見つめる日々

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2004年02月27日(金) 
 小刻みに眠りから覚める日々。というよりも、眠って一、二時間で目が覚め、その後どうしても再び眠ることができない。いっそのことと起き出して仕事をし始めてみる。そうして気付けば窓の外は明るくなり、冷たい水で私はばしゃばしゃと顔を洗い、時間になると眠っている娘の身体をあちこち突つく。くすぐったくて起き出す彼女は、ママやめてよぉと笑っている。
 そんな彼女と毎日暮らしていて、最近思うことがある。それは、視点の柔軟さだ。
 たとえば。自転車で走っていて彼女が急に呼びかけてくる。「あのお家の上にチューリップが咲いてるよ、今日はピンクも見える、昨日は黄色だけだったのにね」。言われるまで私は全く気付いていなかった。昨日は黄色で今日はピンクも並んでいるだなんて。言われて自転車を止め、彼女の指差す方向を見てみると、確かにチューリップが三階建てのお宅の屋上で揺れている。
 たとえば、彼女と一緒にスーパーからの帰り道を歩いている。すると彼女が大きな声で、蜜柑がなってるよ、と指差す。指の方向を見つめてみれば確かにそこに蜜柑はあって。彼女はさらに言う。蜜柑が大きくなってるね。私は彼女に言われるまで、そこに蜜柑がなっていたことも多分気付いていなかった。もしかしたら何処かで気付いていたかもしれないが、蜜柑が育ってゆく姿にまで気を留めていなかった。
 たとえば。私が花を買って、それはだいたい同じような色合いで値段も安い似たような花ばかりなのだけれども。私がその花を買いかえればもちろん彼女は気付く。それどころか、ただ単に水を換えてやっただけのときでも彼女は気付くのだ。同じように生けて、同じ位置に飾っているはずなのに。
 先日など、実家の父母が遊びに来た折、母を驚かせるためにと私だけ走り、花屋へ駆けこんだ後に私が先に部屋に辿りついたとき。私はベランダから身を乗り出して、三人が気付いてくれるように手を振ったりしていた。が、父も母も全く気付く気配がない。そんなとき、彼女がママーっと声を上げた。父母はそれでも真っ直ぐに、歩く道筋へと視線を伸ばしている。
 そうやってみてくるとき、最初は、あぁこれが子供というものなのかな、と思った。毎日毎日がきっと彼女にとっては発見に違いない、あぁ世界が毎日新鮮っていいよな、私にもそんな時期があったよな、と。そんな具合に、親として或る意味微笑ましいような心持で彼女の後姿を眺めていたりした。でも。
 本当にそれだけだろうか。
 私と彼女は毎日同じ道を二人で通っている。同じ道を同じ回数通っている。でも、彼女はその道筋で毎日何かを発見し、それに比べたら私は全くといっていいほど発見していない。これは何が違うのだろう。そう思って、歩く彼女の視線の様子を眺めてみた。
 彼女は別に、何か特別なことをしていたわけではない。ただ、歩きながら、あっちを眺め、こっちを眺め、その視線は上下左右、自由自在に動く。それどころか、私から見たら彼女はちらっとその方向を見ただけの景色の中でも、彼女はちゃんと新しい発見をしているのだ。あそこのお花もう枯れちゃったね。あそこの木の包帯とれてよかったね。
 それに比べると。私の視点はほとんど定まったままだった。同じように歩いているのに、彼女の目は360度動く。一方私の目は。歩く方向に殆ど定まったまま。
 あぁ、これだ。固定された視点、固定された視界。それに対して、柔軟な、同時に敏感なアンテナを張り巡らした視点に視界。この差だ。
 私たちはこれを、多分、慣れと呼ぶ。私たちは幾つもの慣れに従って日常を過ごしてゆくものだ。それは或る意味で、人が獲得する術の一つかもしれない。慣れた方が何でもうまくできる、何でも早くできる、ぱっぱとこなすことができるという意味で。
 でも同時に、その術は、その慣れはやがて、飽きや倦怠感といったものを人の心に生じさせる。毎日のこの日常という代物に倦怠感を全く感じないという人は、多分皆無に近いのではないだろうか。
 それは、年を重ねれば、この世に長く生きていれば仕方のないことなのだろうと私は思っていたところがある。もちろんイベントがあれば別だ。たとえば引越しだとか転職だとか、或いは新しく家族をもつだとか。そういったイベントによって環境が変化すれば、環境に慣れるまで私たちはどきどきするだろうしあくせくもするだろう。しかし、やがてそれにも慣れればまた、似たりよったりの日常が待っている。それはもう、仕方のないこと、いや、それが自然なのだと、私は何処かで思っていた。諦めていた。良く言えば受け入れていた。こうやって慣れが一粒ずつ砂のように降り積もって、それが人生の常なのだろう、と。
 でも。それは違うのかもしれない。
 慣れて、固定されてしまうのは、日常や環境の方ではなく、私たちが慣らし固定してしまうのではないか。
 私が自分の眼を、視界を、固定すれば、当然その部分だけしか目に入らなくなる。私の目を通って私の体に染み渡るものはだから、毎日毎日同じものになる。ならば、私がこの目を固定させず、広げたり回したりすることを怠らずに世界を見つめたならば、世界はもっといろんな姿を見せてくれるんじゃないか。

