原初

羅列 回帰



―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰

2008年12月29日(月)
河でも空でもなく、人間です。


そろそろ映画が肌に合っていないのではないかと疑い始めている冬の日。恋空もどうも、あれだ。
昨日の犬神家といい、基本的に文句というか批判しか出て来ないのが心苦しい。バッシングしかないのなら見た意味もなければ、そんな文じゃ読む意味も無いというのに、お付き合いで読んで下さる方もいらっしゃるかも知れない訳で。
それじゃ書かなきゃいいじゃんという結論は、思った事を表せないという不満にいとも容易く負ける訳です。嗚呼自己中人生絶賛謳歌中。
取り敢えず一発変換が犬が三毛と故意空な辺り主人の気持ちを理解している有能なパソコンです。犬がニャーと鳴いた日ですね分かります。

一応扱いとしては実話だかなんだかですっけ? その割にはなんとなしおかしかったり省かれている点が見受けられますがあれかな、これも映画化という制限時間故のものだろうか。
ノンフィクションやドキュメンタリーは、それが真実であるからこそ訴えられるものがある、というのは理解していますが、それにしてもエンターテイメントとして発表している以上は、面白くなければならないと痛感。過度な脚色でテーマを捻じ曲げる事が御法度でも、見て貰ってなんぼの演出もしないのは怠慢というもので。
戦争もののドラマでも劣悪な環境レポートでもなんでも必ず思う事です。作者様であり読者様視聴者様であるべきだ。話を作って貰い、話を見て貰う。ギブアンドテイクや等価交換に通ずると信じておく。

先ずキャラクターに魅力を感じない。百歩譲ってヒロは、まぁ、根は優しいという定番なんだとしても(いつの時代も二次元も三次元も最終的に求められるのはその辺だったりしますが)、行動の一つ一つに疑問が残るというか、例えば愚直や直球な部分は誠意を見せようという素直さやも知れませんが展開を読めていない先走りに映る。妄想に直走って現実が見えていない、とも。
でもそれはまぁ、ロマンチストとかに置き換えられない事も無く、問題はミカの方。先生すいませんガッキーのかわいさ以外あの人の魅力が見つかりません。
性格も言動も、純粋というより幼く、ひたむきというより自分勝手で、健気というより流され易い。必ずしもその限りではないにしても矢張りどうしても、一人称を名前で呼ぶと子供っぽさがより助長されたのも印象に悪い。

初対面や再会の際ヒロに対しその容姿から煙たがるのも、ファーストインプレッションは大事ですしそこで得た情報からしかその後の本質に迫る手立てもないですから警戒は理解出来ますが、教わった偏見に疑問も懐かず生きてきた生温い証拠。
誕生日プレゼントの花を冷たくあしらったのも、実際には引き抜かれた花がかわいそうだなんて思ってはいないのは明白で、紫の薔薇の人(違う)がヒロである、という現実を上記の理由で直視出来ず手っ取り早い拒絶の手段を探した結果博愛主義に見せかけるとか反吐が出る。
他細かくいうととても長くなるので中略して、結局最後は彼女はヒロの元へ走る訳ですが、それはつまりその間に付き合っていた彼氏はただのお慰みだった訳ですね判ります。

ただ若しかしたら、これは演者の方のせいも多少噛んでいるのやも知れない。正直、新垣さんに演技力があるとは思えないんだなぁ。
レイプされた時の震えぐらいは見れたものですが、そうした弱々しく保護対象になるような哀れっぽさは元々の線の細さでなんとかなっているのだけれど、他はただただミカの子供っぽさの強調に終始してしまっていたような。妊娠し更には産もうと覚悟を決めた、一度は母親だったようには、とても見えない振る舞いに顔つき。
父とムスメの時はすきだったじゃん、と振り返ってみつつ、若しかしたら、若しかしたらですよ古い記憶を辿った上での結びつけなんで強引で間違っているやも知れませんが、父とムスメの時は、いい歳こいた親仁が女子高生になってまいました、という不自然さ込みでの、及第点だったのかなと。
つまりロボット役ならもこみてぃが大ブレイクする、とそういう事です。NPCお嬢様のエルメスたそなら美咲さんが持て囃された、とも類似していますかね。

で、やっぱり、話を見終わっても得るものが無い気がするんだよなぁ。いや彼女の成長する姿に心を打たれた方にはまっこと申し訳ないんですが。
そこについては、設定の難はありつつも、これがノンフィクションの体をとっているからじゃないかと。
先述していたキャラクター性にも通じるんですが、根は優しい不良なんてステレオタイプに、何処にでもいる平凡な女学生とこれまた定型の、『ちょっとしたハードルもあるよ☆ラブストーリー』なんか腐る程ある訳で、それも漫画のみならず実生活にごろごろ転がっている訳で。
それでも敢えて漫画でやる場合、相手を学校中のアイドルや一芸に秀でているなど付加価値をつけ、主人公に己を投影した場合憧れても無理の無いパーソンにするなり、逆に己にひたすらコンプレックスを持ちながらもそれを克服するきっかけを与えてくれた、というような起承転結の真ん中が必要になる。
純愛ったって、恋愛している間は皆様基本的にこの人しかいないと思ったり世界で一番だいすきと思っていらっしゃる訳で、過去として振り返った場合の既に己の中で整理がついてしまっている記憶や、何処かの誰かの話に尾鰭がついた又聞きの噂なんかで、それは純愛じゃないだのなんだの決めるのはフェアじゃない上ナンセンスだ。
そんなものその時生きている本人にしかわからないし、わからなかった感情を後で名前をつけても合っているかどうかは、本人にすら答えはない。
ですから何一つ特別な要素無く、敢えて映画なんて媒体で見なくたって、ちょっとその辺の人捕まえてコイバナの一つ語って貰えりゃおんなじものはい出来上がり、という、薄っぺらさ? これが恋空であるがこその魅力? が感じられない。

しかし話が悪いのか映画が悪いのかわからないので、なんとも言えないなぁ。削られた箇所に挙げた不満点を解消するものがあるやも知れないし、ただ、括ってはいけないと思いつつも、まさかの絶望を味わったケータイ小説だからなぁ。今度からやおいはBLじゃなくてケータイ小説の事を指せばいいと思うよなんて笑いたくなるくらいの香ばしさだからなぁ。
どちらにせよ、矢張り編集さんが口を酸っぱくしていうキャラクターの魅力と、読者の共感役、というのは大事なんですね常考。



