原初

羅列 回帰



―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰

2008年09月30日(火)
どうせまた直ぐに消えてしまうんだろう?


例えば御飯時。誰かが支度をしていて、自分はそれに参加しなくて、その事で手伝わないでと文句を言われたら、じゃあいりませんと思うタイプです。
皮肉や卑屈ではなく、手伝わざるもの食うべからずだと思うし、関与しなかった自分には食べる資格が無いので、他に食べるものを探し自炊しますと。
でも、相手にしてみればそういう事を言っている訳じゃなくて、食べるんだったら手伝ってと言っているんです。わかりますよ、わかってます。だから大抵返事はあげる気が無いなんてけち臭い事言ってるんじゃなくて、とgdgdになってくるんですが。
昔は、そう思ったものだ。すきなだけ遊び呆けて享受するだけのあんちくしょうどもを見ては、何ゆえ自分は家政婦として働き彼らはそうでないという差別が生まれているのかと。寧ろそこから派生して必要以上、もっといえば自分の為以外には何もしたくない根性が生まれたんですが。このへたれめ。
それをする気分にならなければ関与しようとしないというのは大変な我儘だとも思うのだけれどね。一方で己が食べる分は己で作ると言うのが当たり前ではなかろうか。正しいか否かではないのだろうけれど、どちらも我儘で、どちらも納得出来ると思うんだ。少なくとも、自分の中では。
それを踏まえて、渋々でも手伝うべきなのか、不快にさせても自分のこた自分でやると貫くべきなのか。KYである事に恥は懐かないけれど、その結果空気を壊してしまう事は、本意じゃないんだ。

欲しがっている時に与えられるチャンスがあっても、信じられなくて、怯んでしまって、結局遠慮してしまうって、それってなんて馬鹿馬鹿しいんだろう。
希った時に手に入らず忘れた頃に求めたものを提示されても、もう感慨も沸かず、胡散臭いと疑い、賑やかしにしか出来ないって、なんて愚かしいんだろう。
溢れんばかりに有り余り、どう料理するも自由と言われても、それを味わう事無く眺める事も叶わなかった日々を超えたら、もうただの余興にしかなれないなんて。
それとも、ただのいつも通りの、自分勝手な性質なんだろうか。立ち直れない習性ではなく、ただの我儘な思い一つなら、それなら、いいな。だから矯正しようという気には中々なれないけれど、いつかそう思い至った時には、まだ可能性が残されているのだから。
でもそれは、知らないから箱の底に希望があるかもしれないって、思っていられるだけなのかも知れないけれど。
再びあの輝く大地に、足を踏み入れようとそんなおそろしい事を考えられるのならば、そんな空想だって懐けるさ。



2008年09月29日(月)
あなたの想いは迷惑ですと告げた日。


動画って、本っ当に、困りますね。晴郎風。
ウィキペディアもそうなんですが、帰ってこられそうな気がしないくらい遠くへ行ってしまうよ……
カヲル君の何某か(例によって忘れたそうですよ)(カヲル君の事なのに!)(いやいやその台詞だいぶキモイ)を調べたくてぐぐった際、渚カヲルの憂鬱という題がひどく気になって思わずゆーつべに入ったのが間違いでした。因みにそれはなんて事無い、涼宮さんとこの憂鬱とのコラボだったんですが、いやほらそんな微妙な言い方なのはアンニュイなカヲル君が見れるかなって期待してしまったせいだと嘲笑ってやって下さい。
しかしそこから気になる気になる続きを真ん中に入れてスイッチ……撃破してどうするよ。数十本の動画を夢中になって貪った後、ようやく現実に戻って来てへろへろの躯で明日のお勤めの為に短過ぎる睡眠を貪ったのも良い思い出……嗚呼廃人一歩手前すれすれなんですねわかります。
まぁでも、動画よりウィキを見た後の方がなんとなく疲れ果てている気がするので、その日見ていたのがウィキでなくて良かったねと思っておく事にします。まる。

生理痛でよかったと思える事を無理矢理捻り出すなら、大抵の腹痛なら耐えられるようになった事じゃなかろうか。
拾い食いはしませんが賞味期限はあっさり無視するマダオならではの+思考か? 大丈夫です今時は賞味期限を気にしたって食用じゃないものが混じっていたり化学物質が入っていたりする時代ですからww
因みにマったくダらしないオんなです。正直最後のオが女なのはなんかしっくり来ないんですが大体マダオの中身ってオは男なんで……うむ、詮無き事よ。
他の部位や痛みの症状があまりにも違うとあれなんですが、少なくとも下痢や便秘他下したなどの腹痛だったら、大丈夫二日目のが死んでる気がするとかこう、暗示が掛けられる。病は気からの時もあるので。
思い返してみれば昔からそういうところがあった気がします。歯医者で、音がこわいというのは無かったんですが純粋に治療中の痛みがいやで、それに耐える為に、ずっと脳内で逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だいや違うそれじゃエヴァの放送前はどうだったんだってなっちゃうからね!
以前に受けたなんらかの事象を思い返しながら、どんな痛みを負った事があって、それでも今は回復して歯の治療に来れるまでになってるんだ大丈夫乗り越えられるさ、あの痛みに比べたらこれくらい、とかそんな感じです。相変わらず後ろ向きポジティブです。前向きネガティブに反転可。
まぁそういう訳で、他に全くこれといって良点は見つかりませんが、いい方向に考えようと取り組んだ結果、腹痛という一つの症例だけでも、軽減する事が出来るならいい事じゃないか! という姿勢だけ。



2008年09月28日(日)
日々が少しだけ楽しくなる方法探してる。


嘗ての知人達からの年賀状やら、やっぱり買ってあったという記憶は正しかったものの年単位で出て来なかったのだからとつい最近アマゾンで注文した銀魂八巻やら、未読の小説(普通)やら、未読の小説(ラノベ)やら、未読の小説(同人誌)やら、なんかもう大判小判ざっくざくの勢いで飛び出してくるのをひーひー言いながら倉庫整理してみました。
なんつって始めたら楽しくなっちゃって三日くらい止められなかったんですが。嗚呼、そういうところあるよね。
そもそもは自室から出っ張っている部分が気に食わなくて荷物の解体を始めたらノリノリになっていった次第で、よし魔の物置と呼ばれる難所へ今こそ挑戦、なんつってそれを作り上げたのは勿論我が業にして、大体間取りからしたら自室も本来部屋という区切りじゃないんですが。
それは兎も角、取り分け途中から眺めるのも段々放棄した付録群が凄まじかった。ジャンプやマガジン、他購読をやめている筈の月刊誌を今以て溜め込んでいる状況から判る通り、どうでもよかったというよりそこまで手が回らなかったといったところですが。
積もり積もって、収納スペースを潰していたのは恐らく半分くらいは付録だったんじゃなかろうか。使えそうなもの、といってもペンくらいですが、以外は殆ど分別して捨ててしまった事に、やや良心が痛みながらも実際組み立てる気にもならんし例え作ったとて使わない事は明白なので。
昔は大切だったものをやがて大切にしなくなると言いますが、寧ろ持ち切れない荷物故に取捨選択が迫られているような、そんな気分です。
まぁ、某作家の付録だけはちゃっかり取っておいたりしている訳ですが←

付録以外の半分は殆ど先述のどれかの未読本なんですが、その合間合間にこう、嘗て友人とやり取りを交わしていたノートが紛れ込んでいて、なんというんだろうかあれは、各々小話を書いて見せ合っていたんですよ。
単純に見辛い構成であったり、勿論年数が経ってから見る故仕方の無い面ではありますが矢張り稚拙な面があったり、そんで砂ざらざら吐きたくなる展開だったり、更にアイタタタな自己主張とか、重ね重ね、よくもまぁこんなやつとやり取りしてくれていたものですと改めて感謝と言うか懺悔したくなりますが、その方から来ていた手紙もそのノートと一緒にちらちらいて、その中に、自分達二人は一緒にいても遊ぶというより話すだよね、と。
成る程。未だに遊びといったらカラオケかパチンコ(わ)くらいしかようけ知りませんが、元々だべっていればそれで充分な訳ですねなんてお手軽で安上がりだ。
実際討論に熱を込める事が許されるというか楽しみと捉えられる間柄は中々個人的には理想でありつつ、一方で己が論を主張してばかりの自分の話なんか何を聞いても楽しくはないだろうなと。
この口振りでは楽しくしようという努力はしないようですね。えっとー、語彙を増やす!
論調よりも押しつけがましくて判り辛い説自体をどうにかすればいいと思うよ。



2008年09月27日(土)
狂気はお断り。


食べもののサイズをたまに小さく思っても、欲張って大きくすると本当の美味しさを味わえなかったりするから適切なんだと思われる。
例えばえー、手作りの餃子とかそういうのってもの凄く具材を詰めたくなるけれど、いざやってみると火の通りが甘かったり(サイズが変わるのだから当然っちゃ当然ですが)バランスの悪さに呻いてみたりと、そんな感覚。微妙な例えか?
それじゃ、カレーとか肉じゃがのじゃがいもを大きめでごろごろ食べたいと思ってやってみたけれど火の通りが甘かっt(略)
大体火の通りに話が繋がってしまうのも道理は道理なんですが、違うんだそこの部分を語りたい訳じゃないんだ。
先日貰いものの煎餅汁というものを作ったのですが(殆どインスタントに近かったけど)、この煎餅が、適切な大きさに割って食せとあって、それじゃ最初からそうしておけよ寧ろ適切って何かその辺聞きたいねと、まぁつまりいつも通りの発作が起きまして。そうだね強いて言うならば適切なサイズは一口サイズじゃなかろうか、己の。
で、一枚くらい割らずに入れたいと、そういう気持ちを懐いたのは何も自分だけではなく、共に食した兄上様もそうしたいと、嗚呼でも食い意地が張っているだけなのか?
結果はと言えばですから、火の通りがあm(略)
取り分けこの煎餅は要するに餅みたいなものですから、おこげのようにさっくりを求めるのではなく、お雑煮の如くとろっとしたのを美味とするんです。大きければ大きいだけ汁に沈めておかなければならないのに、逸る心を抑え切れない兄妹はいの一番に丸のままの煎餅を口にして、固いね失敗だねと嘆いてみました。
いやしかしこの場合は丸のままだった事より火の通りを嘗めていた事が問題なんじゃn(略)



