おひさまの日記
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2005年12月05日(月) タイムトラベル <時空を超えて訪れる大切なもの>

親子関係(家庭環境)がしっかりしていると、
それ以外の人間関係はあまり問題なく築けるのか、と、
ある方から質問を受けたことがある。

それに答えながら、私の体験からも色々なことを感じ、考えた。
私はその質問に「それはある程度そうであると言えます」と答えた。

子供の頃、親、または親に限らず周囲の人間と、
どのような環境で、どのよう感じ、どのように過ごしたかが、
その人の中の観念や自己像を決めていって、
成人後もそれに基づいた見方で人間関係や社会、あらゆるものを体験していく。

例えば、小さい頃に犬に噛まれて大ケガをした人がいるとする。
すると、その時の、噛まれた痛み、犬への恐怖、
そういったものがその人の無意識の中にインプットされる。
その体験により、その人の中では「犬は凶暴、怖い、人を襲う」という観念が形成さる。
その人が成人してからも、犬を見ると、
その「犬」が昔の犬の恐ろしい体験を思い起こす「スイッチ」になる。
そして「犬は嫌い、犬は怖い、またあんな目に遭ってしまう」という恐れが、
自分の無意識の中のデータベースから瞬時に飛び出してきてしまうのだ。
たとえ、大人になり理解が深まり、
「すべての犬が凶暴なのではない」「盲導犬は絶対に噛まない」と、
理屈ではわかっていても、そういった思考では押さえることのできない、
過去の体験に基づく犬への「感情」がオーバーフローしてくる。
それは一瞬にして起こることであり、
スイッチが入った瞬間、頭で考える前に「感情」が訪れる。

上に書いたことはひとつの例えだけど、
そうした記憶を持っていようと、その記憶すらなかろうと、
なんらかの体験によりインプットされた観念は、常に私達の無意識の中にあり、
「スイッチ」が現れると、勝手に起動し、その時の感情を再現する。
私達は「スイッチ」が入ったことにも気づかないうちに、その感情だけを体験していく。

上の例は犬だけど、これが家族や、周りにいた人間であることは、
私達の幼少期において本当によくあることだと、自分の体験からも強く感じる。
私達はタイムトラベルをしているようなもので、
今、ここで、感じている感情は、すべて過去に体験した感情なのだ。
誰かとのやりとりや、何かの状況の中で感じる感情、
死んでしまいたくなるような悲しみ、孤独、激しい怒り、虚しさ、
すべてすべてが、かつて私達が何らかの体験の中で味わったものであり、
その感情が、目の前の誰かや何かが「スイッチ」となって無意識の奥から溢れ出してくるのだ。

また例えをあげると、子供の頃に、
心が傷つくようなこと、きついことを言われたり、怒られたり、怒鳴られたり、暴力を受けたり、
自分の存在をいらないものであるかのように扱われたり、無視されるように扱われたり、
強い支配やコントロールを受けたり、罰されたり、否定されたり、そうした環境の中で育った場合、
例えばだけど、「人は私を傷つけるもの」「人は怖いもの」「私はダメな人間」「私は価値がない」
「私はいらない人間」「自分の気持ちを表現してはいけない」、
という観念を持ったとする。
環境の中で傷つきながら、そうした観念が無意識のうちにインプットされていくと、
犬の例で書いたように、そののち、人さえ見れば、それが「スイッチ」となり、
「ああ、また昔のようにあんなイヤなことを言われてしまう、されてしまう」
「私がダメな人間だからこういうふうにされるんだ」
「本当のことを話したらまたイヤな目に遭ってしまう」
「私なんか消えてしまえばいいんだ、いらない人間なんだから」
というデータベースが瞬時に起動し、その体験をした時のつらい感情が戻ってきて、
それを、あたかも目の前の人間関係で味わっているかのように再体験していくことになるのだ。

悲しみや寂しさを感じていくことに激しい抵抗があるなら、
「スイッチ」によって激しい怒りが吹き出してくるだろう。
怒りは煙幕のようなものであり、つらい気持ちの上に覆いかぶさるように横たわり、
その下にある苦しみを感じないようにしている。

本来、人は、ありのままの状態がもっとも素晴らしく、それは人にも自分にも否定されるものではない。
どんなにネガティブな感情も。
朝になれば太陽が昇るように、春になるとあたたかくなるように、
人が感じるすべては、とてもとても自然なことであり、善悪の判断をされるべきものではない。

けれど、子供の頃の体験で(場合によっては前世でもあるかもしれない)、
自分が感じたこと、言ったこと、したこと、また、自分の存在そのものが、
悪いもの、罰されるもの、否定されるもの、受け入れられないもの、
そのように感じざるを得ない体験をすることによって、
人に扱われた通りの自己像や観念が形成されていくことも少なくない。
すると、自然に湧いてきた気持ちや感情(本来の自分)と、
それを否定する思い(体験によって形成された自己像や観念)の葛藤が始まる。

