見つめる日々

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2005年08月29日(月) 
 全て放棄してしまいたいと思うとき、人は何を為すのだろう。もう全て終わりにしてしまいたいと願ってしまうとき、人は何を為すのだろう。

 日曜日、娘を実家に送り届けた後の記憶を、私はぷっつりと失っている。帰る道筋、実家の最寄り駅のホームで煙草を一本吸ったところまでは残っているのだが、その後がばらばらの破片となって散らばって、まるでとてつもなく小さなピースを操るジグソーパズルのようだ。私はそれを今も、組み立てることができないでいる。
 今朝、友人からの電話で目を覚ます。日曜日だと思い込んでいた今日が、実は日曜日じゃなく月曜日であることは、その友人に告げられるまでまったく気づかなかった。電話を切り、慌てて外出の支度をする。病院に行かなければ。診察してもらえないまでも、せめて薬だけは手にしなければ。私は病院までの道筋、がんがんと痛感を鳴らす頭痛を抱えながら小走りになる。無事に病院に着いても動悸が治まることはなく、私の身体を軋ませる。
 病院から事務所へ、そして事務所から自宅への帰り道、とぼとぼと自転車を引きずって私は坂道をのぼる。容赦なく降り注ぐ日差しはそれでも、少しずつ秋の気配をまとっている。目には見えない温度が、私の肌を撫でてはそれを私に教える。
 家に戻り、もう夕刻間近ではあったけれど洗濯をし布団を干す。そして掃除機をかける。それだけのことに、全身汗だらけになる。いっぱいに開けた窓からは、風が絶え間なく吹き込み、部屋を通り抜け細く開けた玄関から再び外へと流れ出してゆく。私はしばし目を閉じて、じっと風に耳を澄ます。汗を拭い取ってゆく風が、らららと歌っているように感じられる。これが多分、季節の移り変わり。
 畳の上にしゃがみこみ、揺れるカーテンを眺めていたはずの自分の腕から、血粒が零れ落ちている。腕は一体いつ、血粒を噴出させたのだろう。思い出すことのできない空白を、私は抱え込みながら、ごしごしと腕を洗う。血粒がしたたるたびに洗い、洗うたびに血粒がまたこぼれる。その繰り返し。私は幾度も幾度もそれを為す。
 その血粒が零れ落ちてできた血溜まりを、私は右手に握った雑巾でごしごしと拭き取る。一体自分は何をやってるんだろう、そう思い、私はため息をつく。毎度のこととはいうものの、大きな血溜まりを目の前にするたび、私はうんざりする。もういい加減、私から離れていってほしいのに。腕を傷つけて一体何になるのだろう。何にもならない。そのことを、もう十二分に私は痛感しているはずなのに。
 いつの間にか部屋は薄暗くなり、外の闇と同色に染まる。私は明かりのスイッチに手を伸ばし、その途端、部屋はまぶしさを取り戻す。人工的な光線が、しょぼくれた私の目を射る。
 全て放棄してしまいたいと思うとき、人は何を為すのだろう。もう全て終わりにしてしまいたいと願ってしまうとき、人は何を為すのだろう。
 それが自殺というものに繋がる糸先なのかもしれない。そう呟きそうになる自分の唇を、ぐいっと拭う。死んでたまるもんか。私は最後もう一度血だらけの腕を洗い、せめて今夜はもう切らなくても済みますようにと願いをこめながら包帯を巻く。そして仕上げに、友人から贈られたブレスレットを腕に結びつける。切りたくなっても、そういう衝動に襲われても、ブレスレットや包帯を解こうとする間に正気に戻れるかもしれない、そんな期待を込めて。そして今朝方、主治医から言われた言葉を反芻する。
「正気に戻る術を自分で何とか掴み取らないとね」
「正気に戻る術、ですか?」
「そう」
 何種類もの頓服を試した結果、結局自力で何とかするしかないというところに至るこの情けなさ。でも、それが遠回りであったとしても、自分でやるしかないという覚悟を覚えるためにはよかったのかもしれない。そうでもしなけりゃ、私はまだ薬に頼るしかなかったのだろうから。
 わびしいニュースを流し続けるテレビを消し、歌を流し続けていたコンポのスイッチも消し。私はひとり、ぼんやりとしゃがみこむ。畳は私の体重を受け、一声きゅうと音を立てる。
 死んでたまるか。このままで死んでなるものか。その思いが今、私を支える。明日もきっと生き延びる。生き延びてみせる。這いずってでも。
 とことんまで追い詰められたことを思えば、今なんて、どうってことない時間だ。そして今私には、命がけで守りたい人たちがいる。そのためにも私は、生き延びる。