 こうやって私はまた、娘に教えられる。
 毎日同じものはないのだ、と。確かに私たちは毎日同じ道を通り、同じ道をまた戻って家に辿りつく。でも、この道を取り囲む世界は、いつだって変化し続けているのだ。世界は平面じゃない、一面じゃない、丸いのだ。そして一刻一刻、動いているのだ、と。
 もう当たり前過ぎることだけれども、一分一秒、同じ時はない。いつだって毎瞬毎瞬新しいのだ。私はいつだってこの一つの世界の住人だけれども、この世界は刻々と変化している、そしてそれはきっと、私自身にもいえる。
 そう思ったら、生活をもっと楽しみたくなってきた。彼女と私と、今日はどっちが発見するか。それは大きなものなんかじゃなくていい、これっぽっちの、葉っぱ一枚分の大きさ重さしかもたないようなものでもいい。でもそれは間違いなく、発見なのだ。それは、世界がそして私たちが今日も生きていることを示す、大事な証言なのだ。そんな発見たちはきっと、私たちの心をいつだって柔らかくしてくれる。
 あぁそうだった、私はいつだって一証人なのだ、生きているこの世界の、生きているこの私自身の。
 そう思ったら自然に口から言葉が零れていた。あぁ、世界はなんて美しい、そしていとおしいものなんだろう。
 そうして私は深呼吸する。多分友人にそんなことを突然言ったら大きな声で笑われるに違いないと苦笑しつつ。それでもやっぱり言いたい。
 世界は美しい。そしてそこに生きているということは、こんなにもいとおしい。


2004年02月24日(火) 
 突然ぱっちりと目が覚める。ふと見ると部屋の隅に、一つ目の目覚し時計がすっ飛んで倒れている。覚えていないが、きっと私がぶん投げたのだろう。二つ目の時計の針を確かめる。大丈夫、まだ間に合う。朝は何かと忙しい。
 なんとなく薄曇。その空の下を自転車で走る。「鬼のパンツはいいパンツ、強いぞ〜、強いぞ〜」。娘があまりに大きな声で歌うので、すれ違った老夫婦が笑っている。私も思わず笑いそうになりながら、娘と合わせて歌を歌う。
 家に戻り、家事を済ませてから少々仕事。その合間合間に本棚を整理する。そのとき、はらりと一枚の紙が落ちた。高校時代の図書館の広報。あぁ懐かしいと思いながら紙を開く。片側が折り目にしたがって破れており、だから私は、そおっとそおっと紙を広げる。
 そうだ、こんなことを書いた日があったな。懐かしく思い出す。当時私は、まるで攻撃に晒されているハリネズミのようだった。毎日毎日、そんなふうに、世界に向かって毛を逆立てていた。でも、この文章を書くにあたって担当してくれた先生が、私の目を覚まさせてくれたんだっけと思い出す。「いいか、自分の中に在る言葉で書くんだ。ただ見知っただけの言葉で書くな。そんなものは薄っぺらい、しょせん借り物の代物だ。おまえの中にある、血肉になった言葉でもって書くんだ」。何度も何度も校正させられ、最後、何を書いているのか自分でも分からなくなって私は先生に当り散らした。これは私じゃない、先生が私に書かせたものだ、とまで言って先生にぶつけた。でもそのとき、先生は全く動じずにこう言ったんだ。
 「そう思うのはおまえの勝手だ。頭冷やしてもう一度考えてこい。おまえは一体何を書きたいのか、恥ずかしいからとかこんなこと書いたらからかわれるんじゃないかとか、そんなことに怯えて本当に書きたいことを書けないくらいなら、最初から何も書くな。」
 あの言葉は、当時の私の脳天をすかーんと打った。周囲に惑わされて、周囲の目を気にして自分が書きたいことを曲げるくらいならば最初から何も言うな、何も書くな。その言葉は、私の心の中心にぐさりと刺さった。
 それから一週間、私は原稿を書くのを一切止めた。ああ言われて何も言い返せない自分にショックを受け、そしてまた、悔しかった。だから私は、自分の皮を一枚ずつ、一枚ずつ、剥がす作業を始めた。本当に書きたいことは何だったのか、本当に感じたことは何だったのか。私は何を言葉にしようとしているのか。
 玉葱の皮のように簡単にはいかなかったけれども、そうやって私は一枚一枚、自分の皮を剥いていった。自分でも驚くほど、自分が何枚もの皮に守られていることを、その時実感した。そして、その皮というのは、社会と馴れ合うため、軋轢を減らすために、何枚も何枚も私が着込んだ、嘘や偽りを多分に含んだ、自分に対しての誤魔化しを多分に含んだ衣だった。
 あぁ、なんてこった。先生の言うとおりだ。そのことを実感したのは、一週間目を迎えようとした夜だった。これっぽっちの芯になってみて、初めて、自分がどれだけ怯えて、自分の本心から眼を逸らしていい子ちゃんでいる存在なのかを思い知った。
 そうやって改めて原稿を書き始め、気がつくと、ぽろぽろと涙がこぼれていた。万年筆のインクがどんどん滲んだ。でも、不思議と哀しくはなかった。痛くもなかった。それどころか、心がすうっと軽くなって、晴れてゆくのを感じた。明けてゆく空に気付き窓の外を見やると、地平線にほんの一瞬、橙色の光が線になって現れるのを見た気がした。
 謝る言葉も発さぬまま、先生にぐいと原稿を渡すと、先生はにやりと笑った。放課後に呼ばれると、先生が言った。「ようやく本音が出てきたか」。
 結局、原稿として仕上げることができたのは、それからまたさらに数日を経てからだったけれども、あの体験は、今の私を支える大きな土台の一つになっている。
 「おまえは一体何を書きたいのか、恥ずかしいからとかこんなこと書いたらからかわれるんじゃないかとか、そんなことに怯えて本当に書きたいことを書けないくらいなら、最初から何も書くな。」
 今でも思い出す。書くことに戸惑いを覚えるときに、あの先生の言葉を。こんなこと書いたらひんしゅくをかうのではないか、こんなこと書いたら…。そう惑う時、先生の言葉を思い出す。そして、思う。どんなにひんしゅくをかおうと、批判を浴びようと、自分の心をしっかりと言葉にしよう。その結果浴びる非難なら、いくらだって受けとめることができる。だってそれが私なのだから。私が放ったものへの、それが返答なのだから。