2008年12月28日(日)
生も時代も流動せしものなりて。


エヴァのユニゾンの回は勿論の事、何かと引用が多いので気になっていた犬神家を見てみました。そしてユニゾンと打っている間にシンクロがよぎったのかユニクロとか打った自分を殴りたいです。
結論から言えば、なんだこれ、なんですが。あの例によって文句ばかりなのでファンの方は部屋を明るくして画面から離れてヌルーしてあげて下さい。

あの、金田一さん、必要だった? 何をしょっぱなから話の根底覆しているんだですが。
何一つ事件は止められず、また作中で大して推理を披露してもいない、所詮その孫や子なんで違うコナンで育った世代ですからミステリーに造詣深くないんですが、最後の纏め役と言うくらいしか印象に無い。

映画というものだからやも知れませんが、説明不足な点が多過ぎる。
確かリメイク版だったと思うんですが、昔ならいざ知らず、斧琴菊なんてワードをそのまま話されても現代ではそれ程ぴんと来ないような。因みに自分は何か漫画で見た記憶がありますが多分コゲどんぼ氏かなんかの(それはどうでもいいから)。
ビルマについても、時代に即して説明を一言二言添えて欲しい。一種の専門用語と同義で、最早それ単体で誰しもが理解出来るものではなくなっている気がする。
猿蔵もなんの意味があっての配役なのか。勿論探偵ものですから犯人候補が多いのは構いませんが、なんていうか、関係性? ミステリアスな雰囲気が解明されないまま謎になるって、それどうよ。だってこれ探偵ものなんだろう。まぁ、全てを暴かなければならない事もありませんが……
珠世と佐清の間柄も、匂わせてはいたけれど、気がついたらロミジュリっていて、いつの間にかそんな決定的なシーンがあったのかと。まぁでもこれも猿蔵と同じで、なんでも説明するのが美徳じゃないって事だろうか。
それから、遺産。人がいつの時代も金に目が眩むのは百も承知、怨恨じゃない殺人なんて事故か金銭以外にはなかろうもんとは判りながらも、たかだが贅沢の為に、人の命を奪い、己の人生を棒に振る、なんて馬鹿馬鹿しい心情が全く以て理解出来ない。
それ故に醜いだけの相続争いも莫迦みたいに駒を溺愛している姿も釈然とせず、結果作品全体に対しなんだこれ、という感想になってしまったのかなぁ、と。

しかし時代による難も多分にあるとは思います。先のビルマの他、一企業が村を支配するなんて前時代的な、と思いつつ地方の事は知らないので今もそうした王制だったらばすみません。
でも、それは、仕方のない事だ。当時の時代背景を考えるのも大事ですし、この時代ならばこんな風に思っても当然かもと追想しても、所詮過去に思い馳せている時点で正しさなんてないし、現代に生きている人にとってはただのifだ。
平安の時代に男が女の元に通うのがお付き合いだったのだとして現代ではそれをアッシー君と呼んだりもするし(死語だ死語)、結婚前にセックスするのが恥だったのだとしても今では寧ろ躯の相性も判らず結婚出来るかと言う通説。
その時代に生きている人間には、その時代のルールが必要で、そしてそれに合わないと感じた人が新たなルールを作りそれが賛同された時、それがまたその後のルールになっていくんだ。



2008年12月27日(土)
君が一番似ていた何か。


昨日の日記の夢は正確には数日前に見たものなのですが、今日見た夢がやっぱり惨劇で、そろそろお脳の保険に入る時期が来たかと切なさに乾杯しています。いっそ病院へ永劫に。
これもまた口にすると微妙と言うかどうせならネタとして使おうとか考えているのでその根性の図太さは兎も角、なんなんだろうなぁ。
続きではなく、絵のタッチも違う。全く違う人生を歩いていた二人が、我が脳内で死んでいる。予知能力だというのならもう少し模写にしておいて欲しいところですし、願望だとしたら静かに豚ばら肉辺りにでもぶつけておくとして、何処からそれらはやってくるのだろう。
戦慄の展開である点からも、自分が漫画やアニメとしてその情報を入手したならちゃんと覚えていると思うんです。だがその気配は全く無く、さりとてキャラ立てがしっかりしていたり、するのは何かしら元があるのだろうか……
触発されている何かがあるのなら掘り返したいし、日常生活から夢に滑り込んだと言うのなら、今後も上等受けてたちますが。
取り敢えず自分があんな最後を辿るのはいやだなぁ、と嘆くような血のバレンタインっぷりです。



2008年12月26日(金)
全国的タイフーン。


相変わらず益体も無い夢を見ておりますが、その中でも今日のは凄まじかったので、一体どうしようとか慌てる自分がいます。
特に既存のキャラにこれといって似ている訳でもないアニメ絵は、詳細は忘れながらも雰囲気としてはありがちにストーリーを進めていたんですけど、ぶっちゃけ凄惨な死に方をされた訳です。理由も方法も。
その瞬間に目覚めた訳ではありませんが、その手順とかを、目の奥へ焼きつけられたかのように覚えている。寧ろそれをリアルタイムで横で眺めていた感覚、そこからどうなるんだろう、と思っていたらいきなりそいつは、ぶっちゃけ第二段、自殺して、え、え、と途惑うばかりの自分に、その男の側らにその道を選んだ理由が転がっていて、えー!! と、だいぶ抽象的で申し訳ありませんが。ちょっとグロいんだww
夢って結構、なんの役か知らないけれど自分が参加している、という感覚のものが多い、或いは覚えている気がするんですが、完璧第三者でした普通に読者でした。
それがまた、単純にロープ用意して首吊りとか七厘用意して練炭とかだったらそのフラグも考えていられますが、真面目に唐突だったものですから、寧ろその衝撃で目覚めとけよ一度、みたいな。
唐突さと、壮絶さと、仕掛けられた感じとが、謂わばネウロを感じさせるような幕引きだったので、どうしようおれの脳内何処かしら危ないんじゃないかなだってネウロだぜ脳噛まれてんぜ。
でも折角なのでいつかネタとして使おうと思っている自分はもうとうに末期なんだと思われますあれこれ作文?



