私が、教職を辞めたのは阪神大震災が起きた年だった。 初徒歩遍路をした年でもあるけど。 で、オウムの地下鉄サリンが起きたのも同じ年の3月だった。 あれから何が変わったのか・・・ 世の中、坂を転げ落ちて、ニンゲンの品がどんどん卑しくなっている。 ライブドアショックって、その典型例かなあ。 新聞やネットで報道されていることがホントだとすると、まるで張り子の虎だったわけじゃないのよ。 だまされたのは、欲に目がくらんだってこと。 いかに楽して金をもうけるかってことがもてはやされ。
ワタシ的には、士農工商ってまっとうだとおもうんだわ。 士は別としてあとの「農・工・商」の順は正しい。 実態のあるものを作って人に食物を供するのは、1番えらい、次には、使うものを作る(メーカー)人達、最後は作らずに人のつくったものを右から左に流すだけで利益を得る人、商人さんたち。 保険屋さんは人の不幸をビジネスチャンスにしている、銀行屋さんは人の金を動かしてビジネスしている、不動産屋、これまた人の不便をいいことに仕事している、IT関連もまた何も生産するわけでもないのに、情報という目に見えないモノを動かすだけでビジネスしている・・・すべて、商人(小売・流通業)も含めて虚業である。 もちろん、虚業必要。 ただ、ものを生産していない人達は、「自分たちは虚業である、虚業はヒトサマにどれだけ、幸せを差し上げられるかが勝負だ。する以上は、清く正しく正直に」 なんだよね。 しかし、そんな「虚業倫理」は忘れ去られている。 走れメロスで「神よご照覧あれ」って言葉がでてくるけど、自分の中にこんな言葉の掛け軸をかけておかないと、ものを生産しないお仕事は「荒れる」と思う。 私の仕事も虚業である。 来てくれる子どもさんがたくさんの言葉や文に接する機会をつくり、作文を書く力、読む力を育てるための工夫をして実現したいと思っている。 で、これは私の教職についてからずっとのモットーだけど「国語はその子を幸せにする」 ちなみに、「読書する女」ってノーベル文学賞を受けた小説は、一人の女性が文盲であったばかりに人生を狂わせたお話である。 ことばを使い読む力の深い意味を考えせられた。 ・・・・ 定年して小金がある人達がどんどん日本を逃げだしてアジアで暮らしていのもわかる気がする。 アジアの至る所にまだ、年長者を尊敬しいたわる感受性の若者はいるし、時間ももっとゆっくりと過ぎているし。 ニンゲンの基本倫理も生きている。 あたしも逃げだしたいわ・・
・・・・・・・・・・・ それにしても、最近のあたしの日記、くらいっす。 「アイムソーリ、ヒゲソーリ」
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