原初

羅列 回帰



―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰

2008年07月31日(木)
自転車のタイヤがからからと回るよ。


お前まだハリー・ポッターの話するのかよってな内容です今日も。でももう多分これで暫くはしないと思います。制御ではなく、取り敢えず言い尽くした感。
で、アマゾンにあるハリー・ポッターの童話? 一時期高額落札が騒がれていたので何処となくあれの事かなとお察しの方もいらっしゃるかと思われますが。手製の本を極く身近な数人に、一冊だけをアマゾンが手に入れたってやつですな。
で、それの感想みたいなものを読んで、いやぁ文章力がある人って素晴らしいと感嘆しきり。これが元々日本語で書かれたのか翻訳されているのかわからないけれど、これぐらいの文章だったら邦版もより面白かったんじゃなかろうか、と思うようなユーモアさが随所に。何よりも、話や作者への愛が滲み出ているのが素敵なんだ。
そんな具合で2chにいい感じに洗脳されていますが、それでも矢張り一つの本を長年に渡り訳し続けたというのは大変な仕事だとは思っていますよ。翻訳なんて七面倒な仕事を続け届けてくれてありがとう。
しかしよりよいものがあるのなら、というのは消費者心理であり、それが増大し過ぎればモンスターなんちゃらに化けていくというフラグ。あれそれじゃ駄目じゃん。

四、五時間もずっと文章打っていましたそんな自分がこえーよ。書き留めたくて止まらない脳内なんです。
一方で今更書き止めるには膨大過ぎてというか面倒で放置している彼是、かなり焼きついているから最早生活の一部だから大丈夫だろうなんて余裕ぶっこいているといつの間にか詳細も輪郭も忘れてしまうのかなという恐怖から此度の暴挙に到りました。
が、あらすじとしてはかなり細部まで書き込んだけどそれをどうにかする訳ではない件。非生産的w



2008年07月30日(水)
ちょっとおまけの死の秘宝話。


実に長々披露しましたが、これで締め括りです。いつか再熱した際にはまたおっ始める可能性も無きにしも非ずですが、取り敢えず今はやりたい事は概ねやったと、ため息混じりに言えます。後は感傷に浸るだけです(笑)。

・予測していた結末
長々と続いた感想の〆に、勝手に考えていた予測なんかを、蛇足ですが。つまりそうはならなかったのだという点を踏まえると逆説的なネタバレなので御留意を。

ハリーが分霊箱の一つであろう、という推測の元、それを如何にして排除するかの話です。プリンス読み終えてからずっと考えていたのですが、死の秘宝でより肉付けされた感じ。ですから、間違った予測なんですが。
ヴォルデモート郷があれだけ魔法数字の7をやたらと気に掛けていたのだから、例え不完全にそれが終わってしまっていても、何処かしらで7が果たされているべきだと思いまして。まぁ確かに、残りの分霊箱の数を考える為だけの7でも構わないんですがね。というか本体を入れると7なんですが。でもそれはほら、ヴォルたん気がついてなかったからの事でもあり。それともあれか、そうした失敗含め8であった事も失脚の理由になるのだろうか。

で、そうするとどうやってハリーについた魂の欠片を取るのか。指輪然り、恐らく五体満足でハリーだけ無事、なんて素敵な未来はないでしょう。
して、死の秘宝中で提示された打破方法を以てして、ロンが行なうのではないかと。それでこそ、親友としての優しさと正義を示し、また臆病者としての汚名を返上するチャンス。
分霊箱としての結末を知るハーマイオニーが金切り声をあげる中、必死で拒絶するロンを、そうしなければならないと説得するハリー。
如何に重大な事をやっているか、それがどれだけの利益と幸福をこれからの世に齎すか、感傷に浸り拒めばどれだけの命が無駄に散った事になりそしてこれからも散っていくのか、逡巡と葛藤の中、遂に意を固めるロンが、諸手を振り上げハリーを貫く――――。
その後はそのまま死亡パターンでも、損傷を負いながら蘇るパターンでもありだとは思いますが。
まぁ、具合は違いましたがねww





2008年07月29日(火)
続・死の秘宝を読み終えて。


はい、という訳で引き続きハリー・ポッター最終巻に関するネタバレ有りの考察です。特に話に添った事を述べるのではなく気になった点を突付き回すだけの可愛らしいものですがね☆
其々皆様自己判断にて進退を見極めて下さい。







































・臆病者
シリウスはセブルスのその言葉に怒り狂い、ある意味神秘部まで訪れたきっかけの一つになっている。
セブルスはハリーにそう言われて激怒し、言葉も切れ切れにそう称される事をきらいました。尤もそれは今になってみればなんて失礼なんだと理解出来ますが。
そしてルーピンもまた、その呼びように怒りを顕にしています。ショックのようにもとれます。
それ程多くの、皆一様に分別ある大人であろうに、まぁシリウスは若い時からアズカバンに収監とあって成長が止まっているという節もありますが、理性を失わせる、臆病者、という謗り。
正直ピンと来ないのですが、あまり実生活で臆病者なんて言うような場面に出くわさないからだろうか、それとも若しかして、翻訳の弊害なのかなと。つまり原書の圏内では一般的な罵りとして通用するものであったとして、此方で相当するものが無く、言葉として日本語では適切なのが臆病者だとして当て嵌めただけなのかなと。
上手く言えないんですが、英語圏の口癖であるファックも、翻訳された際日本語では実に多種多様に変化し、場面場面にそぐう言葉が当てられています。だけど今自分がぱっと罵声を考えて思いつくのは精々、ウザいとかキモいとかそんなのばっかりで、略されているからというのもありなんだか軽々しいじゃないですか。
若しかしたら英語ではヘイチキン! なんて書かれていたりして。うわ、それは、うわーだな。

何れにせよ、死の秘宝のみならずハリー・ポッターの全巻を通して一番臆病者とされるべきなのはロンだと信じて疑いませんが。
例によって例の如く愚か過ぎる行動や発言の数々。いえ、わかっていますよ。事の重大さと、あくまで眺めているだけの読者に過ぎない自分、そしてどうしようもなく逃げようの無いハリーと違って、常に自信が無く、たかが遺言と頼りない計画性、それから、己に与えられた役割があるのだろうか、誰でも良かったんじゃなかろうか、ハリーだけでも、そうした疑問が噴出する程気弱になってしまう現状。
にしたって、嗚呼駄目ですロナルド。やっぱり君にハーマイオニーはやれない! おれが貰(略)


・追悼と疑問
幾つかの人が亡くなりました。激戦を繰り広げる中、それは不死鳥の騎士団とて同じです。痛手を払い、話は進みます。
そのどれもが、そもこの作品の登場人物自体もそうですが、愛すべき人々で、深い愛を捧げていた方々は今も涙に暮れている事でしょう。
しかし、果たして必要だろうかと、考えた際にちょっと答えに詰まってしまう。
なんていうか、戦いの凄惨さを教える為の、謂わば見せしめに思えてならない。例えばダンブルドアなんかはもう結構いい歳してますからある程度諦められますが、多くが、ダンブルドアも含め多くが、先の理由か若しくは、ハリーを孤立させる為の布石に過ぎないと。罪悪感に苛め、悲愴感を漂わせる為の、演出に過ぎないと。シリウスの時にも思いましたがね。帰れる場所や待っていてくれる人があっては、進めないだろうと。
その誰しもが悲壮な最期を遂げるだけの役割を与えられているけれど、文章を作成するという魔術の前では、誰だって生きている事も可能だった筈です。手傷を負いながらも生き延びる一方に、笑いながら死んでいく一方。その命運を分けたものなんて、きっと大差無く。

名前も分からないまま死んだとされる数十人は、ですから詳細不明なんですが、いやしかし最初の戦闘の構図を考えるとやっぱりハリーに相当近しいんじゃないかと思いつつ、それを確かめる勇気はもう振り絞れそうにありませんでしたから、顔を見かけた程度か、さもなくば敵方にしておきましょう。これ以上の哀しみは背負い込みたくない。


・名付けと名付け親
この名付け親と言うのも、シリウスからしてハリー・ポッター内では重要視されていますがいまいち、理解に苦しむ。そんなに重要なんだろうか。
某夫婦に子供が生まれた際是非名付け親にとハリーがせがまれていた条を見るに、名前は既に決まっているのにその役職だけ与えられているような。つまりあれか、介添え人というか、後見人って意味なのか?
だとしたらばあの時点でよくもまぁ後見人なんて頼めたなと思いますが。最も危ないんじゃないか(笑)。

※(ややネタバレ)
その後名付け親としてどう接するのかという点は殆ど画かれていませんが、シリウスの如く接しようという気概はあったのやも知れません。
ところでそのシリウスの名前は、他のお世話になった沢山の人の名前に埋もれてか見当たらなかったのですが。それだけハリーにとっては大切だったという事か? うん、ダンブルドアは兎も角、後は顔だけ見た事があるとか、後になって色々わかったとか、微妙な関係性でしたからね。でも敢てその名をつけた事に敬意を払いたい。
しかしジニーさえ気遣うという事は例えばAとか省略されるような、普段は知られない部分の名前なんだろうか? まだちょっと蟠りがあるのか? まぁ子からしたら微妙な純愛でしたからね(笑)。しかしですから、敢てその二つの名を与えられたあの子供は、きっとキャンディを貰って特別だと思う事でしょう。
その点を行くと他のところの名付けが残念でなりません。勿論生前の友の名前じゃなくちゃいけないなんて理由は無く創意工夫してありったけの想いを込めて子供に名前を与えるべきですが、選外の名前を取り入れて欲しかったなぁなんて、ちょっち思っただけです。
ところで一番最後、テディと良き仲だとされた子の親が不明なんですが、これ誰なんでしょうね。そうすれば「本当の家族になれる」といった台詞がありましたから、予想ではヴィーラの血を微かに持ってる子なんじゃなかろうかと。
尤も不明という点では、ドラコが一番気になりますが。え、その隣は設定誰? 別に学友じゃなければいけないなんてこたないが、まさか、まさかのパンジー? いや、ドラコは頭いい子だからちゃんと選べる!w




・大いなる変化
実はダーズリーの再登場を予測していたんですが。何故ならば、彼らの柱であるダドリーが、ま、なんだ、つまり変化の兆しを見せたからです。
また、ペチュニアさんも何か言いたげにしていました。その後彼女の複雑な心情もある程度囁かれましたから、若しかしたら、家族なんて言えなくたって、又少し縁が復活していてもいいんじゃないかなって。
尤も本来の大黒柱であるバーノンおじさんは一貫して蚊帳の外でしたがww 無理に挿入しない事もクオリティ。

変化といえば此方も見過ごせません、ネビルは立派になりましたよ。
彼も又、もう一人の可能性を秘めた運命の子でした。果たしてヴォルデモート郷が選んだのは半純血でしたが、その運命の悪戯を知っていたらどう答えるのか、是非知りたいところです。
否定する祖母や優秀な同窓に埋もれて常に怯え隠れる傾向のあったネビルですが、矢面に立ってくれる人がいなくなったら、毅然と立てる存在なんじゃないかなと思います。必要なのは自信と度胸。実力はあるんだと。セブルスのいない魔法薬学なら好成績を収められるように。
そんな事をいうと予言が総てではないとダンブルドアに怒られそうですが、だとしても、可能性という資質を秘めた、存在だったのだから。だって誰しもが、未来という可能性を持っているのだから。


・その後の関係性
知りたいところですが、それこそ僕らの本領発揮? 嗚呼、まぁ、沢山が詰められた話ですから、そういう余地は必要やも知れません。といっても全作中幾つか数行で流された季節や夏休み、親世代なんかがその余地に当たりますがね。
取り敢えず悪戯専門店が繁栄して、ハリーの願った、笑いが沢山必要になる世界から、無駄なくらい溢れている世界に塗り替えてくれている事を願うばかりです。

気になるといえば小鬼はどうしたのでしょう。屋敷しもべ妖精は実に二巻から出張っていますが、小鬼についてはあまり掘られませんでしたからね。これからが必要とされているのやも知れません。彼らも又、魔法族の泉にある虚偽から改められなければならない筈ですから。
だとしても、根城を荒らされるわ再び奪われるわ、小鬼としては唯一面識のある彼が先導して対抗していたとしても、詮無き事かも。後で鎮めてやった事を願っておきます。


