おひさまの日記
日記インデックス前の日の日記を読む次の日の日記を読む


2009年11月24日(火) 切なる願い

イヤなことがあると吐きたくなる。

私は、昔、過食嘔吐を繰り返していた。
食べては吐き、吐いては食べた。
吐きやすいようにと、水分を摂りながら食べていた。
コンビニに行って吐くために食べるものを買い込んだ。
1日中食べて何度も吐いたこともあった。
吐くときのいきみで眼球の毛細血管が切れ、白目が赤くなることもあった。

当時、つらいことがあると、指を突っ込んで吐いていた。
怒りと悲しみが交差し、孤独感や疎外感を感じるような時、
別に気持ち悪いわけではないのに、
指を突っ込んで胃の中にあるものを吐かずにはいられなかった。
自分の中にあるイヤなものを出すように。
吐くといくらかでも気持ちがスッキリできたから。

心が痛くて痛くて、体に悪いから、なんて考えられなかった。
いや、考えられたとしても、体に悪いからって、だから何なの?
そんな感じだった。
それだけ私の心は病んでいた。

でも、当時は、自分が心の病だとは思っていなかった。

セラピーを受け始めるずっと前の話。

過食嘔吐が自分のトラウマに起因するなどとは思いもせず、
ただつらくて苦しくて、発作的に吐くことが習慣になり、
これじゃいけないと思いながらも繰り返していたけれど、
心理療法を続けていくうちに、だんだん過食嘔吐をしなくなっていった。

その経緯を書くと相当長くなるのでここでは書かないけど。

今では過食嘔吐をしなくなったけれど、
それでも、つらい気持ちになると、やっぱり吐きたくなる。
恐らく、自分の中のつらさを吐くことで外に出す、そんな感じなのだろう。

吐いてしまいたい、そんな衝動を感じながら、
目の前の状況に過剰反応して感情的になった自分や、
そんな中で感じる自己嫌悪、疎外感、孤独感、
そんなものをしんみり感じたりする。
そして、私はまだ自分を許せていない部分があるんだなぁ、って。

自分を許せていない部分があると、
その部分を見せつける人が必ず目の前に現れて、
(もしくは、誰かのそういう部分が目について)
自分が許していない部分を目の当たりにする。
その人に対してものすごい怒りが湧いてくるけれど、
実は、その怒りは、自分自身への怒りなのだ。

そんな時、怒りながらも、
私はまだこんなに自分に対して怒りを感じていて、
許せずにいるんだなぁ、って、思う。

人にぶつける怒りは、自分への怒り。
許していない自分を責める心の声。
私、まだ自分を責めてるんだなぁ、って、思う。

そうわかっているだけでも、昔の自分よりは前に進んだのね、って思う。

セラピストをしていた頃、
エイミーさんはいいですね、つらいことなんてないでしょう?
と言われることがあった。
セラピストの方は悩みはないんでしょう?って。

でも、そんなことなかった。
みんなと同じ、まったく同じものを持ちながら、
セラピストをやってたんだよね。
持っているからこそ、セラピーをしていたのだよね。
自分がそこを抜ける作業をしながら、
人のそんな作業をお手伝いする、そんな感じで。

そうしたセラピストの視点は、セラピストを卒業した今も、
生きるためにとても役立っているのだと思う。
毎日、毎日、醜く振る舞ってしまうこともいっぱいあるけれど、
そんな自分も受け入れながら。

だからなんだってんじゃないけど、ふとそんなことを考えた今夜。

セラピストをやってよかったな。
あの仕事は私の生きるためのレッスンだった。
またヒプノセラピーをしたいなって思うことがよくある。
でも、続けてたら辞めたいと思うんだろう(笑)

時々、たまにでもいいからセラピーをしてください、と言われることがある。
本当にありがたいことだ。
そうね、そんなのもいいね、って思う。

セラピストを10年近くやっていて、
つまり、それは、私が、
自分の癒しにそれと同じ時間を注ぎ込んだということなんだけど、
私の人生は確実に変化した。
自分をより深く知ることができて、
それによって人をより深く知ることができて、
心の奥深くにある痛みに気づいて、
それまで自分に許せなかったことを許して、
それによって人生に流れ込んでくるものが変わっていって、
許せた分だけ受け取ってきたと思う。
そして、今がある。

これからも、より多くを自分に許し、自分自身も許し、
多くを受け取り、多くを愛せるようになりますように。

そう祈らずにはいられない。
それが私の切なる願い。


エイミー |MailHomePage
今日も読んでくれてありがと♪すごくうれしい!
My追加
エンピツユニオン