 萎んだ朝顔の花びらが、夜風にひょろひょろと揺れている。私はただ、明日も生きる自分を思う。


2005年08月27日(土) 
 暑い一日。暑さが苦手な私は、朝から息絶え絶えで、娘に笑われる。だめじゃない、ママは、もう!と、彼女がしょっちゅう繰り返す。その言葉を浴びるたび、はいごめんなしゃいねぇと返事をしつつ、私は洗濯物やら何やらを繰り返す。
 薔薇の樹のプランターにおそらく去年のうちにこぼれていたのだろう朝顔が、ぐんぐん育ち、薔薇の樹はすっかり朝顔に包み込まれ、今、青と紫の間のような色の花を毎朝開かせる。夕暮れ時にはあっけなく萎み、そうやって、やわらかい花びらが垂れてゆくまで開くと萎むを繰り返す。朝顔に思考があるはずはないけれど、私は見つめながら、気になって気になって仕方がなくなる。そんなにも正直に自分を曝け出して、それでもこの世界で生きていけるものなのでしょうか。もちろん、誰もその私の問いに答えてはくれないけれども。

 台風の後、街のあっちこっちで落ちてひっくり返っている蝉の姿に出会う。短い命を全うし、そうして転がっているのだろうか。それとも、まだ寿命が尽きる前に、台風にやられてひっくり返ってしまったのだろうか。どちらなのか私には知る由もないけれど、せめて彼らがそれぞれに寿命を全うしてひっくり返っているのだと思いたい。土の中で過ごした数年間、地上に出てきてからの数日。彼は何を思い、何を歌っていたのだろう。
 ママ、ここにも蝉が落ちてるよ、死んでるよ。娘が走り寄る。あるお宅の玄関先で、見事にひっくり返っている蝉。私はそおっと手を伸ばし、触れてみる。すると、ジジジジとの返事が。ママ、まだ生きてる!この蝉さん、まだ生きてるんだよ、樹にくっつけてあげなくちゃ! 娘の言葉を受けて、私はその蝉をそおっと指で挟む。抵抗するのもしんどいのか、蝉は私の指の間で、ジジジ、ジジジと啼くだけだ。街路樹のひとつに適当な枝を見つけ、私たちはそこに蝉を乗せる。すると、えっちらおっちら、といった具合に身体を枝に這わせて、適当な位置を探し始める蝉。そしてやがて、他の蝉たちと共に、弱々しげながらも啼き始める。

 九月に入ったら、娘がこの家に戻ってくる。楽しみと同時に、正直、不安でもある。私は大丈夫なんだろうか、この子が寝てる隙に腕をざくざく切ったりなんてこと、もうしなくても済むだろうか。考え始めると、不安は次々増えてゆく。増えて増えて、私を窒息させる。だから私は頭をぶんぶんと横に振り、考え自体を見えないところにうっちゃっておく。
 いくら不安になってみたってどうしようもない。なるようになるさ。自分にそう言ってみる。そう、なんとかなるさ、なんとかするさの精神で、日々を越えてゆくのがせめてもの術。
 夜、プールのような水温のお風呂から娘の声が響く。ママ、ママ来て! なぁに? ほら、見て、今アイスクリーム屋さんやってるの。ママは何がいい? ママはねぇ、そうですねぇ、じゃぁ抹茶宇治金時ください。それは売ってません。え?売ってないの? はい、そうなんです。じゃぁ何があるんですか? いちごとみかんとりんごとぶどうとチョコレートです。なるほどぉ、じゃぁりんごをください。はい、ちょっとお待ちください。はい、どうぞ、出来上がりました。350円です。あ、はい、じゃぁ350円、どうぞ。ありがとうございました。お風呂場と炊事場を私はそうして何度も往復する。
 ぬるいぬるいお風呂からようやく上がってきた娘は、パンツ一丁で踊っている。鏡の前でしなを作って、どうやったら色っぽく見えるのか、いろいろ研究しているらしい。三十五にもなる私なんかより、彼女はずっとおしゃれに敏感だ。少しこの怠け者の母にもその感覚を分けて欲しい。
 そうやってきっと、あっという間に毎日はすぎてゆく。自分がどうだったとかこうだったとか、そんなことお構いなしに世界は回り続ける。だからせめて、自分は今何処に立っているのか、そのことだけでも、見失わずにいたい。
 娘がまた私を呼んでいる。ママ、ママ、お星様見えるよ! 私は洗物の手を拭いて、彼女のところへ。
 星、見えるね。二つだけだけどね。あれきっと、ママと未海だよ。そうだね、きっと。


