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2005年11月07日(月) 母とわたし。

■今日、母の一日を追って過ごしたが、本当に、因果応報なのだ。
 父が会社を潰した頃、母はパートの宝石屋勤めで抜群の売り上げ成績を誇っていた。母は父の借金を倍にして、小さな宝石屋を始めた。その成功で、わたしは住むにも食べるにも苦労をせず、私立の高校大学に通わせてもらった。母の力は偉大で、努力を惜しまず、常に明るく前向きに進む人だった。

 その母が、今は手術の後遺症で、目がほとんど見えなくなり記憶力が低下し、生きる気力を失っている。その母を助けるために、これまでの知り合いや顧客たちは、見舞や見舞金という形ではなく、その母に商売をさせるということで、母を助けてくれている。緊急入院即日手術の3月から仕入れなど一度もしていないのに、手持ちの在庫は知れているのに、顧客たちは家を訪ねて、母から宝石を買ってくれる。商品も見えず、1時間たつと幾らで売ったか忘れてしまう母から、わざわざ宝石を買ってくれる。父はその傍で、母の目となり、頭脳となり、母に商売をさせている。
 その姿に、わたしは胸がいっぱいになる。

■一日、わたしは傍にいても、何も出来ない。それでも、二人でいると、関西人ならではの親子漫才が始まって、掃除にきてくれていたヘルパーさんに、「ほんまに仲がええんですねえ、楽しそうでうらやましいわ」と言われたり。家の中の移動さえ辛いのに、一緒だと外に散歩に出てみようかと言い出したり。親子ならではの幸せがたくさんあった。
 母の傍には、父がいてくれる。わたしのやることは、母の傍に常にいることではなく、東京でまた一人になって、自分の道をひたすらに行くことだ。今は女ひとりかつかつに暮らしているけれど、いずれは金銭面で助けてあげなければならなくなるだろう。

■わたしと母の決定的に違うところは、母には家族があって、わたしにはないということ。母は家族のために生きてきて、わたしは自分のために生きてきたということ。
 どちらがどうということではない。
 過去はやり直せない、これからをどう生きるかだと、かなり真面目に自分のこれからを考えたりする。


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