世界お遍路 千夜一夜旅日記

2010年05月25日(火) 亡弟1周忌

本日で1年すぎた。
父の七回忌と共に供養の日。
はやいな・・・
最近、忙しい時に従兄がヘルパーに来てくれている。
法要のあとの膳でお酒を注ぎにいったときに甥のことをよろしく、父親のようなつもりでいろいいってやって、と頼んだら
「おう、俺は土日は休むと(甥が)いったから、この忙しい時に土日もやるときは仕事するもんだ、といったこてや」
という返事。
いや全くその通り。
自営とはそういうものだ。
私がいっても全然聞かないことだが。
そういえば、最近が土日、甥はよく動いているなあ、と思う。
いつも土日働け、と言うわけではない。
忙しい時はそういうものだ、ということを教えてもらったようでよかった。

お寺さんが「どちらも「最近」のことで、在りし日の姿が目に浮かぶ」といわれたが、ほんとうに。
弟も、父の七回忌と自分が一緒に供養されるとは思いもしなかったろう。
「こんなはずではなかった」とただボーゼンとしている、と言う先日の霊能者の方の言葉が実感を伴なう。
しかし、それも彼の魂に何か意図があってのことだとおもうのだ。
「あちら」でそれを思い出すだろう、おいおいと。
などとこの頃考える。
もちろん、姿がないのは、やはりたまらなくさびしいが。
それにしても、「死」というシンプルな目的のために私たちは生まれて来ている。
なぜなんだろう。
死が無であるなら、生も無ではないか。
ならば、生きている意味はないし、人間が存在する意味もない気がする。
やはり、この世は魂鍛錬の場であって、そのために肉体という入れ物が必要なのだ、というのが「合理的」であるように思う。
そして、その人生において計画された鍛錬が終わった時に、そのときの人間関係や家族と関係なく「もといた魂の場に戻ってしまう」と言うことか。
かぐや姫の話を思い出すなあ。
かぐや姫、天上の衣をまとうと、すべてのことを忘れて清浄になる。
魂もそうなのかもしれない。

などと思い巡らせている亡弟の一周忌である。



 < 過去  INDEX  未来 >


moheji.s [MAIL]

My追加