世界お遍路 千夜一夜旅日記

2022年07月23日(土) 「PLAN75」をみた

チョー忙しい1週間だったが、忙中閑ありで「PLAN75」という映画を観てきた。


ストーリー・・映画紹介サイトより
是枝裕和監督が総合監修を務めたオムニバス映画『十年 Ten Years Japan』の一篇『PLAN 75』を新たに構築、キャストを一新した、早川千絵監督の初長編映画。75歳以上の高齢者に自ら死を選ぶ権利を保障し支援する制度”プラン75”が施行され、その制度に翻弄される人々の姿を描く。年齢で命が線引きされてしまうことの恐ろしさとそのようなシステムを⽣み出してしまう社会構造や人々の意識に対し、痛烈な批判を込めて、生きるとは何か、を問いかける。

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一言にしていえば、気持ちの悪い映画だった。これは制作者側には「いい感想」かも知れない,痛烈な批判がこめられているとすれば。

この映画の中でのPLAN75の推進のしかたはワクチンをする理由とおんなじ。

「コロナワクチン打ちましょう」それが人に迷惑をかけないこと、って一時いわれていたやり方とおんなじ。

高齢者施設を襲って、若者が高齢者を殺す。理由は「高齢者のために若者が犠牲になっていると。同じような事件が頻発して、採用された政策が「Plan75」。つまり高齢者に若い世代のために「死を選んでくれませんか」というゆるい圧、同調圧力。

高齢者射殺事件頻発は、ワタシ的には、こういうプランを推進するために国民的合意のために「計画」されるのもあり。ってなことで、このあたりの導入が甘いわね、って思ったりして。

倍賞千恵子さん演じる角屋ミチ、78歳。夫に先立たれて身寄りは無い。ホテルのルームメイクの仕事をしていたのだが首になった。(理由は同じく高齢の同僚が仕事中に亡くなったため)仕事も見つからず、賃貸の住居移転も見つからず、親しかった友も亡くなった。追い詰められた彼女は「Plan75」に申し込む。旅立つ日まで、彼女のカウンセリングをしてくれる若い女性(成宮)との関係をひととき楽しむが、その日が来る。

一方、もう一つのタイムラインで「Plan75」に向かっている老人(岡部幸夫)がいる。彼はPlan75に申し込む時に、甥(岡部ヒロム)に再会した。甥なので担当ではなかったが、旅立つ日、彼は叔父をその場に送る。

国語的にいうと,人物の対比関係。しかしその対比はやがて、並行する・・成宮は、仕事が終わったあとにベソかきの表情で角谷に電話をした(つながらなかったが)ヒロムは叔父を送った先にもどる「先」とは、旅立ちのための収容所。これは病院とかいわないだろう。政府関連施設なので、給料がいいそうな。で、訳ありのフィリピン人介護士がここで働いている。ま、この人の存在、映画の中では今ひとつ?象徴的な意味はありそうだが。製作協力だったかにフィリピンが入っているのでの配役かな・・・

ヒロムは間に合わなかった。叔父は旅だったあとだった・・

一方、隣のベッドにいた角谷はそれを(岡部の旅立ち)カーテンのすきまからみていた、彼女は自然と酸素マスク・・正しくは死にいたるお薬が出てくるマスクをはずして起き上がって逃げた。(ということでしょう、とても抽象的な描き方,彼女は怖くなったんでしょう,生き物としての本能がにわかに再生した)

ここはあまり書くとこれから鑑賞する人にわるいので、くわしくは書かないが・・・

光ある終わり方(観念的)にもかかわらず、気持ち悪というか心寒々としかいいようのないこの感覚。ただ倍賞千恵子は名演である。

映画に痛烈な批判は特に感じなかったし、生きるとはなにかって、そんなことは考えることじゃないわね。私たち人間は生き物だから、理屈抜きに生き物は生きるしかないってこと、それ以外の答えあるんでしょうかね?

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昔から姥捨てはある。

古典の大和物語にもあるし,近いところでは「楢山節考(ならうやまぶしこう) 深沢七郎」と、これを元にした映画。

これは観た。60歳になったら、お山に行く(姥捨て)という貧しい村の決まり。

息子が母をおぶって捨てに行く。

私が観たのは、坂本スミ子が捨てられる母、捨てに行く息子が緒形拳の配役。監督が今村昌平さんでわき筋ストーリがいろいろとあって癖ありすぎというか猥雑でいい方かえれば下品傾向、とにかく土臭くて強烈で・・好き嫌いは分かれる作品だった気がする。

でも、最後の坂本スミ子が降る雪の中で手を合わせて座っている、上でカラスが待っているシーンは忘れられない。神々しかった。

Plan75は、こんなふうに残るかな?

あの今村昌平と新進女流監督を比べてはいけない、個性も違うし、生きている時代も違うし。でもね・・・熱量が違う気がするんだわ。

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この映画のキモは、なんといってもPlan75,という将来ホントに政府主導でされかねない政策だ。

それが、テレビCMでがんがん流れて、役所が推進役になり・・・具体的に動くのは「丸投げされた」私的企業。

高齢者にかかる圧。

今も進行している効きもしないワクチン推進のやり口と同じだ。映画が先に計画されていたはずだから、そういう点では非凡の監督さん、期待したい。

ただ観ていて、このシーン必要?みたいなところもあったりしたけど。

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藤原新也さんの「メメント・モリ」がその昔は座右の書だった。今も時おり手にとってページをめくる。「人は犬に食われるほど自由だ」というコピーがついたインドでの写真は衝撃だった。この本に出会って、私はインドに旅に出た。

生き物は自由に死ぬべきだと思っている、私は。死は徹底的に個人的なものだ。

今回のワクチンも含めて政府の管理でというより、誰かに管理されて「死なされる」のはごめんだ。神さんがお決めになったことを勝手にするなってこと。

聖書には「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と神がいわれたとかいう言葉があったはず。人がいじくっていい分野ではないと私は考えている。

日本神話でも、この世とあの世の境であるヨモツヒラサカで黄泉の国(冥界)にいるイザナミ(女神)と現世界のイザナギ(男神)が喧嘩して、イザナミが「1日に1000の人間を殺すでしょう」と。イザナギは「それなら私は産屋を建てて1日に1500の子を産ませよう」と返したって話。

日本神話だって人は増えるように書かれているぞ。それも神様同士の会話として。人間の出てくる幕はない。

とりとめも無く書いたが、気持ち悪いという感想はこの映画にはプラスの評価。観てよかった。

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以上、国語塾ブログより転載




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