2008年09月26日(金)
いつもいつもその手順で間違えてしまうよ。


昔購読していた少女雑誌についていたふろく。
幼い頃は片っ端から作っては、完成形を見て満足していた。尤も自分が作った訳ではないので、故に愛着に繋がらなかったのやも知れません。その辺の誰かをひっ捕まえて頼んでいました。なんだ図形や三次元が苦手なの昔からだったかw
暫くすると日常生活に耐え得るものが無い事に気がつき(用途が見当たらない、所詮紙なので耐久性が無いなど)、あまり執着はせず、その内作ろう作ろうと積みが始まりました。この頃には読者頁を読んで四苦八苦しながら己で築いたものですが、なんだ放置ぐせも昔からなのかww
して今現在ではそもそもふろく付きをそもそも購入しなくなりましたが、そうなる手前では最早作る気も無く必要が無ければ捨てるという悪逆非道っぷりですが。注釈を入れれば、作りたいのは山々なんですが例えば現状溜まっている雑誌やアニメを見るに時間管理が不得手なようで、それでも取っておきたいのは山々なんですがペッとぽい捨てされた訳ですね。なんだ収集癖も昔かr(略)
それらを重ね今では、嘗て作っておきながら墓場に燻っていたふろくなども捨てられる程に成長しましたが、ふと掃除中に見つけたのはダンボールにて熟成されていた作られる事も無かったふろく。
ところがどうもその柄、見た事がある。どころか完成品にして持っていた記憶がある。具体的には難し過ぎて手をつける気がしなかったので父君様辺りに頼んだという曖昧でありながらしっかりとした脳内映像付き。
ブツは満月をさがしてのロマンティックボックス? というらしく(捨ててしまう部分のパーツに書いてあった)、八角形という形に大きめのサイズ、紙ふろくにしては中々上質な質感や固さなのもさる事ながら、個人的に絵が蝶可愛い。側面の四変化をじろじろと眺め回した懐かしい時期まで蘇り、だからこそ一ふろくでありながら記憶に残っていたのやも知れません。
しかし解せないのは、嘗て作った筈でありながら見着手のものもある事。それも二つ。
つまり計三つ保持していた事になる訳ですが、え、なんでだ。
例えば全員サービスなんかに応募するにしても、りぼん辺りは同じ月のを買わなくても済むよう配慮されていますが、そうでないものでも二冊あれば充分です。しかし手許には何故か三つ。幾らなんでも三冊は買わないぞおれ……?
疑問を懐きつつも、折角保存用がある事だしと(その辺がヲタクっぽい根性なんだよ)、今では姿の見えない初代を思い描きながら勿論製作手引きなど今更手に入れようも無い為ふろく自体に描かれているこれをここに差してねv 的指示に従いながら四苦八苦工作してみました。どの穴にナニを挿せばよいのやら……変換にはなんら意図は御座いませんwww
なんていいながらも、山折りなのか谷折りなのか以外は思いの外するする進んだのも事実です。何処にどれが対応するのかきっちりしている。ひらがなの五十音、カタカナの五十音、アルファベットに、○△などの記号に至っては更に色分けされているというから、いやぁふろくを製作された方お疲れ様です。今更過ぎて届かないのはそうですが、指示されて作るより完成品をばらして再び作り直せるようにする作業の方が大変そうに思えますので、なんか敬礼したい。
本体が出来上がり、中底が出来上がり、蓋が出来上がり、組み合わせてさぁ完成、あれちょっと待てよこのふろくのウリは大容量と可愛らしさとそれから持ち運びが出来る、だったな。
………あれー、取っ手は何処だー? 今更取っ手だけ無いとかおかーさん許さないぞーニッコニコ。



2008年09月25日(木)
矢張り閣下の曲は素晴らしい。


スレイヤーズ最終回の報にびびりましたが、なんの事は無い変則2クールでした。OOといいこの価値がわかりませんが自分のように録り溜めしてしまう種族には案外肌に合っているのやも知れません。
ほら、だっていつの間にかマクロス最終回を迎えて……いや、これ以上引き離される事は無いのだ。そうさ少なくとも追いつく事は少し容易くなった筈なんだ。なんかまた劇場版がどうとかいう話を小耳に挟んだけれど、ちょっと本編で完結しないというのはどうなんだろうか?
いやいやそうじゃなくて、うん、マクロスは真面目に最速で挑んでいます。ただ予想外に、その下準備が……なんかもう本当見るのかどうかも判らないアニメまで録るのはやめておこうと。節操を持とうと。ゲンドウがシンジに線を与えてくれたように、不自由を与えなければ自由とはただの不安要素でしかないんだ。

グラディウスのオプションって、蝶可愛くないですか。あ、変態チックですかそうですか。
昔から己で操縦する事は出来ないゲームトップ10に鎮座ましますグラディウスですが、見ているのはいつも通りすきで、その中でもオプションはオプ子と呼んで愛でているんですが。
だってさぁ、いつも一人ぽっちの寂しさから影分身の術を編み出した孤独パイロットにあいつらだけが協力してくれて、しかも同程度の力を持ち、更にはオプ子自体は敵に当たっても砕けない頑強さ(逆に薄い気もするが)(そもそも存在階梯が違いそう)、そして目を見張る舞!(戦闘ポジションともいう)
真面目にあいつらは愛すべきです。あのオレンジ色を抱きしめたい。最近数年前に買って放置していた4か何かをやっているのを見ていたら(相変わらずやりはしません)、なんかもう、本当オプ子への愛しか叫んでいない自分に気がついてちょっと失望したorz
死んでも死んでも、待っててくれるんだぜ! レーザーが頼りなくなっても、他の何もかもがなくなっても、お前達がいてくれるならおれ他に何もいらないよ!(だいぶきもいお)



2008年09月24日(水)
恰好つけの英単語並べて。


ふくたんといいあそたんといい最近やや政治ネタがありますが、支持政党はおろかこれといった目当ての人すらおりません故に何処へ期待をしてもおらず、このまま中庸でありたいけれど一応自民も民主も中道な筈なんですけどね。
まぁつまりあれですよ、ネットという匿名性の高くなった枠で少し意見が出し易くなった、小心者の或いは内弁慶の若しくは口だけの、未熟者が政治になんて期待してねーよ夏とか、自ら行動するつもりもなく打開策も妥協案もなくただ彼是不満だけを上げ連ねてみたり、するそういうのとなんら大差なく。
のでぶっちゃけふくたんでもあそたんでもなんか変わりあんの? というのも本音では御座いますが、降りる時に叩かれ始まった時から叩かれと、確か礼節と労いを重んずる文化をちょっとは保持していような気がしないでもないお国として最近のメディアはおいたが過ぎるね。庶民風を装って、不安や不満を扇動する事しかしていない気がする。政治に興味はありませんがメディアは一度解体すべきだと考えるくらいきらいです。この世にはアニメだけあればいいんだ!←
尤も先の礼儀云々も、それに始まりそれに終わると言われるようなスポーツマンシップに乗っ取った筈の国技も最近は、適当な案内も無く横綱の客人を一方的に叱りつけるだとか、戻りたいと言いながらバッシングってどんな常識? とか、特に後者は他国の文化云々だの言語の弊害というより普通に考えてどうなんだっていう。
兎も角隠蔽体質が崩されあちこち埃が出てきますが。不正なんて何処でも行なわれているに決まっているじゃないか馬鹿だなぁHAHAHA。

スポーツも勿論そうですが、寧ろこの世にあるありとあらゆるものにはズルや不正や抜け道があるんだと思います。その方が効率が良かったり、それをしないでいるというのは無理があったり。なんにせよ、時間金銭他何かしらの得、メリットがあるからであり。
個人レベルや普段の生活にだって、そういうものは多く、それら一つ一つの目くじら立てられてもと白けるけれど、その一つを見逃したのなら他の全てを見逃さなければならないと言われかねない上、結局そうした緩みから全てはほつれていくものです。
しかし利権もしがらみも一切捨て、例えば物語が反政府側の勝利で締め括られる形だとその後に期待しがちな展望で、純粋に仕事や作業を効率よくこなす為の、余計な悪行を一切行なわない透明度の高い機関が作られたら、どうなるのだろうと。
金額を釣り上げる為だけの談合も、手抜きの温床である賄賂も、期日に間に合わせる為ではなく期日まで掛けて作れるよう努力する工事も、無くしたのなら。
資金繰りに難航してもこっそり援助を頼む事が出来ず公明正大であるが故お金が足りなくなったら常に民衆にその旨を見せなければいけなくなると信用に欠けるし、失業者が目いっぱいになる事でしょう。
どれだけクリーン化を計られていても疑いの眼は消えず後ろめたくないからこそ精神的にも疲弊し易い。すきもきらいもランク付けも行なわない代わり平等の名の元にやがては身動きが取れなくなる。
コンシェルジュでロボットが登場した時、行動基準の為に好みを設けると言っていたのは中々考えさせられたなぁ。
矢張り人が動かす組織であるが為年数を増やせば増やすごとに贅肉はつくのだろうし、しかしその贅肉は時に寒さや衝撃から我々を守るものでもあり、更にそうした肉として照らし合わせてしまうと、痩せ過ぎは躯に毒だし美しくないし男もドン引きするから過剰なダイエットはやめようぜ☆ という広告と話が合わせられません。
まぁ結局は、人が人である以上そんな形は在り得ないと。グリードさんならそれも覆してくれるんだろうか。