ところでハリー達は事実上中退なんですが、以後もそうした扱いなんでしょうか? 個人的には後年にチャンスを齎されて然るべきだと思うんですが、職について明記が無かった事と平行してちょっと不安になります。
いや別に校長になったとか魔法省大臣になったとか願っていませんが、なっていても構いませんがそうでない今考えるとちょっと御都合主義よな、闇祓いも必要かどうか。そりゃ、いつの時代だってそうした警察機構的なものはいるんでしょうが、多分緊迫感に欠けると思われる。




・ゴースト達
寮付きゴーストの変遷というか、任命のされ方がちょっとわからないんですが、先日気にしていた血みどろ男爵に少しスポットライトが当たっていて舞い上がった件。ピーブスは不明なままでしたが。
ただ、ハリーの周囲の人が軒並み「逝ってしまう」タイプなのは多少、寂しくもあり。ゴースト然り、肖像画然り、命を亡くした後も魂や知識が残り、それも話が出来るとあれば、それはまさに、全人類の願ってやまないところなんじゃないかと。
しかしハリーは、多分それを望まないでしょう。望むのなら、活かす方法もあったし。


ただシリウスが若い姿だったのは、ハリーの目で見たシリウスを哀れに思ったからなのか。だとしたら、ちょっとナンセンス。いや実際、ハリーへの愛情以外によかった点は双方なかったでしょうが。頬こけてるし空腹だったり軟禁だったり。その時代のシリウスの方が輝かしく幸せだったろうと思ったのか。何せ性格自体は大差がなかったとされているのだから。
というより若しかしたら、皆が若いのか。夫妻は既に歳を取らないし、それに合わせての時代設定になっているのかも。ルーピンにしても、幸せかどうかは兎も角、みすぼらしいままの身形ではより気に病んでしまったやも知れないし?
嗚呼でも、是非その中にかの先生を入れて欲しかったよハリー。




・以下雑然とした与太
結局神秘部はその後触れられませんでした。これが先日参照の疑問点の解消や符合点の中では唯一大きく間違っていたところか。他は大体納得しましたから。
嗚呼、だったらハリーには無言者になってここの解明に勤しんで欲しかったなぁ。

ダンブルドアは頑張れと肩を押したけれど、検死は運任せの節があり、つまり最初から躓く可能性があったのではないかと。思うと、結構あの人いい加減じゃありませんか(笑)。要するに他の誰かだったら、多分全部アウトでしょう?

それにしても、不要な話の無さといったら、極め付けですね。本当に些細な彼是から伏線が始まっている。
だからこそ映画化で削った場面なんか、どう整合性をつけてくるか見物ですね。2時間に収める為にあれやこれや変えた、平気と思われた小道具が重大な意味を成していた時。
いやまっこと、メディアを変えて表現すると言うのは難しい事ですね。

取り敢えず、事が終わったなら皆に真実を話してあげて欲しいものです。協力してくれたネビルやジニーに、それからダンブルドアからのが好ましいかセブルスに。どちらにせよ、セブルスの真実は、本人がいやがるにしても、マクゴナガル辺りには響いて欲しい。



2008年07月28日(月)
ハリー・ポッターと死の秘宝を読み終えて。


それではハリー・ポッターと死の秘宝についてネタバレ全開でお送り致します。ごめんなさいやや嘘です。ややってなんだややって!
積極的に明かしていくつもりはありませんが触れたいネタについては気分次第で配慮してみたり容赦なく記したりしますので、先入観無しでいきたいんだという未読の方、或いは自分の中の思い出として昇華したい既読の方も自己判断にて撤退が正しいかと思われます。では以下スクロール。反転はしていないので御注意下さいませ。






































・ダンブルドア
丁度以前日記で触れた彼の詳細について、予想以上の手応えがありました。
流石奇人変人の宝庫ですから、ただの聖人君子に留まらず。過ちや愚かさを誠実に時に辛辣に綴られるからこそ、より人間としての深みを感じ入ります。
伏兵どころか割と活躍するアバーフォースや、まさかの鼻折れまで、小さな理由があるとぐっと現実的で、ある意味では死の秘宝にはハリー・ポッターの名を冠さずダンブルドアがぴたりとくる。尤もそれは後述のセブルスや、或いはヴォルデモートにも言える事なのですが。

また、下巻も終盤の方でダンブルドアは裏切っていた、とハリーが知る場面がありますが、そして驚きも無いと、それは若き日のダンブルドアの言葉を借りて説明もされていますが、実際、納得してしまうのがこの人物の懐の凄さだと思う。そんな事無いよって否定に走るより、それもあるかもと思えてしまう。
あれだけ人が良さそうな、まさに好々爺として振る舞い、且つハリーを愛していると云っていたのに。それでも、六巻分で接した人柄と、事の重大さを考えるに当たって、その無慈悲ささえ、必要なピースなんだって。
他へは生徒以上のハリーへの愛情を示した事はあまり無いのかも知れません。最後の大きな仕掛けを打ち明ける時の為、若しそれが垣間見えたら話す方が躊躇うかも知れないしハリーも狼狽えてしまう危険性から、必死に抑えたのか、それとも裏切りだったのかは読者のみぞ知る。

それと、青い目の煌き。既刊でも何度か触れられていて、実は開心術でも使ってるじゃないかと思っていたんですが、多分そんな事は無いですね。無闇やたらと利用しないって信じておく。アバーフォースとの唯一の繋がりとも取れるそれは、たったそれだけでもきっと大切な事なのです。

しかし分霊箱の存在を知っていたなら、もっと早く壊せないものだろうか? なんて邪推。
いや、プリンスで出した情報を集めるのに、それから場所や代物を特定するのにこれだけの年数が掛かったといわれたらそれまでなんですが。切羽詰ってるんだから、多分そこはそういう事情でしょう。
取り敢えず最後の壊し方についてはまだ理解が不完全なので何度か読み返したいところです。

ところでダンブルドアといえばワンセットの扱いも間違いじゃない不死鳥フォークスは、終ぞ現れる事がありませんでした。真の信頼を示す場面がなかったからだろうか? 僕らにとって衝撃の事実であれば、ハリーにとってはもっと衝撃な事ですから、文章を追うだけの表層的な情報以上の。
いや、しかしいつだって最終的にはそこに行き着くのだからして、是非やって来て欲しかった。加勢して欲しかった。それともダンブルドアが亡き者になった時、彼にも死に等しいものが訪れたのだろうか?
そして実は立てていた杖予測で、再びフォークスの尾羽根を使うんじゃないかとか考えていたのに非介入により没りました。畜生。


・セブルス
もう僕ずっとセブルスでいくからね! ダンブルドア以外に、過去そう呼んだ人が二人くらいしか思い当たらないので(御両親は呼んでいたのやも知れませんが)愛を込めて、そう呼びたいんです。
しかしあの人の存在を語るには、死の秘宝では足りません。勿論役どころとして重要なのです、ダンブルドア程大々的にして詳らかに記す事は出来なかったのでしょうが(此方も死後ですし)、凝縮して詰め込まれたのだとしても、それでも、足りない。あんなたったの数頁じゃ、全然足りないんだ。だからやっぱりセブルス・スネイプとなんちゃらを是非所望したいです。誰か創って下さい。

セブルス愛のサイト様で考察を拝見した際、表現といいますか、あくまでもハリー視点からの決め付けが作中では多いから、実際の彼がどうであったのかはわからない、とありまして。確かに憎んでいるような、であるとか、のように見えた、であるとか、確証があまりなかったりするんですよね。
かと言ってそれら全部が被害妄想だなんていったら二人共哀れです。セブルスは立派にハリーを憎んでいました。初見から憎悪を叩き付けられたからこそハリーも又そっくり同じになれたのだと。でなければ、ハリーはそもそもが嫌悪をあまり表に出さないタイプじゃないかな。如何にも傲慢として画かれるダドリーや、ホグワーツ生にしてもザカリアス・スミスを否定してもアーニー・マクラミンはちょっと自慢屋なだけと捉えてみたり、ルーナもちょっと変わった子、など、スリザリンは寮対抗意識もあってあれですが。
プリンスの時点で、マルフォイにはある程度哀れみを懐いていましたし、ヴォルデモートも過去を知るにつれ、歩み寄れる程近しいと気がつく。ダンブルドアにまさか同情していないかと問われた際否定したけれど、明らかな相違点、異質を感じながらも酷似点を無視は出来なかったんだと思います。
あれいつの間にかハリーの話になっとう。

さてここからはちょっと危ないネタバレ部分。
組分けが必ずしも正しい訳ではないと言葉を聞いて驚愕するセブルスですが、シリウスを憎んでいた理由が、学生時代の確執のみならず、つまり秘密の守人であった筈だという事実に基くのであれば、永遠に思いを持ち続けられる程の強さであれば、それも一つなのではないかと。
あくまでも本人の意思を尊重しての結果ですから、セブルス自身がそう思わなければなりませんが、若し寮が離れる事無く、近しくあれたのなら、所詮ifに過ぎないけれど、その過程で変わる事が出来たのでは無いかと。
そうすれば、あんなにも儚く、ささやかで、ちっぽけな願いを、あんなにも苦しそうに、呟かなくたって、もっと満たされたのではないかと。
その辺を是非歴代校長と同じ手法で以て語ってくれる事を期待していた僕は本当に残念です。ダンブルドアの時も思いましたが、ひょっとして時間が掛かるのだろうか。であっても、年数が経っても、セブルスとハリーは真実を知った上でどのように語り合うのか大変に興味があります。機会の有無に拘らず、何せダンブルドアと肩を並べるとある意味では解釈した訳ですから、憎々しく傲慢な口調や犬猿の態度であっても、以前のように綺麗さっぱりな関係には、なれないんじゃないかな。

※(伏せようの無いネタバレなので次のめこ印まで反転)
それにしても悲惨と言うか、勿論人生もそうですが、兎に角何から何まで。苦しまずに死にたいというダンブルドアの言葉を深ーく理解したでしょうね。
何ゆえアバダケダブラでないのか、ヴォルデモートなりに敬意を表したのやも知れません。後述しますが、何れにせよ郷はなんだかやる事なす事裏目に出っ放しに思えます。
というよりも、大事にしている筈のナギニじゃなかったか? ちょっとばかり餓えていて可哀想だとか思ったのか? 唯一の愛情を持っている可能性、とまで言われましたからね。
苦しみもがく程の余力も残されず、最期の最後までダンブルドアの意向にそぐうよう努力し、その対価が似たような緑の目では、あんまり浮かばれません。
例えばあのキングズクロスを超えた時、例え憎々しい奴が隣にいても、永遠の人が迎えに来てくれたのならばと願ってやみません。




・ヴォルデモート
話のスポットが分霊箱探しであったりダンブルドアの信憑性であったり、またセブルスの強烈さにも押されてうっかり霞んでしまいそうな郷ですが、にしても終始実にあっけないと、言わざるを得ません。
しかしそこにこそ意味があるのかなと。悪を必要以上に美化する事は、影響のある作品ですから、そうした意識からもいけないんじゃないかと。
勿論そんな商業的道徳のみならず、ダンブルドアもセブルスも光と闇を真摯に画かれているよう、ヴォルデモートも散々、本人の特異性だけではなく周囲にも難ありとはされていますが、神々しく、仰々しく、し過ぎれば死喰い人同様神格化してしまった方々が奉らんとも限りませんから。