 気がつくと、窓からやわらかな風が部屋へ流れ込んできている。私は窓という窓を開け放ち、風が好きなように部屋の中を通りぬけられるようにする。私の手の中で、すっかり黄ばんだこの紙が、風に揺れて歌っている。



--------------------------以下、図書館広報に掲載された原稿より


「相手のいない「恋愛」〜中沢けい著「手のひらの桃」を読む」

 数十頁という短いこの作品のなかで、何より先に私の心をとらえたのは、主人公瑞枝の、中絶に対する意識であった。瑞枝は小説の終わりで元恋人であった泰との間に出来た子供をおろす。彼女は、妊娠したと気付いた時から、そうすることを決めていたのだった。ここで、ごく普通に考えたなら、妊娠するということ自体が特別なことであるはずだ。なのに、さらにそれを中絶するなど、私たちにとってはまさに一大事で、軽々しく扱えるような事柄ではない。しかしながら彼女は、「最初からおろす」ことに決めているのである。そうすることに対して、彼女は、何の抵抗も、何の疑問も抱いていない。私はこの点に何より魅きつけられた。これは一体何故なのだろう。
 性行為に対し、彼女はこう感じている。「行為が終わってしまえば、それまで」、「その後では全てが汚らわしいものに見えてしまう」、と。「全てが汚らわしい」、そう、彼女には行為が終わった後では、その行為に付随し存在していたもの、泰も含めた全てのものが汚らわしくうつってしまうのである。そして、愛の行為の結晶であるはずの子供は、まさしくこの汚れの結晶となってしまったのである。そう考えると、彼女にとって子供をおろすということは、今まで泰ともってきた性行為によって、ついてしまった「汚れ」をおとすこと、清算することに他ならない。だからこそ、彼女は一寸もためらうことなく、中絶することを、ごく自然に、不思議にも決めることができるのである。
 ひるがえって、もしも彼女が、泰に対して愛情を感じていて、それ故に性行為をもったのであったならば、それはどうだろうか。もしそうであったならば、性行為が終わった後でも彼女がそれを「汚らわしい」と感じることは決してなかったであろう。言うなれば、彼女にとって泰というのは、恋した相手などではなく、単に彼女が持っていた性行為への興味や欲求を、うまい具合に満たしてくれただけの相手だったのだ。つまり、瑞枝の行為は恋愛感情と結びついた行為であるとはいえない。
 そうなると、私たちの考えている、相手との一体化を求める為の性行為というものは、彼女にとっては違ったものになってくる。彼女は行為それだけをとったなら、それを密の様に甘いと感じている。それだけ彼女の肉体は、その行為に満足しているといえるだろう。しかし、その相手に彼女は恋愛感情を持っていないのである。官能的にはいくら開放していても、心は完全に閉ざされているのだ。性行為において、相手との一体感を感じながら存在する私たちに対し、彼女は、決して溶け合うことのない相手と自分とを感じながら、存在しているのである。つまり、彼女にとっての性行為とは、精神と身体が、互いに統合して相手と溶け合うものとは全く別の、というよりもむしろ、相手によって、自分自身の存在を明確にするという類の行為。「二人」ではなく、完全に一方の、自分自身の快楽に他ならないのだ。だから、泰に対して彼女がいくら「好き」を連発しても、それは彼女にとって、他人が向けてくる冷たい視線(いわゆる異端者に対してのそれ)から、自分を守る為の「装い」、本来相手と一体化するためにもたれる性行為において、自己完結してしまっている自分の姿を隠すためのものでしかない。だからこそ、泰へ好きだと言ったことを思い出すと、それがそのまま、自分のずるさとして彼女自身にはね返ってくると感じたりするのだ。
 こんな彼女の背景には、彼女の少女期がある。他人から「感覚的ブス」と呼ばれ、周りに疎まれながら育つ彼女は、それ故にひとり遊びを覚えていく。子供たちが、大勢集まってみな一緒に遊ぶということを覚える時期に、彼女はそうした体験をすることなく育っていってしまうのである。いつもみなの輪の外にいる彼女は、輪の中に入ることを望む。入るために、彼女はいつのまにか、自分の価値判断を捨て、他人のそれを持って生きていこうとする。しかし、うまくその中に入ることはできない。そんな彼女の自閉的状態で生きる姿と、性行為において自己完結してしまっている姿とは、まさに向かい合ってくるのだ。
 こうして読んでくると、「手のひらの桃」、この題名が暗示していたものが、だんだんと浮かび上がってくる。たっぷりと甘い汁を含んで、かじりつくと汁がこぼれてしまいそうな桃の実。泰と瑞枝に食べられてしまうその実。そして、その桃の果汁にぬれた泰の手が、瑞枝の中絶手術に必要な書類の端に、茶色いしみをつけてしまうのである。これはまさに、瑞枝と泰の性行為そのものといえるであろう。そして、そんな桃を、そういった(彼女の)自閉的状態を読む時に、私たちは、それが瑞枝だけに限られたものではないことを、決して見落としてはならない。現在生きている私たちの誰もが、この自閉的状態に陥る要素を持っており、今こうして瑞枝の状態を読んでいる間にも、些細なきっかけ一つで、読む側にいたはずの私たちが、そう読まれる側へとまわってしまう可能性、危険は、充分にあるのである。
 つまり、私たちは、一つの恋愛においても、それを成就する、完全に相手と自分との一体感をもつということが、できないような状況へと陥っている、と言えるだろう。
(1989年12月記)