2005年08月25日(木) 
 寝床からなかなか起き上がれない日が続く。そうしている間にあっという間に日が過ぎる。私は何処か上の空でいる自分を、少し持て余している。
 曜日と日付の感覚がすっかり失われ、カレンダーを見てもそれが暦だと認識できず、ただ、数字が羅列する何者かという感覚が私を覆う。仕方がないからコンピューターを立ち上げて、日にちを確認する。今日は何日で何曜日、今は何時。自分に言い聞かすように二度ほど繰り返し声に出す。私は曜日を頼りに、手仕事を始める。
 そんな私が住む街にも、台風はやって来て、それとともに娘もやってくる。「みうがどれだけあなたの健康を気にしているか、ほんとに切ないくらいよ」「今日も、台風が来るからママお迎え大丈夫かなってずっと言ってたのよ」。実家の母から電話が入る。「子供にあんなに心配される親、あなたぐらいよ」。まさしく母の言う通り。心の中でそう思いながら、私は電話の声にしばし耳を傾ける。
 起き上がれないのは、体調のせいだけでなく、薬のせいのような気もしないではない。先日処方された薬は私には少し強すぎて、それを飲むと、身体を起こしていることがほとんどできなくなる。先生は、このパニック状態をやり過ごすために必要な薬だとして私に処方してくれる。でも、それを飲むと私は起き上がれなくなる。つまりは仕事もままならなくなる。だからといって飲まないでいると、そのツケが数日のうちに私に襲い掛かる。飲むしか仕方ないのだろうか。そう思い口にする薬は苦くて、私の喉を焼く。

 写真を焼くこともなかなかままならない。このままじゃぁ焦点が合わないままの世界で日々を過ごさなければならなくなるような不安が私の中に生じ始める。でも。必ず焦点が合う時が来るはずだ。きっと、きっと。そう言い聞かせる自分が、実は一番頼りない。