自分自身が満たされていけば、問題のない人間関係が築けるようになることも増えてくるだろう。
ただ、人から満たしてもらうということがとても難しいことは、誰もが知っている通りだ。
相手を責めたりコントロールしたり、また、懇願したりして、
相手を変えようとしても、それがうまくいなかい体験は誰にでもあるのではないだろうか。
人は自分を満たしてはくれない。
また、事態を解決してもくれない。
もし満たしてくれて、解決してくれたとしても、それは一過性のものであり、
次は、もっとよくしてほしい、もっとああしてこうしてと、相手や周りへ要求が際限なく続いていくのだ。
飢餓地獄に陥るがごとく。

なぜなら、私達の内側が乾き切っていて、
いくら外から水を注いでも、砂漠が水をあっという間に吸い込み砂に戻るように、また乾いてゆくからだ。
自分の内側から潤った時のみ、私達は真に満たされる。

そうして自分が満たされていくためのものが、自分の中から湧き上がって来ることを、
形の違いこそあれ、様々な問題や状況、その時々の感情や感覚を介して、
繰り返し、繰り返し、体験していくことが、セラピーであると私は感じている。
自分の中から湧いてくる力を取り戻すものでもあり。
また、そのために必要な過程をも体験していくことであると。

満たされる時点が、仮に10という地点だとしたら、
そこに辿り着くためには、1からのステップを踏む必要がある。
1から9までのステップには、満たされることにはなんら無関係に思える過程もあるかもしれない。
とても辛い体験さえあるかもしれない。
けれど、10の地点に行くためには、それでも1から9が必要なのだ。
そこを通ることで10の地点にたどり着く。
その1から9の過程の作業を、色々な形で行っていくのがセラピーだ。
もっとも強烈で有効な「体験」という形によって。

インナーチャイルドを癒すのには、どれくらいの時間が必要かと聞かれたこともある。
あっという間ですよ!と答えたい、本当はっっっ!(笑)
けれど、時間がかかる。
その時間も、人によってみんな違う。

けれど、ひとつだけ確信を持って言えることがある。
人は癒され変わっていくことがでるということ。
そのために必要な時間は1から9の過程なのだ。

私、昔は、ぞうきんみたいにズタボロだった。
そして、今もそういう部分はたんまりある。
それでも、こうして心地よいと思える日々を過ごせるようになったからこそ、
私は自分が出会う方々にお伝えしたい。
人は時間をかけて癒され変わっていくことができるのだ、と。
私は特別な人間ではなく、その辺にいる普通のおっかさんなんだし、
そんな私が体験したことは、私が出会うみなさんがいずれ体験することなのだ。

タイムトラベルで過去から私達を訪れてくれた「感情」つまり、
私達に気づいてほしいと願う「傷ついた自分」を抱きしめ癒していくためには、
いや、もっと簡単に言えば、幸せになるために、私達がまずしていくことは、
自分の感情が自分のものであり、他の誰のせいでもないことを強く意識して自分の中に持ちながら、
仮に、他の誰かの何かや、状況がきっかけで生まれてしまった感情だとしても、
そんな思いを頭の片隅に置きながら、その感情を自己責任において感じて、
ああ、自分は昔こんな気持ちを持って生きていたんだ、そう認識し始めることだ。

そんな自分を認めて受け入れることだ。
まずは頭でだけでもいい、そう考える自分をそこに置いてみることだ。

出来事や自分の中の感情を自分以外の責任にしている時、私達は暗い渕へ真っ逆さまに落ちてゆく。

感情のままに人に言いたいことを言うと、すっきりしそうでしない体験を、誰もがしたことがあると思う。

例えば、私の場合、激しい怒りを感じて相手にぶつけると、
言いたいことを言って、なじって責めて、すっきりするはずなのに、ものすごく悲しくなる。
怒りが引いた後、わぁわぁ泣き崩れることがある。
それは、自分自身に怒りをぶつけているからなのだ。
まるで自分が誰かに同じように怒りをぶつけられ、なじられ責められたかのように。

私は、自分以外の人がすべて自分だと思って眺めることがある。
つまり、みんな自分を投影しているのだという考え方だ。
この考え方はとても有益であることを、体験から確信している。
誰かに接する時「あの人は私だ」と思って接するのだ。
それは、無意識の中にいて、まだ自分が気づくことができな自分への大切なアプローチになる。

まだ出会ってない、無意識の奥で助けを求めている知らない自分は、
現実の中の人に投影されて、常に目の前にあり続ける。
その相手に、たとえネガティブな感情を持ったままでもいい、
それもひっくるめて、誠意を持って、自分の真実で、近づいていく時、何かが起こる。
時を越えて訪れる大切なもの、感情という鍵、それこそが私達を辿り着く場所へといざなってくれる。

自分に帰ってきたい無意識の中の自分が、助けてほしいと切に訴えている。
時空を超えて。
その自分を助けられるのは、他でもない、あなたしかいないのだ。


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