2004年02月20日(金) 
 三週間くらい前から、繰り返し見る夢がある。最初にその夢を見た時は、夢を殴り捨てるようにして飛び起き、しばらく夜闇の中で沈思した。
 それは、私にとって加害者である人たちの夢だった。事件を引き起こした張本人である男性、そして信頼を裏切り私をとことんまで追い詰めていった上司たち、私の目の前であの事件の噂を面白げにそして興味津々の目つきで話していた人たち。思い当たる人たちの顔が、勢揃いといっても過言ではないほど、夢の中に現れた。
 でも、その人たちが私にした仕打ちが夢となって現れ出たのではない。たとえば。あぁ、あの上司は今頃どうしているのだろう、まだ公団の狭いアパートに家族と暮らし、早く仕事を辞めたいと毎日のように今も愚痴っているのだろうか。あの先輩はどうしているのだろう、独立して小さなプロダクションを構えたはいいが、内情は火の車だと聞いたことがある。その後仕事はうまくいっているのだろうか。あの先輩は、いつでも早く結婚したいと繰り返していたが、結局どうなったのだろう、幸せになれたのだろうか。そしてあの人は、借金まみれの毎日を送っていると耳にしたが、その後どうしているのだろう、幸せにやっているのだろうか。…云々。
 夢の中に、私もいた。私の後姿がぼんやりと私の目の前にあり、その私が、次々に浮かんでくる人たちの顔や姿を、今どうしているのだろう、幸せにやっているのだろうか、と、そんなふうに思って見つめている、眺めている、といったふうだった。
 目を覚まして、私はしばし、夢が信じられなかった。そういう夢を自分が見た、というそのことが、信じられなかった。どうしてこんな夢を見るのだろう? 私にとって彼らは加害者以外の何者でもないのに。どうしてその加害者たちに対して、怒りどころか、今どうしているのだろう、幸せにしているのだろうか、なんてことを、思えるのだろう、と。
 以来、数日おきに、そんな夢を見ていた。そのたび私は、たかが夢とは言えどうにもしっくりこないような、でも何処かで分かっているかのような、中途半端な心持を味わっていた。この夢は一体何なんだろう。私が心の中でこう思っているとでもいうのだろうか? そんなこと、あっていいことなんだろうか? あり得るんだろうか? あり得るわけがない。でも。でもじゃぁどうして? 考えるほど、様々な思いが交叉した。ただ、ひとっとびに答えを求めることだけはやめようと思った。何故なら、この夢は私にとって、大きすぎるものだったから。いちどきに答えが出せるわけはない、出してもいけない、少しずつ少しずつ、考えてゆこうと、そう思った。

 そして。
 ようやく納得した。あぁ私はもう、あの事件、それに絡んだ人たちのことは、ある意味どうでもいいと思っているのだな、と。
 確かに、あってはならない事件だったし、それを許すとか許さないとか、そんなことさえ思うことのできない類のものだったし、今だってそれはそれとして私の心の中に、在る。
 でも。
 あの事件そのものよりも、あの事件が起きてから今日まで生きてくる道程の中で起きた出来事の方が、ずっとずっと大きいのだ。事件そのものよりも、今日まで生きてくる、そのことの方が、ずっと大変だった。今日まで生き延びてくるそのことの方が、私にはずっと大変だった。
 だから、もういいのだ。許すとか許さないとか、そういうことじゃない。もう、いいんだ。
 そうして思った。今度は夢としてではなく、ちゃんと目を開けて、呼吸をしながら。
 あの人たちは、今頃どうしているのだろう。裁判に勝ち、自分たちに非はないと言い切った彼らは、今幸せになっているのだろうか。私が生きがいとさえ思っていた仕事を彼らは今日も続けている。その仕事に携わりながら、彼らは今、どんなことを思い、どんなことを記し、そして毎日を送っているのだろう。あの事件を経ることで、彼らにとって毎日はどんなふうに変わったのだろう。もしかしたら、これっぽっちも変わっていないのかもしれない。それどころか、裁判なんて起こして事を荒立てた私を恨んでいるかもしれない。でももういい。彼らには彼らの生き方があり、私には私の生き方が在る。私はこうやって、今もあのことを思い出すけれども、彼らは欠片さえ思い出さないかもしれないし、或いは汚点として自分の記憶に封印してしまっているかもしれない。あの事件を経たことなんて、何の実にもならず、道端にぽーんと放られているだけなのかもしれない。でも、それもきっと、ひとつの生き方なんだ。私がどうこう言っても、何も始まらない。何も、変わらない。私にできることはただ、自分が納得した生を、私が毎日毎瞬、ここでこうして紡いでゆくことだけ。
 でも、それでいいんだ。それで充分なんだ。きっと。
 死ぬ時、今思い出さなくても彼らがそれぞれに死ぬ時になって、過去にあんなことがあったと思い出すかもしれない。思い出さないかもしれない。思い出して、あぁ悪かったなと思ってくれるかもしれない。思ってくれないかもしれない。ひとかけらでも、一瞬でももし、生きている間に、あぁあんなことがあった、あんなことをしてしまった、今頃あいつはどうしているだろう、って、それを痛みとして思い出してくれたら。もうそれで充分。もちろん、そんなこと、一瞬たりとも思うことなく、彼らはみな歩いてゆくのかもしれない。でもそれはそれ。もう、そんなこと、どっちでも、いい。
 彼らは彼らの生き方を、私は私の生き方を、全うすれば、それでいいんだ。