2008年12月25日(木)
完璧に辿り着いたら終わりの証拠。


最近日記の媒体を変えようかなと検討中。それも所謂ブログというやつに。
まぁブログ自体はウェブログの略なんですからなんでもブログに当たりますがそういうあれは兎も角として。
最早やっていない人の方が少ないんじゃないかという程に普及しそうした意味のブログが定着している今、例によって持病の癪は大変その思いを掻き消したくてたまらないのですが、一方で概ねのブログに設置されているものが欲しくてたまらないんです。

記事のジャンルごとに分類出来る機能なんですが。
内容が日記ではなかったりそもそも週記だったりなんだかんだそこそこ長く続いたものの、故にごった煮、混沌、カオス過ぎて、はっきりいって読み返そうという気にならない。
その点索引が出来ればどれ程楽かと。例えば振り返りたいのがエヴァの事だったらば、ぼんやりとした記憶の中で近しい日数をぱらぱら目通さずとも済む訳です。
ドッグイヤーなりポストイットなり目印があれば便利なのと一緒の原理なんでしょう。
でもその為に適所を探して登録するのめんど以下略

それと、個人的な強迫観念ですが日記というと、一スクロール分は文章で埋まっていないといけないような気がするんですよ。
実際には一頁ぎっしり文字あると微妙な気持ちになる方もいらっしゃいますし、そんな水増ししても詮無いですし、まぁ極端に長い時のあれはノリで楽しくやってますからそれでもいいんですが、えっと違う脚色したりするのはすきなんですよ無駄に言葉を羅列するのは。
ただ、一つ一つが短くても見栄えがするよね、とそうそうそういう事が言いたかったんです。
まぁでもやっぱり探すのめn以下略

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お前打ん殴られたいのかww



2008年12月24日(水)
まだ、前の夜に過ぎません。


それでも浮かれモードにピークに達するのだから、まっことこの国は他国の他教をカジュアルに取り入れますねw
そんな素晴らしきフリーダムの国民の自分が出来る事といえば今日も今日とてぼちぼち箇条書き的なエヴァ話。
おま、それ以外なんかする事ないのか!

・ロンギヌスの槍がないからリリスが駄目になったのに初号機の時に戻ってきているならやっぱりリリスで出来たんじゃ。
ゼーレの会話でリリスが駄目になった理由をそう語っていた気がするんですが、帰ってきたじゃまいかと。アンチATフィールド発生装置という役割は理解したとして、なんでロンギヌスが無いとリリスは駄目なんだ?

・シンジは神経症的な意味合いでのナルシシズムを抱えているんだろうか。
所謂現在ネタにされるナルシストではなくてね。神経症というよりも、生育過程不全のがより近い気もしますが。
そこからの離脱が一般的な成長、或いは社会への適応と呼ばれる点も含めて。
まぁそれはお前だろと言われたら太刀打ち出来ないんですがww

・シンジが求めているのは母性に似ていて、そしてアスカはそれを否定していた。
それでも、母親との邂逅によりアスカが大切さを見出したのなら、それが二人にとっての大きな変化?
もう一方で、

・シンジは他人と生きる世界を望んだのにアスカを手にかけようとした。
それは一人で生きていく恐怖よりも、アスカに拒絶される事がこわかったから。
とすれば、シンジ×アスカはやっぱり公式カプリングでオッケイなんでしょうか。
そんな僕はアスカが大すきです。
某所で某方にも言ったんですが、レイのような知り覚え教わる成長よりも、トラウマに終わった過去からの痛みに傷つき現実を受け入れられないアスカの方が、ある意味では共感や投影の結果否定したくなるけれど、結局は帰ってきたくなるんです。生きてるって、ひたむきで、がむしゃらな事だよ。
ので24話はカヲル君とアスカ様最高潮の素晴らし過ぎる具合。



2008年12月23日(火)
若しかしたらの前日。


珍しい相手から珍しい内容で珍しく相談らしきものを受けたものだからもうそろそろ末期なのかなとか思うそんな僕は時折残酷なテーゼ。
いや、先ず、その人が自分に相談をしようという思考に至りそうな気がしない。見下してはいないだろうが、同等の立場には見做していなかろう。
それでもそれは現実に起こった事なのだからして、ちょいちょい疑問点を差し挟みつつ話を冷静に分解、分析する。
さりとてまぁ、結局はその人の現状把握以上のものは出なかった訳なのだけれど。基本的な思考パターンに似通っている部分があるのでそれは仕方がないとも取れる。というか現状と打って玄奘と出すこのパソコン打ん殴ってもおkですか?w
おそらくは、新たな見解の要員としてではなく、単純に自らが整理し直す為、或いは異常点が無いかをさらう為の、謂わば聞いとくだけの役を求められていたように思う。
ま、人に話すだけでもいい、というのが悩みですし、個人的には文字で見直した方がスムーズですが、要するにそういう事をしたいのだろうな、と思うと。
おいおいそんな相手さえおれしかいないのかよ、とついその人に同情ではないが哀れみの手くらいぽんと肩に置きたくなる。信用なんて、とてもない発想。

ただ、その人は最終的に、他人の重度の精神的悩みは聞けない人なので、今回相談を受けた事柄の最終的な解決が心理的要因の解消である以上分野違いとして、冷徹に現実処理だけして誰かに任せた方がいい、という結論に落ち着く。
誰かが精神的なものから来る悩みを抱えたり病気になったとても、面倒臭いと思ったり、怠け病だと決めつけたり、それはその人が精神的に参る事がないからで。尤もこの相談を自分に持ちかけている件が既に重症っぽい気はするので断定はしませんが。
優秀なのです、根本的に。人の力を借りられないのならば己が二倍頑張ればいいと思って、それを実行出来てしまう。八方美人の器用貧乏だから、なんでもそこそこ人並か以上になれてしまうし、その範疇に至るまでは努力を努力とも思わず手を緩めない。
故に、頑張っているのに身につかない苦しさだとか、その姿勢を周囲に理解されずプレッシャーになってしまうだとか、考える事柄が多過ぎてパニックになってしまい何も手につかなくなるだとか、夢と現実のギャップだとか、そういうものを理解する事が出来ない。
クイズ番組を見ていてなんでこんな問題がわからないの? とでも言うように、何故この程度も出来ないの、と悪気無く思い、しかし口には出さずじゃあいいやそれで出来た穴は埋めよう、だの今度からは自分でやろう、だの、手間隙かけて育てる事も別の誰かを見つけて分担する事もせずどんどん己に負担させていく。しかし鈍感な分鬱病にはなれない為、最も逃げ道が無いタイプとも取れますね。過労死になる人にも似ている。
決して、単純な訳でもないとは思うのだけれど、人と人とが他人同士である以上、歴然として理解出来ない壁があり、それは自分とその人の間にもあって、それでいて面白いものだな、と。
大凡の人は、精神的な弱りを経験し、その痛みから手を差し伸べられる人と、見たくもないと拒絶する人がいて、きっとそれくらいはあの人にもある筈なのに、まるでちんぷんかんぷんなのだからして。
ちょっとしたカルト宗教にすら似ている気がします。あれが篭絡させる手段は精神病患者を回復に向かわせる治療の途中、心を開いた辺りで放置する事にあるんだそうで、この人も人の話は聞けるしアドバイスは出来るけれど、上記の理由から言って欲しい一言だとか回復には至れないんだろうな、と思うと。