 台風が近づいてくる。そんな街はすっかり濃灰色の雲に覆われ、アスファルトで飛沫を上げる雨粒がどしゃどしゃと落ちてくる。私はその雨の中、傘をさし、娘を迎えにゆく。保育園で名前を告げると、やがて娘が転がるように走り出てくる。このまっすぐな眼差し。私はいつもこの眼差しに助けられる。頬が自然に綻んで、さぁ帰ろう、と娘に言う。娘はこれでもかという勢いで私の身体にぶつかってきて、私の腕に絡みつく。彼女の手はあったかくて、私はそこに、命の塊を感じる。
 樹々が揺れる、葉々が揺れる、ぱしゃぱしゃばしゃばしゃと雨の音が響く。傘と傘、結んだ手と手。結んだ手と手が濡れてゆくのも構わずに、私たちは手を握り、雨の中を歩く。傘に打ちかかる雨の音が、こんなときは何故か、楽しげに響く歌のように聞こえる。
 ねぇママ、みうがいないとき元気だった? ねぇママ、みうはねぇ今日この歌覚えたの。ねぇママ、昨日ね、じぃじがこんなこと言ったから、みう、じぃじのことやっつけておいたよ。ねぇママ、ねぇママ。
 途切れなく続く彼女の話を、私はずっと、うんうんと言いながら聞いている。ひとりきりの部屋ではあり得ない、誰かの声が響く部屋。外は台風。風の唸りが遠くに聞こえる。
 ママ、お写真撮った? あ、撮りに行けなかったの。なーんだ、じゃぁママ、つまんなかったね。うーん、そうねぇ、残念だったな。じゃぁママ、お写真焼いた? まだ焼いてない。だめじゃないの、ママ、お写真がママを待ってるよ。え、あ、はい、うん、そうだね、またやらなくちゃ。そうだよ、ママ、お写真やらなきゃ。じゃ、今度みうがモデルになって。えー、みうがー、やだー。なんでやなの? ママはみうの写真撮りたいなー。えー、でも、恥ずかしいじゃーん。え、みう、恥ずかしいの? だって、他のみんなはママみたいなお写真作らないよ。あぁ、なるほど、そうだね、確かに。でも、いいよ、ママが撮りたいならつきあってあげる。ははははは、うん、そうして。ママはみうとお写真とどっちが好き? みうに決まってるじゃん。みうもママが一番好き!
 五歳児というのは、こういうものなんだろうか。人を気遣い、人を思い。私が五歳の頃はどうだったんだろう。こんなにも誰かを思いやりながら暮らしていたんだろうか。そんな記憶は、正直、あまり、ない。だから、娘を見つめていると、いつも不思議になる。人間って不思議、命って不思議。生きてるって、不思議。
 娘からふと目を逸らす。窓の外では雨が降り続いている。この雨に閉じ込められて、ぼんやり過ごすのも、そう悪いわけじゃぁない。ぼんやりと。輪郭の薄い毎日だけれど。


2005年08月13日(土) 
 今、布団の上では娘が大の字になって眠っている。眠る前、暑いよ暑いよとシャツをまくりあげる癖は昔のまま。そして背中がかゆいだとかお尻がかゆいだとか、本当にかゆいのかどうかは別として、私にその都度ぽりぽりとかかせるところも昔のまま。寝るまでに二時間近くの時間が必要なのもあの頃のまま。だから、ようやく眠り始めた娘にタオルケットをかけ、こうして日記帳に文字を記していると、錯覚を起こしそうになる。時間があの頃にぽーんと戻ってきたような錯覚。だから私は何度も娘の寝顔を見つめる。いや、あの頃の娘の顔じゃない、もっと逞しく、もっと凛々しくなった今の寝顔を、私はじっと、じっと見つめる。

 このところ少し心が疲れていた。油断するとすぐ自己嫌悪や欝に陥って、左腕をざくざく切っていた。自分で言うのも何だが、腕に添えた刃を握り締めて奥へ奥へと力を傾けながら引くと、ぱっくりと、見事にぱっくりと傷口が開く。血が瞬く間にぼとぼとと床に毀れる。いったん刃を握ってしまうと、私は止まることを知らないかのように次々切り裂いてゆく。ぱっくり口を開けてだらだらと血を流す傷口で腕がすっかり埋まる頃、ようやく私は正気に戻る。消毒をしなくちゃとか止血をしなくちゃとか、考えることはいっぱいあるけれども、それよりも何よりも、かなしいというか虚しさが私を抱きとめる。おまえは一体これで満足したのかい? これで気が済んだのかい? そんな声が、私の耳の奥で木霊する。
 満足なんてしていない。気が済んでもいない。でも、これ以上切ることも叶わないほど腕が傷だらけになっていて、私は半ば仕方なく、刃を置く。それにしても、私は一体何をしているんだろう、こんなふうに毎晩のように腕を切り裂いて、私は何を得たいのだろう。いろいろな問いが次々に心に浮かんでは消えてゆく。
 あまりに隙間なく切り裂くために、病院に行っても傷口を縫うことができない。だから医者は細いテープのようなもので傷口をどうにかこうにかくっつけてゆく。こんなことしちゃだめだよ、大事な自分の腕でしょ、と先生が一言言う。私は何も返事ができない。先生の治療は淡々と進み、じゃぁ明日も来て頂戴ね、その一言で治療が終わる。膿んでしまった傷口は、どんなに幾重に包帯を重ねて巻いても、滲み出てくるのだ、膿の色が。私はそれが不思議で、真夜中、じっと左腕にぐるぐる巻かれた包帯をじっと見入る。
 先生、リストカットが収まらないんです、どうしたらいいんでしょう。今はどうしようもないわよ、でも、必ず止まる時が来るから、ね、それを信じて、今は止められなくてもいい、必ず止められるようになる日が来るわ、だから大丈夫。主治医に言われた言葉が私の頭の中でぐるぐる廻る。本当に止まるんだろうか。本当に止められる時が来るのだろうか。いや、来るはずだ。娘が生まれてから数年、私は一度もリストカットをしないでここまでやってこれたのだから。いつかまた、そういう時期が来るはずだ。