 そう思うようになった頃、読んだのが、河野義行氏のインタビュー記事だった。普段私は雑誌の類は全くといっていいほど読まない。それがその時は、この記事を読みたいと本を手に取りページを探していた。それは多分、私が、そんなことを自分なりに考えていた頃だったからに違いない。
「ですからね……もう、どうやって幕を引くかっていう年なんですよ。最低限、妻が生きているうちは自分は生きなきゃとは思っていますが。
 完全に事件や麻原さんからは、心が離れちゃっていますよね。自分は自分の生活……妻を守り、子供を育てる。それで精いっぱいでしたよ。人を憎むということが、いかにエネルギーを使うかってことなんです。私は、そんなところにエネルギーを使えないんです」
「たとえ、彼が無罪で生き永らえたとしても、それは彼にとって本当の救いではないわけですよ。やったか、やらなかったのかは、本人がいちばんよくわかっている。死刑を免れても、いつか必ず死は訪れます。そのときになっても、彼は自分に嘘をつき続けられるでしょうか。自分に嘘をつくのは、自己否定。救いではなく、苦しみのはずです。でも、それは彼の人生で、私には関係ない。『生きていてください』というのは、あなたの人生だから、あなたが選択しなさいよということです。
 …
 被告が死刑になっていなくなったとき、私たち被害者に心穏やかな生活がくるのか? また、本当にそういう心になるのか?
 人によってはそうなるかもしれない。でも、私は、彼が生きていようと、死んでいようと関係ないんです。あれを超えるだけの大変な目に遭っているわけです。そんななかで、恨むなんて感情は超えたわけですよ。
 …
 去年、長野で『生坂ダム事件』がありましたね。20数年前に自殺だと言われていたものが、他殺だとわかった。お母さんにしてみれば、息子を殺した人です。その人に向かって、お母さんが言いましたね。『自白してくれて、ありがとう』って。わかります?
 犯人を『憎い、憎い』と思う。それよりも、もっと辛い思いがあったということです。世間的な言い方をすれば、『うちの息子を返せ』ですよ。だけど、このお母さんにとっては、それを超えるもっと辛いことが20数年続いた。とてつもない哀しみがあったと思うんです。『ありがとう』という言葉の裏返しをよく考えなければいけないってことなんです。
 私の場合でも、彼への憎しみを超える、もっと理不尽なこと、つらいことがあったということですよ」
(「麻原さん、どうか生きていてください」、昨年12月初め、麻原こと松本智津夫被告に対する思いを問うたときに被害者のひとりである河野氏がこう答えた、その言葉に対し、真意は、その言葉の奥底にあるものは、と、記者が問うて構成されたインタビュー記事より部分引用/「女性自身」3月2日号、光文社刊)

 胸の中にわだかまっていたことが、すぅっと音をひいて昇華されてゆくような気がした。もちろん、私は、河野氏のように、ここまで言語化することはできないし、少しばかり私はもう少し違うかもしれないと思ったりもする。そもそもこれは河野氏本人が記したものではない、第三者の記者、編集者によって記事は構成されている。だから、河野氏本人の意図からは、離れてしまっている内容になっているかもしれない。
 でも。私はこれを読み終えて、ふっと、肩を押された気がした。もういいじゃない、ね、行こうよ、と。ほら、目の前に道は広がっている。この野っ原すべてが君の道だよ、君が歩いてゆけばそこが道になる、歩いていっていいんだよ、と。
 自分が何を選び、そして選び取ったものをいかにして生きるのか、全うするのか。そのことなんだ。大切なのは。
 これからもきっと、いろんなことがあるんだろう。今こんなことを書いていても、大きな揺り戻しがやってきて私はまたパニックやフラッシュバックの坩堝に陥るのかもしれない。突然に怒りと憎悪の嵐に巻き込まれ、絶叫することがあるかもしれない。でも、大丈夫。そうなってもきっと大丈夫。私はやっていける。

 朝のうち空一面に暗く澱んでいた雲が少しずつ薄くなり、今は太陽の光が辺りに降り注いでいる。私は今日も、ベランダに出て薔薇の樹を見回り、わずかながら仕事をし、時間になれば娘を迎えに行き、そして眠る。
 私が営む毎日は、こうしてちゃんとここに在る。


2004年02月19日(木) 
 カーテンを開ければ広がる、今日も明るい空。ところどころに綿菓子のような雲が浮かぶ。ここ数日続いていた強風は、今日はお休みのようだ。頬にかかる髪の毛を揺らす風が、やわらかで気持ちがいい。玄関を開けると、向こうから子供たちの声。校庭を見下ろせば、突つき合い笑い合いながら、ランドセルを背負った子らが昇降口へと入ってゆくところ。