ところで魔法についての疑問が幾つかあるんですが、使用者の魔法力や杖との相性によって差があるのは当然として、魔法自体に優劣があるんでしょうか。それは、終盤の決闘場面にてひしひしと感じました。
ルーピンか誰かが、ヴォルデモートが復活するような危機迫る場面でもそうだったけれど追われているのにエクスペリアームズを使用するなんて! と叱責か若しくは失笑に程近い驚きを示していますが、その言葉からはやっぱり優劣ありかなと感じるんですが、ハリーは秘密の部屋以降なんだかだ武装解除呪文に頼りそして救われていますから、それがハリー・ポッターとして伝える正義と言うか、人を傷つけずにやり込める方法として定義されていたのだとしても、最強ではないのだと、だからこそ価値があるのかなと。みんなにあるものだよ、誰かを傷つけるものじゃないよ、っていう普遍さが。
価値と言えば無言呪文にも疑問ありです。ある程度熟達してくれば、言わない方がいいに決まっています。敵対しているならば尚の事、何をされたか疑問を懐くだけでも時間稼ぎになりますから。にも拘らず汎用ではないようなのは、今度は強弱に関係があるのかなと。述べる事で宿る力があるのかなと。
その点は効用を叫ぶところでも感じます。さっき言った魔法なら、エクスペリアームズ武器よ去れ、と翻訳されていますが、必ずしも言わなくても、つまりエクスペリアームズだけでも通用する中、その魔法が使用される緊迫のシーンでも、言うか言わないかは半々ぐらいだと思うんです。余裕があるなら言った方がより確実になるって事なのだろうか。
あれ魔法の話になってね。ヴォルデモート何処に行ったんだ。きっとアルバニアだw

で、先に言いましたがこの巻の郷はなんだか失敗が目立つ気がします。というより、思うように出来ずに苛立つ事が?
ハリーという未知やダンブルドアの老獪さに惑わされているといえばそれまでですが、中々威厳を感じ取る事が出来ません。そうそう、原書を読んでいる方がなんか言っていたのですが、翻訳がワタクシじゃなくて俺様なのが気に入らないって。それ、ちょっとわかります。ワタクシで通して貰っていたら、もそっと見方が変わるのかも。
ダンブルドアは死んだ!  が思うような効果を発揮しなかった件も、ちょっと痛い子に見えてしまいます。所詮俄か仕込みの知ったかぶりでは、痛みを伴うものだという事実だけを知り何故痛いのかを知り得なければ、上手くは使いこなせないという事か。それじゃ一生無理な話。
しかし最大の過ちといえば、理解しなかったからの愚かさだとダンブルドアも説いていましたが、彼には理解出来ないものを利用出来ると深く考えずに取り入れた事による、結びつきの強固。
結局これが実に作用する訳ですが、傷跡の痛みも若しかしたら復活のみならずその点がより、ハリーの心をヴォルデモートに近づけ覗き込む仕様になったのやも知れませんし、しかし何度か読み込んでもキングズクロス行きか否かという最終判断に行き着きません。その作用の詳細と言いますか、つまり、ヴォルデモートにしても機会があるべきでは?

ところで、収容の仕方が幾つか触れられていたので気になったんですが、赤子の時の出逢い、ゴドリックの谷に郷の遺体はあったんでしょうか。魂の残滓として生き残ったのだから、彼の手元には肉体も無く、でもアバダケダブラは破壊や破裂ではなく、皆傷一つ無くマグルにすれば原因不明の死に方なんて呼ばれるぐらいですから、いやいやでもハリーとヴォルデモートについては不思議な事がいっぱいですからね。
死んだと思えない、そう言われるんですから、遺体は確たる証拠になってしまいますから、霧散しちゃったのかも。残っていたらば処理するのに相当の恨み或いは相当の喜び若しくは相当のおそれで、担当者は酷く喚いたでしょうね。それとも皆辞退の騒ぎか。


・リリー・エバンズ
ジェームズをあっさり襲ったのに対し、ずっとヴォルデモートは、リリーは逃げられると言っていた。それは勿論ハリーが予言の子であるからもそうだけれど、まだまだ隠し玉の理由があったのよん、という、相変わらず伏線の息の長さに吃驚です。いや、ある程度予測していましたが(笑)。

ただ、ハリーが疑問に思っていたように、何処でどう考えが変わってジェームズと結婚に至ったんでしょうかね彼女は。是非馴れ初めも親世代話に含めて欲しかった。だってジェームズの在りし日の姿といえば、我々傲慢な事しか知らないものですから。

語って欲しかったといえば、そもそもなんで鹿なのかなとか。ハリーはジェームズから譲り受けた形ですが、その始めになんで鹿なのか。鹿の象徴的な意味合いにいまいちぴんと来ないので。尤もそれをいったらトンクス以外は大抵意味不明なんですがね。カワウソってどうよ。それってつまりハーマイオニーが変化したらカワウソって事だろう?(笑)


ちょっと長くなってしまいながらこの後もまだまだ語りたいので分割していきます。続きは又明日に。



2008年07月27日(日)
大きな壁に隠された世界。


セーブールースー!
新刊発売の直前になってではあるけれども、君に興味を持ち、ときめきを覚えた事を、奇跡だと信じるよ。
善くも悪しくも、セブルス・スネイプという人に関心があるかどうかで、味わいが変わったのだろうから。

そんな訳でようやっと読み終えました死の秘宝。あれやこれやを犠牲にして、尤もあまり力を入れていない寝食であるとか、テレビも27時間を気になるコーナーだけでも押さえましたから、そんなに痛手は無いんですが、でもきっと後々エンディングを見なかった事を悔やむんじゃなかろうか。
読了後誰かと話をしたい、誰かの意見や見解を聞きたいと、手軽さから某SMSサイトで感想を漁っていたんですがどれもこれもが未読の方がいると思うので、や、ネタバレになるので、と控えてばかり。
いや、勿論配慮は大切だ。ネタバレは、とてもしんどい。中にはセブルスの名を呟く事さえ危ないなんて方もいらっしゃったのであれおれまずい? いやしかし、ですからどんな意味合いであれ重要なのは、プリンスまでを御覧になっていれば理解なされているでしょうから。
明日分の日記に感想というか彼是突付きたいんですが、一面真っ黒にして隠そうか、はたまた一頁分くらい空白を作った後羅列しようか悩んでいたんですが。
どうしようかな、斯くなる上は別途頁を作った方がいいやも知れませんね。それなら任意性ありますから。
取り敢えずハリーポッターで小話を創りたいなんて気持ちに駆られてしまってどうしようか悶々と格闘中です。なんかほら、あの話はどんな与太の部分にさえ伏線が仕掛けられていたりするから、不用意に無駄話してもいいのかなとか考えてしまう。



2008年07月26日(土)
来た事があるよ、此処は君の町。


凡そ先生と呼ばれる業種はきらい若しくは苦手に属するのやも知れない。なんというか萎縮してしまう自分の小ささもありますが、それ以上に、あまり今の御時世いないとは思いますが、敬って当然と思うお客と敬われて当然という先生の図式がどうしても頭を擡げ、素人より少し知っているだけの存在としか捉えられない。良くも悪しくもそれは事実だと思いますが。
先日から度々後頭部辺りに痛みを感じていて、元々頭痛持ちとまではいきませんがそういったところもあるので気にしていなかったのですが、万年病気のデパートである知人が行け行けと急かすので、まぁ素人判断でつまらない事になってもと渋々、病院へ行く事へしたんですが。
先ず第一の関門は付近に個人院が数多あり過ぎてどれにしてよいのやら、時間は掛かるが適当に振り分けてくれそうな某大病院にすればと助言を受けたので、何処かも知らないくせに散々道案内だけはしてきたそこに決定しました。道案内と言うのも勤め先に隣接している道を真直ぐ一本行けばいいんだそうで、実際そうして口頭で伝える事数十回ありましたが、今回初めて実物を拝みました。最低な道案内人。
結果的には矢張りありがちで普通の一般的な、何某か重病に伴うものではないという診断で、これには自分もそう思っていた節があるので、というかある意味国民病ですからね、んで元々そのタイプだったので、問題はないんですが、矢張り大病院というのは待ち時間が長い事。不死鳥の騎士団を持っていってよかったと言わざるを得ません。
流れ作業の途中でポケベルを貰えるのですがそこに至る前の、人の手による呼び出しの判り難い事、病院自体も避けてきたんですが取り分けそうした大病院は避け続けていたので始めて一人で受診しなければならないとあってやや緊張する自分を鬱陶しそうに鼻で笑っている看護士(でも多分この人だけが微妙だった)(他の看護士さんは親切にして笑顔でいて下さったもの)、拙いと先んじて前置きながらもやっぱり拙い症状の描写に呆れている医師に関しては、折悪しく若い男性というものあって自分が強張っていたせいもありやり取りがぎこちない事、気苦労ばっかりで余計に疲れた気がします。
そういう点も病院が苦手な一つで、風邪なんかで体力低下しているから他の病気に罹りそうという人もいますが自分は専らこっちがメインです。
昔から痛みを表現する事は大の苦手でした。例えば右腕が痛いとして、肘から下が痛いくらいまでしか捉えられないんです。ピンポイントでは全然判明しない。若しかしたら鈍いので、痛んだ時に箇所に手を当ててもその頃には痛みが引く或いは拡散しているからやも知れませんが、そんでもって痛みの種類もわからない。鈍いか鋭いかの二極くらいにしか分けられず、範囲も種類も口頭で述べられないならその時点でお医者様の方としてもお手上げな訳です。その辺も相俟って相性が悪いったら。
兎に角今後も出来得る限り避けたいですね。身構えて余計に体調を崩すし、殆ど(経験不足や舌足らずなどで)自分が悪いとわかっているから愚痴る事も出来ないので、余計居心地が悪くなる。

でもなぁ。改善したいとも考えている訳ですよ。誰でも彼でもびくついてちゃどうしようもない。ビターバージンで名無しの男子も仰っていましたが、何もしていないのに被害者面してびくつかれたら何か悪い事したのかなって傷つく、というのも理解出来るし。
そこまではいかないとて、例えばバイト先の方なら後々不手際で迷惑を掛けてしまう可能性なんかも考慮して未だしも、ほんの一時行きずりの、先程の道案内するだけの人にまで怯えるのは、ただの慣性だ。
いや確かに下手な案内してクレームに持ち込まれたら困るんですが、うーん、なんていうか、自分が責任を追わない場面で、立場が出来る訳でもないのに、必要以上に引け腰なのはマイナスだろうと。
いや例えその後何かしらの関係性が出来るにしたって矢張り第一印象が展開を左右しますからやっぱりあれなんですが、まぁ少しずつ徐々にという意味合いで。
この傍若無人さで常に構えられても困るでしょうが、猫を被っている訳でも無いのに、そしてより親密な関係性を築きたいと誰かに何処かで思った時、小心者然とした姿だけが自分の実像と取られるのは全く以てお互いにナンセンスです。
そもそもなんでそうした態度になってしまうのだろうか。そりゃ小心者だからじゃないのか。いやその一言で全てをすませてしまうのは怠惰だ。その辺を突き詰めないと始まらなさそう。
そんな感じで何かしら前進出来るといんですけどね、何事も。



2008年07月25日(金)
それはねぇ、今日何度目のため息。


やりたい事がある時に限って妙に用事が立て込むよシリーズ。
父君様の会社関係で納涼会が近場のみなとみらいでの屋形船に決まり、同伴者を一人連れていってもいいという事で誘って頂きほいほい乗っかったのですが。
何せ海鮮間違い無しですから! ハリー・ポッターと天秤に掛け、この誘いを受けた時は若しかしたら読み終わっているかもという希望的観測だったのですが、まぁものの見事に失敗している訳です。
それも二日続けてあり、二日とも参加するのは自分と父君様、それから幹事の方で五人もいないんですが。おまっ、ちょっ、図々しいにも程があるから!
その肝心の父君様はすきでもない海鮮ばかりが予想通り目白押しだったので嘆いていましたが、腐っても代表者なのでそうせざるを得ないのが心から悔やまれるようでした。だったら今度は別の催し考えとけよ。
いや、本当はお休みの前日である二日目だけ行こうと考えていたんですがね。まぁいいかと餌に釣られてみれば、翌日に仕事を控える一日目の方がアグレッシブでした。誘われるまま二次会へ、そうして断りが弱い父君様と共に三次会四次会連れ回されて結局帰宅してから仕事に行くまで二時間を切るという大失態。の割に二人共きちんと仮眠から起床してこなして参りましたがね。いっそ意地ですその辺は。
勿論そうした呑みの定番であるカラオケはアニソンしか歌いませんでした。と言いたいところですが残念ながら場を盛り上げる為仕方が無く羞恥心を一曲。
そうさ、渋々さ! いやいやさ! まるで嘘にしか聞こえない罠w いやまぁ空気読んだ結果です。きらいな訳ではない。数える程しかない普通の曲のレパートリーが羞恥心のお蔭で豊かになりましたとも。
やぁ、落ち着いて読書に勤しむには秋まで待たなければならないかな。



2008年07月24日(木)
よれよれの魂一つ抱えて。


そのせいだとか況してその為だなんて、言う筈も無いけれど。何処かそう聞こえるようにしてしまうのは、結局言い訳に利用しているだけなんだろうな。

以前、あるアニメを見ていた時に、なんていうか和解のシーンで、実はこの時寂しかったんだよと打ち明ける少女の涙があって、それを共に見ていた人が、ある程度似た状況に自分があったと思い至ったのか、さみしかった?
聞いてくるのは、不躾だと思った。誰もがその少女のように思う訳でも、況して言える訳でもないだろう。しかしそんな複雑な事では無く単純な真実として全然と答えたらば、寧ろその事が寂しいかのような顔をしていたから。
さみしいと、感じていて欲しかったのだろうか。寂しさなんてものを味わっていて欲しかったのだろうか。それとも、せめてそれくらいの感情はわかっているよなという、疑念だったのか。
わかりもしないし、わかるつもりもきっとないけれど。

ところ事件の度にひぐらしを出してくるのは実はだいすきだから販促したいっていう心構えでしょうか?



