Journal
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| 2003年11月05日(水) |
本を読む喜び。時間の優しさ。 |
●小さい頃から、本を読むことに慣れ親しんできたので、「何か面白い本ある?」という質問を受け慣れている。 昨日は25歳の後輩に、「面白い本があったら教えてください」と聞かれ、読書の話題に興じているうち、彼女の好みが次第にわかってきた。「あれ読んだ?」と好みであると思われる本の名前をあげていくと、面白いくらいにちゃんと読んでいる。わたしは自信を持って、「じゃあ次はこれだね」と、とある本の名前をあげる。「それ、読みたいです!」と、嬉しそうに彼女。ギャラ前で貧乏な彼女のために、わたしはしばらく本を運ぶことになるだろう。
そして今日、このJournalを読んでくれている方から、メールが届いた。あまり本を読まないという彼が、わたしの紹介文をきっかけに本を読み感動したことの、報告のメールだった。……これが何やら嬉しかった。自分が遊びに行ったとても素敵な場所に、ほかの誰かが遊びに行く。いいじゃないか。それはとっても孤独な作業だから、よけいに心に残るし、また誰かに伝えたくなるものなのだ。 次に遊びにいく場所を薦めてあげようと思うのだが、これはこれでまた難しい。1日、楽しんで迷って、返事を書こうかと思う。
●夜中に、取り憑かれたように何かに夢中になることがある。 読書しかり、楽器を弾くことしかり。時には夢中で掃除を始めたり、領収書の整理に熱中してしまったり、それは様々。
今日は、デジタルピアノの白鍵の汚れが急に気になってしまって、1鍵ずつ丁寧に拭きあげ、磨き上げていった。新品の白さを取り戻したキーが嬉しくって、ピアノのお稽古に熱中。今練習しているのはバッハの平均率クラヴィーア曲集の第三番嬰ハ長調だ。映画「バクダッドカフェ」で少年が懸命に練習していたのが印象的な美しい曲。ピアノをやめてもう30年近くたってしまったので、右手と左手に分けて、一小節一小節。地道な練習だ。
不器用な両手と地道につきあう練習をしていると、不器用な俳優たちと繰り返している稽古を思い出して、微笑ましくなったりする。できる人なら30分で出来てしまうようなことを、このところ、稽古後の時間を利用して、小刻みに6時間ほども稽古をし続けているのだ。 やっとの思いで少し前進したかと思うと、また後退。でもあきらめずに、またちょっと進む。確かに時間はどんどん過ぎていくのだけれど、それでも僅かに僅かに、進んでいる。その僅かが積み重なって、少しずつ目に見える変化に成長していく。 時間は、あきらめず前に進もうとする者に、ふと気がつけば、優しい。
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