 薔薇の樹々のあちこちから、赤い新芽が頭を出している。まだまだ固く締まった者が殆どだが、気の早い者はその頭を早速綻ばせ始めている。こうなってくると油断がならない。一体何処からやってくるのか知らないが、いつのまにか新芽がアブラムシの巣窟になってしまうからだ。
 だから私はこの時期になると、毎朝毎夕、薔薇の樹々を見て回る。それは、眺めるとはかけ離れた視線、凝視する、といったもの。新芽をひとつひとつ、これでもかというほど見つめる。尖がった固い芽にちょこんと乗っかっているくらいならかわいいが、アブラムシというのはたいてい、まだ丸まった、綻び出したばかりの芽の中に、こっそり潜んでいる。
 見つけると私は、霧吹きで容赦なく液を噴きつける。煙草の吸殻を一晩、二晩水につけて作った毒薬。たんまりと噴きつける。じきに大きな滴になって、ぼたぼたと液は流れ落ちてくる。そうして、あっぷあっぷしながらもしつこく葉にしがみついているアブラムシを、私は指先で拭い、同時にその指でアブラムシたちをぷしゅっと潰す。
 毎朝毎夕。面倒臭いといえば面倒臭い。いたちごっことしか思えぬ私とアブラムシの追いかけっこ。そもそも、アブラムシだって生きるために必死なのだ。それを潰して殺すこの自分の指先が、罪悪感を感じないかといったら嘘になる。このくらいの欠片ほどかもしれないが、一応指先は、罪悪感に濡れる。それでも私はやっぱり、アブラムシを殺す。

 「ママ、こっちにもいたよ」、娘の声に私は霧吹きを持って近寄る。「こんにゃろ、えいっ、えいっ」と言いながら私が液を噴きかける。「これ毒薬だから、そっちにどいてなさい」。娘にそう言って、私はなおもしつこく液を噴きかける。
 「ねぇママ、アブラムシは悪い虫なの?」。その問いに、私の手が止まる。何と説明すればいいのだろう。アブラムシを悪い虫と断定していいものなんだろうか、そうできるほど、私はアブラムシのことを知らない。答えに詰まっている私を、娘の目がじっと見つめる。
 「…あのね、ママにとってはアブラムシは悪い虫なの。何故かって言うと、アブラムシがこうやってたかってくると、薔薇の樹が死んじゃうかもしれないの。ママにとってこの薔薇の樹はとっても大事なの。じきにね、綺麗なお花が咲くよ。そのためにもね、今、アブラムシをこうやって退治しないとだめなの」。これで分かってくれるだろうか。ふぅぅんと言う娘。そうして「綺麗なお花、咲かせてね」と、薔薇の枝を撫でてくれる。

 この頃時折頭を掠める。何を選択するのか、そして、その選択した道を、いかにして歩いてゆくのか。

 自分の為にいれた珈琲に口をつけながら、私は、ついこの間立ち読みした小さな記事を思い出す。それは、サリン事件の被害者の一人である河野氏のインタビュー記事。「麻原さん、生きてください」との氏の発言の真意を尋ねるといった内容のもので。どうして加害者の麻原に「さん」をつけ、さらには何故「生きてください」と言えるのか。そのことを疑問に思った記者によって綴られたものだった。
 私は。
 河野氏のその思いが、分かるような気がした。いや、正確にはきっと分かってなんていない。でも。
 私も多分、同じことを思っている。

 眩しい陽射に手を翳すと、その輪郭が光を帯びて橙色に透けて見える。真実が一つきりだなんて思っていたのはとうの昔。真実は、人の数だけある。だから私は、私の真実を見失わないよう、それがたとえ誰とも分かち得ないものだったとしても、自分が自分で在ることを失わないよう、一歩一歩、歩いてゆこうと思う。


2004年02月13日(金) 
 真夜中、自分の絶叫で目を覚ます。「あんたらなんてみんな踏み潰してやる、嬲り殺してやる」。確かにそれは自分が言ったのだろうが、私は信じられずしばし呆然とする。一体どうしてこんな声が出たんだろう。小さな枕元の灯りは天井までは照らさず、そこにはうっすらとした闇が横たわっている。でもそれさえ現実のものとは思えぬほど驚いている自分がいた。そしてはっと気づいて横を見る。娘の顔は半分毛布に埋もれたまま。でも、何かいやな予感がして、毛布をそっと引いてみる。
 そこには、やはり、彼女の見開いた眼があった。怯え以外の何者でもない色に真ん丸く見開かれた眼は、私に見つかることを恐れるようにそこに在った。あぁなんてことをしてしまったんだろう。私は、恐怖で凍りついた彼女を咄嗟に抱きしめる。ごめんね、ごめんね、ママ夢見てたの、あぁこのことじゃないのよ、あぁこのこと言ったんじゃないのよ、ごめんね、ごめんね。しばらくして彼女は声を上げて泣き出す。どれほど恐かっただろう、自己嫌悪なんて言葉じゃ表現しきれない思いがどくどくと私の内奥に渦巻く。朝までずっと、彼女の小さな体を抱いて眠る。