2008年07月23日(水)
空の果てまで歩いていく。


馬鹿みたいに行列に並んでいの一番手に入れたろかとも思いましたが色々予定の都合で結局夕方頃に手に入れましたハリー・ポッターと死の秘宝。
珍しく一日中活動していたら疲弊しきっていたので、発売日からがっつり徹夜の意気込みは予定の頭からぶっ壊れた訳ですが、まぁちょいちょい、時間の許す限り費やしたいと思います。
多分読み終えた直後はその事での疲れと、ある意味での開放感からよれよれになって読み返すなんてとんでもないでしょうが、落ち着いたら再び手にすると思われます。
最後まで読んでから改めて一巻から貪るのもいいですが、既にこの一週間二週間を使って最後に向けての復習してしまった自分としてはそれは一年後くらいに回したいところです。

その出掛けた用事と言うのが、今度退職する事になった方への何か餞別を選ぼうという話からで。
数年経てば人員も変わる、今では送別会にノリノリなタイプのメンバーが殆どいないのでそれもまぁ妥当かなと思ったのですが、しかしあれだ、こういう事をいうとまた非常識と言われるんでしょうが。
去る人に何かあげるものなんでしょうか? 別れの会を催す事は理解出来るのにそれがわからないってのもお粗末な話ですが、いや、だとしてじゃあ何を渡すものなのか?
結局貧相な頭では金券、図書カードとかクオカードとかそういう無難なものしか浮かばず、かと言って趣味もあまり把握していないし、逆に趣味のものに下手に手を出すと機嫌を損ねかねません。その方はバレエをなさってるんですが、トウシューズなんて単語くらいしかわからないもので。
犬が同居しているという情報もあったですが、これもほら、どんな餌をやる方針とか、各々家庭で違いますから微妙なんじゃないかと。
彼是考えた結果あまり当たり外れの無いチョコレートでもという妙な答えになったのですが。どうでしょう、妥当なんでしょうか。ちょっと御意見伺いたいところです。



2008年07月22日(火)
晴れ舞台での夢を魅せてやる。


ある程度誰かや何かとの対話を望んでいる気もするけれど、不意にそのチャンスが巡ってきても手に出来ない及び腰だとも知っている。
全く思いもしなかった時に、妙に話を聞いて貰って、それに対して、あくまでも自分はお客様という立場ではありながらも、それなりに真摯に答えてくれているのかなと。それとも或いは、適当に聞き心地のいい言葉を並べてはぐらかされているのやも知れないけれど、所詮小娘の戯言ですから。
それでも自分は少なくとも、大して互い知りもしないのに、懸命に答えようとしている姿が、同士のようにも取れて、つまりある程度近しい考え方をしているようにとれて、でもその、酷似といわずとも近似の言葉は、なんだか、心を打つというよりも、同族嫌悪を呼び込んで。
そういうところが故に天邪鬼と呼ばざるを得ないのか、筋道の立て方が似通うなら、繰り出される言葉が思考に近いものがあるなら、寄り添い易い気もするのに、他人の口から出る声なのにまるで自分が喋っているような、遠回しでいい加減で、否定をしない代わり肯定もしないという、結局何処にも主体をおかないような、全てを最終的に誰かの手に任せているような、責任を負いたくないと逃れているような、言葉を、聞いていると、つまり自分はなんていい加減に映るのだろうと打ちのめされるのだ。
悪いと思った事は無い。何かに染まってしまうのは空恐ろしい事だ。それでもどうしても何かに対しての嫌悪とかは生まれてしまって、それくらいは生理現象なんて言い訳を駆使して、立場をはっきりさせまいと、自分が何者であるのか隠そうと、いや隠しはしない。ただ主張も肯定もしないから、とても、己にさえ見えづらいだけ。
似た考えを言った誰かがそうだとは思わない。ただ似た考えの誰かの言葉を聞いて自分を投影した際、己がそう見えたと、それだけ。

それは何かにつけ妙に人様をおそれてしまう答えそのものでもあると思う。こわいのは、知らないからで、知らないが故に、己で決め付けて、きっときらわれているだろう、何故なら好かれる理由がないからだと詭弁を用いてまで、そう断定して。
例えばいじめっ子なんかを諭す際に屡出る、「君がいやな事は相手もいやだ」というのは、必ずしもそうだと淘汰してしまうのは気に食わなくて、尤も自分が何かをする際の基準として己がいやな事はしないというのもあるから何言ってんだこいつ状態ですが、でも「君がきらわないなら相手もそうさ」なんて信じられなくて、ただ、失礼な決め付けだとは思う。
自分は勝手にこわがっている。きらわれる乃至きらわれていると思うから。だけどそうやって簡単に、誰かが誰かに対して懐く好悪を、何故自分が答えられるのか? 何もしていない状態の人間をきらう程狭量な器なのだと、大して知りもしない誰かの事を、どうして自分が決め付けられよう。
それでもこわいものは、こわい。条件反射に近いもので、その辺が自分の猫被りに通じるし、大凡の人が初対面で行儀のいい理由だとも思う。好印象を与えたいと思うからで、それは素のままではきらわれるという反語だと。

だから、似ているというのも甚だ失礼な思い込みだけれど、似ていても同じじゃないんだ。相手は似ているなんてこれっぽちも思わなかった可能性、似ていると思っても同族嫌悪を懐かなかった可能性、そういうのもあるとは思う。ただ、自分によい答えはどうしても受け入れ難いけれど。
つまりなんだ、精神的Mって事なのか? さもなくば己を落とし入れ倒錯的な悲劇のヒロインを味わいたいという自己愛表現なのか? それだったらあまりにも馬鹿馬鹿しくて反吐が出るが、案外真実ってそんなもん。
結局、深く語らう事は、自分にとってタブーだったのか。何処までも、そうして逃げ回り、好意見を遠ざけ、ネガティブに相手の尊厳を目減りさせるしか出来ないのなら。高嶺の花とでもしておいた方が賢明だろうか。
それでも語りたいと思う心も、本当なのに。言葉を交わして、世界を知りたい、己を知って貰いたいと、思う心もきっと、本当なのに。



2008年07月21日(月)
お前の向かうその道に例えば。


結局丁度いい頃合で不死鳥までを読み直したので、とはいいつつも相変わらずアズカバンは行方知れずなんですが、己の中のハリーポッターブームが絶頂期に差しかかっていまして、早く読みたいと頻りに、それこそ挙手したハーマイオニーが如くぴこぴこ落ち着き無くしていると、兄上様に鼻で笑われました。
……も、絶対あいつに最終巻見せてやんねー! そう高らかに誓ったそんな夏の日の事。
途中途中個人的イタイポイントを避けつつも再び気になった点をしたためておこうと思います。

・全編を通してちょっと引くぐらいハリーが怒りっぽいのはヴォルデモートの影響なのか?
プリンスでの落ち着きぶりは、真相を知ったから、シリウスの事があったから、どちらともとれますが、不死鳥の時だけが上記で猛っていた、というのも一つの可能性かなと。尤もダンブルドアが言及していないので微妙な線ですが。

・ダンブルドアは人を愛した事がなかったのか?
ハリーに対し、これ程までにいとおしく思う存在を自分が持つとは思わなかった、といった旨の発言をしていた点から。
エメロード姫は皆を愛していても信じてはいなかったとクレフに指摘されていましたが、その逆なのかなと。信じてはいたけど、愛してはいなかったのか。
いや、あくまでもそこまでの強烈な愛情を、というだけやも知れませんが。彼の家族はどうだったのか、所帯を持ちたいと考えた事無いのかとか、意外な程ダンブルドアの事を知らないのだと思い知ります。偉大な魔法使いだと、数々の勲章を誉れとされる事はあっても、肉薄する事は無かったのだと。
ハリーを愛するあまりロンを蔑ろにしている監督生発言なんかは寵愛っぽさが滲み出ていますね。このどうでもよさげな一言が、博愛主義者にあってたった一つ大切なものだったのだと、リアリティを醸しています。
そういえば二回程話題に出ていたダンブルドアの弟は何かの伏線に成り得るのでしょうかはてさて。

・神秘部の鍵がかかった場所にあるのは、恐らくは、愛?
読み直すまでうっかり忘れていたんですが、神秘部に訪れた時シリウスのナイフを以てしても開かない扉があって、そしてその中にある研究資料についてダンブルドアはヴォルデモートが持つ事が無くハリーが持っているものがあると言及しました。その正体はプリンスで愛する事だと言っていたので、多分その辺なんでしょう。
死だの時だの予言だの特に摩訶不思議な資料を集めている部なんです、驚きはしませんが、具体的にどんなものがそこにあるのか気になります。
死の間についても不可思議な部分が残っていますがね。殆ど全員を惹きつけたベール、ルーナとハリーが耳にしたその向こうからの声、セストラルと同じ理由ならネビルには聞こえなかったんだろうか。
ネビルといえば、予言は該当者のみが触れるというから、予言を持てるのが関係者だけという点の伏線なのかなと思ったのですが、そうしたら死喰い人達が持って帰ろうと出現した現実に即しませんから、若しかしたら予言の間から持ち出した後も効果が持続しているという予想はちょっと外れでしょうね。



2008年07月20日(日)
雫、欠片、君の心に。


宅で繰り広げられる日常会話と言うのは、その日常に関する報告の他は、アニメかバラエティかニュースかしかなく、なんだなんだ前半の緩いテーマにぽつんと政治が孤独に光っております。
尤もニュースというのも括りが広いですが。彼是適当に賑やかすだけです。視聴する番組の優先順位が会話内容と同期しているのに今気が付きましたが、全くこの通りで、かと言ってニュースを鵜呑みにもしませんが。
ただ、男性陣は頓に諸外国批判に走りがちです。それも共にアジア系の批判が主です。父君様辺りは世相もあるのでしょうが、なんつって彼が生きてきた時代がどういったものかなんて知ったこっちゃないですが、一般的な意見を鑑みると、自体が移ろい易いものといえど近年の歴史の中でさえあっちこっち右往左往していますからね。それが正しいと教えられた事を疑わず、そのまま記憶する事で信憑性を増した事を、否定されるのをきらうので柔軟性のなさが固定観念に達したとも言えるでしょうが、うん、まぁ、それはいいや。

問題は多分自分にあると思いつつ、どうしても兄上様の意見は、須く何かに洗脳されたものだとしか思えないんです。或いは、何もかも影響し合って生きているというのは事実ですが、それこそ鵜呑みにしているような、目にした誰かの考えを噛み砕ききちんと己のものにしているのだろうか、納得してその説を述べているのだろうか、なんだか聞き心地よかったから言葉を借りているのではないかと、なんでもかんでもそう感じてしまう。討論に限らず、趣味の範囲に及んでも、マニアックを気取っているだけなんじゃないかと。
語り口調が胡散臭いのか、何も培う事など出来はしないと自分が見下しているのか、それとも実は自分と全く酷似したその姿に同族嫌悪でもしているのだろうか。いや似ているかは知りませんが。
概ね意見が一致していても、自分の言い分だって誰かに感化されたものだろうに己の考えとして捉え、彼の意見だけは受け売りに過ぎないと断定出来る権利も証拠も無いのに、嗚呼なんだかまた傲慢な点一つ。

