おひさまの日記
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| 2010年01月05日(火) |
これ以上でも、これ以下でもない |
「これ以上でも、これ以下でもない」
よくabuが口にする言葉。 特に最近、その言葉が自分にとって意味深いものになっている。
私はいつも特別な存在になりたいと思っていた。 人とは違う何かを持った存在に。
人とは違う特別な存在になりたいという欲求は、 つまり、そうなることにより、 自分が抜きん出た素晴らしい存在であるということを実感したい、 そんな思いのあらわれなのかもしれない。
それは、よりよい自分になりたい、成長したい、 そんな気持ちとはちょっと質が違って、 今の自分じゃダメ、今の自分じゃ価値がない、 そんな痛みが根源にあり、 そのヒリヒリした痛みを埋めようと、 別の何かにならなければならないという強迫観念のような、 気持ちなんじゃないかと思う。
私は常にそんな思いを持っていたように思う。
今も持ってないと言うと嘘になる。 昔よりは減ってきたけど、 自分で自分が受け入れられていない部分では、 そういう気持ちが顔を出す。
たとえば、写真やってて、誰かのすごい作品を見ると、 自分はダメなんだ、こんな才能ないんだ、 この人みたいな作品を生み出せなきゃダメなんだ、 そんなふうに思うことがある。
そして、落ち込む(笑)
先日日記に書いたけれど、 オープンポートフォリオレビューに写真を出展し、 人から自分の作品を評価される場に出ることになった今、 特にそういう反応をしてしまう。 やっぱり私が出る幕じゃない、 会場の中で私がいちばんダメなんだ、 こきおろされて泣いて帰ってくるんだ、 なんて考えて、悲しい気持ちになることがある。
そして、当日のために用意した名刺には、 とうとう「写真家」という肩書きを入れることができなかった。 そんな肩書き入れたら、 こいつ、こんな写真で写真家だなんて、と嘲笑される、 そんなことを考えて、こわくなったのだった。
けれど、ベランダでタバコを吸っていて、ふと、思った。
「私は自分が何様だと思ってたんだろう」
と。 おかしくなった。
仮に、ひどく批判されて、こきおろされたとして、 それが何だっていうんだろう。 だって、私は、今の私にできることを精一杯やって、 それを持って行くんだもの、 その写真は、今の私が生み出した作品で、今の時点で最高のもの。
それなのに、いい評価をもらおうなんて、 自分が何様だと思ってたんだろう、そう思った。 写真歴も短いまだまだの人なのに。
今の自分がどういう立ち位置にいるのか、 写真の世界ではどう評価されるのか、 それを知るために出展するはずだったのに、 いつの間にか、認められ賛辞を受け取ることばかり求めるようになり、 結果、いいものを出さなきゃ、すごいのを出さなきゃ、 そんなことばかり考えるようになった。
でも、違うよなぁ。 今の私を試しに行くんだもの。 何ビビってたんだろう。 自分をでかく見せようとしてたからこわかったんだ、私。
そして、abuの言葉を思い出したのだった。
「これ以上でも、これ以下でもない」
そう、そうなのだ。 私は、私以上でも、私以下でもない。 私はただの私、今の私。 それでいいんだ、そう思った。 そんな私に与えられるものが、すべてなのだ、と。 そして、それをただ受け取って帰ってくればいいのだ。 今の自分ができる精一杯のことを心を込めてすればそれでよくて、 たとえ自分の作品が未熟でダメ出しを喰らっても、 それが、今の自分なんだ、そこからまた前に進めばいいや、そう思った。
そうしたら、スーッと楽になった。
堂々と行ってこよう、今の私で。 すごい人が来るだろう。 でも、その横で、自分でいよう。
このことは、今回のポートフォリオレビューだけじゃなく、 人生のすべてに言える。
特別な何かになる必要はないんだ。 足りないかもしれない、未熟かもしれない、 けれど、そんな自分が今の自分、 でこぼこでも一生懸命生きてきた自分、 それでいい。
それでいいという、その場所に辿り着いて初めて、 特別な何かになろうとしなくても、 その先のもっと素晴らしい自分になれるに違いない。 さらに高みを目指し、成長していけるに違いない。
それは、これまでも、本や誰かの話で知っていたこと。 でも、体験を通して、今、それを強く感じている。
郵便局に通いつつ、空いた時間で、精一杯のことをしよう。 あさってにはプリントも仕上がってくる。 数日後には作ったブックも届くだろう。 作品が手元に来るのだ。 へなちょこ集大成だ。 それでも私にとっては宝物。 それを持って行こう。
そして、引いたOSHO禅タロット。 こんなカードが。 それでいいんだよ、天使にそんな後押しをしてもらった気がした。
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75. 普通であること
解説:
自然のなかを歩くこの人物は、 生の単純な普通のものごとのなかに 美を見いだすことができることを私たちに示しています。 私たちは、自分たちが生きているこの美しい世界を あまりにも簡単に当然のことと受けとめてしまいます。 家を掃除する、庭仕事をする、食事をつくる、 もっとも世俗的な作業であっても、 自分が全面的にかかわり、愛をもって、 認められたり報酬を得たりすることなど考えずに、 ただそのためにだけ行なうと、それは神聖な質を帯びてきます。 出会う状況に対する、この簡潔で自然でごく普通のアプローチのほうが、 立派で賢くあろう、さもなければ特別であろうとする自分の側での どんな試みよりもはるかによい結果をもたらす、 そういう時にあなたはいま臨んでいます。 新奇なものを発明して評判を取ったり、 ユニークなスター性で友人や仲間を感嘆させるといったことは、 すべて忘れましょう。 あなたがいま差し出さなければならない特別な贈りものは、 ものごとを簡単に、単純に、一度に一歩ずつ受けとめることで、 もっともよい形で贈られます。
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しかしだなぁ、いつも思うんだけど、 OSHO禅タロットひくと、ドンピシャなのが出るんだよなぁ。 笑っちゃうほど。 偶然はありませぬなぁ。
そして、
「これ以上でも、これ以下でもない」
それが口グセのabuはすごいなーと思うのだった。
ちなみに、abuが私のことをすごいと思うのは、 朝、携帯のアラームで一発で起きることなんだそうだ。 どんなに夜更かししても寝坊せずに起きることが、 すごいと思うんだとか。
そかー、すごいのかー(笑)
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