2008年09月23日(火)
偉大なのは生きている君自身。


トップがあそたんに挿げ替わりましたが、そうなるのは明白だと伝えていたメディアが今度は支持率が低いだのぼやいている。
勿論それは国民の声とやらなんでしょうが、いやなら止める為に他の候補者立てろよ。幾ら反発心からといえど選挙参加を促がすのはなんだか癪ですが。だって実際一人一人の力なんて微々たるものでそれこそ徒党でも組まな不動だろうとは思うので。
それでも、それでは積極的に選挙に参加するのはメリットがある人か狂信者のみになってしまうので、賑やかし程度の気持ちでいいから清き一票をってやつか。嗚呼駄目です答えとして辿り着くのはそこなのにそれを認めたくなくて仕方がありませんややこしい。

個人的に失言を取り沙汰して人をずり落とすのは単なる言葉狩りにしか思えなくて嘲笑ものですが。確かに発言には日常生活での傲慢さだとかどれだけ曲がった価値観を持っているかが如実に反映されるものですし、またそれらを構築するのは日々の何気ない一言一言。
しかし余程人を愚弄するものではないのならばそれを槍玉に上げる前にもっと見るべきものはないのかと。
未だブラックジョークの根付いていない文化、昨今活躍し出している猫男爵辺りがその武器である悪口とやらで新たなカルチャーを築いているのやも知れませんが。しかし個人的に彼はきらいです。テレビに映る人に求めているのは美しさか面白さなんですが、そのどちらも無ければ興味が湧かない。そしてそれなのにやたら熱に浮かされメディアに露出していると或いはきらいになります。あれの何処が的確で鋭角な視点なんだろう。っていつも通り話がずれている。
なんだっけ、えぇと罵詈雑言は結局大衆の食い付きがいいからメディアが取り上げる訳なのだろうなと。何せ視聴率戦争の時代ならば大食いの偽装も許されるとかで。それ以前に大食いはあんまりすきじゃn(また脱線するから)
スローガンなんかもそうですね。聖域無き改革だの美しき国日本だの、その言葉が感銘を受けるから残るのではなく、その言葉をメディアがこぞって流すからなんとなし頭に残りという事はなんか心に響くものなのかなと勘違いするに過ぎないのでは。

それじゃ何が失言の類いに入るのかといったら、それもまた非常に難しい分類です。例えばそうですね、支那と書いてシナ、中国を指しますが、元々はただの国名(というかなんというか)(めんどいのでそれで通す)であったのに一時期差別用語として使われていた為、多分今も一応その括りに入っていた筈です。詳しくはググるかウィキるかどうぞ。
今の中国というのは単なる略称のみならず尊称としての側面も持ち、それが傲慢だと叩かれ嘗ての日本で蔑称が生まれたとかいいますが、所謂大日本帝国のような事じゃなかろうかと思うんですが。
結局セクハラやいじめと同じく、受け取る側の意識と言うのが重要で、差別意識を持って侮蔑の目で以て呼ばれる蔑称だと、言われた人が感じたのならば、それは誤った発言として謝罪が必要なものになる。べきである、という個人的な見解ですが。
でも、何も知らずに使ってしまう場合もある。支那そば、というのも徐々に中華そばに移行していますが、そうした意味合いを持つとは知らず単なる商品名だと思えばなんの疑問も懐かず看板に掲げるでしょう。……いや、それはちょっとノータリンか? ところでノータリンよりノールスのが響きがすきです。
逆に、差別用語と分類するからそう見ようという向きになり、そして死語にされていく内事情を知らない世代が出て来て、取り分け差別だと叫ばれるものはそのものが存在する事自体を伝えようとしませんから、何かの拍子でそれを耳にした際その単語を聞いて何故顔を顰める人がいるのか判らず、訊ねて始めて意味を知ったり、或いはそういう呼び方もあるのか程度の認識で終わればそれが差別表現なんて知らず口にしていくやも知れない。更に言えばその呼称が差別であると知らないのは何も使用者だけではなく、敢て差別用語であると聞く事で奇妙に無闇に過敏になる状態を生むのは如何なものかと思いますが。
あれなんか話外れてきた。まぁ脱線ぐせはいつもの事ですが。
つまり、それは差別だと過剰に反応する人が言葉狩りを生み出していて、多分若しそれが本当に差別の用語で使われたのだとしても、実際には言われた当人は傷ついたなら静かに苦しむんじゃないかと。いや、勿論そうじゃなくやめてくれと声明を挙げるのは自由ですが。扇動者が必ずしも傷ついた人かどうかというとね。話題性とかに惹かれた夏のなんちゃらでない可能性が……なんならもう一度バベルの塔を建造したらいいんじゃないかと。



2008年09月22日(月)
九月の記憶がありません。


嗚呼そうか遂に若年性アルツハイマーに罹ったかと、記憶喪失に対して返された第一声がそれなのはどうかと思われますが、多分そうだったらもっと深刻だって。
八月終盤の頃からそんな感じですが、その時程まっさらに何も残っていないのではなく、日々の怠惰にして漠然なイメージはありつつ、どうにも印象には残っていないようで……
したい事だけは山済みであれど、そんな状態ではこなしてみても残らないのではなかろうか。これが噂に聞く九月病か? それなら八月から罹っているのはどうなんだ。おまけに今月中に治らなければ駄目じゃないかそれは。

新しいテレビを買った弊害を述べれば、常々言われていた鮮明過ぎる点でしょうか。所謂タレントが化粧に更に力を入れる元凶ですな。
水戸黄門のさぁ、眉毛と髭をさぁ、貼り付けているマットまで顕にしてくれるなよ……
で、最近テレビへの執着が薄くなりました。嗚呼今やっとかよという最早ツッコミにすらならないため息が多数見受けられました。幻視。ていうか買ったばっかって話をしたばっかだろうがああぁぁっっ!!
いや、アニメがどうでもいいと言うのではなく(録り専の時点で説得力無し)不必要ならすっぱり切るようになった、といいますか。ニュース、はまぁ聞くんですが他にも色々ソースありますし、矢張りニュースも含めて見ていないのなら消す、BGMにしなくてもいい、という形に。
寧ろ常時付いていないと駄目だったのかと聞かれるとそんな訳でもないんですが24時間体制で付いている時間と付いていない時間を比べたら一目瞭然過ぎるので。



2008年09月21日(日)
comme ci, comme ca.


昔は。

昔はすきな人なんていなかった。

男はこわいとしか思えなかった。

女はおもいとしか思えなかった。

それでも人はすきだったから、どうにか誰かをすきになりたくて、誰かにすきになって貰いたくて、のめり込んでばかり盲目的にストーカーのように。

むかしは。

人なんてすきじゃなかった。

誰も優しくなんてなかった。

自分も優しくなんてなかった。

それでも駄目やいけないや間違いになりたくなくて、必死に取り繕ってばかりいた。人並や平静や中庸であろうと、誰かへ向けてと同じように気ばかり張っていた。

昔から。

笑ってばかりいた。所謂処世術だと知っていたから。

泣いてばかりいた。結局処世術だと思い知ったから。

なんでいつもへらへら笑っているのか、気持ち悪いと。誰かがそう言った。

どうして常に煩く騒ぐのか、面倒臭いと。誰かがそう言った。

むかしから。

当たり障り無く笑っていれば事も無しな世を疎んでいた。

取り敢えず泣き叫べば物事は中断され主張なんてどうでもよいのだと嘆いていた。

いつの間にか楽しくも無いのに地顔が笑みになっている事に戦慄したのはいつの日か。

どんなにか伝えたい思いがあっても言葉にする術があっても聞いて貰えなければ無意味だと諦めたのはいつかの日。

昔より。

すきな人はいる。

人は愛すべき存在だと思う。

同時にとてつもなく醜く汚らしいものだけれど。

むかしより。

好きな気がする。

だけど、すきじゃない気がする。

愛しているかも知れない。

でも、それは酷くどす黒い、とても愛情には思えない形をしているんだ。


唯一保持する卒業文集を読んでいたら、同学年は矢張りそれなりに知った顔や名前があるのだと懐かしみながら、寧ろ去来するのは、後悔とか、懺悔ばかりだ。
どうしてもっと、なんの気負いもせず羽を伸ばせなかったのだろう。
そんな風に後ろめたくしかとれなかったら、その時間を共に過ごしてくれた人になんて申し訳の無い。



2008年09月20日(土)
何回目かの熱血なハードル。


マクロス本編を見るまではラジオ断ちをしています。という事で最近聞いているネットラジオは一つだけになったんですが、これが最近、タメになる。
ラジオDEシャキンというもので、判る人には判るネタがタイトルのこれは漫画家の種村有菜先生がパーソナリティを務めていらっしゃって、概要は多分普通のラジオとそう違わないんじゃなかろうかと思いつつ普通のラジオをあんま知らんのですが。投稿された絵を紹介したり手紙を紹介したりは毎回聞き飛ばしているんですが(わ)、漫画家がやるラジオの見所として期待してしまうコーナーが矢張りと言うか当然のようにありまして、最近個人的に盛り上がっております。
これがネットラジオの良いところか、サイトに動画がありまして、そこでその日のテーマに沿ってお題を描いている様子が見られるんです。
例えば瞳の描き方とかが以前あったんですが、徐々に少女漫画の目になっていく様は壮観で、且つ、その回は他の漫画家さんと描き比べていたんですが、やっぱり違いがあるんだなと。
で、ここ三回くらいコピックの塗り方が続いていて、これも本当に、始めはただの色なのに徐々に徐々にリアルな質感が出来上がっていく様子に感動すら覚えそうです。
尤も自分はコピックなんて使いませんが、見てると手にしてみたくなるくらいです。ただ絵板にラクガキする時とかにちょっと思い出しそう。誰でも一度は躓くであろう影の付け方とか、その手慣れた具合をトレースしてしまいたくなる。
影はポージングによって異なるので応用は出来なさそうですが、やっぱりどの辺に影が出来るかという計算が、完成形をただ見るより作っていく段階を見る方が式が見えてきて、まぁやっぱり誰かが魂を込めて製作している過程を見ると言うのは大変オツなものですよね、と。
丁度深夜番組のギョーテック、業界テクニックハンターという正式名称で端的に言えば彼是専門分野にお邪魔して紹介していくという内容なんですが、今夜漫画業界潜入という事で北斗の拳の作者のところにお邪魔していて、本当に邪魔してるなぁと思いながら(笑)、あの濃い絵がカケアミ、延いては一本一本の線で本当に創り上げられているのだと思うと、鳥肌が立つね。