 娘が言う。ママ、あのね、もしみうがいないときに泥棒とかが来たら、ちゃんと110番するんだよ、それからみうにも電話するんだよ、そしたらね、みう、飛んでくるからね。
 私も言う。みう、もしママがいないときに危ない目にあったら、いつでもママを思い出すんだよ、そしたらママの心にそれが伝わって、そしたらママ、みうのところに飛んでいくからね。
 少し離れている間に、彼女は本当に大きくなった。体はもちろんだけれども、それだけじゃなく、心も大きくなった。あぁ、親の知らない間に、子供はどんどん育って行くんだな、と、改めて痛感する。いや、もちろん、娘を預かってくれている父母の存在のおかげというのが大きく作用しているに違いない。それにしたって。
 たまたま、今日病院へ向かう途中で、チラシ配りをしている女の子たちが何人かいた。そのひとりの女の子の腕に、幾筋もの傷跡があり。その場所を通り過ぎてしばらくした後、みうが言った。ねぇママ、あのおねえちゃんの腕にもママとおんなじ傷があったね、ママの方がいっぱいあるけど、でも、あのおねえちゃんも、きっといっぱいかなしいことがあったんだね。
 あぁ、そんなふうに娘は思ってくれていたのか、と、いまさらながら私は気づいて、思わず私は空を見上げる。今にも雨が降り出しそうな濃灰色の空。雲にすっかり覆われて、太陽の光のかけらさえ見当たらない。涙がこぼれないようにしばらく私は空を見つめた。そんな私に気づいているのかいないのか、娘はさっさと横断歩道を渡ってゆく。ママ、ほら、早く渡らないと赤になっちゃうよ! 私は自転車をひきずって、早足で娘の後を追う。
 ねぇみう、私が腕をざくざく切ってしまうのは、かなしみから来ているのかそれとももっと他のことから来ているのか、今は知らなくてもいいよ。いつか君がもう少し大人になって、そうして二人向き合って性の話をする時が来たとして、あなたが知りたいと言ったなら私は正直に自分の心の中にあることを話すよ。その時は、同じ女同士、まっすぐに話ができるといいね。

 眠る前、みうが尋ねてくる。ねぇママ、ママはみうがママのところに産まれて嬉しいでしょ? うん、嬉しいよ、すんごい嬉しい。でもさ、ママは男の子は産まないの? うーん、うーん、そうね、みうしかママは産まなかったね。ママは男の子、産みたくないの? うーん、そうね、産みたくないわけじゃないけど、でも、もうみう以外の子は産まないと思うよ、ママはね、みうが一番なの。そうなんだー、うふふ、みうもね、ママが一番。
 窓の向こう、雨は止んだ。そして今、街路樹たちがざわわざわわと揺れている。ざわわざわわ、と。


