| 2006年03月27日(月) |
尊厳死と延命停止のちがい |
難しい問題だ。 しかし、例えば、「安楽死」が容認されているオランダでも、絶対独断では決定しない。 今文書資料がないので、正確かつくわしくはかけないが、本人及びホームドクター、さらに第3者的人達で、委員会的なものをつくって検討を加えたのち本人の意志がかわっていないと再確認したのちに遂行される。 (本で読んだのだが、記憶ではそうだった) 富山、射水市民病院の例の場合、あまりに迂闊で軽々しい呼吸器はずしであったと思うのだが。 しかし現実問題として、今はダメみたいと分かって、3ヶ月は生かしてくれるもんね。父は苦しそうだった・・・わ。 母の姉なんて、もう2年近く昏睡状態で延命している。 うーーーん。 いたずらに延命してもそれで?と思うところはあるが、しかし、なにより本人の意志と家族の思いとをしっかり慎重に確認した上で、ということになるのだろうなあ・・・
わたしは、このところは会費を払っていないが、実は尊厳死協会に10年以上前にはいっている。 わたしは管つけられるんだったら、おへんろして道ばたで死にたいですね。 ないしは人気のない森の奥に掘っ建て小屋を立てて、そこで終日瞑想かなんかして、自然の一部になって快復を計るか、自然の一部として朽ちるか。 そんな展望をもっているのだが。 (今だって、事情が許せば、森の奥深くで水の音や風の音が聞こえるとこで暮らしたいと思う) 死ぬ前日まで働きたい、それが基本的思いでもあるし。 人の手足は、働くためにあるのよね。
結論 死ぬ自由は自分の手の内におきたい、わたしは。 医者にゆだねたくはない。 死ぬときは自分で決める!のだ。 インドのサドウたちは自分の死ぬ日は自分で決めて、ホントにその日に逝くというし。日本人のわたしにもできぬわけがない・・とおもうんだけどね。
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