2008年09月19日(金)
不注意、好んで、不祥事。


擬人化という意味、御存知でしょうか。まぁこのようなところに御足労下さる皆々様におかれましてはそうした属性の方々であろうと認知しております故わざわざ説明不要でしょうが敢て例題を挙げるのならば、あんぱん進化ー! でアソパソマソです。
で、動物を擬人化した際、拘る方は結構拘ります。例えば獣耳は元になった動物のよう目の上辺りではなく、我々の耳の位置から生やすであるとか、鳥人の際天使型じゃ気持ち悪い役割を考えたら腕が翼になる不恰好さこそ真理とか、そういう拘り。因みに自分は例題二つともどちらのパターンでも美味しく頂けます(聞いてないからね)。
しかし、先日我が脳内にぱっとその疑問は舞い降りてきました。それはこれまで、確かに獣人カテゴリで見た事の無い、しかし拘るポイントとなるべきではないのかと思える点。
四足歩行動物に於ける人間との明確な差である、習性や食習慣はそれをミックスさせ取り入れる方も多いですし、牙や爪などの武器或いは毛皮などの防具としての具象化はワイルドハーフや聖剣を始め目にします。
が。
乳が複数あるのは嘗てこの目に写した事がありません。
ん、え、あれ、当然? まぁね想像上だけでも結構微妙ではありますが、例えば鼠人の場合沢山子供が生まれる習性を残すなら、授乳だって沢山出来るよう進化していて然りだと思うんですが。
視覚的な萌えだけに頼っていてはならない! 生き残る為に必要な手段ならばえぐくても残していかなければ!
いや、見たくは無いんですけどね。



2008年09月18日(木)
餌食になった真実。


なんかもうね、小生とかにすればよかったかなと。思ったり思わなかったり。一人称の話です。
女は私と定められているのが気に食わなかった。気がする。それから響きがすきじゃなかった。まだあたしのがすきだけれどあたしもすきにはなれない。なんか、ちょっと吐き気がするんだ。あくまで己に使用する場合です。
おれとか僕のがまだしっくりくる。でもそれは冗談のフレーズで、或いは天邪鬼精神が満たされているからという観点も含めて、所謂性自認が男って訳でもないと思う。おなごはすきですがね。
結果体育会系という指摘を受けながらも性による左右があまりなさそうな自分にしてはみたものの、自分という単語自体を今度は使えなくなってしまって、自分という言葉で意味するところは己と示してみているんですが、果たしてそんな使い分けを説明も無く誰が理解してくれていると言うのか。つまり自己満足ってやつです。
実際、自分という一人称だとどっちの意味で使っているのかと判断が難しくなったりはする訳ですよ。しかし拙者とか儂というのはなんかキャラクタになっているようでぴんと来ない。
それでなんで小生ならいいのかと問われたらまぁ単純にインスピってそれに尽きるんですが、いいですよ今更使いこなせる気がしませんから。
これからも人に優しくない、誤解を振り撒く可能性のある自分という一人称で貫いていきますよ、飽きるその時まで。おいおい一人称に飽きるも何も無いだろう。

関連して、たまに何故父君様母君様兄上様にしたのかと振り返りますが、まぁやっぱり意味は無く、ただの父母兄では飽きるので(だから飽きるってなんなんだ)いっそ嘘臭く尊称を付けてやろうみたいな。
でも面倒なので兄者とかその程度にすればよかったです。此方も今更過ぎるので変えませんけどね。意地張りこは天邪鬼の得意技です。



2008年09月17日(水)
飛んでけ全開チャンピオン。


不注意でこける事は日常茶飯事なんですが(いい歳して)、その拍子に肘を思いっきり壁に叩きつけ、その後躯が倒れる勢いで接していた皮膚がこすり削られるという事件に発展しまして、まぁ流血沙汰にはならなかったんですが、部位を見ていると己の肉の一部が抉られているのがよぅ見えまして、といっても一円玉にも満たない大きさなんですが。
なんか話がふらふらしていてちゃんと骨格作ってから打ちなさいよって指摘を受けそうな。つまり大した怪我はしてないけど肉の階層が見えてちょっとびびったぞ、という感じで。
先の通り流血もしなかったのでマキロンすらせずほっときゃいいと家人には適当に流されましたがおいちょっと抉れてんだぜ人体の内部構造が見え隠れしてるんだぜちょっと楽しいきゃっほーい! でも痛いんだよ。
日が経つとどす赤くなって始めは肉の下の薄い膜のようだったのに徐々に瘡蓋の如く膨れ上がって自己を主張し始め、気がつけば役目を終えたと言わんばかり、老兵は去るのみとばかり、美しく剥がれた蓋の下の肌は少し模様が違うニュージェネレーション……
嗚呼何言っているのか判りませんか自分も途中から判じ得なくなってきましたがまぁ気分とノリで突っ走ろうとしていて今では触っても違和感無い状態にまで復元している人体の神秘って面白!
寧ろ一番の奇跡は神秘と打とうとして何をどう間違ったのか死のうとかになっているおれ病んでるのかなぁ。主がこうだとパソコンも似てくるのやも知れませんね。いやだから単純なミスだろ。
最近頓に人体について考えます。例えば歩くって、もの凄い事だと思いませんか。本当に平均かは判りませんが平均体重50kgとして、その重みが移動する訳ですよ。片足が上がっている際はもう片足に負荷がかかっていてその片足がついたとなれば反対の嘗て軸足だった足が今度は浮き、体重計の上に片足立ちしたって意味が無いけどこれは其々に相当な重みがずっしり乗っているのに耐えている足って凄いなと。更にその重みを持った沢山が蠢いていても耐えられる地球凄いなとか。あれ人体を讃えようだったじゃないか。
えーとそれじゃ、心臓がもの凄くて、いっそキモイと感じます。だって少し動いたりして鼓動が活発になると、嗚呼本当にこのリズムによって己というものは生かされているのだと、ダイレクトに命を感じて、こんなちっさな塊をいじめ倒して生きているって一体自分は何様なのかとか本気で小一時間問い詰めたくなります。
但し脈拍が中々計れない為ちょっとハードに動いて発見容易にしないと言及出来ないのが残念ですね。尤も大した運動しなくとも直ぐに音を上げる心臓及び肉体ですが。
脈拍もそうですが温度もわからないんですよね。今自分の手が温かいのか冷たいのかはっきりせず、他の場所を触っても例えば冷たいと感じてもどっちが冷たいんだかわからないんです。自分が鈍感なだけなのでしょうか。このままでは手を額に当てて体温を測るという萌えシチュが完遂出来ませんがそもそも体温を測ってやりたい相手がいませんでした。
あれー!? 人体の神秘について語り明かしたいのに!!



2008年09月16日(火)
君だけが持ち寄れる正義。


人とは、その頭に知恵を持ち、その手で道具を持つ。それが特徴として、他種との差になる。
けれど、持った道具が、知恵を以て、おそろしい結果を齎すと理解しても、倫理的に問題があるとしても、使ってみてしまいたくなるという好奇心は、本能か。
それともその考え方自体が、禁止されている事程やりたくなる、という気持ちが、本能なのだろうか。
嘗て刃を持った時、始めの人はなんの為に見出したのか。肉塊や他を切り裂き生活物資とする為だろうか。それとも、誰かの命を奪う為だろうか。
ぱっと思い当たる可能性は、今も大差なんて無い。ただの便利な道具より、武器に獲物にしたいと思う人がいても別段おかしくはない。ただ、当面この国では同属はおろか彼是許可を得なければどのような命さえ奪う事は難題。
それは、刃にとっては悲劇なんだろうか。それとも、知恵を扱いきれない人間の悲劇なんだろうか。

ところで爽やかにエロスを振り撒く沢村一樹氏が結構すきだったりしますが、なんかもう如何にもテレビの都合といった体でイロモノやらされていて涙がちょちょぎれてきます。とかいってフリとか全部沢村氏発案だったら全く無意味な哀れみですがいいやあの不必要な過剰脚色は時代に取り残された脚本家臭い。なんだお前失礼な。



2008年09月15日(月)
生まれた事がいやでいやで産声あげた。


時折、己の意思の弱さにめげそうというかへこたれそうというか打ん殴ってやりたくなる。
退職についてオーナーと話している最中、矢張りと言うかそれが常套なのか、要約すればゆくゆくは社員などになって店を纏める柱の一つとなって欲しかったのだけど、という旨を伝えられて。
いやそれだから引き留められようかという話ではなく、寧ろそうなると思ったから逃げ出したかったのも一つなんですが。まっこと無能な駄目人間の言い分としては、そんな責任ある立場になんてなりたくないんです。自分が誰かに指示を出したり些細な振る舞いが問われたりするなんて、吐き気がするんだ。
向上心があるならば別なんでしょうが、いや違う適当にやっているって訳ではなくて、だけどプロになりたい訳でもなくて、歯車の一つでいいというか、平のまま人の指示を聞いていたいと言うか、なんかどう言い繕っても最低なんですがorz
わかっているんです、自分の仕事がどの程度のものか。手を抜いたりはしてませんが、全てに心を砕いている訳でもない。努めた長さ以上の成果はないといいますか、逆に長さに比べて中身が無いと言うか、その辺りを自覚するからこそこれ以上いれば年季だけ見て上だと見做されてしまう、無能なお局様になってしまい、それは駄目だ、自分の心情も店や仕事の質もよくはならない。

だーのーに、状況によっては十月いっぱいという約束から引き延ばしてもいいとかなんとかほらまた口車に乗せられるんだ!!
そう来るってわかってたんだけどな! 電話やメールより直面しての会話における利点と呼ばれる生の表情とか声音とか反則だよな! 悪い事している気持ちになる。