2005年08月08日(月) 
 夜が明ける様子をじっと見つめていた。いつもの窓際、椅子に体育座りといった格好で。やがて明けゆく空。ふと思う。この空は、ついさっきまで何処にいたんだろう。何処の国の上に、どんな街の上に、どんな家族の眠る屋根の上にいたんだろう。地球が廻っている、そのことがなんだかやけにはっきりと感じられる夜明け。
 それはそのまま、今までここに在った夜空が、今度は何処へいったのだろうという疑問に繋がる。今頃は海の上? 日付変更線の上? それとも誰かがまだ眠る港町の上?
 撮る気持ちはまったくなかったけれども、いつものようにカメラをぶらさげて、ポケットには小銭を入れて煙草を入れて携帯灰皿ももちろん入れて、そうして私は街に出る。
 誰もいない公園。バイク等が入れないように入り口に柵がある。その柵をひょいと越えて私は公園に続く短い坂をのぼる。ゆっくりと視線を流しながら、最後に空を見上げる。もうこんなにも明るい。そしてその視線を落として次に見つめた東の空からは、四方八方に光が真っ直ぐ伸びている。その光が一瞬七色に輝くのを見つけた。或る角度から見つめたときにだけ生まれる七色の帯。朝の光というのはこういった不思議をいつも抱いている。昼の光では決して見られない不思議。
 ひとしきりその公園でブランコをこいだ後、私はもうひとつの公園へ足を向ける。池の公園。以前住んでいた部屋のすぐ裏手。
 足音をひそめ、私は池の方へ進む。すると、鳩や雀が小さな池で水浴びをしている。私は気づかれないように立ち止まり、彼らの様子をじっと見守る。上手に両の羽で水浴びする者、何故か右の翼だけを動かして水を浴びる者、かと思うと、頭から水の中に体を突っ込んでばたばた暴れる者もいる。鳥と大きく一括りで呼んでも、実際は人間と同じく、一羽一羽個性を担っている。
 その池に覆いかぶさるようにして伸びる桜の枝。四月、この枝は薄桃色の花びらでびっしりと埋め尽くされていた。風が吹くたび、ひらりはらりと花びらが舞い落ちたものだった。そして今、その枝には、濃い緑色の葉々がぶらさがり、時折行き交う風と戯れる。
 公園の中央から延びるまあるい下り坂をおりてゆく。左右にはもう花の終わった紫陽花の樹がびっしりと植わっている。公園出口の両脇を飾る紫陽花は、もうすっかり色の変わった花をまだ名残惜しそうにその身に抱いている。その花に指先で触れてみる。かさかさの薄い皮膚のような感触。藻色の干からびた花びら。
 どのくらいの時間散歩していたのだろうか。時計を持って出なかったので私には分からない。でも、そうやってあちこちを歩いているうちに、心が元気になってゆくのがひしひしと感じられた。米屋の車庫に置いた椅子に、いつまでも座っている老人や、風が通り抜けるのだろう窓際でだらしなく体を伸ばしているトラ猫、朝早くから動いている米屋の玄関先には、おこぼれに預かろうという鳥たちが何羽もひしめき合うその様子。それは、いつもそこに在る当たり前の風景なのだけれども、何の不思議もない毎日の風景のひとつでしかないのだけれども、でもだからこそ、私の呼吸を楽にさせてくれる、そんな不思議な力が備わっている。
 家に戻ると、待ってましたとばかりに電話のベルが響く。用心深く受話器をとると、それは親しい女友達からの電話。ここからはもう、言いたい放題やり放題。電話越しだというのに、今この瞬間彼女はちゃんと私の目の前にいて、しっかり私の目を見つめ喋り通す。ひとりで生きているというその言葉の意味や、実際の自分たちの姿、そんな小難しい話から笑い転げずにはいられないような話まで、何処までも何処までも電話は続く。

 美しい透き通った夕映えを、薔薇の樹に水をやりながらじっと眺める。そして、今朝感じたことをまた改めて感じる。地球は廻っているのだな、と。
 私の今日は、もしかしたら誰かの明日。私の昨日は、もしかしたら誰かの今日。空や大地はそうやって一続きに広がってゆくのかもしれない。でもその場所その場所に立つのは、ひとりひとり違う魂を抱く者たち。
 そして今、窓の外に広がるのは闇色。通り隔てた向こうには、いつものように橙色の光を放つ街灯とその光を受けて揺れる街路樹。またひとつ、またひとつ、街の明かりが消えてゆく。あの窓の向こうで、あの扉の向こうで、誰かがきっと今頃眠っている。
 さぁ私もそろそろ横になろう。その前に、左腕に巻かれた古い包帯を解いて、今朝洗濯した真っ白な包帯に巻き代えて。明日は明日、今日は今日。私はただ一日一日を、大切に過ごしたい。そう、ただそれだけ。

