あららのつぶやき
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2008年12月11日(木) 葫藘(ころ)島

「引き揚げはこうして始まった」
〜葫藘(ころ)島からの道のり〜

NHKで放送されるとの予告に
ビデオの準備をして待った。

義兄から兄弟へ電話が走ったらしい
「あの大きな船を覚えているんは、僕だけやでェ〜」

そう長男の義兄は8歳・長女6歳・次男(S)4歳・次女2歳
の時、母一人で4人の子供を連れて帰った経緯は
2度ほどこのえんぴつ日記サイトに書かせてもらってある。

あららも話には聞かされてきたけれど
映像で見る満州からの引き揚げ
取り残された人々と帰れた人々、そして途中で倒れた人々
これらの人の差はほんの紙一重の差で
どちらに入ったか分からない。

舅にあたる父は、逓信省だったから、
シベリア送りの捕虜になったが
「ツートン」が出来る「暗号を読み取れるかもしれない」
などで「留用」の為帰してもらえない可能性もある。
兎に角「百姓」と言い通したそうだ。

姑の判断も正しかった。
葫藘島への旅が大変だった、危険極まりないものだったとか
少人数では匪賊に襲われる、大編成の組に入る
魚が大群を組むのと同じだ。

食べ物に関しては
お金のある人は、鶏や煮物やら売りにきたのを
買って食べては時に下痢したりしたそうな
病気になればそのまま置き去りにされる
可能性もあった。

売りに来たお茶にしても
お茶は一日で腐るから安い「湯冷まし」が
ベストだった(さもありなん)

アメリカの「日本人105万人を帰国」の
計画がなければ帰れなかったんだネぇ〜
皮肉なもんだ。



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