーンって、とてもグロテスクで、性的だとは思いませんか。

 嗚呼首が痛い序でに偏頭痛も起きていました。


 …今日は軽い話で結構じゃないの!(驚愕



 嗚呼、そうだ。私が風邪を引いたときに、徹夜で看病してくれた二人の友人が居ました。一人は私の、恋愛対象になり得る女性で、もう一人は私の身体をあやしてくれていた、私のセックス依存を利用して抱きながら果て、そして一時の身体の価値を測ってくれた男性です。
 話によると、私は熱で魘されながら、彼のことを全て彼女だと思っていて、そして私は、何かある度に「もう良い、もう良い、死にたい死にたい」とうめいていたそうです。記憶に全くありません。熱で記憶が蒸発してしまったように、全く記憶が抜けています。
 風邪って怖い。…何時本音が出ているのか判ったものじゃない。


2002年01月14日(月) 1月14日1時20分

 風邪です。風邪を引いています。もう他人の優しさに一々感動して涙が出てくる自分が可笑しい。如何して何も無い私に優しくするのかしら。見返りなんて求めても何も無いのに。求めているのか居ないのか。他人の事は、判らないから、一々探らなくてはならなくて。でも勝手に出てくる感動する涙が可笑しい。変。

 体が痛い、これは報い?

 人を見殺しにしたらこうなってしまうのかしら。良く判らないけれども。困った。嗚呼痛い嗚呼痛い嗚呼痛い。ル○も効かなかった一昨日。今日は効いてくれるのかしら。其れとももう、身体は薬に慣れた?
 そんなに飲んでいるつもりは無いけれど。常備薬がル○とビオフェル○ンだなんて可愛いものでしょう?

 幼少期、ビオフェル○ンを一瓶位、一度に空けていました。あれってとても甘くて粉っぽくて美味しいから、おやつ代わりにしていたのですが。(笑)


 体が痛くて死にそうです。

 誰か麻酔を打って下さい。


2002年01月12日(土) 1月12日17時41分

 私が過去から抜け出せることは無い。自分の過去も、人の過去も、全て見て。未来に生きるなんて出来るわけが無い。
 私は貴方の過去を知っているし、そして恐れている。

 変えられない事実に恐れているし、貴方の態度に恐れている。

 私に向けられた全ての甘えや、可愛い仕草は、昔は誰かのものであったことを思い出さないで居られるわけが無い。そして其れを自分に見せ付けて、冷酷な眼差しで貴方を蔑むしかない。
 だから私はあの時、貴方を触りながら冷たい視線で観察していた。観察していた。これから如何なるか、昔の誰かは予測出来たか?同じ様にしていただろう。同じ様に囁いただろう。同じ様に喘いだだろう。同じ様に、同じ様に、同じ様に。唯対象が違うだけだ。否、本当は一緒かも知れない。
 愛しているけれども、貴方の過去を憎む。

 私は処女好き?

 嗚呼、そうかも知れない。きっとそうだろう。貴方が何も知らずに、此処に居れば良かった。単なる、性を知らない子供で居れば良かった。

 下らないことに反応する私はまるで過去に囚われた囚人でしかない。其れの何に魅力がある?こうなるのが怖かったなら、拒否すれば良かった。貴方を友情枠だけで眺めて居れば良かった。唯、貴方の恋愛沙汰を垂れ流す唇を眺めて居れば良かった。

 馬鹿馬鹿しいものに囚われて、やがて腐敗して滅亡していく人間の未来を見た。


 環境なんて忘れてしまえ。



 言葉を交わす度に、貴方の息が環境を殺す。



 愛は残酷、自分だけのもの。




 …そして自分を苦しめるもの。







 無償で私の傍に居てよ。

 嗚呼、一年前は誰のものだった?


 其れを私は愛せると思う?

 貴方を今、愛しているように。


2002年01月09日(水) 1月9日23時36分

 暇なので(否彼女がうちに泊まりに来ているが)取り合えず私の生涯とか書いてみようかしら。本当につまらない人生だけれども。
 私は別段、凄い人生を送ったわけでもないし、凄い何かがあったわけでもありません。

 境遇はというと、東京都渋谷区のマンションで、東大理系率のエリートサラリーマンと順天堂台教育学部卒の元小学校教師、やがてストレートの国立医学部に入学し、ストレートで医者になる七歳離れた姉の中に生まれました。この、私を抜かした三人というのは昔に仏蘭西に定住していたことがあり、言葉は日本語であっても風習は妙に仏蘭西染みて居たり、はたまた異常な程に古典的日本文化的であったりしている。夜寝るときには全員の両頬にキスを御互いして、お休み、と微笑みかけるのが習慣であった家庭でした。然し怒られるときは土下座をしないと許してもらえません。(笑)

 私はそういった不思議な風習のある家庭の中で、姉の弾く、美しくない、上手くないクラシック・ピアノを聞いて育ち、二歳からは自ら進んでクラシック・ピアノに触れるようになります。これは今でももう、17年間続いているのですが、私の性格上理論的なことや名称は全く覚えようとせず、つまり「感覚のみで」ピアノを弾いている現在に至っているわけです。よって私に短調が如何のこうの、といった話をしても全く理解出来ませんので悪しからず。

 とまあ余談が過ぎましたが、この家庭、というのは小学校までは自由奔放に育つことが出来、然しながら中学校に入ると同時に猛勉強をして学年一位は当たり前、というようなものでした。私もこれに沿って中学校三年までは生きていました。実際模試で100点など何度も取ったものです。嗚呼これは少し自慢話として。(笑)