それがいやな事や被害を蒙る事や興味がない事ならそつなく冷徹にNOと言えるのに、矢張りげにおそろしきは五十一害あって四十九利ですな。コンシェルジュの松岡社長のような、合理というものをきちんとわかっている人になりたいものです。



2008年09月14日(日)
偽りは親しげな顔でやってくる。


愛しきカヲル君のお誕生日が過ぎましたが特に何もしませんでした。え、なんか痛い事言ってる?w
去年は確か序公開記念も交えて何か一作仕上げようと画策していたようですが、間に合わなかったので内容を詰めた後来年の同じ日にでもあげるぜ、なんて思っていたりなんだり、凄いや丸一年放置プレイ!
ら、来年こそは(略)
いや、基本は出来ているんですよ。というか、基礎? 寧ろ二次創作ストックは断トツでエヴァが増えてきてますなんだよもうお前そんなにカヲル君すきかよ!
思うにmixiを始めた成果と言うか弊害だと思われます。誰憚る事無くみっともないくらいに愛を叫んだらもう歯止めが利かなくてね。あれなんかこの話もちょっと既視感が。
もう記念日がどーたらなんて気にせず順次。そうさ、少なくとも来年こs(略)

ところでグレンラガン映画化されますね。面白そうだとは思いつつも例によって例の如く録るしかしなかった自分と致しましては再放送も気がついた時には既に何話か過ぎ去っていて嗚呼畜生見たかったんだよ。
アクエリオンの時も思ったけど、やっぱり本編を見ないで見ようという気にはなれないんですよね。でも、本編を知らない人でも入れるような仕様なんじゃないかなぁとは思う。そうでないと映画として成立しないんでは?
嗚呼、まぁ、なんとか本編を見る事が叶った暁にはレンタルしてきますよ。ですから今は兎に角コナン、コナンを消化してマクロスに……! スレイヤーズもたまっているんですがそれは見たいと言った兄上様のせいなので後日しっかりしばき倒しておこうと思いまつ。



2008年09月13日(土)
歩み寄るつもりで土足でおいで。


昨日の魔王の話番外編。おにいたまこと典良さんのキャラクタ紹介に泣けたので抜粋して御紹介。
『慎重で冷静な性格のため、一見やわらかく見えるが内面には非情さを持つ。人々は厳格な父と比較し、穏やかな春のような人と呼ぶが、自分の人生が幸せだと感じたことはない。親しい友人もおらず、直人の親友達が"兄貴"と慕ってくれることが嬉しい。
。・゚・(ノд`)・゚・。
典良の死は正直計画通りだと思っていたのですが、あちょっとそこの夜神月思い浮かべた方、正解。
与太は扨措き、どうやら領にとっては計算外の事だったようです。あれだけ人の心理を計れていた領にしては、なんだかその設定胡散臭いですが……まぁ人は誰しも高々ちょっと優秀なだけでは神にはなれないという事で。
まるでハリーポッターの読後が如くネットの海を漁りまくっています。デジャブです。そういう習性なんだなと底の浅さを笑ってやって下さい。
でも不満とかがあった訳ではないですよ。強いて言うなら小ネタとかあったら知りたいだけで、最期の二人仲良く寄りそう姿とか震えます。どんな出逢い方をしても親友にはなれなかっただろうし、例え二人が生き残る結末でも互いしこりや贖罪の観念は消えないだろうし、この結末だけが、二人が本当に許し合い友達になれる形だったのだと思うと、もう悶々としますよ。

ところで今魔王とは別件でぐるぐるの世界にいるんですが、思考のループというか業の輪廻というかお前何ちょっと恰好つけようとしてんの、なんかその時期になるとヤンデレや精神的ブラクラもまっつぁおの言葉の羅列が溢れて、あはははうふふふ楽しいけれど客観的に見ると気持ち悪いな。
でもそういうのを吐き出さないと死んでしまう病という略して厨二病なのでなんかそんな感じの日記が連投され出したらおっもうこいつ虫の息だぜとせせら笑って虫とか言うな!!
なんだこの見事なまでの逆ギレ。



2008年09月12日(金)
君が聴いているだけで哀しい歌なんかじゃなくなる。


想像通りと言いたいところだけど結構裏切られました魔王。どうせこれを打っているのは日付の一週間後といういつも通りのすたれ日記具合ですが一応ネタバレ風味なので御了承下さいませ。

取り敢えずいの一番にいう事でもないんですが、不倫組が纏めて成敗されてしまったのが。悲しいような、そんな感じ。
おにいたまも葛西もすきだったので。でも正直その辺の展開は読み易く、身体検査しろよとか(兄)まだ危険人物いまっせとか(葛西)ありがちなツッコミしか生まれなかったんですが、あれかな、元が韓国だからかな、不倫も死罪って重たいですね。
いや悪い事に重いも軽いも無いとかそれは嘘っぱちですが、何なら見逃し何ならいけないと、その線引きは教育や宗教で大きく変わって、日本だってそりゃ責めを受けますが、特にあちらのお国柄は何処となく、恥知らずとして二度と表を出歩けない気がするのです。
少なくとも、幾ら愛する人が己を選んでくれ、保釈=逢ってもいいと言っても、笑いながら指輪とか買っちゃう駄目な子は、まぁまさに成敗だよね。ちょっとその辺のオバカ描写に一日の恋は冷めたようです。百年じゃないから冷めてもいいんだって。
ところで冷めたとは言えすきだった葛西と二大主演の内好みな役の方を殺した彼は、だからオタクこわいたきもとか言われちゃうんだよぷんぷん!

個人的に大野君の表情は、えも言われぬ色気のある時と能面のように取れる時があるんですが、逆に生田君は常に表情も目まぐるしく愛嬌に転じる哀れっぷりでしたが、あんまり突出したイメージもなく。
平均値の人間と振り幅のある人間が一緒にいると、其々の相違点が見易く両方の味を楽しめる反面、どちらかにのめり込み過ぎるとどちらかを毛嫌いしそうですね。
で、その二人が号泣しながらくんずほぐれつ(なんか違う)している場面では息もつけないシーンの筈なのに大爆笑とかしてしまう自分は最低なんだと思います。人としての軸が崩壊しているようです。
散々CMなどで騒ぎ立てられていた、衝撃の17分! 遂に明かされる真実! とかに腹が立ったので(駄目な反骨精神)何があっても騙されないべその為に予行演習欠かさないべとか努力はしたんですよ。
その推理では、大野こと領の最終目的が己の死なのだとは思っていましたが、生田こと直人の手によって、よりももっと具体的に、英雄が亡くなった時とほぼ同じ状況で以て死にたいのかなとか考えていました。
まぁ結果的にはそれは忠実にドラマで再現されている訳ですが、どちらかは死ぬんだろうと思っていたけれどその代わり、どちらかは生きているのだと思っていたから。直人が死んで領が生きるパターンもあるだろうと思いつつも、二人してバタンキューは、盲点だった。まだまだ甘いな。

そこここの感想を眺めていると、領は直人をもう許していたけれど、己を許す事が出来なかったが為に、直人を死なせてしまう結末になったのだ、と。成る程。
更に、直人は死ぬ時点で、領も致命傷を負っているとは知らなかったものだから、きっとこれからは自身の為に生きてくれと、領に願いながら息を引き取ったのだと思うと、切なくはなります。
その言葉に励まされるというよりは十字架の一種として背負わなければならない領にも最早齎されるには遅過ぎた選択肢だけど、しかしこの形になったからこそ、始めて選択肢足り得た気がする。作中の遺言状と書いてラブレター(いや過ぎる)でも、何度と無くしおりと新たな人生を生きる事を夢見たと語りながらも、先の通り己の所業を許せない領にとっては考えられない夢物語であり、一つの贖罪の形として直人が命を賭して提示して始めて、その道にいけた気がする。
でもまぁ物語というものが与える影響という観点からも連続殺人の幕を開いた領が幸せになるという結末はどうなんだと煩い道徳団体が糾弾するのでしょうし、例えしおりと離れ一人孤独にそれを不幸だと説いても直人が死んでお前が生きるのかと問題視されるのでしょうし、かと言って事故や正当防衛とは言え今回の原因そのものである直人が生きていたらありがちな正義は勝つだなんて扱き下ろされてしまいそうだから、共倒れってのがある意味一番正しかったのかな。
うわ最後に台無しにしたよこいつ。まぁ、見始めた時より面白いと思え納得出来る結末だったので個人的には万々歳です。ただ販促演出は自重しる!



2008年09月11日(木)
誰かが僕を信じてくれた夢。


先週自分がどう生きていたのか思い出せません。その結果とは言いませんがそもそも日記から週記に成り下がっている場に置いて更なる遅延っぷり。いや別に需要自体はそんなないんですけどねここ。うん。
えーと、この間が8月24日でストップしていたので、ひー、ふー、みー、沢山!\(^o^)/
あんまり動揺し過ぎて軽く顔文字とか使ってしまいましたが。寧ろ手の向き逆じゃねーのかなんてこったい。
もうですね、真面目に何もしていないんじゃないかな。いや、殆ど通常の動きだったと思いますよ。ネットも徘徊していた気がするし、何もしなかったという記憶さえないから、本当に何をしていたのだろうか?