 うまく眠りこめずに迎えた朝はそれでも、いつものように明るく、透き通っている。通りを行き交う車の音が聞こえる。私が弛めた腕からぽろりと頭を落とした娘が大きく伸びをする。おはよう。できるだけ大きく笑ってみる。大丈夫、ちゃんと笑える。目を瞬いている娘から、おはようと声が聞こえる。
 自転車で走る道。坂道をのぼりながら歌うのはいつだってきついのだが、それでも私は娘と一緒に歌う。はぁはぁ言う私に、ママしっかりしなきゃだめよ、と後ろから声がかかる。だから、ようやく下り坂になった道では、めいいっぱい声を上げて歌う。そうして園に着くと、私たちはキスをして抱きしめ合って握手をして手を打ち鳴らして、そうしてバイバイ。
 ひとりになって、私はそっと昨夜のことを考える。夢の中でまだ私は怒っているのか。どうして夢の中ではこんなに怒ることができるのだろう。不思議になる。でも、これが現実になることを果たして私は望んでいるのだろうか。
 過日、友人がふと言った言葉。「被害者をケアする場や機会が少なすぎる」。「病院に行ってもちっとも治らない」。
 そういった言葉に対し、今の私が思ったのは、いくらそんなことを思ってもどうにもならないってことだった。あんまりに当たり前過ぎて冷たすぎて、決して口になどしたくないことだったけれど、私は心の中でそう思った。じゃぁ、翻って、ケアする場所や機会がもっとたくさんあれば被害者は救われるのか。病院がもっと優れていれば傷ついたものはみな救われるのか。
 きっと、救われない。そんなことじゃ救われない。確かに多少は楽になるだろう。でも、被害者が、傷ついた者が、望んでいるように救われるなんてことは、きっと、ない。
 私はかつて主治医に尋ねたことがある。一体どうすれば治るんですか。私が抱えたPTSDというものは、一体どうすれば治るんですか、と。その問いに対し、主治医は、100%治ることはない、できるのは、それらとどうやってうまくつきあっていくかってことだと思う、と答えた。その答えを聞いたときは愕然とした。そんなことってあるか、ふざけるな、と思った。どうしてこうまでも傷ついた者は虐げられるのか、とも。でも。
 それから数年を経て、思う。あぁそうなんだな、と。だから今は、私は治るために病院に通っているんじゃない。私は、もっと自分の抱えた傷や症状とうまくつきあっていくために、その術を見つけるために自ら病院に通っている。
 そして。
 私は多分、望んでいない。まだ夢の中で燻っているこの怒りを、現実に吐露することを、私は多分、望んでいない。それをして、一体何が得られるんだろう。得られるどころか、失うばかりだ、そして、私は、自分がかつてされたように、誰かを自分が傷つける、その場面を目の当たりにする、私は、そんなことをいくらしたって、自分は救われないってことを痛いほど感じている。
 自分を傷つけた者たちを、自分を虐げた現実世界を、今度自分が傷つけ虐げる、その場面を思い巡らすと、私は反吐を吐きたくなる。そうやってどこまでも繰り返して繰り返して、一体何になるんだろう、と。
 だったら、ひとつでいい、その連鎖を、鎖を、私はここで終わらせたい。私の怒りの矛先を、相手にむけるのではなく、自分の怒りを抱いたまま、思い切り自分の力で笑っていたい。
 誰のせいでもなく。
 今生きている自分のために。

 目の前に広がる港は、ただ黙々と、そこに在る。向こう岸に立つ幾つもの煙突からは、もくもくと煙がたなびき、海は延々と波を刻む。その上を横切ってゆく鴎の翼が今、陽射を受けて、私の目の中できらりと翻る。なんとなくしゃがみこんだ私は、足元の土をそっとてのひらで触ってみる。このぬくみ。なんて心地がいいんだろう。
 そうだ、日曜日、天気がよかったら娘と一緒にここに来よう。そして、この土のぬくみを、彼女にも教えてあげよう。そう思うとなんだか嬉しくなって、私は再び自転車に跨る。目の前に見えてくるのは長い長い坂道。それは家へと続く道。
 ペダルを漕ぐ足に力をこめる。さぁまた、長い坂道をのぼらなくちゃ。


2004年02月10日(火) 
 橙色のカーテンを開けると、まだ明けたばかりの今日の空はずいぶんと薄暗く、空一面を雲が覆っていた。それが徐々に徐々に薄れてゆく。東から射してくる黄金色の陽光に、街が空が次第に目覚めてゆく。陽光を受けたあちこちの窓がきらきらと輝き、電線に止まった雀たちの小さな囀りが辺りに響く。
 気がつけば、空を覆っていたはずの雲がすっかり地平線に沈みこみ、代わりに、水縹色の空がすこんと抜けてそこに在る。