2008年12月22日(月)
言えないの? 云わないの。


僕のバイブル、コンシェルジュではクレームをいうお客の方が大事という。
確かに、何も言わずに離れていかれてもその事実に気がついた時にはとっくに遅く取り返しのつかない事になっているし、何が原因でそうなったのか解明出来ないままに同じ過ちを繰り返してしまう。
何も言わずに離れていけば楽かも知れないが、例えきらいになったとしても傍にいたのは一時でも親しみがあったからで、そうして逃げ出すのならば本当は愛していた事にはならない。

気がついてみれば、上手く乗せられただけの気もするし、きちんと理解出来ていなかったに過ぎないのやもしれない。
どういった対立が、どのような原因を元に、関係し合って生まれたと、一体どれだけがリアルタイムで理解出来るというのだろう。
充分なエクスキューズではなかったと文句ばかり言ったって仕方がないのだ。
離れていく人に、附いていくというのがどちらに対してもなんとまぁ失礼且つデメリットまみれなのかと、気づく事は出来なかったのだろうか。
その行為が、今まで言われなかったから気がつかなかったと傷ついている人達にとって、どれだけの裏切り行為に見えるのだろう。
結局両方とも残らなかった現状が丁度答えのような気もするし、所詮は発展途上な気もする。

或いは、今度はそうする立場になって、それではあんまりだろうかとも思えてくる。
どうしたって相反する時はある。違いは愛で尊びたいけれど、気を遣い合って互いを削り合ってまで一緒にいるのはナンセンスだと、思うから。
しかし相手にしてみれば実に一方的な通告に取れるのかもしれない。何せそれまでは仲良しこよしに少なくとも曇った眼には映っていたのだろうからして。
だが言ったところでその台詞は聞き届けられるのだろうか。途中で中断され最後まで言い分を聞いても貰えず、選んだ言葉も煩いと一蹴されて、ぐしゃぐしゃにされてしまうなら無意味だし、そしてそういう人達だ。
いっそ文章にしてしまえば全てを読まねば反論は出来ず、という点で個人的にも好みが合致するのだけれど如何せん昔気質故に文字なんて況してメールだのなんてにすると礼儀を欠くだとかでやっぱりきちんとは見做して貰えない気もする。
此方にしてみれば、ああ言えばこう言うで結局人間なのだと見ようとしない身勝手な行為、或いは都合のいいコマとして利用したいだけなんだろうとかしか思えないのだが到底。
そんな誤解まみれで嫌気が差して誰も何もしない世界になるなら、莫迦みたいでも傷ついても、叫んでいたいというのは、ただの狂気なんだろうか。
阿呆なんだろうな。



2008年12月21日(日)
不都合な真実。


昔は理解のない事が不都合だった。
しかし今は奇妙なまでの歩み寄りを見せるのが不愉快に感じる。
それだけ浸透したとも言えるし、中途半端にファッションのよう言っているだけの気もする。
誰しもに有り得る事だという認識になったのは結構な事だけれど、誰だってなるから特別視しない、というのも少し違うのではないかと。
度々聞くのは、風邪なんかで、という文句。しかし実際に風邪の状態は、諸症状が多過ぎる故確かに程度にも幅はあれど喉が痛けりゃつらいし鼻が痛くたって苦しいし熱があれば動くのも大変だ、というのを忘れてしまう。
人生に一度の大病でもなければ、珍しい奇病でもないからか知らないけれど、誰しもが程度の差はあれその苦痛を知りながら、故に軽んじると言うのは、それは違うんじゃないかと。
多少異なるも、多分それと同じ事を、別の件で感じています。
確かに誰しもに種はあるよ。そうなる可能性を秘め、そうならない程度なら恒久的に持つもの。
確かにみんなが知り始めたよ。正しいか否かではなく、その名前と、ある程度の症状を。
確かに周囲に一人や二人そういう人が増えたって、聞く機会が多くなったのは、その人が知り始めただけなのか自覚を促がされる機会が多くて自己申告が多いだけなのか。
特別視はごめんだけど、その程度と呼ばれるなら、それは結局正しい流布にはならなかったという何よりの証拠。そのなり方だけ教えて、対処法も療法も教えない、中途半端に放り出すカルト宗教みたいな事ばかりこの国はしているから。
本当に深く患っているのか、医者にいけば取り敢えず病名をつけなければいけないからと与えられた名前をさも特権のように振り撒いているのか、わからなくなるくらいなら、白い目剥かれた方がずっとよかった。



2008年12月20日(土)
纏められても、投げ出されても。


今季見ていたドラマというと前クールの魔王の流れから流星の絆、ジャケ買いでコミックスに何度か手を出そうとしてはやめていたブラッディマンディの二つ。其々が終わりを迎えたのでちょっと呟き。
出来る限りネタバレをしないようにしているつもりだったりするけれど微妙です(言い訳が長い)。