相変わらずマクロスは見れていません。予想外にコナンが溜まっているんです。スペシャル二つを除いて、えーと後、34話? くらい(爆)。
個人的に結界師が放映当時から気乗りしなくてネプリーグに流れている間に溜まった産物なんですが、その結界師ごと録っていまして、折角あるんだから見るかさっくりコナンだけにしておくかでちょっと悶々としていたりします。
最速でマクロスに到達する為には気乗りしないままなんだから切り捨てろと思います、が、貧乏根性っていうのも最早微妙な、だから、折角だしみたいな感覚で。結界師スキーの方いらっしゃいましたらすいません。いつかもの凄い熱狂的にはまる時が来たらお前この態度切腹でも足りないからな。
実際そういう、今やっているから序でに感覚で録っているアニメもちらほらあったりするんで、見たいものだけにしておけよとは思うんですが、だって現状手に余っている訳ですから。
むーんむーんやっぱりこの際見る気が少しでも欠けているなら捨てるかー。



2008年09月10日(水)
間違っているのだ、君も、僕も。


今日も夢の話です。つまり独り善がりですがまぁほらいつもそうだよねっていう事で。も、って、別に直近ではないですが結構登場回数多いよねってそんな意味合いの、も、です。
大別して二つの夢を見たんですが、どちらも全編アニメな事に自分が滲み出ていて絶望した。
ま、一つの方は結構彼是ぶっ飛んでいるんで(そりゃ夢ですから)特筆すべきと言ったら、グルグルの世界観でヤッターマンの二人が妙にラブラブしているっていうくらいなんですがw
もう一つが、まぁあれですよエヴァなんですが、なんかね、その夢の中でさえ、胃の腑が揺れるような、驚きと緊迫感があって、ずっとこわくて、嗚呼きっとこれがこわいって事なんだ、って後から頭が追っつくような。
珍しくそんなに衝撃を感じたのでしたためてみたい気もするけれどあれはもう、あの見せ方であの間でやられたからというまさに素晴らしいベストタイミングで、エヴァっぽい演出だった訳ですよ、今更文にしてもなっていう。知らんよ始めから自己満足だろ。
うん、ちょっと個人的に書いてみたいのでつらつらしますが、少々暗いというか相当痛いあれなので、グロいの耐えられる方と更なる自己満足を許容出来る方にお付き合い願えたら。
因みに自分は始めそれを、映画の続きだと思って観に行っていて、”破”がそんな楽しみなんだろうかw、それなのに途中からシンジの視点をその脳の後ろにこびりついて見ているような、そんな感じだったんですが。ラストの場面で本気で、心臓の鼓動を感じて張り裂けそうの意味を知ったのは、でもなんかちょっとその相手がシンジなのは不服(なんだ偉そうな)。


 目が覚めたら、見知らぬ天井。
 それはもう、当たり前なくらい何十回も知っていて、それなのにやっぱりいつまで経っても見知らぬもので。
 嗚呼、だけど何故だろう。
 何十回と呼べる程、僕はまだ倒れちゃいない筈なのに。

 首元までしっかりと掛けられた布団は、しかしその割に重みが足りないような、身動ぎしたくて探っても、何故か右手は少しも動かなかった。左手も同じ。更に言えば脚も指一つ動かせそうに無く、余程重傷で神経がまだ回復し切っていないのだろうか。
 それはだが、妙でもある。これまでどれだけの激戦で、もう完治は不可能だと何度、思っても目が覚めてみれば見知らぬ病室で全てが完璧に整えられていたのに。
 NERVでも出来ない事ってあるんだな。
 句読点に辿り着いてからそりゃそうだ、否定が巡る。改めてそんな事を言う必要も無い、エヴァなんて不完全なものに自分みたいな奴を乗せて戦っているのだ、そうろくなもんじゃない。
 大体、父さんが陣頭指揮を取っているのだから。
 最終的に悪口に達すると、シンジは瞼を閉じて考えを締め出そうとした。しかし皮一枚を隔てた暗闇の中に浮かぶのは寧ろ、殊更鮮明になった父ゲンドウの、己を揶揄し、認めない、声。

”エヴァに乗れ。でなければ、帰れ。”

 父さん。それは、父さん。
 エヴァに乗らなければ、僕は要らないという事?
 エヴァに乗るのならば、僕は必要だという事?
 僕を棄てた貴方なんかにも、僕の価値があると、云えるのか。

 程無くして、病室のドアが機械仕掛けにするりと開いた。その向こうには、綾波やアスカやミサトや、来て欲しいと期待したり願ったりというよりも、それが当然に近いかのような懐かしさで思い描いた人物達ではなく、全く顔も知らない看護士が立っていた。
「お目覚めですか? 御気分は?」
 感情が籠っていないだとか冷徹だとかなんて事はなかったが、職業柄聞き飽きたのだろう事務的なその声に、シンジはあー、のようなうー、のような声にならない唸りで答える。
 満足はしていないだろうに追究せず、纏めた髪から数本ほつれてシンジの顔を擽る、至近距離で看護士は専門用語をぶつぶつ呟きながら胸元に抱えるクリップボードに彼是筆記していく。
 脇腹の辺りから布団を剥がして何かを始めたが、人の手の感触は無く、また仰向けのままでいたシンジには何が行なわれているのか見る事は叶わなかった。

 いや、違う。見ようと思えば、見れるんだ。

 看護士にされるがまま受け流していたが、思い至るとどうしても自分の肩から下で何がされているのか見たくてたまらなく、そして同じくらい、知りたくなかった。首を引き千切るくらいのつもりで目を逸らして、視界に届かないよう逃げ出したかった。
 視線を逸らした序で見つけたのは眠っている間にでも搬入されたのだろう、病室に所狭しと点滴やら他わからない機械が次々と並んでいて、そこから生まれる沢山のコードは須く清潔なシーツの上に横たわり柔らかく暖かな布団の下にある己の躯に続いているらしいのだが、地肌から離す事の叶わない筈の寝台の感触さえ、シンジには無く。
 じわりと、こめかみに汗が滲む。だけど背筋は冷え冷えとしていた。
「あの……」
 盛大な音を立てて飲み込んだ生唾から一拍置いて声を掛けると、看護士はちらりと視線を寄越した。
「僕、どうして……」
 聞きたかった事からいまいちずれてしまった質問に、看護士はなんでもないような口調で、使徒との戦いで負傷したのだと、矢張りそうだろうな、としか返せないような真実を語る。

 違う、どうしてそうなったかじゃない。
 それで、どうなったのか。

「あの、僕は、どうなって……」
 今度は長く視線を留め置いて、看護士は表情には迷いの色を見せないながらも逡巡しているようだった。心臓の鼓動が速く激しく煩くなったように思われる。肉体という殻を打ち破らんばかりの動悸が、だけど珍しいとか何があったとか考えるより、当然だと受け入れている脳の方が理解出来ない。
 肩口さえすっぽりと包み込み、きっちり全てを覆い隠している布団。
 やがて看護士は、いつの間にやら大所帯になっていた同僚らに話しかけ相談しているようだったが、結論が出たのかシンジの頭を持ち上げて斜めに傾けると、その密閉している純白の柔らかな拘束を、ゆっくり、ゆっくりと引き剥がしていく。
 落ち着いてだとか何かそんな言葉を掛けられている、とは耳が感知したがしかし理解の領域まで到達出来るとは思えなかった。
 いっその事この心臓が何処にあるのかさえわからない、なんて混乱しかけて、痩せた細い胸が布団の下から登場する。

 ……だけど何故だろう、妙に色が濃く、硬質に感じる。本当にこの胸板に心臓が収められているとは、感じられなかった。
 だってこんなにも精一杯、生きている事を確かめるかのよう暴れ狂う鼓動を、少しも現してはいない。
 脈打ちを正しく繁栄しているのは、少し離れた首から上のように思えてならない。懐かしむかのよう、思い出すかのよう、生々しい質感をただ記憶が、反芻しているかのような。

 緩やかに開けていく結界、胸部の向こうで、先に登場した無数の機械の触手が連なって隠れている。だけど何故だろう、頭を捻ってみても、コードの先は皮膚の上ではなく、骨身や内臓に向かっているように見えた。
 重く暗い影が徐々に徐々に光を含んで薄く照らされやがて晴れると――――
 まるで蛸や烏賊のよう、それとも水母のが正しかった。シンジの感覚が正しかった証明として、大小長短様々なコードが、シンジの躯から、それともシンジの躯に向かって、いや、或いはシンジの躯そのものとして、生えていた。
 胸部から、正確に言えばそれもきっと心臓だけで、生体に模した偽りのその胸部と己の意識を繋ぐ首から上。
 シンジの躯はそれだけしかなかった。


知りたくてたまらないのではなくもう知っているからちゃんと知らなくちゃいけないような、だけどやっぱり知りたくもないような、あの感覚はだから(と言われても夢で体験した自分にも最早霞んできていますが)、きっとシンジは上半身も満足にないと理解しているんでしょうね。
まぁそれでどうやって生きているのかはてさてさっぱりですがきっと2015年には心臓と脳さえ生きてれば生かす技術があるんだろうという事で。
本当の本当に正確に書するのなら首だけがナマモノっていうか、いっそ首も螺子っぽかったりなんだったり。しかしそうすると心臓の鼓動が説明がつかなくなるので自ら夢を改竄する罠。



2008年09月09日(火)
愛の人でした。まるであなたのよう。


最近ちょっと御無沙汰気味ではあるんですが、地上波があまりにつまらなかったらキズステにチャンネル回すという習慣は相変わらずしっかり根付いたまんまです。
それでたまたまだぶるおを見ていて、先日のHDD騒ぎで再放送をたんまり録画しておいたもののこれを改めて見るのとその時間を使ってマクロスを見るのとをどっちがいいかと考えた末に苦渋の決断で消したので、いやこれがDVDに焼けばとも思ったのだけれどじゃあ一度見た事のあるこれを見るのなら他の未視聴作品いけしって事になるだろうがぬらば!(言語がおかしいです)
この決断を下すのに軽く一時間くらい悩んだんですが(アホ丸出し)、結局保存せず消してしまった経緯から(言っとくがものっそ長かったからねお前)(何行割くつもりなんだ)なんか妙に申し訳ないようなこんなあたいでもいいのかいみたいな訳判らない気持ちで見ていたんですよ。
それが丁度アレルヤ・ハプティズム全盛期で、久々だねアレハレ結構すきだよ特にアレハレエピソードで一番推しているのはそうそう確かこの話のラストのもう20歳だからオッケイなんです的な条なんだとか若干可愛がる親戚のおばさん化していたんですが、そんな小ネタは覚えておきながら本編のシリアスはすっかり忘れていて、もうね、あのね、なんていったらいいのかな。
打ちたくないんだーと泣き叫びながら豪快にぶっ放しているアレを抱きしめてあげたい。録画していたら思わず三回はスロー再生仕掛けるね。残念ながら通りすがりでしたがね。
多重人格が出されるとついISORAかゼノギアスを思い浮かべてしまうんですが(先に脳内に蓄積されてしまった情報あなおそろしや)、いや、でも結構イドたん的要素はあると思うんだよハレの方。
まぁ、だから、なんちゅーか、やっぱ見ると心臓きゅんきゅんしちゃうねダブルオー。やっぱり無理をしてでも録画組を見るべきだっただろうか……否、途中からでもよければこうして他のツールもあるのだから今は出来る限り全速前進で初期化対策とマクロス消化!
ただ、この熱に乗じて某ミクシで、エヴァ宜しく一言コミュ(逃げちゃ駄目だ、とか歌はいいねぇ、とかただその台詞いいよねって表明する為だけのあれなんですが)に入りたかったんですが流石リアルタイムはたまた旬というべきか、数多過ぎて無理ぽ。畜生若い世代向けとは言え腐ってもガンダムか。
ところで熱が高まるあまりちょいちょい標準語に翻訳忘れてます。標準語っていうか、勿論なまっているって意味ではなく、そんなにネットスラングもないけど、こう、脳内の原文そのまま過ぎてイタキモ!