 私はこの中学校時代で、学校伴奏者、委員長、優秀生徒、そしてフェミニストという名を欲しい侭にし、他からの憧れもあったでしょう。そして何より重要なのが、この時から私の精神は思春期特有の表に出ない苦悩に気付く、というところなのです。
 私は学校や、自分の部屋から一歩出た自分を、影で「ロボット」と称し、人と接するときにすぐさま計算をし、「嗚呼、この人にはこういう喋り方でこういう笑い方で、こういう場所を触ってやると喜ぶ」と、計算から算出した結果を行動したものでした。
 そこに目を付けたのか、匂いを嗅ぎ付けたのが「美学」でも紹介した里美である。彼女は生まれ持った天才的頭脳(IQは200近かった)を、全て精神分野に費やしているような可愛らしい子でした。私は彼女のそういった、完璧過ぎる弱さや、脆く乱れる姿や、取り乱す行動を美しいと認識し、愛していたし、彼女は私の社会的な地位と、社会に見合う能力と、相反する闇に蠢く精神苦悩を愛していたのでしょう。
 私たちは中学生ながらに「愛」という言葉を口にし、そして多分…擬似恋愛のような状態ではあった。(私には彼氏と呼べる恋人が居たが。)
 彼女は私との(物理的)別れへの恐れを期に、命を立つことを何度も繰り返し、其の一週間前には必ず私に連絡をして来た。「私来週の何曜日に○○という方法で死ぬよ」といったようなものだったが、私は何時も「嗚呼、そう、判った、貴方が先に逝ってしまうのは哀しいけれども、逝きたいのなら逝けば良い。別に止めはしない、立派に死んでね」と答えていた。
 結果的には…美学に載っている文章の想像力を無くしてしまうと困るので結果は書きませんが、兎に角、思春期と彼女との触れ合い、という可也必然のような偶然によって私の精神分野は構築されたと思われる。

 因みに中学2年次に、三島由紀夫氏の金閣寺を読み、私の望む「美」というものの抽象的な何かが判ったのもこの頃である。

 私は通っていた中学校で、多分初めて某有名進学女子校に行った生徒でしょう。高校生の私は、もう中学生のときのように勉学に励むこともせず、だからと言って遊んだりすることもせず、一人で江戸川の土手で五時間目まで時間を潰したりするような生徒でした。学校では苛めがあったわけでもなく、寧ろ私のようなものは苛めにあっても可笑しくないと思っていたが…私は周りに恵まれたのか、何時も暖かく見守られ、理解し様とされ、甘やかされたと言える。因って私は、高校時代は特に精神が不安定だったというわけでもなく、唯、自分がバイ・セクシュアルだと気付いた一つの区切りの時期でもあった。

 全く勉強してないのにも関わらず、何故か最後に適当に受けた大学の芸術学部(クラシック・ピアノではない。誘いはあったが音楽系統は断ったので)の推薦に合格し、入学するのだが、其処で、無意識にでも私の精神を束縛し、締め付け、支配するような(私が思うに)選民思想の女性と仲良くなる。
 彼女は常に上を目指し、食って掛かるような勇猛なタイプで、そして自分の能力を信じている人だった。私は彼女のそう言ったところを愛していたし…常に精神支配をされていた。私は彼女の前に出ると、これから起す自分の行動一つ一つに心でチェックを入れ、彼女の怒りに触らないか、を検査していたように思う。

 今となっては彼女と私の間に鎖があったが、何故其れが繋がってしまったのかは全く判らないし、理解出来ないし、もう理解し様とは思わない。
 私はあるときある人に、「其れは恋愛依存症だ」と言われ、自ら直すように、関係を改善するように行動し始めた。其の途端に、何かを彼女が感じたのか、ぷつんと連絡は途切れ、喋らなくなり、目を合わせなくなった。私は其れを、良い結果だと認識している。
 未だに彼女の着ていたような服、履いていたような靴、を見ると寒気がし、恐怖の念が出るが、其れは教育されたジルベール(風と木の歌より)に近い。精神の教育やインプリンティングとは恐ろしいものである。

 そうして今に至るわけだが、こうして書いてみると全く変哲もなく、時というものは過ぎているのだと判る。
 私は運命決定論者である。

 運命決定論とは良く言ったものだ。間違っては居ないと認識する。


 其れでは。


2002年01月03日(木) 1月3日3時50分

 嗚呼、とても余裕が無いのを知っているだろうか。私は馬鹿みたいにみすぼらしく手を拱くしか能が無くて、然し其れ以上に手を引いたりという行為をしない。私は心の中で物を壊したりクリスタルが弾けるほどに強く抱きしめることが出来るのに、行動には全く其れが映し出されず、唯柔らかく触れたりするくらいでしかない。
 嗚呼こういった現象を理解出来るほど他人とは頭が良く機転が利き、回り回る私の心に付いて行けるだけの精神力が果たしてあるのか。其れなら私は何にでもなろう、理解と言う言葉を忌み嫌い、然し其れを求めることなど。然し其れは不可能に近い、他人とはあくまで他人でしかなく、人間とは常に自分の為「だけ」に罪を作って息をしているのだろう。嗚呼そして私もそうだろう、果たしてそんな動物が寄り添って理解し合えて融合し、やがて永遠を勝ち取れるか?
 嗚呼これは下らない御伽噺などではない、そうこれは現実なのだ。

 愛しているという言葉ほど未熟で悲しいものは無い。

 愛なんて自分自身にしか注がれないものだ。


 嗚呼、人を愛すると言うことは介して其れは嘘、そして其れは自分を愛することにしか他ならない。


 息とは人間とは確かにそういうものだ。


さくま