 おやすみ。


2005年08月07日(日) 
 娘と手を繋いで歩く。夏の日差しが私たちの肩や背中を焼いてゆく。だから私たちは、暑いねぇ、と言いながら歩く。
 あ、あっちに今蝉が飛んでった。あ、ほら、こっちもだよ。あ、みう、止まって、そこに蝉がいる。散歩している最中に、樹の枝から家々の壁から足元から、ありとあらゆるところで蝉と遭遇する。そのたび私たちは、指先でつついてみたりする。
 来週からまた一緒にいられる時間が増えるよ。私は心の中で彼女に話しかける。それを知ってか知らずか、彼女は私と手を繋ぎながら、あっちこっちに目を配っている。ほらママ、あそこにいるのホオジロだよ、あっちはヒヨドリだよ、ほら見て! じぃじばぁばに教えてもらった鳥たちが脇をすり抜けるたび、大きな声で彼女は私に教えてくれる。娘は、いつの間にか私などよりもずっとたくさんの鳥の名前を覚えてしまった。それだけ時間が経っているのだなと改めて思う。
 この頃の自分の調子や状態を省み、自信を失いかけていた私に、友人が言う。「あんたは離婚してからしっかりひとりでやってきたじゃない。金が足りなきゃ夜のバイトまでして、それでも毎日笑ってみうちゃん育ててしっかりやってきたじゃない。大丈夫、数ヶ月娘と離れてたからってどうってことない、リストカットなんてどうってことない、あんたはちゃんと自分の足で立ってるよ、そんな自分を信じなさいよ!」。真夜中、殆ど怒鳴り声に近いような声で叱咤激励してくれる友人に感謝しつつ、あぁそういえば、必死にひとりで頑張ってた時期があったなぁと思い出す。そういう時期があったから、父母との縁も今こうやって再び得られるようになったんだったなぁ、と。
 でもさ、そんなことないんだよ、みんながそうやって助けてくれてたから私ここまでやってこれたんだよ、と私が言うと、友人がまた畳み掛けるように言う。それはあんたが必死に自分の足で立とうとしてるのが分かったから側にいただけだよ。依存するような奴だったら私は友達やめてたね。あまりの辛辣な彼女の言葉に私が笑い出すと、彼女も一緒に笑い出す。それにね、あんたは私が一番きついときずっと側にいてくれた、私がどんな理不尽な言葉吐いても側にいてくれた、だから私も側にいる。そう断言してくれた彼女の言葉に、私は急に涙がこぼれて、笑いながら泣いた。
 私はそんなたいそうなことしてないよと、心の中で思ったけれど、声にならなかった。泣いてる私の背中をばしんと叩いて、彼女が続ける。自信もて! あんたはひとりでもちゃんと立ってた、今も必死に崖っぷちだけどちゃんと立ってる、だから私もここにいる、それだけのことだ、そんな自分の底力を信じろ! ぺろっと舌を出してにぃっと笑う彼女の顔が目の前に突き出され、私は余計に泣き笑いする。ありがと。そう一言言うのが精一杯だった。
 そうだった、私は、結婚している最中、元旦那が労働を放棄したとき、自ら夜のバイトに飛び込んだ。反吐がでそうになりながら、毎晩毎晩働いた。それだけじゃ金は足りないと分かっていたけれど、それでも必死に働いた。働きながら昼は昼で家事をこなし子供の世話をし。そして離婚したらしたで、必死になって働いた。自ら決めて選んだ道、誰からの援助も期待できない生活でも、私は何とかやってきた。確かに今、年老いた父母が娘を預かってくれ、たくさんの友人が私を気遣い、そんな多くの人の厚意の中で私は生活している。だからって、自信を失う必要なんてないんだ。むしろ、そういう人たちにこそ深く感謝し、なおかつ自分を信じ、歩いていけばいい。
 私が元気になることを、かつて絶縁していた父母も今は心からそう望んでくれている。いや、何よりも何よりも、娘が私を待っている。そして、ずっと見守ってくれている友人たちも、私がまた自分の足でしっかり立つのを待っていてくれている。
 だから大丈夫。そう、私は大丈夫。
 今、夜が明けてゆく。多くのものが失われゆく中でも、この掌の中、ちゃんと残っているものがある。私はそれを信じ、自分の力に変えて、この足で歩いてゆけばいい。それがどんなにみっともない道であっても。でこぼこの道であっても。