先ず流星の絆は、小ネタが面白かったです。原作がどうなのか知りませんが、つまり所謂クドカンテイストなのかという意味で、しかしこれのお蔭で重たくなりがちな本編を面倒にならずに追えたので。
但し最終的な流れには個人的に疑問。元来よりの疑りぐせにて、これだけピックアップされている人間がそのまま大当たりじゃつまらない、と犯人探しも抜かりなく続けたものの、考えられ得る、裏切られると痛くて犯人だと驚く人、が一人しか配置されていなかったので。
それから、美し過ぎる流れ。綺麗に纏まり過ぎていると言ってもいい。後述のブラッディマンディとはある意味対照的ですが、予定調和感が否めない。
勿論の解決方法から(まぁ此方は王道と呼べるとしてもだ)、主人公サイドとする以上これまでの所業を放置プレイが出来ない事も、ラストシーンのあり方も、なんだかなぁ、と。
思いっきり出過ぎていて逆に反感を懐かないというトリックにてまさに特別出演の某方は、ドラマから見ているからか別にいいんですけどね。
作中で激昂してみせたポイントを容認しているのは、その怒りが本当に男ではなく兄としてのものだったからなのか、それとも無神経王子の人柄を認めたからなのか、どちらにしてもその解説が欲しかった。
正確にはいい人っぷりのアピールは濃かったですが、それは悉く功一の神経を逆撫でしまさに無神経の名を恣にしている証でもあって、それがすんなりオッケイに繋がるステップアップとしては最後の取引くらいしか思い当たらないものだから、なんだ結局世の中金なのかとかちょっと捻くれてみたりもする。
ちょっと拗ねているのは、解決したらそのままで投げ出されてしまったから、というところもあります。執念は、悲哀に負けるのか? 悔しさや情けなさで、代替となるのか。
手を汚せとは言わない。尤もらしい後日談じゃなくたっていい。だけど自立の覚悟と共に我々が垣間見る事の許されず流された時間で蟠りが多少飲み込める程度に解決したというのなら、そここそが見たかった葛藤じゃなかったのか? と。
まぁ、だから最後にして、毒は全部犯人に持たせているところが、綺麗過ぎて、やや人間味が薄っぺらくなったな、と。

ブラッディマンディは、あれですねどう考えてもこのクールで完結させられないよねという原作付きにありがちな展開でしたどうもありがとうござ以下略
マガジンを購読続けていればよかったんですが僕の中のマガジンの歴史はまだKYOがやって以下略



2008年12月19日(金)
どうも、基本的にネガティブです。


映画を観る会の知人たっての希望で『私は貝になりたい』を観てきました。
という事で(元々リメイクなのでいいかなと思って)ネタバレ交えつつ文句です。えぇ、文句です。

先ずはそうですね、こういった事を口にすると以後外に出る際に気をつけなければいけませんがしかし敢て憚らず言おう、
僕は天皇様がきらいでよかったです。
空想上の宗教や現人神はすきですし利用しますが現実に私は神ではありませんといわなければならないのはどちらの立場もナンセンスだし、太陽の化身だからどうだってんだと。この間旅行で伊勢神宮に行った時もそんな具合で大変不信心でしたが、なんてったって神様なんです懐深くそれくらい許して下さいますよね?

さてその神の命令だと喜び勇んで命を散らし或いは刈り取ろうというのだから全く素晴らしい意識ですねそんな時代に生まれなくてまっことよかった。
ただ、現代風に多少カスタムされているんだろう事を差し引いても、あくまで、本当はいやだけど逆らいようがないからせめて腐らず従えるよう無理に昂揚していた、という向きになっているので、それならばまだ理解のしようもあるのですが。実際はどうなんですかね。
そんな感じで戦争映画にも拘らず序盤から不謹慎に笑っていたのは自分です。他の観客といっても御老人方しかいらっしゃらなかったのですが、後で考えると中々危ない行動でしたね自重しなければw

で、話はすっ飛ばして。というのも、それが出来てしまう内容だから。
制度によるごたごたを見せてはいたけれど、敢て語るべくも無い、簡単に粗筋で事が足りるような、中身というとそんなところです。それでもこれから語る事の為にざっと紹介すると、下っ端であれど、否だからこそ命令が絶対であった軍人が、敗国になった為戦犯容疑をかけられそのまま冤罪で拘留される、と本当にこれだけなのですが。人との交流や心情の揺れ動きはありましたが、特筆すべきものもなく。
だから、そこなんですよ。米兵との絡みにときめきの欠片を懐きはしたけれど、全般的に浅く薄く味付けされているから中々深入りしたり熱く語るべくもない。まぁ、史実に基づいている、という点では仕方の無い事なのやも知れませんが。
ただ、個人的な話勝利国では英雄で敗戦国では戦犯、というのはおかしい気がする。両方共に戦犯か、さもなくば勝利国こそ戦犯であるべきだと思う。勝ちとはつまり、高度な政治的判断などを含めながらも簡潔に言うならばどれだけ人を殺しどれだけ国土を焼いたか、の割合。それならば負けた方こそ死亡者は多いのだから、虐殺に値するのは勝利国であるべきだろう、と。
なんていってもこの世は弱肉強食、勝てば正義。
言葉の不一致という問題を抱えたままの裁判に公平性は見出せませんが、勝利国のお楽しみである裁きが同等である必要性もないのだろうなと思うと、余計にそれはしみじみと。