2008年09月08日(月)
どうぞより善き、選択を。


あれ、今気づいたんだけどゼノギのレネとロニってエドガーとマッシュのミドルから来てる?
昨日ひたすらゼノギアスについての疑問をでらでら連ねていた発端となった頁でFFのキャラ紹介もやっていまして、そこを眺めていての驚愕の事実。
ふ、ふーん。それで行商人なのか? それじゃアヴェはフィガロ?
今更気がついたといえば、スラムダンクのED『煌めく瞬間に捕われて』だったか(相変わらずうろ覚え)の一節に、「夕べのあいつ疲れた声だった」ってのがあるんですが、カラオケで歌うまで長年の間「夕べのあいつ疲れたとえばった」だと思っていました。吃驚だよ! 
何処となく『あなただけ見つめてる』の男だと思っていたので(昔はEDが変わっても混同したっていうか、関連性を見つけようと勝手にストーリーを捏造したりもした訳です)それぐらいの外道っぷりもありかなと思ってw

録画用HDD内を整理していたところ古いアニメもちらほら、ブラックジャックなんてあったのでつい消化してみたんですがちぇんちぇーやっぱ萌えますな。にやにや。個人的にはピノコは苦手な分類なんですが、先生の溺愛っぷりがしょうがないのでいいんです。カプリング観点で愛な訳ですな。
しかしあれだ、全然21になってから見た覚えがないんですが。録画されている最後のブラックジャックでED切り替わるとかそれどんなイジメww そういえばいたような気がしなくもない女暗殺屋さんが妙にピックアップされていたんですが、なんだか俄然気になるのでウィキります。え、自然の成り行きですが何か?
結果:あんまりわからなかったorz



2008年09月07日(日)
あの日あの時の君の正しさは。


ハリーポッターを読んでうっかり夜更かしし明日どうしようとか狼狽える兄上様ザマミロです。嘗ての我が身を見ているようで嗚呼面白や。読み始めると夜でも止まらないそんな特急具合です。
それは兎も角また、知らないと全くついていけない話、場合によっては知っていてもちんぷんかんぷんな話をしますが大丈夫ヲタって大体みんなそんなやつ!
ネットを彷徨い中出逢い、何十回目か忘れましたがゼノギアスについての解説を読んでいて、またしても疑問が湧く。エヴァもそうですがこっちも後から後から疑問が噴出します。尤もゼノギアスの場合はDisc2が大変残念な事になっているのでそこをちょいちょいして説明しようと思えば出来たのやも知れないんですが、それにしてもゲーム本編をやっているだけではわからない情報が多過ぎます。

波動存在は、どうしてそもそもアベルが接触したからと言って母性を持ってしまったんだろうと。何故投影してしまったのか。感応なんかしないで放置するって手はなかったのか?
いや、なんつーか出逢ったのがアベルでなくもっと邪まで許されざる存在だったとしたら、対存在も変わってしまっていたのか? と。求めるものがもっと利己的で誰かを傷つけるような欲望だったら。まぁ、所詮ifなんですが。
それから当然だったのに今始めて気がついたかのような衝撃、デウスの部品として生まれる以外にもアベルという人類は存在していた。あの星の生命体という点では違うけれど、人間という概念はあった訳だ。
それじゃそもそもからデウスは人をパーツとしていたのか? それとも、あくまでデウスに生み出された存在だけが(あの星の生態系における人間のみが)パーツだったのか?
一瞬、アニマの器を扱える皆も実はエルドリッジ生き残り組系統なのかなとか考えたのだけれどどうやらアベルが唯一の生き残りのようで、そうしたら、一人不時着した星でアベルは、カインやエレハイムを、どう感じたんだろうか。非常に疑問。
いやでも最初のエレハイムがそうだったように成長体として出て来たのかな。それで生存者と勘違いしたか?
むーんむーん、ゼノギアスも難しい事だらけです。取り敢えずこんな僕にもわかるのは、メインのみんなよりきっとOPの艦長とかのがめっさ喋ってる! それくらいです。



2008年09月06日(土)
悔しい錯覚。


ルリたんがイミフだったよ!! ちょっと幼稚園児じゃないんだからさ! もっと頑張れおれの日本語!
改めまして打撃天使ルリに、ちょっと最終回で突き放されました。以前から主役の人さえ違えばもっとのめり込むのにと申し上げているあれですね。中々テーマはすきだったんですが。
所詮彼女が正義に拘るのは己が悪でありたくないという極く一般的且つつまらないものだとしても、その邪まなる者達を破壊する拳が通り一辺倒の正義ではないのはとても好みだけど逆に単純に世間には暴行魔として取られる風潮にハァ? とかちょっと腹立っても、なんていうか、ピーターが恰好良過ぎてね!!
彼が悪判定される程、容赦のない人間だと言うのはまぁ判る。一夜にして信者化したちょいキモすなおねえちゃんを余裕でヤッチマイナ! でしたからね。しかし、とてもとても、理解出来る事を仰っているのだ。

犯罪者に人権が無いと言うのも、冤罪の可能性について聞いてはみたいが、被害者より加害者を手厚く支援する法制度の当国家に疑問を懐く自分と致しましては、少なくとも反省の色を見せず己のやった事を罪とも自覚せず寧ろ偉業として捕らえている節のある人辺りなんかはさくっとやるべきだ、という点で賛同しますし。条件付の可って事だな。だが貴様いつからそんな条件出せる程偉くなったとお思いで?
特殊だからと切り捨てるのも確かに頂けないんだが、更生出来る筈とやっきになって年単位で彼是を引き延ばすのも如何にも愚策でな。
特に、公式サイトのおさらいにもあるんですが、「被害者達は法の下、特殊な感情の中で生きている。それを土足で踏み躙ったんだ!」的な台詞ときめく。そう言いながらもうろ覚えなんですが。
なんかね。本当に、無念だと思うんだ。どんな事情があろうが許さないけど、己の大切なものを壊した奴をやっと捕まえてみれば、心神喪失で最後の放送禁止顔みたくあへあへして、責任能力無しって法で裁かれないの。
だから死刑制度反対の取り組みの為にそういう鑑定に持ち込んでいこうとする恥知らずは踏み潰されればいいと思う。誰ってそりゃ、えぇっとじゃあ先週今週のチョッパーに(うわぁ)。あれ真面目にこわい。

故に、更にそれを覆す為のルリたんの言葉は寧ろ一層虚しく聞こえたと言いますか、凄い白けた。あくまでも個人的な話ですよ。
ピーターの言葉に感じ入ってしまったからこそというのは否定出来ません。後だからあの主演女優をどうにかして下さ(略)
でもさ、結局最終的に正義に帰結すんだろ、っていう展開は、それまでの彼女自身の葛藤を嘲笑っているような、お前ついさっきかなり怒りに任せて人打ん殴ったからなっていう言う事とやる事がちぐはぐな件が。
ところで犯罪という話で思い出しましたが、エンタの鳥居さんは平気なんでしょうか。個人的には大プッシュの彼女ですが、少なくともエンタでやっている事は毎回同じ性犯罪と殺傷なんですが。そこんとこ、どうなの?



