おひさまの日記
日記インデックス|前の日の日記を読む|次の日の日記を読む
| 2005年11月29日(火) |
オカマの集い、生首でRe-birth 3 |
acoさんのセッション、観撫手(ハンドスケープ・ヒーリング)を受けて、 私が体験したこと、感じたことを綴っての続き。
私の3つの前世がacoさんの口から語られた。
どの前世でも、その時代の流れ、また、常識や観念など、どうすることもできないものの中で、 不本意であったり、理不尽であったりするものにも従わざるを得ず、 不遇な体験をし、心の中に深い傷や葛藤を持って生きていた。 それらの痛みが罪悪感や自己否定となっていた。
ふむ。
セッション前の移動中に、いきなり出てきた武士のビジョンのこともあるし、 とにかく印象に強く強く残ったのは、武士の時代だった。
彼は自分の力を発揮しようとしたことで戦に負け、 多くの人を死に至らしめ、親兄弟と国を失った。 その体験から、自分の力で何かをすることへの大きな恐れを自分の中に刻み込んだようだ。
acoさんに会うために都内へ向かう電車の中で武士のビジョンが浮かび、 彼に「なぜわからぬ?」と問われたことは、前の日記でも書いた。 「あれは一体何のことを言ってたんだろう…?」 そうつぶやいた私の手を握ったまま、またacoさんが何かを感じ始めた。
「彼は…死にたかったようです。 自分を責め、こんなことなら死んでしまいたい、そう感じていたようです」
そう話していると、私の中で、電車で見たビジョンの続きが浮かんできた。 正座する私の前にいる武士の彼が刀を振り上げ、私の首を切り落としたのだ。 ゴトンという鈍い音や、首が床に落ちた時の振動まで、リアルに感じた。 私の首を切り落とした彼は、首のない私と向かい合うようにあぐらをかいて座った。
本来なら、あまりにも惨い光景なのに、 私はそのビジョンを見ながらとても穏やかで幸せな気持ちになった。 とても心地よく、スッキリした。 彼の表情も穏やかで、ほほえみさえ浮かべていた。
そして、首だけになった私の前に、白い布に包まれた赤ん坊が現れた。 新しく生まれた私。 彼はその赤ん坊を愛おしそうに抱き上げ、イメージの中から現実の私へと投げてよこした。 そこでビジョンは終わった。
死を望みながらも、生きて天命を全うした彼。 本当に死ぬ気なら死ねたはず。 それでも生きたということは、彼は生きたかったのではないだろうか。 そして、私への「なぜわからぬ?」という問いは、 魂に刻まれた恐れに阻まれ、私が彼と同じあやまちを犯すことに怯えて、 力を発揮し、歩むべき道を邁進し、さらなる成長を遂げることを、 無意識のうちに拒んでいるということに、気づけという彼の訴えだったのではないだろうか。
そう思った途端に、自分の中で何かがスーッと流れて、腑に落ちた感があった。
3つの前世を伝えてもらいながら、その3つの生の最後の武士の時代に、 今の私への必要なメッセージが集約されていたのではないかと思った。
彼は、私の首を切り落とすことにより、 恐れによってその場に留まり続け、魂が望む道から離れようとしている私を斬ったのだと思う。 だから、首が落ちた後、赤ん坊の私が現れた。 新しい私。 生き直す私。
そして、それは、私の魂が肉体を持った私に宛てて、 前世というツールを使って送ってよこしたメッセージであると解釈した。 ひとつの魂が幾つもの時代を生きてきたのだから。
私、これから、新しい自分で生きるんだ、 そんなこと感じ、清々しい気持ちで、acoさんとお別れした。
すると、帰りの電車の中で、武士の彼がイメージの中でやってきて、私に刀を渡してくた。 しっかりと左手に持たせてくれた。 刀のサヤにとても美しい細工がしてある刀で、赤や緑の石がはめてあるのが印象的。 恐れや迷いを断ち切るために使えと彼は言った。 右に持てば、不浄なものや厄災を招くもの、よからぬものを遠ざけると。 そして、私をこれからずっとそばで守ってくれると。 彼の力をすべて私に預けてくれた。 私の分まで生きよ、と。
泣かせるぜ、青年。
まるで鬼武者の金城武みたい!と妄想したイケメン好きな私、 聞いたところ、acoさんの見たビジョンの前世の私も、 鬼武者の金城武みたいだったということだった。 私イケメンだったのか!(喜)
このセッションを終えて、私は自分の中にありながら、 それをはっきりと思考として捉えようとせず、また感じようとせずにいたことを、意識化することができた。 それは「立派になってはいけない、素晴らしい人になってはいけない」という観念。
師、中島先生とご一緒させていただき、目標とさせていただき、 いつか先生のようになれたら…と思ったある時、 なぜか私の中に「イヤだ!」という感覚が湧いてきた。 その「イヤだ!」には「こわい」という感覚が伴っていた。 先生のようになることを考えた時、恐ろしいという気持ちになったのだった。 いつか先生のような素晴らしいワークショップができるようになれたら…と願うと、 いやいや、そんなこととてもこわくてできない、そういう想いが願いをかき消す。 そんなことしたら、よくわからないけれど、とてもこわいことになるような気がして仕方がなかったのだ。 自分の信じる道を進めば進むほど、途中で足が止まると言うか、 そこそこのところでやめとこう、みたいな、ヘンな恐れがあると言うか、 リーダーやトップになるのではなく、ナンバー2に甘んじていたい自分がいるのだ。 そんな想いが自分の中にあったことに気づいていたのに、 あえて明確な考えや言葉にすることはなかった。
acoさんのセッションでそれに気づくことができた。 そして、思えた。 ああ、高みを目指していいんだ…って。 より高く、高く、上を目指して進んでいっていいんだ…って。
武士の彼が斬ってくれたのは、恐れて歩みを止める私だったのだろう。 「なぜわからぬ?」の続きは、 「お前の中にある恐れに負ける自分の姿が」という言葉だったのではないだろうかと、今思う。 白い布に包まれた赤ん坊、新しい私。 歩こう、歩いていこう、そう迷いなく思えた。 彼がくれた美しいサヤの刀と共に。
これが、生首でRe-birth、ね。
私は、前世よりも現世を重んじる。 いくつもの過去生を生きてきたとしても、 そこでのカルマは今生に集約されると考える。 だから、セッションも今の人生を大切にして進める。 それでも、今回のように、前世から示唆や大きな気づきを得ることがある。 私のセッションでも前世に及ぶことがある。
そして、思うのだ。 癒しや成長のために、私達は、その時々、必要な扉を叩くことができる。 それが現世であれ、前世であれ、自分という大きなパズルを完成させるための大切なワンピースだと。
私の場合は、だが、 前世からは、本当にごくたまに、今の自分を知るための示唆を得る程度だ。 それだけでは現実問題の解決にはあまりつながったことはないように感じる。 もちろん、示唆を受け取った時は色々なことに気づくし、衝撃や感動もあるが。 それらを課題として取り組むのが現世での現象や出来事や状況、つまりこの現実だ。 さしずめ、受験で言うなら、前世は傾向と対策であり、現世は受験勉強や試験本番そのもの。 まさに理論だけではどうにもならない実技を現世でこなす、そんな感じかもしれない。 そんな捉え方をしている。 だから、どっちかだけがいいとも思わないし、 どちらも必要な時にそれらに触れていくのがいいんじゃないかと思う。
これからもっとぐれいとになっていいかな〜? いいとも〜!
この場をお借りして、大きな気づきと新しい展望をくださったacoさんに、心からの感謝を。 本当にありがとうございます。
|