そしてタイトルである、貝になりたい、という言葉。それは遺書の一文。
遺言を薦めた教誨師という立場にもまた疑問があるのですがそこは勝手に悶々としておきます、主人公は戦争中の人を人とも思わぬ体制、戦後の不当な扱い、そして今に至るまでの嘘と言葉の無意味さに、人間である事に絶望し、もう人にはなりたくない、という思いでその表題を記したんですが。
結局こいつは、この全編を通して何も得る事無く此方にも齎す事無く終わっていく為体、というのが率直な感想。
基本的に物語とは、その始終で違っていなければならない、或いは同じである事に意味を持たせなければならない、と思うんです。
何を知るでも何を変えるでも何を失うでも、誰かの生き様の一瞬を切り取ったものを見つめる我々が、どんなものでもいいから感じられる、何か。それが存在しないのならば、どうしようもない。勿論訴えているのに受け取れないという不一致は何処にでもあり、そしてこれに於ける自分の見解もただのそれでしょう間違いありません。
この話は戦争はむごいとか一市民の声なんて届かないとかそんな、反戦メッセージか虚無をも超える慈愛を懐きなさいと訴えるけれど、それは渦中の話なのだから当然の事として、この主人公自体にはなんの魅力も成果も無い。
人を殺した罪悪感に苛まれるでも、戦争というまやかしに踊らされた抗議に具体的な行動を起こすでも、その命を賭して誰かを救う或いは何かの礎となった訳でも、なんでもない。
ただ勝手に絶望し、ただ勝手に恨みつらみ、ただ勝手に、処刑された。
ここまで言ったら最早ネタバレどころではありませんが、その遺書のメッセージは、正確にはもう夫にも父親にもならず深い海の底で誰にも邪魔されず戦争にも巻き込まれない貝になりたい、とあります。
冗談じゃない。貝にだって生存競争はあるし、真珠や食用の養殖として人の手に翻弄される。貝を嘗めるな。とまぁ貝擁護はそのくらいにして真面目に。
この人は己を救おうと奔走してくれた妻さえ捨てて、ただ一途に帰りを待ち、或いはまだ見ぬその顔に思い馳せる事も無い子供達さえ置いて、自分だけ楽になりたいとのたまっている。
妻の行動が無駄にされた事に怒るのではなく、子供達に寂しい思いをさせる事に心配するのでもなく、ただただ、一人勝手に、もういやだって。
元々この主人公の言い分などには納得しづらいところがありましたが、最後まで見ても、それは変わらなかった。寧ろ腹が立ってばかりだった。
境遇は同情すべきなのだろう。人の弱きところをえぐいくらいに書いているから逆に受け入れたくないのやも知れない。
でも、そいつ自身は何も遣り遂げてなんていないじゃないか。陳腐でよければ、例えば家族愛を貫いて死ぬのならば、それが彼の成し遂げた事として一応は認識出来たのに。多分すっきりはしないだろうし、それはそれでやっぱり陳腐だと文句をいうのだろうけど。

とまぁ一通り文句を並べてみましたが、個人的にはバッドエンドだいすきなので最後の声のトーンの狂いっぷりったら、素敵でしたw
ただ、主人公がすきじゃないだけです。漫画家志望者指導コーナーにようけ書かれている共感、というのが大事なのは、そういう意味かなぁ、と漠然と。
尤も戦時中の子持ちの男親の気持ちなんて、接点の無さから共感は難しいのだろうけど。



2008年12月18日(木)
あのひふたりがみていたものは。


某漫画を見ていての思索。
いわない、という事が、よい選択だと思っていたのだけれど。若しかしたらいわれる事を望んで、或いは待って、いたのだろうか、と。
でもその辺如何にも自惚れとか自重しるって感じで釈然としないんですが、お前のそんなもやもやとした気持ちなんかどうでもいいんだよ。なんでも曖昧にしたがる否定をいちいち受け入れていたらばとても真実という名の自己満足か勘違いの究明なんて出来やしないのだからして。

いっても、仕方のない事だと思ったんだよ。
どうのしようもない、変えようの無い現実というものがそこに歴然と横たわっていて。
足掻いても、叫んでも、壊す事は出来ず、忘れる事か、順応しか用意された答えはない。新しいものを幾つ見つけても、自他共に必要以上に傷ついた後で好転はしないものばかりだった。
諦めでも、受け入れでも、いいけれど。最早囲い込まれた状況の中で、呟く事の意義がわからなかった。
だから、云っても、意味なんて無いって。

それに比べてデメリットの多かった事多かった事。
先ず、無駄にシリアスになる。個人的にはそういったもの大歓迎だが、誰も彼もがそうである訳ではない、という事くらいは昔から理解しているので、それに面倒だとか手を出すんじゃなかったと後悔させてしまっても、後戻りの道を作ってあげられない。引き摺り込んでおいてそりゃないだろう、と。
それから、そうでなくとも内容がとんちき過ぎる。それについてはまた後日述べようかと思っているんですが、どうやら妄想ととられがちで、まぁ妄想人間なので別に妄想が悪い事だとは思いませんが(病気として診断される妄想はあれですが既に人様の迷惑なので却下ですが)、穿き違えられるなら、何も知られないままがいいとか。
何が、何かが、変わるのだろう、変わるのだろうか。だけど変わるものについて、理解度が高まるというよりは、奇異の目で見られるか憐憫の情を寄せられるんじゃないかと、それまでの経験から予測してしまう辺りあれなんですが、無駄な荷物を背負わせる恰好になるのは、大変気に食わないな、と。本人には本人の生活があるのに、あなたしかいないのと言わんばかりがっつりこっちの事を打ち明けられたら、多分とても真面目に取り合ってくれるのだろうから、それはもうそこそこ真剣に考えてくれてしまうのだろうから、だけどその果てに、大した答えなんて無いもんだ。
別に自分が考えられる範囲がこの世の限界だなんて思っていないですし、況して全てなんてとんでもない。誰かから全く新しい視点、刺激を与えられる事を人は皆常に求めているものです。望むと望まざると、或いは意識的に無意識的に。

それでも、自分にとっての新しい可能性より、誰かの自由な時間を奪う事は憚られた。
頭の中の整理をするより、その時に生まれた余分をちょっと持っておいて、という方が難しかった。
自らの心の安寧よりも、誰かがただの、友達であってくれる事を願った。
でもそれが結局ただの自己満足で終わっている辺り、信頼に値しない、ととられるのかな、と思うと、それはそれで大変マイナスなイメージだ。

しかし最早後日談と化しているものを明かしてみても微妙だな、とは先日思った事。
それからその誰かにとっても、いつ頃に話されるのかというのは多少関わると思うのだ。人は日一日過ごす度に劣化していく。磨耗していく。疲弊していく。
その一部を、なんとかレコードのよう掘り込んで理解力に還元しているに過ぎない。なんてちっぽけなんだ。故にその幅が広い内に、つまり早ければ早い程、印象に残る事は神話かトラウマにしかならない。
フィクションだと疑わないのなら、相手を鬱にする自信がおれにはある!(やめれ)
まぁその発想が既に中二というか、大丈夫みんなトラウマしか持たずに生きているんだ。何故か? 危機的状況として生命保存の法則から脳が記憶し易いんだ。という受け売り。
だけど本当は全然そんな事も無くって、面倒臭い惰性か、仕方がないから飼ってあげているか、気持ち悪いけどかまわないと殺されるという恐怖か、そのどれかなら、僕はその歪んだ度胸を喜んで愛情と呼べるのに。そんな風にしか、生きられないんだな。

結局何を云いたいのかそろそろわからなくなってきた、という恒例のあれなんですが、好みの桜を見つける事が無くてよかった。手頃なロープも見当たらなかったから、首を括ろうなんて思わずに済んだ。