例えば敵対感情を持つ国の国旗燃やしてみたり国鳥殺してみたり、自分はそう言うのを見るとあまりのくだらなさに薄ら寒くてキモイ意味で気持ち悪くて吐き気より笑いたくなるんですが。彼は憤慨派です。
そんな事をしてなんになるんだろうとか、どれだけかダメージを与えられるとでも思っているんだろうかとか、すっと快感を得られるように楽しいんだろうかとか、一致団結出来るのかとか、狂信者を見る気持ち。
でもそんな自分の感覚が正しいと言える根拠は何処にも無く、或いはそんな愛国心の無さが責められて然りなのやも知れないし、他の大凡の方は腹立たしさに煮えくり返っているのやも知れないし、自分が目にしないだけでこの国内の彼方此方でも(勿論小規模のものは何処かしら認知されずともあるとは思うんですが何事も )国旗燃やしとかデモは思うより頻発しているのやも知れないし。
或いはこの国内で少ない(≒大してニュースにならない)からと言って他国でもそうとは限らない訳で。平和ボケなんて度々称されますが、遠いところで、日々爆撃が雨霰するなんてデンジャラスじゃなくとも、国土が違うなら地域が違うなら教育が違うなら培われるものも自ずと変わってゆき、全国規模の平和の祭典であっても自国に他国を招くように自ら決めてもその他国の応援を聞くのは耐えられないと訳の判らない事も当たり前として通る場所があって、それだから個人個人が違うのもある意味当たり前であり、そして統制されれば何色一色にも染まるのだと。
あれ結局これなんの話だっけ。近似も対極も誰かが生きてきた上での値なのだから、己というものさし一つで正負だの善悪だの決め付けたくはないなと、なんかそんな感じの事です。うわ投げたよ最後に。



2008年07月19日(土)
低俗のまま、我が世に不埒を。


政府の事情により早まった(尤も今年は嘗ての通りでも振り替え休日でしょうが)今週のジャンプ感想:
あの作者また捕まればい(略)
だって酷いんだ、何頁にも渡ってスペースを割いて沢山うわああもう言いたくない記憶デリるんだ!
兄上様も両さんまみれなんて報告じゃなくこっちの警告を発してくれればいいものを、と理不尽な怒りに打ち震えております。
ひょっとして来週もやたらと出張るようなら喜んで一話飛ばしましょう。何せその為に銀魂の一話を飛ばしている人間ですから。

ふと思い浮かんだ疑問なのですが、嗚呼だけど無知さを露呈するだけだから言わない方がいいかしらなんて思いつつ、まぁ僕が無知なのは今更なので知ったこっちゃないですよね!! 葛藤にすら至らない一秒の解決。パソコンがウイルス感染したという話は多々ありますが、ケータイはどうなんでしょうかね。
かなりうろ覚えと言うかそれよりも尚悪い感じのぼんやりした記憶では、以前ニュースの特集の一端か何かで、何れケータイから広域感染がどうとかそんな話をしていたので、事例が無い訳でも対策が無い訳でもないのかも知れませんが、全くその類いの話を聞いた事が無いので、昔はそんな事もあったさという過去形なのかあなたの気付かぬ身近でという現在進行形なのかそれともはたまた。
実体験を耳にしないからリアリティが足りないのやも知れません。勿論そんな事態ノウサンキウですが、視野に入れないのはちょっと不用心かなと。



2008年07月18日(金)
手の内曝して虜にしてみせて。


なんの気無しにテレビをつけるとデフォルトでテレ東だったのも笑ったんですが、きらりんレボリューションというアニメがやっていて、保志さんが出ているという理由でちらちら眺めていた事もあったんですが、まぁ肌に合わないので視聴は継続していなくて。
その久々に見た絵に物凄い違和感を覚えて、一体何があったのかと思わずググってしまいました。どうやらスタッフが変わったようで、3Dなんかもちょいちょい混ざっているそうで、いやぁ、一体全体、何があったんだろうなぁ(笑)。

今日も夢を見まして、内容自体はリアリティあるつまりまるで変哲のないもので、ただその中で、自分がなんとも愚かしく身勝手な事ばかり言っているのに自身で辟易してしまう。勿論実生活でもその面を持っている事は否定出来ず、どうしようもなく己でしかないんですが、あんまり腹立たしくって情けなくなってくる。
ざっと書いてもつまらない事請け合いですが、母子の野良猫を発見し、子猫の可愛さのあまりどうしても家に招きたくなり、だけど金銭的な事情や使用可能なスペースその他諸々を合わせると一匹しか捕らえ続ける事は不可能であり、如何にして子猫だけを家に留め母猫を穏便に追い出すか、そんな感じです。
軽く攫っただけでも吐き気ものですが、その愛くるしさを説いて回り子猫だけを手に入れるのがどんなに素晴らしいか演説している自分も、乳飲み子ではないにしろどうしたってまだ親という存在があっていい筈の関係を引き裂こうとしている傲慢さに気が付かない自分も、何一つ疑う事無くそれに加担している家人も、ありったけ、馬鹿馬鹿しくて、くだらなかった。
しかしこれが実態を映したものであるというのなら、断固として考え直さなければならない。嗚呼、ならないですとも。



2008年07月17日(木)
考えるのも探るのも、莫迦みたいだね。


やっぱりちょっぴり不死鳥の騎士団はシリーズ中一番苦手やも知れないと、読み進める度胃がちくちく。
ハリーが終始怒りっ放しなのに多分ついていけないんだろうなぁ。確かにプリンスでのロンの浮かれっぷりと傲慢さもイタいですが、基本的にハリーの視点、ハリーからの情報を与えられる身としては、随分な差です。
勿論わかる内容もありますがね。別に聖人君子を期待している訳ではないし、成長記録のような側面がある事からもいつまでもただのいい子ちゃんだとあくまでもキャラクターに捉えられてしまう。
嗚呼、でもイタいんです。特に下巻を考えると。DA活動は中々楽しいですが、ダンブルドアへの不信や、夢を信じ、そしてシリウスから貰った鏡の存在を忘れているハリーを思うと、いや今の内想像でダメージ受けていた方が後々なんだこんなもんかって思えますからね、存分に食らっておきます。
ところでささやかな疑問なんですが、ゴブレットの最後、例の馬無し馬車で移動しているのにセストラルに気が付かないのは、何か時差とかがあるんでしょうか。ショックが収まったらとか?

すきなものがすきでなくなるのも一つの当たり前で、きらいなんじゃなくてそこまで熱狂的じゃ無くなったとか、言ってしまえば冷めたとか、度合いは色々あるけれど。
だけどその時それをすきだと言っていた分、もうそこまですきじゃないと言い難い空気がある時もある。特に接する人々が周知であったり況してその関係でお近付きになったのなら、尚更。
でも、偽り続けて変わらぬ愛を誓うなんて、馬鹿馬鹿しくって出来ないよ。



2008年07月16日(水)
箱の底に残ったものを、希望と呼ぶ事にした。


自然薯が食べたいです。地元が田舎だからかとろろ=山芋やら長芋でもなく即自然薯です。
あのねばねばもったりしたのが食べたいんです。尤もすり下ろす努力はノウサンキュウなのでどっかお店でかなぁ、いやしかしそうすると御飯に対しての量が少ないイメージが。
どちらかを選択せねばならないのだよ。何もかもを兼ね備えたチャンスなんて転がっているものか。

クロノトリガーの、多分エンディングじゃなかろうか、曲がすごいすきです。
そもそも音だけはいつぞや何処からか取っていたんですが、なんとなくそのままあまり聴く事無く過ごしていて、これもやっぱりなんとなくなんですが何かの序ででそれを聴いたら、なんて素敵な曲なんだと惚れて今では一日一回聴いています。これじゃなんかまるで怪しい健康食品系の宣伝のようですが。
そこから始まってクロノトリガーの音楽ブームです。どの曲もいいですがフィールドマップの曲が種々好みで、但し現代の一番初めで聴けるやつだけは嘗てその一連を収集していた時に好みじゃないとかいって取らなかったんですが、今ではそれが悔やまれる。いつも無駄にコレクター魂燃やしているくせに。
ダークホースとして王国裁判の時の曲が実は隠れた名曲だと思っています。始めのぶんちゃっちゃはその時の風景や大臣を思い出して笑ってしまうんですが、中盤に差し掛かると流石クロノトリガーなんて思わずにやり。どっちにしろ笑ってんじゃん。
そうか、多分移植云々かんぬんで個人的に盛り上がっていたのでエンディングに手を出したんだと思われます。気分的には、怪我の功名ではなんなので棚から牡丹餅か。
兎に角名曲揃いのクロノトリガー、これで益々DSの魅力に抗い難くなったのは言うまでもありません。うー、ジャキたま!!



2008年07月15日(火)
夕日に染まる窓辺に立ち。


用事というものは妙に重なってやってくる気がする。無論用事に限らないですが、厄介事だったり、面倒事だったり、基本ちょっと手の掛かるものはそんなイメージです。
普段はゆるーりゆるゆる、日課以外は大した事無い日々を送っているのに今月に限って立て込んでおりまして。勿論その一端といいますか、ハリーポッターに費やした時間が圧迫してはおりますが、それを差し引いても妙に彼是重なるもんです。
まぁでもそれをお知らせするここは元々が週単位の日記ですからね。誰も気にする事は無いでしょうね。自覚って大事。

今日は恐怖に立ち向かう勇敢さを披露しました。お蔭で心身共にごっそり、力という力を奪われ尽くされ、今や生ける屍と化しております。というのも……
なんてやや大仰に始めてみましたがなんて事は無い、アレ避けスプレーと殺アレ剤を買っただけです。この徹底振りからどれだけ恐ろしかったかを察して下さい。
何せ売り場を訪れるとしょっぱなから大打撃、取り分けいやなやつの名前だの絵だのオンパレードの商品ばかり。どうしてみんなそういう事をするんでしょうか。日本語の判らない方に売るなら絵面も必要でしょうが大方は商品名一つで分かる仕様ですし、そして名前で判る人は大体、それこそ殺アレ剤で通る訳です。つまり不必要です。
本当に、夏の風物詩のアレ取り線香から始まって、そうした駆除剤が売られているものは大抵皆嫌悪感乃至不快感を懐いている訳で、動画は糞喰らえですが、静止画だって泣きたくなる人もいるんです。
そういう訳で売り場に付いた途端売り子さんに泣きついて、何は無くとも絵が入っていないやつという注文をいの一番に突きつけました。値段でも用途でもなく想像させるものが無い、それがメイン。
宣伝に咲く真正面から思いっきり顔を逸らし、半目瞑りながら泣きそうな自分を哀れんでか、笑いながら御婦人は懸命に紹介してくれました。近づきたくもないと怯えるあまり言葉さえ拙くなり出した、その一語一語をなんとか拾い上げて、去る頃には元気出して、これあげるから、と何か試供品の入浴剤を頂きました。勿論誰にでも渡しているんでしょうが、本当に慰めにどうぞといった体だったので、帰路落ち着いた頃には、ちょっと馬鹿に見えただろうかと軽く落ち込めます。
どうぞ各製薬会社様、硬派な文字だけの殺アレ剤関連をお願い致します。じゃないとじきに死人が出ます。