 今、夜が明けた。さぁ、私の今日がまた、ここから始まる。


2005年08月03日(水) 
 ようやく日が沈み、西の空から徐々に、先刻まで燃え上がっていた橙色の炎が薄れてゆく。訪れてくる夜に、薔薇の樹がようやく溜息をつく。
 最近夕方の水遣りの折、余裕があれば葉を洗ってやることにした。それが何の効果をもたらすのかは知らない。でも、この熱気、この日差しに晒され続ける葉々たちが少しでも元気になれば、そんな思いから片手に持った如雨露を傾けながら、もう一方の手で葉を撫でる。傷ついた葉から伝わってくるかさかさした感触が、私の指からうなじの辺りまでゆっくりとのぼってくる。今日も一日お疲れ様。そして最後、ベランダの手すりに寄りかかり、日の落ちた後の風に、髪を任せる。
 活字を読もうと何度も何度も試みている今日この頃。それでもどうしても辿れない。意味が掴めない。そのうち気持ちが疲れてしまって、私は本を閉じる。また明日。
 そして考えることはいつも同じ。そろそろ娘を迎えにゆかなければ、というその一事。大丈夫なんだろうか、こんなにもやる気が失せている私が今迎えに行ってもやっていけるんだろうか。いまさらだけれども、そんなことを思い浮かべてしまう。でも、それも、待っていてくれる者がいるという贅沢な悩みなのかもしれない。
 暮れてゆく空の下、ぎゅうぎゅう詰めに立ち並ぶ家屋の窓にひとつ、またひとつ、明かりが灯ってゆく。窓際にぺたりとしゃがみこんだ私の耳に、サイレンの音が届く。一台、二台、三台。消防車が駆け抜けてゆく。車を見送って、私はまた、ぼんやりとしゃがみこむ。
 あれやこれやの情報が溢れてばかりいて、濾過する時間が間に合わない。だからコンセントを引っこ抜く。テレビも電話もコンポも全部。もちろんPCの電源も。それだけで十くらい、自分の周囲から音が消える。そして、水をはった風呂の中に頭のてっぺんまで潜り込む。一、二、三、四…潜ったまま頭の中で数を数える。気づけば水の温度にすっかり馴染んでいる自分の体。口の端から漏れた空気の泡と一緒に、私はざぶんと水から上がる。
 大丈夫。堕ちるところまで堕ちた後は、のぼるしかない。だったら、中途半端な位置であっぷあっぷしてるより、とことんまで堕ちてしまえばいい。堕ちて堕ちて何処までも堕ちて。そうすればいつか、世界の壁にぶちあたる。その先のことは、そうなってから考えればいい。壁を乗り越えるのか、それとも壁をぶちやぶるのか、もしくは壁の下に穴でも掘って向こう側へ出るか。ここ数日の鬱屈した空気を振り払うように、ぶるんぶるんと頭を振ってみる。そして。
 布団に突っ伏して、何処までも堕ちてやる。夢の中でも堕ちてやれ。そうすれば多分きっと、また道が拓ける。磁石も何ももっていない、頼りない自分だけれども、開き直ってしまえば恐いものはない。だから大丈夫、私はまだやれる。
 気づけば窓の外、闇が一面にひろがっている。闇に手を伸ばし、その指先をじっと見つめる。そして声に出して言ってみる。
 大丈夫。私はまだやれる。


遠藤みちる HOMEMAIL

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