2008年09月05日(金)
君が何を言っているのか、わかるようになってきた。


放映当初思っていたよりもずっと魔王が面白くなってきていてドキワクしてます。
どうも周囲のキャラクターに愛着が持てない事が多い昨今、魔王も生田君側の陣営で惚れ込める人がおらず(最終的に破滅が待ち構えているという点で善人よりは悪人側にしておきたかったのかも知れないけれど)(でもそっちのが胸は痛くとも面白いのにな)、精々が不倫組で、取り分け天然っぽさが売りのお兄様辺りどうなるのかな案外何も知らずさくっと殺されちゃったりしてとか不毛な事ばかり考えていたんですがこの辺りの緊迫感が半端ねぇです。ごめんなさい甘く見てた。
特に、最終的にお兄様が自分はのがれられると思っていた根拠が、部下の愛でも、妻の忠誠でも、鉄壁のアリバイでもなく、兄弟の情というところに。
本当、彼の言った、おれは庇ってやったのに、はその通りなんです。別に庇ったから庇い返さなくちゃいけない謂れはないと思うんですけどね。ギブアンドテイクはその通りだと思うし恩を受けたと思ったら恩で返したいけれど、刑事としてだけでなく殺人犯という事実に目を瞑るという庇い立てが恩の返し方とは思えない。
嘗て罪を犯した弟。その為に親と疎遠になりがちな弟。また同罪か巻き込まれたか少なくともいやな心地を共有している友達(殺人への加担という事実に今も喘いでいる描写はリアリティがあってよかった)。多分、そういうの取り計らってくれたの、お兄様が強いと思う。
勿論マイナスイメージを流布させないという意味でも、不器用お父様が実際にも多大な力を発揮したのだと思いますが、癒しと言いますか、橋渡し? 中間として、両方を宥めていられた、貴重な存在だったように思う。
ちょっと情けないと見られていた節があったし、何処か小心者というか、少なくとも大人物とした器ではなかったと思う。だからこその、清涼剤的な。
なんかね、どうして奥さんは彼からの愛情は無いと思ったのか判らない。正直数話前のやり取りで彼女はただの魔性か遊びだったのかななんて思っていたのですが、意外と本気でのめり込んでいたようで(つまり浮気じゃないよな最早)、それは社長夫人としての重圧やらなんやらに押し潰されそうだったところを支えてくれたなんて言っていましたが、その辺のエピソードが詳しく出されないからいまいち真実味が。
魔王がいっその事三人主題ならいいんだろ、ってなくらい三人にスポット当てて欲しかったみたいですよどうやら。いや、だってそうじゃないと、妻を深く愛しているのにすれ違う夫、思うような愛情を得られず背徳する妻、恩ある人を裏切ってでもその妻を愛してしまう部下、というよりは、ただの天然馬鹿と、遊び半分の魔性と、世間知らずの坊ちゃん都会にのめり込む、みたいに見えてしまいましてね。
まぁ何はともあれ僕はどちらかというと大野君派です(あんだけ三人を語っておきながら)。役者自体は幼い頃から知っているというイメージで生田君なんですがね。別に面白パーティーやってるよという噂はあの界隈からは度々耳に入る話です常考。



2008年09月04日(木)
みんなあなたのチャンスになって消えた。


くりぃむナントカが打ち切られました。斯くいう自分もゴールデン昇格後一度も見ていません。つまりいつも通りの録り専ですねww
個人的にヘキサゴンが面白くそれで満足しているので変更しようとは思わず、でも見たいから録るって言う、そして録ったからと言って見る訳でもなくいつか見る用とか称してDVDに以下ループ。たまに水のないプールに飛び込んだ方がいいんじゃないかと思われる。
まぁでも、深夜の時点では結構すきでした。内Pが終わってしまった事に関してくさくさしていたとは言え、それを後釜に持ち込んでも仕方が無いと言うかナンセンスですから。まぁぶっちゃけ更にその後続のお試しかは特定のコーナーしか見ていませんが。
で結局何が言いたいかって、やっぱり深夜だから面白いってものがあったり、強力過ぎる裏番組の対抗馬としてのみ考えるのは頂けないなと。
最近はなんでも使い捨ての風潮が高まっている気がして、そうでないのはリメイクマンセーのスクエニくらいのもんでしょうが、それはそれで頂けないんですが、ニーズに応えるべく常に新規開拓という精神や心構えも大切なんでしょうが、今あるものをより高めるという作業もせずただただ打開策を求めるふりをして妥協案に乗っかるのは能無しの露呈に他ならないのではないかと。
勿論既存に固執し過ぎて芽吹こうとしている新しい風を踏み潰すのも全く以てナンセンスなんですが、結局そこんところを誰なら上手に見極められるかって、指針になるべきプロフェッショナルが欠如しているんじゃないかなと。いや実情は知りませんよ。勝手こいているだけです。
はひゅーん。どんなものにも必ずファンがいて、好意を懐いていて、同じくらい嫌悪を持つ人も、それ以外の大多数が無関心であるのも、仕方のないくらい当たり前の事。



2008年09月03日(水)
トキメキを止めないままで。


昨日は本音を暴露し過ぎたので別のアプローチからスポーツを褒めたいと思います。
例によってソースは忘れましたが、『人は空を飛びたがっている』という思いの証明こそがスポーツの歴史そのものなのだそうです。
概ねのスポーツで求められるのはより速く、なんじゃないかと。強くだと抽象的過ぎるし(速さも内包されてしまう)、彼是を要約した場合に。細分化するとより軽くとかもあるんですが、何故それを求めるかを突きつけると、そこに到ると。
それからより高く。これも各スポーツ共通じゃないでしょうか。あんまり打ち上げ過ぎて飛距離が伸びず取り易くなってしまう(野球)とかそういう事はありますが。というかこの場合は寧ろ身一つの競技の話なのか?
それで、速くなってどうしたいのかと。高く飛んで、どうしたいのかと。突き詰めたら、重力から解放されたいという無意識、故に空を飛びたがっていると。
……うんすいません、始めてそれを聞いて成る程と納得した自分の感動をお届け出来ない事が何より悔やまれます。この辺りにきっと愛着の差が出るんでしょう。そりゃ自分だって語るのがアニメだったらもっと熱入ってると思うんだ。
そう提言されていた方はきっとスポーツがすきだからこそそういう境地の発言をなされたんでしょうし、その愛に裏打ちされた経験や見てきたアスリートの数だけ真実味を帯びた言葉だったのでしょうが、記憶曖昧なアンチスポーツが打つと途端にこうです。なんとか記憶力を増強して全パクしても若しかしたら伝わらなかったかもNE☆
まぁでもさ、スポーツをやっている人が全員尊い訳でも清い訳でも勿論ない。寧ろシビアな実力主義だからこそ薬物汚染が広がってみたり逆に所詮縁故頼りだからこそ未だに汚いお金がびっちりなのやも知れないし。
せめて競技中だからこそクリーンさが求められてもスポーツマンシップに乗っ取らなかったり、一大イベントと言って遜色ない祭典中にどさくさ冷戦紛いを銃爪にした紛争はあるし、かと思えば会場近くのホテルのがら空きさにもめげずになんとしても盛り上げようと意地になってCG捏造してみたり天候を左右してみたり国栄だのというくだらないもので一生もののトラウマを作ってみたり。
実際どうなんでしょうね。直前での紆余曲折すったもんだ諸々があったとしても、国家の威信を掛けたプロジェクトに相応しくないと思われた顔の子は今後、表を歩けるんでしょうか。寧ろその措置を名誉な事として誇っていたら流石共産主g(略)
そろそろ抹消されてしまう気がするので慎みまつww



2008年09月02日(火)
まるくて、やらかくて、こわれちゃったもの。


世間に叩かれているものを見ると胸キュンを起こす天邪鬼です☆
いや別にだからといって昨日の日記を書いた訳ではないんですがね。擁護にもならないあれは、だから民衆の愚かさに余は飽き飽きしているぞ、とw
悪いものはあくまでも悪く、悪い人に背負って貰いたいんですよ。或いは絶頂期に突然のさよならでなくちゃ、何事も高評価を得られた試しが無いように思われます。いや、試しが無いんじゃない。ただちょっと実例が少ないだけですが。
アイドル然り、バンド然り。若くしてだの、惜しまれつつだの、実際にはパワーダウンしていったらもういいやって突き放していくくせにな。
衰えていく姿を見たくないとか、それはそれで判るんですけどね。まぁ故の小渕人気だろって話です。勿論当時も本質も何一つ理解する事無く適当にぶっこいていますので反論されたらスルーが通りますよ。
じゃなくて!
あんまりそこに費やしたものだから分割しましたが本当はもう一個言いたかった。
元々スポーツぎらいですが、中でも取り分け一番イミフなスポーツ。ボクシングの頑張り過ぎダイエットも如何なものかとは思いますが、プロレスなんかのガチムチくんずほぐれつもどうかとは思いますが、その最高峰として、太った男の抱き合いなんて見ても、あんまりマニアックなファン層に絞り込み過ぎだと思うんです。
そういう訳で一方的な決め付けや与えられた情報による知ったかぶり、一方向からの目線への反論を此方でも繰り広げたいかと思いましたが、言いたい事が一つしか見当たらない。
相撲滅べし! 以上!



2008年09月01日(月)
おめでとう、昨日で終わった自分。


以前も似たような事言いましたが、特殊な分野において常々人の目に曝されるのは、何を成したかではなく、何が成せなかったか。
特殊な分野と言うのはつまり全ての事です。なんでも初心者には判らない事があり精通するからこそプロと呼ばれる空間がある。
政治家にもスポーツ選手にも漫画家にも、それ自体がプロと呼ばれるけれど名前負けか否かがある。年数だとかのつまんない話じゃないですよ。サラリーマンにだってプロがあると思います。
その中で、余程の成功例でなければ取り沙汰される事はない。否、そういう風に脚色されているのか。やたらと美談に仕立ててはサクセスかど根性のどちらかを磨き上げ、感激大すきさんしか見向きもしないような、或いは人の喜びはドブの味さんが悪態つくような、そんなものにしかしない。
正味な話個人的には興味が無い。一人の人間として生きている以上その発言が無責任だとか以前に悲しいものだと判っているけれど、それでも生まれてこの方興味を持つべくそれらに出逢った事が無いのだからして。
そしてそれ故に無知である。当たり障りのない情報や浄化されている洗脳内容、そんなもの程度しかこのお耳にゃ届いていないのだから、楽しそうに批判に走る人の気持ちもいつか奇跡が起こるという祈りも解せないものでしかない。

それでも、それでもさ。

結局福田さんが何をしたのか、知っている人なんているんだろうか。
何かしたのか、判っている人がどれくらいいるというのだろう。
その何かは何処でどんな影響を齎したのか、知りもしないで批判だけ声高に言えるのはどんだけ偉い奴だ。
その何かの有無さえわからないような蔑ろな情報操作に踊らされていればそりゃさぞかし気分がいいだろ。
因みにぼかぁ総理大臣が何をしたかなんて、まるで知らないさ。ワンピの効果音のドーンが欲しいね今!
でも、そこにいたのが誰だってきっとくだらない罵倒しか浴びる事はなかったのだろうし、これからそこに行く人も、きっと野次しか浴びる事も無いんだろう。
あんなに望まれて、その場に臨んだのに、聞き心地良く言い易いバッシングを総意として一体化しようとする安易な俗世が、だいっきらいです。お茶濁しか建前か歪曲した言葉かしかない政治屋は勿論の事。


原初 羅列