2008年07月14日(月)
そして君の手を掴むんだ。


まだまだハリーポッターシンドロームです。寧ろ激化していますが。
先日個人的にイタイポイントを挙げた際にゴブレットだけきちんと出て来なかった事が不満なので読み返しています。お前それなんて不純な理由なんだ。
上巻には今のところ問題ありませんが、寧ろ周囲の人々にやきもきします。ロンの愚かさはプリンスに至っても変わっておりませんが(一応愛を込めての発言です)、なんと言ってもムーディーがね。いい味出しているので、そしてゴブレット後は大して出てもきませんから、すっかりそういう性格だって考えてしまうけれど、そして確かに好人物に見えるのだけれど、実際は、ねぇ。あれですからね。
なんというか、変人がとってもしっかり創られていますよね。死ぬべき人もそこまで至らない意地悪な人も一行しか出て来ないようなささやかな人さえ、飛び抜けない程度の個性と独自の考えをしっかり懐いている。兼ね備えている、のが近いだろうか。
逆に、完全に恰好よく完璧な人物として画かれている人が皆無ですね。ダンブルドアでさえ賞賛として狂っているがぴたりで、精々セドリックなんかは爽やかな好青年として取り上げられていますが、それがせめてもの優しさだと言うのなら逆に切なくなります。
ハーマイオニーは刺々しさや初期からの固さを残しつつ、矢張り女子は早熟というべきか、とても素晴らしいフォローの数々、ロンには勿体無い! そんな事をいう僕はロンハー派なんですが。教育上最も見せたくない番組もすきですが。
しかしあくまでもハリーの一番の親友はロンで、ハーマイオニーじゃ物足りないと綴られると、畜生何が不満なんだって、そんなにハーマイオニーだいすきな自覚はないのについついやっかんでしまいます。
ところで秘密の部屋の次にゴブレットを読んだからか(アズカバンは見つからなかった)(あんなでかい本何処に行ったんだ)見直したい筈のスネイプ先生があまり出ていらっしゃらなくて、ちょっぴり残念。ダンブルドアは頻りにスネイプに先生という尊称をつけなさいとハリーに指摘しますが、その辺注意深く見ていると、尊敬する人には往々にしてその尊称が付いて回っています。ロックハートについては皮肉気に付いた後呼び捨てですし。そんな細やかなところに逐一、スネイプを思い出しては愛を深めています。いやゴブレットも下巻終盤で一花咲かせてくれますが。取り敢えず棚上げしてくれるんですからね。
嗚呼、これは本当に、発売日即行で本屋に駆け込んで、その次の日のバイトを休んで二日がっつり読み耽りたいところなんですが、そんな理由でバイトを休める程ぶっ飛んでいないので、だったらその次の次からは二連休に入るのだから、一気に読み進めたいと言うのならそれまで封印しておいたらなんて助言も貰いましたが、冗談じゃない! 邪魔される事無くは確かだけれど最速でだけど読み零す事無くしっかり読みたいんだ! そりゃ読み返さなくちゃ見落とす点が多々ある事は認めますが。
具合がよくないのは、その週末に出掛けなければならない用事があるんですよね。若しかしたら出発を夕方ぎりぎりまで粘るかも知れないと、それなりに重要なのにそんな理由で仄めかすと、馬鹿馬鹿しいと笑いながらそんなにそうしたいのならばいいよと半ば呆れて承諾を頂いたので、そんな事にならないように尽力したいものですが。こんな時自分の読書速度がちょっと恨めしい。



2008年07月13日(日)
ほらここに、真っ白な世界が在る。


最近どのドラマにもイタイ人が存在して、そりゃもう言動であるとか行動であるとか何かしら一つがアイタタタな人は一挙手一投足が苦手な場合が多いんですが、了見を狭めたらつまらないとそのフィルターを剥がすのに努力しながら、ふと、苦痛を感じながらいやきっとそれだけじゃないと頑張ってまで見るのはどうなのか? とも思い至る。ストレスを感じてまで娯楽に費やすものかと。時間も精神も。どんな媒体であれ作品を見るのは娯楽であり、同時にそれだけでもないのですが。
それは兎も角、最近はキャラクター化が激しく思います。漫画原作でなくとも、寧ろそれらが流行っているからなのか、特長を良くも悪くも過度に際立たせて、大抵の場合はそれが自分にとってのアイタタなんですが。


例えば聞いた事に大して直ぐに答えがない時。
質問の意味がわからなかったのか、答え自体が無いのか、こりゃまずいとはぐらかしたいのか、揺さ振ってやろうという不誠実なのか、答えを考えている内に質問を忘れてしまったのか、ただの遊びで引き延ばしているのか、わからない。
その時に、表情や、顔色や、声色や、口調なんかで、判断をするのだろう。
するとメールやらなんかの文章だとどうなるか。この際電話は後半の二つが当てはまるから除外。多分、もっとわからないんだろう。
くだけていても畏まっていても至って普通でも、打ち手を想定しながら、それはあくまでこっちが勝手に想像した声で再現するものだから、ぴったり符号する訳はないし、故に半信半疑。
勿論此方も文章なのだからして、どれだけ切羽詰っているのかを表現したとて冗談と取られる可能性もあるし、なんの気無しだったのにやたら勘繰られたりと見解の相違は生まれて。同時に冗句のつもりが意地悪に取られたり、悪い方へ縺れ込む可能性も秘めている。
そういうのをリアルでは、触れ合わない現代病だとか発達した情報伝達社会の弊害だと言うんだろうが、行間から読み取る術も処世術として有効だし、矢張り世の中四十九利合って五十一害ありなんだろうなぁ。



2008年07月12日(土)
まだすきで、いたいんだちょっと。


長い事放置していたドラマCD『LIFE IS SPIRAL』をこの度聴き終えました。購入したのも発売してからかなり経った後で、取り寄せてから年単位で放置されたそれを聴き始めたのは何も特別な理由では無く、電車移動の時間を有効に使って買ったものの積みっ放しだったそれらを消化していこうという極く有り触れた運動の中触れたものであり、つまりそうした移動時間とかでないと、それを聴く為の時間を取ろうともしなかったこれまでの怠惰は、もうお前買うなよと当然の非難に繋がりますが。
話自体はなんて事ないささやかな日常で、結末を知りそれに胸を打たれた者としてはその穏やかさが逆にぎゅっと胸を締めつけ泣きたくなりもしますが、歩スキーとしてはまどかさんのバカバカとか本気で泣きそうです。でもまぁ、泣きませんけど。車中で突然泣き出されたら皆様迷惑でしょう。
で、やたらと分厚い本が挿入されていまして、これまでにも幾つか、例えば『WORKING!!』なんかは書き下ろし四駒も入るので説明書や特典にしては感じのいい冊子も見受けましたが、全編文字で書かれたこの本は量も然る事ながらカノン編の途中までではありますが原作者解説が細かく入っていたりなんかして、思わずがっつり読む、本当に一冊の読みもので、連載進行中の為途中で終わった各話解説を他の場所で続き書いていないのだろうかと貪りたくなるような、読み応えのあるものでした。

本作が推理ものであるというのもそうですが、作品を愛していると必要以上に勘繰りたくなるもので、しかし案外とタイトルやキャラクタの命名が投げ遣りいやいや適当いやいやインスピに依るものも多いと裏事情を知れたのは楽しくもあり、深読みし過ぎた面があるなと反省? したり。
又作品作りに対しての真摯だったりそうじゃなかったりの態度にも二、三、含みや遊びがあったりして、本当にこの原作者はなんて捻くれ者で意地が悪いんだろなんてにやり笑いながら読み進めていくと、見習いたい取り入れたいと思う面も多く、その姿勢や思想をトレースするなんて烏滸がましい事を考えはしませんが、どのようにすれば身に付くようになるかなと真剣に考えたりも。
ただ単純に憧れたりではやがて霧散してしまいます。それについての自身での見解を元に何かを創り上げたり意識していかないと到底。そしてそれは言う程容易くはありません。
ので覚書のようなつもりで、心構えというか、そんな風に感じたよとここにでもしたためておけば、ただただ頭の中で反芻するよりは現実味が増すんじゃないかと、そんな実験的な試みに振り回されてもなぁ。

あ、作品について感想を述べるなら、まどか姉さんの回避法は推理素人の自分にさえ明確に把握出来てしまったので、一番最後の逃げ口上さえ、その伏線が出た瞬間に嗚呼これそう使うんだろうななんてぴんと来たぐらいですから、鳴海歩に対抗しようというのならもそっと手を考えた方がいんじゃないでしょうかって、これは果たして感想なのか。



2008年07月11日(金)
おそれを乗り越えた先に、君が待ってる。


他人に許容出来ない事を平然と己はする、これは大変な傲慢であります。なので己に分がある場合にしか自分はなるたけしないようにします。
御大層な推理戦を繰り広げる世界には生きていないし今後もあまり行きたくはないので、そうしたキャラ設定付けも必要ありませんから、傲慢にはなるたけ思われたくないものです。その代わりこの手法は良ければ狡猾悪ければ放送禁止用語には至らないもののハリーポッターではぼかされるような悪態で反応されます。
大体にしてその分とは、中々端的には表現し辛いですが、己の所有物だからという理由や数分の間で解除する絶対条件です。逆に人様を非難する場合は、それが己の所有物を貸している場合に行なわれている場合です。
時により目に余るものもありますが基本的に、人様が御自身の所有物に関して何をなされてもそれこそ口を挟む術はありませんから。倫理的という言葉もあまりすきじゃありません。仮に言及するにしても自分が見ていて気分が悪いからとかそんな理由だと思います。あれ傲慢じゃんそこ。
しかしそんな自分ルールも、あくまで己の中だからこそ通用する話であり、いついつには非難したくせにお前はそうするのかと問われた時になって始めてこの釈明をし、そして大体にして後付けだの自分勝手だの結局非難を浴びるのですが、要は己さえ納得していればいいので、その為に傲慢だと思われるなら相手の許容量が低い事にします。結局それこそが一番傲慢なのですが。
傲慢傲慢出ていてなんだか非常にあれな話ですが、多少他人のフリ見てなんちゃらというのも頭にはあるんですよ。多少。
ただ、絶対の権限を有する自分の持ちものに関して、例えばコミックスを読み途中で、挟む栞に適当なものが無く表紙の羽の部分を挟み込んだまま長い事放置しあろう事かそのまま書棚に戻されるなんて事は、ただのうっかりミスであるとわかっていても、中々許したくはないものですし、そのミスを繰り返させない為には、何を言われようとも指摘し訂正して貰わなければなりません。発見の度に渋々であれ何も言わず直すのでは黙認と同じですから。
教育だの調教だのというより被害を蒙らない為の予防措置なので、やっぱり最終的には自分の為に帰ってくる訳ですが、物事の殆どがそうして帰結すればいいなと思いますし、そうならなかった時の意外性が計り知れなくて楽しいじゃないですか。
つまり何が言いたいかって、その辺の紙を適当に挟むのなら、それが期日が設けられた重要書類で自分にも関わる事、なんて場合でもなければ何も言わないのになという文句です。えぇい、長々と。



2008年07月10日(木)
そして貴き滅びの歌を。


相変わらず無責任に暴言を吐いているので該当が好きな人は読み進めない方がお薦めやも知れません。大手を振ってバッシング出来るという意味ではまだまだメディアに健在であって欲しいものです。お前何様w