2008年12月17日(水)
常に持論と自論に阻まれ。


いつだってそうなんですが、書いている文章も口にしている言葉も全ては身勝手の産物で、そもそも他人様に理解をして貰おうなんて時点で烏滸がましいのだと思う。
例えば、すき、というワードがあって、それだけを口にした時、何がすきなのか思い描いた自分には当然判っているけれど、突然言われた或いは聞いてしまった相手は己がすきだと言われたのかなんかその辺にある物体にすきだと言ったのかはたまた耳が腐っていたのか判らない訳だ。本当は漂ってきたタンドリーチキンをすきだと言ったかもしれないのに。
当たり前ですが、そういう事。
創作も、そしてこうした感情やらいまいち覚束ない心象を綴るならば日記も、自慰行為に等しいのだと感じる。エヴァなんか度々、ストリップショーが始まって勝手に一人で果てられましたとかなんかそんな風に言われますね。中々奥深い例えです。
違う違う話がずれた。その言葉の隙というか巧みを操り弄ぶのがまたきっとあらゆる創作の醍醐味なのだろうけれど、どストレートなものもまたこれらの偶像の中にばかりだ。にしかない、とは敢て言わないが。

結局何が言いたいかというと、近頃自分は客観視に欠ける事ばかり綴っている気がするという自戒なのでした。ふーんへーえそれ全く生かされていないと思っていい?
それはそうです。須く己だけが理解出来るもの、或いは時が経てば劣化し遍く理解不能となるもまたよし、基本的にはそういうスタンス。
頭カラッポにしての萌え語りであるとか手探りの考察であるとかは適当なノリで煽って欲しかったり若しくは助力を仰ぎたかったりという意味でも、独走しつつたまには振り返る事が必要ですが、そうでないもの、回顧録であったり途切れた断片であったり夢に悖るもののイメージであったり、そうしたものは誰かに説明する為には存在していない。強いて言うなれば、我が為だけに。
その内また長々と乗せたいんですが、某所で拝見した日記というものの価値を、一理か二理くらいは汲み取れた気がしたので、その勘違いを意訳すると、やっぱり日記とは己の深層を探る為だけの、カウンセリングにも似たオーガズムの為のものかな、と。



2008年12月16日(火)
針金色のギザギザ。


普段のCXを見る事は叶わないけれどたまの特番は案外キャッチしてます。昨日の深夜も偶々ですが見ました。なんだ電波でも受信してるのか。
個人的にはRPGの歴史を振り返るといってFFを遡っていたのに大変ときめきました。そんでディシディアのCMを見る度に不思議に思っていたカオス方のお姉様ズはどうも自分のやった事の無い3と8から来ているという事で納得しました。くそぅ、よりによってセクシーだけ見逃しているなんて!
ほんで、やっぱり思い入れのあるゲームというのは、ぎゅっと、なんか掴まれた感じがする。2や4もにまにましながら画面見ていたんですが5とか6とかもう駄目だった。泣くかと思った死ぬかと思った暴れるかと思ったいやごめんなさい全部嘘ですが衝撃の度合いとしてはね。そんなもんだと。
7もドキドキして9もきゅんきゅんしたのでもういい加減僕はクジャたんをさっさか倒して4と7をやり直せばいいと思いますこのFF信者が!
いや、ドラクエも最近やりたい気はあるんですが、何せエセファミコンを入手した後ブクオフで二つくらいドラクエカセット買いましたから。買った後で今時移植されてるに決まってるじゃんあの鬱陶しい復活の呪文わざわざやるのかよなんて己のMっ気に初めて気がつきましたが、如何せん。
曲、こわくありませんか。1だけやった事あるんですが、フィールド曲から戦闘曲から、独特のアングラ感をちらほら感じる方が何か間違っているんでしょうか。ラダトームは群を抜いてこわいと言うか切なくなりますロウラン現象!
天地創造は出ませんでしたがクロノトリガーのゲーム映像と、ゼノギアスのパッケージが出たので今回の特番は個人的におおはしゃぎものでしたが、やっぱり普段の回が見たいなぁ。
ケーブルをやめる予定になっているのでより一層遠退く訳ですがね。

そうです、数年前はあれだけ拘っていたケーブルを、アナログからデジタルの切り替えに当たって値段が上がるのを言い訳に切り捨てようと。理由としては、
・現行で殆ど見ていない(キズステは最近これは、というものがないんです個人的に)
・見たいものがあったらレンタルかネットで賄える(有料でランダムであるケーブルにメリットが無い)
・他にやる事がある(積読撃破とか)(FF攻略とか)(←?)
といったところでしょうか。見たくなったらまた再加入すればいいかなと。そんな上手くいくかは知りませんが。
これまで当たり前のようにあったものがなくなっていくという事に関しては唐突な、もの寂しさを感じない訳でもないのだけれどそんな子供のくまちゃん的要素だけで繋ぎ止めておくなら、暫くして慣れて忘れてしまう方が有意義です。
きっとそういう取捨選択も、成長と呼ぶのだろう。何をケーブルテレビの契約如きでとは理解しますが、そうした些細に試練を感じていた方が地道にレベルアップしている気のせいを味わえて素敵です。
無駄だと判っているのに一時の悲しみがこわくてずるずるやめられない、なんてヒモを養うつもりはないのですからね。
だから僕はこれからストップしたままの4と7をさっさとやればいいだろうが宣言しないで。うん、意欲はあるんですって事で。



2008年12月15日(月)
今世紀最大のアトラクション。


そこそこ忙しないとかほざいていますがそんな奴がまたしてもネットの深みにはまっていましたよっと。
そもそも足繁く通っている某有名レビューサイト様で、一時代を築いたネット社会を云々という企画染みたものをやっていまして(投げやりな説明)、その途中で嘗て一世を風靡したという触れ込みで消滅してしまった場所のミラーサイトが紹介されていたのですが。
検索すれば出て来ますが、幾つかあるのでどれを薦めるといいのかがわかりません。ただ、そのレビューサイトから行ったサイトは頁内スクロールがいらっとしt以下略
ウィキペディア先生の魅力に勝る魔性で翻弄され続けました。時間のある限り御飯も食べずに三日四日費やしていたように思えます。うわお前なんて寂しい誕生日! いや、有意義でしたよ。

