英語の原題 Our daily bread(我らが日々の糧・・とでも訳すかな) で、日本名が「いのちの食べかた」 市立劇場で上映会、見てきた。 昨日ボントーンでにパンを買いにいってついでにチケットゲット。 いくつもドキュメンタリーの映画の賞を受賞して、評判になった作品、しかし、地方すまいのかなしさで見る機会がなかったのだが。 でもって、この映画 音楽も、台詞も、字幕もありません。 ただ淡々と牛、豚、鶏、鮭、ピーマン、トマト、オリーブ、ヒマワリ油などがどう作られ、どう食物として人の口に入るまでを映し出す。 いのちあるものを扱いながら、それはまるでスナック生産工場のよう。 生きているブタがつるされる、流れ作業で消えていく。次にでてくるときは、皮をむかれ、「肉」として「生産」されてでてくる・・・・ ニワトリも、牛も、鮭も然り。 オリーブなんて、木を揺さぶる機械があって、おとすとまたしてもマシーンがひっかきあつめる。 この「生産労働」を担う働き手たちの食事のようすがときどき挿入される。 彼らが口に入れるという行為は、彼らがになっている「生きものを殺しそれをほかに人たちに供する」という行為とホントは密接にリンクしなければならないはずなのに、全然まったく疎外されている。 そしてまた、彼らの、作業中の無表情。 トマトや胡瓜の収穫でさえ、表情ないのだ。 牛が電気ショックでころされるときに逃げる、暴れる。 あのシーンが一番「人間的」だと思った私。 この映画はドイツとオーストリアの作品。 ドイツ人は、鯨を殺す日本人は野蛮と言い切るけど、彼らにそれをいう資格はないな、と思った。 (これって右翼?) 江戸期の日本人は、とったクジラに敬意を表して、皮から血までいただいた。 ドイツだって、殺したブタの血の一滴までいただく、という伝統があったはずだ。いわゆるブラッドソーセージだ。 殺したブタの腸に、そのブタに血を入れてゆでる・・簡単にいうと。 こういう自分のいのちを支えてくれる生きものたちへの敬意を払わない我らが人間の姿勢は最近ことだろうなあ・・・それは見えなくなっているからだろう・・滅びのはじまり・・・ けっこう静かな衝撃を受けた映画だった。 人間は罪深い。 これを自覚して、「いのち」をいただいている、残さない、ということを改めて大事にしたい。 日本は、世界食糧計画が1年で援助するのと同じくらい残飯があるんよ。自給率が40%ないのに。 罰あたる気がしてこわい。
よいお天気だった。 アサガオ、相変わらず芽が出ない・・なんで? 植え直しするかね。
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