大泉たんが出るという事でどうしても気になって某捕虜ドラマを見ていたんですが、気が付いてみたらスーパー派遣のいないハケンの品格状態でしたが、冒頭からして萎える造りだったので普通にシバトラに切り替えました。日曜辺りに再放送するだろうと賭けてシバトラを諦めたんですよ。はなから録画の選択肢はありません多分それ見ないから(爽)。
で、こうしたドキュメンタリーものに対して自分が懐くあくまでも偏見なんですが、どうして大体現在からの回想シーンから突入しその現在からのナレーションが入るのか。
別にパターンが全て悪い訳ではなくて、その王道から入って面白いものも沢山ありましょうが、多くはオリジナリティのなさとして凡百だと言われそうな、まぁ万人受けってそういう事かな。
その後も三十分くらい見ていたんですが、キャラ萌え違った俳優さん見たさ以外にこれといったポイントも無く。尤も序盤で見る気がだれたのでその後にいちゃもんしか付けられないという駄眼鏡視点も含めています。
こうした問題提起系の多くは、ドラマに限らずテレビに限らず他のどんな番組や作品よりも、テーマだろうが俳優だろうがキャラだろうが何を目当てにしても先ず見て貰う事が先決であり、その後核心部分まで見て始めて意味を成すのではないだろうか。
その割に、史実を元にして作ったとか実話を元にして作ったという大義名分で実につまらない造りばかり。演出過多もそりゃいかんかも知れませんが、やっぱり見られてナンボですよ。
安易に視聴率稼ぎに走れと言うのでは無く、見て、楽しい、面白い、引き込まれる、そうした要素がなければぱっぱっとチャンネル変えられるのが関の山です。頁送られるのが関の山です。
見て欲しい何かがあるんでしょう? 知って欲しいと訴えるのでしょう? ならばそれに耐え得るものにするだけの演出は必要な筈だ、と思うんですが。
例えば前期に流行ったラスト・フレンズは、とかいってあんまり見ていなかったので的外れを言っているやも知れませんが、重苦しいものをテーマにしておきながら、はっきり言って昼ドラでありながら、キャストやら歌やら、そして毎週見て貰う為の引きなりなんなりが機能したからこそ、一つのドラマとしてジャンルに叶ったからこそ、人気を博したのではなかろうか。
具体的にどう、という事を言えはしませんが、あくまでも独断と偏見ですから、ただぼこられている姿見たってSかMしか喜びませんし、性の不安定だってやろうとすれば何処までもつまらなく出来、そして面白くも出来る。不安とか、切実とか、痛みとか、伝えたい事を広める為には、ただただ馬鹿正直に語ればいいもんじゃない。パフォーマンスが上手い方に自然人は惹かれるし、顔か声かブームか受けている人の歌はなんでも結構当たったりするし、全てが全てそうじゃないけれど、結構な部分はそうじゃなかろうか。
見られるもの、見て貰うもの、拝見させて頂くもの、どんな呼び方だって、見る、その事に耐え得る作品でなければ、なんの価値もない。
例えシバトラの台詞が如何に臭かろうとも、どんでん返しも判り易かろうとも、その王道さは、少なくとも面白いと思えた。徹平たんのかわいさだとか、原作漫画ファンだとか、大体その場合は他メディアアンチに走りますが入り易いという理由もあり、そして、少なくとも前述の老人回想物語より、面白いと思ったから、シバトラを見ていた最後の三十分は、ドキュメンタリを見ていた初めの三十分より楽しかったし、時間が合えば又来週見ようと思ったのは、単純に一話を見たからという惰性もあるけれど、少なくともあのままの造りの捕虜ドラマだったら、絶対そんな風には思わない。
何かを伝えるなら、伝えるだけの言葉や見せ場が無いと、それがどんなに重要な事だって、耳を傾けようなんて思えないし、その時点で躓くなら、逆にどれだけの意味を持っていようとそんな事で届かなくなってしまうなら、全く以てくだらない。
だからと言って媚に走れとはえぇ全く思いませんがね。何故なら大抵そういうのは大外れにイタイもんです。隠し味程度の媚か媚全開を上手く調理したものでなくっちゃ。
イタイといえばモンスターペアレントも全く見る気がしません。ラストフレンズは劇中の悲劇を笑って見れるタイプですが、モンスターペアレントの方は多分間違い無く気持ち悪くて腹立たしくて、感情移入だのドラマ性以前に受け付けないと思うので。だって何が楽しくて、わざわざ時間割いてじっとして見るドラマで気分害さにゃならんのですか。
ゆとり教育の弊害とか的外れにぎゃーぎゃー騒ぎ立てているキティの話なんて、それこそよっぽどの面白さを兼ね備えてくれてなくっちゃ金積まれても見る気にならない。最終回後の評価が断然いいとかくらいの保険が無くちゃハイリスク過ぎる。
第一そうした教育の成果が現れるのはそれを受けた人々が社会人として何十年が過ごさないと真には出て来ないだろうし、早急に取り止めるくらい見通しの悪いものを薦めていたと言うのも頭が悪いし、今の子が理解不能だと呼ばれる世代の前も前も前もずっとそう呼ばれ続けていたのだろうし、何しろ古い神話時代からそんなもんだそうだから、その意味不明の世代を産み育てた世代がこれまた輪を掛けて意味不明なのはその親世代を育てた世代が愚の骨頂だからであり、そんでまたと延々スパイラルなのはいつの時代も明白のくせに、どうしていつ何時もくだらない訴求にばかり気を注ぐのか。嗚呼いけない教育理論じゃなかった。
愚直で面白味が無い、どう考えても腹が立ちそう、そんなものは見る気がしないお年頃です。まとめ。



2008年07月09日(水)
すきなものに囲まれて、すきな時、すきな事を。


小さな冷蔵庫が欲しいです。これ以上部屋に何かを置くスペースは残されていないんですがね。まぁそこはほら彼是を処分しろって話で、最早掃除と呼べる代物にならないのが参っちゃうぜ。
殆ど毎日1リットルの林檎ジュースを買っているのは知る人ぞ知る個人情報なんですが、これが時折足らない。急に水分補給過多になる時もあれば、単純に休みを挟んだ為足りなくなったりもしますし、又雨の日にさぼったりする。何故ならば移動手段が自転車で無くなるので。そしたらほら、幾ら背負ってるといえどおま、3kgは重いじゃん? なんで急に若者っぽさを装っているのか。
されど、一番の理由はあまり買い込み過ぎると冷蔵庫が許容量オーバーして、それでなくとも我らが生命線たる食料を詰め込むといっぱいいっぱいなのに、貰うなり買ったけど忘れたりで溜まっていくチョコレートが半分を占領している事を考えるととても買い溜めが出来ない。ん? 論点間違ってないよ?
先の通り休み分を見越すと6本9本あって欲しいのですがそうそう入り切らず。因みに野菜室は大量の日本酒と焼酎で埋まってます。だから論点は間違ってませんよ。家で呑む人が誰もいないのになんで貰ってくるかな、そりゃ貰いもので生きている人種なので取り敢えずなんでも受け取ります。爆弾はノウセンキウです。
そんな感じで冷蔵庫の慢性肥満と水分事情を鑑みるにもう一台、小さいのでいい、林檎ジュース置き場が欲しい……
無論、それに費やすマネーがあるのなら他のものにつぎ込む訳ですがうわーもうその発言からしてパチンコって言ってるようなものじゃないかいや違う漫画にも割く! というかそこしか娯楽費の割り振り先はありませんがw
いやしかし最近多少減らそうかなと考えている次第です。ジュースじゃなくて漫画の話。手当たり次第行き当たりばったりは結構色々、金銭とかスペースとかあれやこれやなので、もそっと、絞ったら、いんじゃないかなぁ。今更そんな事を言い出しているんだ、きっと不実行には違いないですが。たまにはそういう考えもよぎらない訳ではない程度の話ですよはいはい所詮その程度の人間さおれは。



2008年07月08日(火)
いやな事はいやだよって、云う。


最近すきな漫画の話。単行本だとジャケ買いもあったり惰性だったりもありますが、現在随分減量した末購読の生存を果たしている花とゆめに連載しているNGライフが、個人的に非常に面白いなと。
相変わらず不勉強なので暫くポンペイが実在するものだったという前提さえ理解しておりませんでしたが。この人のギャグとシリアスの濃度、其々の味付けがすきです。
そも作者の草凪みずほ氏をすきになったのは、ちょっと名前忘れてしまったんですがボディーガード対自称殺し屋の漫画でした。もうめっさ、この設定とかキャラクタに惚れ込みまして。
全二巻という短さながら、本筋は(さらっと読む限りでは)余す事無く伏線を回収して見えるので(本当は隠し玉が残ってるという可能性は否めませんが)、もっと長く読んでいたいという思いもありつつ、そういう寂しさであって所謂打ち切り(かどうかは知りませんが)に対しての不満とかじゃないという事は、多分満足しているんだと思います。尤も、例えギャグパートが長引くだけでもいいからやっぱりもっと、という望みはありますよ。ありますが。

そういえば単行本で追っていた方のすきな漫画としてはビターバージンが終わっていました。ややネタバレです。
これもまぁ、なんやかや納得は出来るんですが、さみしさよりも、最後の〆はどうなのかなと。
別に投げ遣りとは思いませんし、ハッピーかアンハッピーに断言しないところがよりリアルだと思うし、話の流れとしても理解出来るんですが、リアリズムに添い過ぎて、もう少し夢が欲しいような。
特に互い、自身を一時凌ぎと思っているところが、盲目的になって独占するのもナンセンスですが、いつかよりよい相手が見つかる、なんて気持ちでいいのかよと。
いや、だからお互いを尊重し合うからこそってのもそうなんでしょうが、最終的にその二人が二人を想い合う遠慮こそが、何より引き裂いていくのだと思えてならない。
果たして最近作品の終了に関して大満足という快感を味わった事が無いのですが、大抵不満か納得出来るけど寂しいとかんな事のたまってますから、いつか爽快感と共に長い旅路を終えたと感慨深くなるようなお話に出逢いたいものです。

序でにコンシェルジュの有明さんと鬼塚さんを応援し隊。最新刊では外野の妙な突付きにより有明先生がぢっと手を見ていたので嗚呼なんだよどうなるんだよとときめいております。彼の場合は働けども足りないのは金銭よりも自己の満足や欲求ですが。



2008年07月07日(月)
箱舟が白い川を渡る。


スネイプ先生考察サイトに出会い思わず熟考してみるテスト。
実に単純な人間なので、誰かが聞き易い言葉で好意的な意見を述べているとすぐさま鵜呑みにしてしまうのですが、そうして物事をすきになれるならいい事だと思いつつ。
なんだろう、どうしよう、セブルス可愛過ぎる事に気が付いてしまった。笑えないくらいかわいんだぜ。
で、その方のセブルス愛の日記を見ていると、というよりそこにあった一文に自分が過敏に反応しただけなんですが、スネイプとルーピンの関係性が非常にオツなものではないかと。
ルーピンがジェームズ・シリウス組に属していた間柄から憎んでいたとても脱狼薬をきちんと煎じたり、そのスネイプいじめの際も助けないながら加担はせず、見て見ぬふりもいじめの一環だとは思いますが、その日記でそこに対しての補足がありまして、ルーピンにしてみれば人狼化してしまうという極度の秘密を抱えていながら共に過ごせる学友なんです、ちょっとの義侠心でぶち壊したくはないんじゃないかと。
また、スパイ役という点でも共通していて、現在スネイプがヴォルデモートとダンブルドアどちらに加担しているのやら明白にはされていませんが、どちらに属していてもスパイであると言うのは変わらず、その大変さとか気苦労とか、一番慮ってやれるのは同じくスパイしているルーピンなのかなって。
それと、ダンブルドアがスネイプを信じている明確な根拠は一つの謎とされていながら、性善説が一枚噛んでいるのも事実じゃなかろうかと。これも考察の受け売りですが、ヴォルデモートの危険性を察知し監視にも及んでいたダンブルドアは、つまりリドルに関しては無償の愛情を注ぐ事は無かったんじゃないかと。誰の事も信じていたい、どんな人間にだっていいところはあると信じ始めた、というにはやや強引ですが、よりその想いが強固になったのは、ひょっとしたらリドルを愛し導いてやれなかった苦難から、どんな状況であれスネイプを信じるという心情に発展したのかな、とか。
だとしても、信じようとしている、という気概は、中々スネイプが哀れです。承知の通りヴォルデモートは人を信用する事が無いし、死喰い人は訝っているし、不死鳥の騎士団はダンブルドアが信じていると言うのを根拠に、そしてダンブルドアも信じようとしているだけだったら。あ、やばいスネイプ愛し過ぎる(笑)。
ところでスネイプといえば、非常に困った事がありまして、映画として映像化される前から懐いていたイメージが未だに抜け切らないんです。先ず第一にそのイメージが先行してから、ようやっと映画版のスネイプが出てくるといった次第で。
そのイメージ映像と言うのが、スナフキンなんですよ。えぇ、ムーミン谷のあのお方です。……な、な、なんかわかって貰えないかな!! 最近はデフォルトスナフキンではなく上手く実写と混ざった感じの想像図まで出来てしまって本気でスネイプを思い起こす時それしか浮かばないのが笑えてしまって、コート! 帽子!
結局コスプレと笑っている時点で微妙だとは理解しているんですよ。でも抜け切らない。



2008年07月06日(日)
まだ、傍にいて、くれるでしょう?