ま、ワタクシが面白いというものですから、大変鬱々なんですけどね☆

という訳で皆様時間と心を崩壊しても許される時間的余裕がおありでしたら是非とも『絶望の世界』を堪能下さいまし。
何? そんな説明で見たくなる訳が無い? そりゃ御尤もです。それではレビューサイト様の一部を引用しつつネタバレしない程度に解析していきます。

先ず、その書き方。中盤はそうでもないですが序盤の、そこで引き込んでおけばみんな惰性で読んでくれるさ、というポイントまでが、非常に読み易い。
精神状態は兎も角として言葉がそこまで難解ではないのと、日記という形式。一日数行程度で綴られ日付と天気がこれでもか目を覚まさせる。つまり区切りが多く、小説がいやという人が結構共通して懐いているであろう、膨大な字数を見てると滅入る、という最大のネックを外しているんですね。大体こんな事をレビューサイト様が言ってましたw
ですが実際、その頁に飛んでみてうわ結構話数あるなと敬遠しそうだったのも束の間、読んでいく内に引き返そうなんて気が無くなる。要はその読んでみようという肝心要の第一歩を踏ませてくれるというところが、たったそれだけにして重要なんでしょう。

で、本編の魅力としては、トリックというよりも、書く事と書かない事の選別が巧みだな、と。例えば一章だけでも完結出来ると思うんです。一つの話として、終わりと言われたら納得出来る。
だけど二章に入る事によって一章ではわからなかった事が判明したり思いもしなかった事を謎として提起してくる。基本的にはその繰り返しです。
ただそのどんでん返しが常軌を逸しているといっても過言では無い程凄まじく、且つ実に緻密に計算されている。ブラッディマンディなんて目じゃありません←
いや、あれはどうにも分かり易過ぎると言いますか、いい意味で漫画的演出なんだな、と。例えば先週のさる人物の正体についてですが、あんだけフューチャーされてる奴がそのままストライクな訳ねーだろw みたいな。……ちょっと話が逸れました。
印象操作と、それによって植えつけられた思い込みの利用方法とが、相互作用どころかかなり過剰に共鳴している感じ。ただ、誤認識でしたと言いながら結構平気で嘘もばら撒かれるから、何処までを遡って疑えばいいのか分からなくなって思わず終盤また膨大な資料を始めから漁りたくなったのは秘密です。しかし精神の安寧を考えれば再び目通すならば数ヵ月後とかにしないといかんです。自己管理が大切!

そんな振り回し蝶大作の中で、自分は某先生が一番すきかなぁ、とやや疑問系ながら。なんの先生かは全部読めば判って頂けます。間違っても哀れな勘違いをされた方ではないのです。あ、考えたらこの人の割り振られたものもあの人によるそうした意図があって、嗚呼、いや、やっぱ不快な深いな絶望の世界……
この先生の凄まじさは時折話の中のリアリティを奪ってしまうけれどわからないなりにがむしゃらに、形振り構わず自分は違うんだと見せようとする姿勢だとか、そういうところが結局また強引にリアリティだと突きつける。
この人に辿り着くまでも長いもので。何せ序盤の段階では、特に言及されていない為印象に残っておらず、でもまぁそんなもんかな、で終われるんです。それが次第に、なんというか、実は温度差があったのでは、と思い始めたのは二度目の管理者の交代、の辺りでしょうか。うわまた判りづらいな。
ある人がある人についてその態度はおかしいと訝しむ日記から、言われてみればそうかなと遡る事、始めにまでいける。何処まで適応していいのか判らない、言葉の含みの幅広さ。
尤もそうしたつもりなくただただ話を作る度に新規で設定を創っているというのなら、でもそれも違った能力として素晴らしいと。既にあるものを拾い集めそこに嘘がなかったようにして驚くべき仕掛けになっていく。兎に角創意工夫が半端ない。

まぁそういう訳で皆様、徹底的に鬱々とした気持ちとひっくり返りたくなるくらいの驚きを求めている時は是非『絶望の世界』を御利用下さい。え、何この回し者っぷり。



2008年12月14日(日)
何処までを信じる事が許されているのか。


相変わらず迷走している言葉でよければ書く事もちょいちょいストックあるんですが、なんというかこの日記の特性というべきか、振り返っていつまででも空白を埋めていけてしまうから、なんだか段々穴埋め作業のようになってしまっていませんか。一度癖がつくといかんのかな。
という事でこれまでのひと月くらいは敢て放置して、その間に書き殴っていたいつものようなぐだぐだは未来に使いますってそれある意味未来日記? それとも過去日記のが正しいのか? だったら日記は常に過去を書くものだから改まって過去と銘打たなくてもじゃあやっぱみら以下略
基本的に時事ネタはないので、別にうちゃうちゃだけなら日付適当でもいっかなーと。嗚呼でも一個だけ旬っぽいのがあったのでピックアップ。

OOより、クルジス戦にて思想で戦うおそろしさを知っているのだから、1stの『ソレスタルビーイング』という理念に基いての行動よりも、2ndの私情の方がせっちゃんにとってはいいんじゃなかろうか。
うん、時事ネタ時事ネタ。



2008年12月13日(土)
居場所を護る為のただの嘘でした。


それを書く事は若しかしたら個人情報という意味で危ないのかなとも思うのだけれど、そもそも書けない仕様にしたのはとても些細でささやかな理由だった。
今にして思えば随分誤魔化したものだと感心気味に呆れもする。しかしその馬鹿馬鹿しさが大事だった。
大幅な詐称を鵜呑みにして貰えたとは思っていないけれど、それはつまりあいつ騙してやがると不快感を与える結果になったのかもしれないけれど、そんな事に気がつかないKYは昔から得意技。
いやいや、そういう事じゃないんだった。どうも話を濁しがちになる。逃げたがりなんだろうか。煙に撒きたがりではあるな。でもそれは遠回りでも一つずつ吟味していきたい気持ちでもあって、だけど己の中で辻褄があっていようがそれを理解して貰えない限り何あの自己中で終わるしか無くって、やっぱり真摯に向き合えば向き合う程馬鹿にされるか逃げてるって非難されるのだけれど、ひたむきって、言葉に上手く変換出来ないだろうか。
そんな相変わらず迷いだらけをそれともだけを抱えたままの頭ですが、

今年で成人になりました。


原初 羅列