 そういえば、孤独を以前ほど感じなくなった。しばらく前、そのことに気づいて以来、孤独というものについて時折考えている。
 十代、二十代の頃、孤独は私にとって、負として捉えられていた。
 何処までもひとりぼっち、身を切られるような寂寥感と切迫感、誰かにそばにいてほしいという願いはいつでも切実で、同時に、この心の刃を殺げさせるような存在であるなら誰とも交わりたくないという、矛盾。一体自分は何に拠ってここに在ればいいのだろう、私は何処までもひとりだ、ひとりぼっちだ、この世の鬼っ子のように生まれついて、そして侘しく死んでゆくのだ、一体それに何の意味があるのだろう…。
 延々と続くそうした問いに、答えは殆ど持ち合わせていなかった。気づけばいつだってぬくもりに飢え、孤独という固い殻にすっぽり覆われて、喉は乾き窒息寸前だった。
 そうしている間にも自分はどんどん年老いてゆき、十代特有の諸刃の剣のような鋭い心の切先が、腐食して、錆びて欠けてゆくのを感じ、それは余計に私を焦らせた。まるで、戦場のど真ん中で武器を使い果たし丸腰になった戦士みたいに。
 でも。
 ふと見れば。
 私にとっての孤独というものがすっかり姿を変えていることに気づいた。
 今私は殆どの時間をひとりで過ごす。病院に行き、仕事の打ち合わせで外に出る以外、昼間はたいていひとりだ。一人で考え、一人で行為し、一人で呼吸する。
 でもそこに、昔のような切羽詰った孤独感というものはない。いや、孤独感というものは今ももちろん私の身近にあるのだけれども、そうじゃないのだ、昔のようなものではなく、孤独はいつのまにか、私を包む柔らかな毛布のようにここに在るのだ。
 孤独という毛布。それは本当に、とても柔らかい。時に私をあたため、時に私を慰め、時に私を愛す。孤独というものが実はまさかこんな姿をしていたなんて、以前は思いもよらなかった。そしてまた、失いたくないと願い続けた心の切っ先、それもまた、決して失われるものではないということも、あわせて知った。
 確かに刃は時に錆びて、時に朽ちて、その先端は折々に姿を変えてゆくけれども。自分が失いたくないと思うのならば、持ち続けることができるのだということ。
 そう、刃も孤独も、私次第で姿を如何様にも変え得るものだった。

 そのことに気づいた時、私は、自分の口元がすっと緩む音を聞いた。あぁそうか、私は今、術を学べと言われているのだな、と思った。
 心の刃も孤独も、私の味方なのだ。私がここで生きてゆくために必要なもの。言ってみれば、私の武器。
 でもそれは、人の魂を切り裂くための武器ではなく。私をあたため私を守り、同時に、私を取り囲む人をあたため守る武器として。そんな武器として用いるための術を、今学べ、と…。

 多分、それは容易なことじゃぁない。でも、できないことでも、ない。きっと。
 変わってゆくものを変わってゆくものとして受け容れること。変わらないものを変わらぬものとしてそこに在らしめること。その両方を、私がバランスよく育めたら、多分、きっと。

 寂しくないと言えば嘘になる。いつだって或る意味で寂しいし、切ないし、哀しいと思うことも、ある。
 けれど、同時に、それを補ってもあまりあるものが、今の私には、在る。この大地に、世界に、自分が立っているという感覚、存在しているという感覚。それが、私を、足元からしっかり支えている。
 孤独も刃も、負の産物ではなく、抱きしめ得るあたたかなものであったということ。それらを抱きながら、自分が今を生きているということ、そのことを、肯定的に受け容れるということ。
 それが多分、今私にとって、大切にしたい、ことの、ひとつ。


2004年02月04日(水) 
 見上げれば、いつもより濃いめの空色。その色に引きたてられるように雲があちこちにちらばっている。埃も塵もガスも、いっぱいに孕んでいるのだろうに、朝見上げる空は、いつだって美しい。
 深呼吸をすると冷気がすぅっと胸の辺りに広がる。それは、沁みこんでくるという言葉がぴったりで、そうやって私の体内に静かに拡がり沁みこんだ冷気はやがて、とくんとくんと鳴り続ける私の心臓の音と交じり合う。

 「「傷つきやすいものにこそ、ほんとうの力はあたえられる」
 わたしと同じように彼らもそう信じているのを聞いてうれしくなる。そうなると、きわめて単純なことに到達する------わたしたちが自分の傷つきやすさを認めたとき、他者を包みこむことができるということ。つまりそれを否定したときは、他者の排除につながるということ。」
メイ・サートン「回復まで」より


 私のまわりには、傷つきやすい人たちがたくさんいる。傷つき過ぎて今はぴったりと扉を閉ざしてしまっている彼女もいれば、体中傷つけながら切なくなるくらいやさしい笑顔で顔をくしゃくしゃにしている彼女も、そして、今本当は傷ついているというそのことなど微塵も感じさせない闊達な声で語り笑う彼女も。
 私は、自分が傷ついたとき、涙しそうになるとき、そんな彼女たちのことを一番に思い出す。そうすると何故か自ずと、私は世界を抱きしめたくなる。あぁきっと今この世界の何処かで、彼女も、彼女も、彼女も、傷つきながらも一生懸命生きているのだ、と、そのことを知っているということが、私と世界をより太い緒で繋いでくれる。

 目の前に落ちている小石にばかり気を取られてしまっていたら、前は見えない。小さな石の存在に気づきながら、同時に、自分の目の前に広がる大地も捉えられる、そんな目を持っていたい。そしてその大地に、自分の道を一歩ずつ標してゆく。それはやがて朽ちていくだけの、侘しい道になるのかもしれない。けれど、私がここを歩いていたということを、私は知っているし、またこの大地も、そのことを知っていてくれる。
 転んでも立ち止まっても不器用でも、歩き続けること。
 そして自分を、誰かを、抱きしめるということ。
 それは、決して失いたくはない、私にとって大切なこと。

 おもむろに、傍らで折り紙をしている娘をきゅうっと両腕で抱きしめてみる。娘がきゃぁっと笑いながらその細い腕で私を抱きしめ返し、そしてキスをしてくれる。だから私も、彼女にキスの雨を降らせる。
 そう、世界がこの瞬間にもがらりと姿を変え、私を谷底に突き堕としたとしても。
 この至福の瞬間は、私の体に心に、しかと刻まれている。

 ふと見れば、ベランダには赤い新芽を全身にまとった薔薇の樹。きっとその芯には、やわらかな春をそっと隠している。


遠藤みちる HOMEMAIL

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