特に理由も無く謎のプリンス下巻をぱら読みしていたら上巻が読みたくなってそれも読み終えたら何かしらハリーポッターが読みたくなったので一番手近にあった秘密の部屋を読んでみました。賢者も結局読んだ。
しかし無駄な力を入れず、と言いますか、読みたい箇所だけを抜粋、と言いますか、大方読み飛ばし、みたいな事をしていたら思ったより時間を割かずに済みました。
いえ決していやだとか面倒だとかじゃなく(ならば読み返すなという話)、読んでいる間はいいんですが他の全てを蔑ろにしてしまうので後々、嗚呼あの番組見ようと思っていたのにとかやや悔いる事が多く。
お蔭様でさっさと今月末にならないかなと思いつつ、ハリーに対して自分は全面的に何もかも愛って訳じゃないんだなと気が付く。というのも、一巻に一場面は必ず個人的にイタくて仕方が無い場面があるので。
賢者の石は大量失点、秘密の部屋はウィーズリー氏の車での登校、アズカバンは生首と始めボガートに接せられなかった時の思い込み、ゴブレットは忘れましたがなんかあった、不死鳥は冒頭の癇癪及び予言の間に至るまでの思い込み、プリンスは結果的には正しいながらダンブルドアの意図を把握せずに一人マルフォイを追うところ、なんかが。
勿論それを凌駕する名場面もあり、あんな高い本すきでもなきゃ買いませんが(暴言)、何処かで誰か言っていた、その方の事は全く存じていないんですが発言だけが目に止まりまして、ハリーは全然いい子じゃない、という台詞になんだか物凄い納得してしまう。
勿論規則の破りっぷりとかもそうなんでしょうが、勉強に関するハーマイオニーへの依存度やらを鑑みるに、優等生という素振りは無く、おそらくは一般的なやんちゃ坊主のイメージに叶うのではないだろうかと。
但し自分はその一般的をいまいち思い浮かべられないので断言は出来ません。それこそステレオタイプの優等生か前時代的な素行不良児という両極端しか。
時にその人間的な性格が誰かにはもやもやを生みながらも概ね好感触を得られるのならば、まさしくキャラクターではなく一人の人間として生きているようで、いいと思います。万人に受け入れられる奴なんておぞましいったらこの上無い。トム・リドルがそうであったように。
取り敢えず個人的には始めに読み返したプリンスでのホークラックスに関して、その一文を読む度にそうなんですが、あれこれ分霊箱の数あってる? 間違ってないか? いやあってるな。という疑問を繰り返しながら、一つだけ不明確になっているやつが、ハリー自身だったら面白いのになとか勘繰りながら月末を待望しております。
後スキャバーズの活躍にも期待中。後ピーブズと血みどろ男爵が一体なんなのか教えて欲しい。後ダンブルドアの肖像画はないのか気になる。後レギュラスを殺したのはスネイプなんじゃないかっておm(以下略)



2008年07月05日(土)
手と手が繋がり触れ合う喜びを。


ジャキたまーーー!!! 酷いや、ジャキたまを入れてくれたっていいじゃないか!
若しかして今度こそ埠頭で戦うのか!? いや普通にその選択肢あるけれども。
まぁ普通に移植と書かれていたので多分そんな事はないでしょう。単純に、まぁ、なんだ、一応は隠しキャラに相当するからでしょうね。
リメイクでほっとしたような残念なような、この気持ちは何かすきなものに進展があると聞いたのならば必ず持ち上がる二つですが、まぁ、おかしな事にならないならいいよね、って、事にしておこう。
個人的にボイス入りじゃないかと予想していたんですが、それクロノ全く変化ないじゃんっていう引っ掛け的な楽しみを旧知組にというサプライズ。い、いや完全に夢が潰えた訳では。
やー、しかし、PSPかなんかのシステムでゼノギアスも出来るようになっているようですし、畜生愈々どちらか一つだけでも欲しくなってきてしまいますが多分持ち腐れになるだろうと思うと中々々手が出せない小市民。
後願わくば天地も出来るようになってもっと人様の目に触れて欲しい。

何故かふとハリーポッターのプリンスを下巻だけ流し読みしてみるテスト。なんとなくが正解なんでしょう、本当にふと手にとって見たいところだけをちゃんと読みつつ後はぱらーっと、のつもりがまぁ結構しっかり読みましたがいやいや、毎巻個人的にアイタタハリーそれはイタいというポイントがあるんですが、日を置くと慣れてくるのか身構え過ぎなのか想像よりスルー出来るのは、しかし始めの方がしっかり読もうという気持ちが強い分どうなんだろうなぁとか。



2008年07月04日(金)
この世に欺瞞がある事になんの途惑いもいらない。


休日返上で代打を頼まれました嗚呼つまりいつも通りってやつですね。大抵この場合通常のシフトより勤務時間が長くなる謎。それはつまり日々の己の勤務時間が平均的に短いという意味もありますが。
どう考えても、自分は恵まれています。環境、時給、仕事内容、お蔭様で大した不満も無く、謳歌させて頂いているのに、おまけにこの間時給が少し上がってしまった事もあって、益々やめようとしている自分がどれだけ甘ちゃんといいますか、んー、でも、甘えたなんだろうなぁと自己嫌悪も。
誰と比べてどうとかなんて考え方はナンセンスだと思う。それでも活動範囲で接する方々が皆様大変苦労なさっているのにのたまっているのを見ると少しお前自分に優し過ぎなんて思わなくもないですし、一般と照らし合わせるのもやっぱり反骨精神の方がむくむく上がってはしまいますが、冷静でも感情的でも、過酷だとか苦痛だとかなんて捉えた事はない。
須く、己の怠惰精神としか呼べません。理解している上でそうすると決めているのでいいんだと、幾ら己で自己完結出来ていても、悪い事という風には捉えていなくとも、これ以上甘やかして癖がついたらどうするんだ、といった感じの、微妙は漂う訳で。
本当に、なんというのかな。比較していけないんじゃないかと思ってしまうならしなければいいし、だから土台、ね。比較する事で何をしたい訳ではない。意思が変わらないなら意味が無く、揺らいでしまうなら、一つの手だろうけれど、全部が全部それに委ねなくちゃいけない訳じゃない。
此度の代打が決まった時も、延長は相変わらず頻繁にしてはいるんですが代打は最近御無沙汰で、嗚呼それじゃあいついつに行く為に寝るにしても寝ないにしても何時くらいまでには起きる乃至活動を止める、その為にはと遡って行動に由来して、その縛り付けてしまうのがいやなんだ。
じゃあその考え方に慣れるなり改善するなりすればって話なんでしょうが今のところその兆しは全く以て見えませんから可能性が無いものはあっさり切り捨て、やめるのでは無く休みという事で申し出てはどうかなんてお話も頂きましたが、それこそ甘えの極みに思えてならない。結局はそんな判断さえ自分勝手なんだ。
誰に甘ちゃんと捉えられても、誰と比べて甘ちゃんでも、知ったこっちゃない。束縛を無くした自由が崩壊して怠惰に変わるのがすきなんだ。その為に増え続けた余白が強制力がないからこそのプレッシャーになって、すべきはなくしてもいいは多い、だからこそ手の付け所が無い、わやわやした気持ちがすきなんです。
すきというのが語弊がありますか。寧ろ苦手ではあるんですが、又あの感覚に襲われたい。それはつまり、己の中に焦燥感が少しでもあるという事だから。それでいいのかとか、そのままじゃ駄目だろとか、なんでも、自分が思ってくれない事には、どれだけ親身な思いを込められた発言でも、届く事の出来ない堅牢さだから。
惰性が終わりきった、本当の怠惰の中にある、あの、恐怖感くらいしか、今のところリアルに感じられる感情がないなんて、所詮馬鹿馬鹿しいお話だけれども。許されている内に、すきなだけ放蕩していたい。時は移ろう、やがて否応無く許されない時代に行き着くのだろうから。



2008年07月03日(木)
この世に幸福がある事に何も躊躇いなんて無い。


単純にカウントダウンと聞いてわくわくしていたものの、あの時計の音モロなんですがww
という訳でスクエニの次のDS作品に関して自分がまたしても指咥えながらいいなぁいいなぁと嘆き本体購入に迷いそうです。果たして移植なのかそれとも続編なのかにもよりますが。うーんうーん。

例えば楽しい時悲しい時電話一本で繋がれる関係性を羨ましいと思えるのは、僻みなんかじゃ無くって純粋だって思いたい。
何もしては来なかったけれど、後になって輝く思い出なんて糞食らえ、とまでは言いませんが、そんな戯れ言で風化させたり況して美化させるなんて馬鹿馬鹿しくって見てられない。
でも、例えば何かがあった時、聞いてくれるのも、聞かないでいてくれるのも、優しさなんだと思うから、せめて何かがあった時、察して欲しい誰かの傍にいたりアクション起こせるぐらいは妥当だとしておいて欲しい。



2008年07月02日(水)
止め処ないくらいの思い隠せない。


接触率が10%を割る万年対人新入生(留年のが正しくないか)として、最近どうしても解消出来ない疑問が一つ。
エレベータ待ちなんかですれ違い以上井戸端未満の時間を共有した際、人によっては話しかけて下さるんですが、大体そのネタというのが天気の話でして。
何故手始めと言わんばかり探り探りの会話は空模様が多いんでしょうかね。いやそりゃ確かに身近且つ共通の会話と言って間違いないでしょうが、実はみんなそんなに気にしてないだろ雨かどうかとかくらいで。服装とか傘を持つか否かとかそんな理由で。
そんな慣性がしかし根付いてしまっているのやら、丁度バイト帰りに大体マンションを清掃に来ている女性に出会うんですが、大体朝の挨拶くらいで終わらせてしまうんですが、こう毎日に近く顔を合わせるなら、もっと会話を弾ませた方がいいのかと、考えると大抵脳内にはやっぱり天候とか気温とかそんなのが浮かぶのでした。ま、まずいぞこれは、洗脳されてるうぅぅ!!
そりゃね、いきなり誰彼憚らず昨日の深夜アニメどうでしたとか聞くのは論外ですよ。まぁちょっと飛び過ぎですがアニメとか。ジャンルを固定せずとも、例えば時期的に新しい番組改編で期待しているのはとかも、相手がドラマ好きかバラエティ好きかによって結構ぶれますし、スポーツ好きだったら自分の場合自爆としか呼べません。やっぱりテレビネタもちょっとハイリスク過ぎるか。
天災とかがあったならその話題でもいけるでしょうが、幾ら地震大国といえど毎度毎度都合よく起きはしませんし(不穏な発言)(ネタとして提供出来る頻度でって意味でどうぞ)、大体災害なのだからしてちょっと微妙ですよね。
嗚呼、うん。わかりましたよ。特に感情移入する必要もなくしかし誰しもに関わる天気が無難である事は。色々な人生経験をされている方が口々に取り出す話題としての普遍性。
でもやっぱり、正直そこまで興味ないでしょう。掘り下がらない。あ、だからいいのか。一分二分もしないちょっとの間のネタだから。で、これが盛り上がると井戸端会議化と呼べる。
いやでもなぁ。毎回毎回(相手は違えど)天気ネタだと飽きいやいや反発したくなるんですよ。そんなどうでもいい事ばっかり気にしてるんです日々。



2008年07月01日(火)
無意味をさも意味ありげにひけらかし。


コミックで購入していた自転車漫画オーバードライブが終わって、珍しくスポーツものなのに買っていましたが、愛読していた分若干切ないながらもこれはまぁ納得出来る終わりだったかなと。なんだか最近物語の締め括りに不満ばかりのたまっている気がして、じゃあ一体其々どういう結末だったら納得が行くのかと問われると、応酬したいような、たださみしいだけのような。
でも、それこそスポーツものの定番であるあれやこれやの戦いが延々続くのかとも思いつつ、いやきっとそうなったらなったで買うんでしょうが、そうするとまた10巻ぐらい増えてしまいますから。これくらいでよかったんだようん。
多分この人の書くキャラクタやモノローグがすきなので新作が出たら手を出していたいと思いますスポーツもの以外で。つまり一瞬のなんちゃらは勇気がでないと。大体多分すきと言うのがすこぶる微妙ですが。

地は大地の地であり地上の地でありつまり、ち、です。しかし、漢字表記になると読みが、じ、になるのは、何故なのだろう。
割と誰でも一度は思った事のあるだろう疑問を恐らく生涯で三回目くらい不思議に思いました。多分前二回は途中で疑問を忘れたんだと思います。
で、なんでなんでしょうね。ぢだと当然の如く痔を思い出しますがこれもじです。そんなにみんなぢがきらいなら五十音から消してしまえばいいのに。それともそういった短絡的思考にゆとりを持たせようという計略か?
ん、まあ、当然んなこたない訳ですが。


原初 羅列