おひさまの日記
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小学校に上がり、アンナにも自立心が芽生え始めた。 自分専用のベッドが欲しいと言う。 ひとりで寝たいのだそうだ。
先日家族で家具やに行き、アンナのベッドを買った。 あと数日で納品。 アンナはウキウキしている。 早くひとりで寝たいなぁ、って。
仕事を終えベッドに入ろうとすると、いつもそこには小さなアンナがいた。 小さいとは言え、赤ちゃんの頃に比べたら3倍近く大きくなっている。 でも、私にとってはいつまでも小さい自分の娘。 口をぽっかり開けた寝顔を眺め、ほっぺや手や足やおしりをむにむに触り、 ちゅーして大好き!って毎日のように話しかけてきた。
その娘が私の側から離れようとしている。 まだまだママにべったりではあるものの、自立の一歩を踏み出している。 赤ちゃんの頃から当たり前のように隣で眠り、その体温と一緒でない日はなかった。 それが、あと数日で私からなくなるのだ。
ゆうべ、私は、眠るアンナの隣に滑り込むと、 後ろから包むように同じ姿勢で横たわった。 そして、赤ちゃんの頃からずっと一緒だったその当たり前の感覚を、 改めて感じてみた。 なんと愛おしく、なんと大切で、なんと美しい感覚だろう。 愛そのものだと思った。 私は娘を愛して世話しているようなつもりで過ごしてきたけれど、 実は、愛されケアされてきたのは私だった。
別に永遠の別れでもないし、 同じ部屋で別のベッドに寝るだけなのに、 私はぽろぽろ泣いた。
バカな親だと思った。 でも、涙が止まらなかった。 ずっとずっとそばで抱きしめて一緒に眠りたい、そう思った。
これは彼女の親離れのほんの一歩で、 これからはもっともっと私と主人から離れていくだろう。 やがては家を出て自分の暮らしをするだろう。
この子のいない生活?
そう考えると、私は頭がおかしくなりそうになった。 悲しみに押しつぶされそうだった。 それは愛の喪失にも似た感覚だった。
そして、これを越えていくのが親業(おやぎょう)なのだと思った。
自分の悲しみや執着などをみじんも見せず、 飛び立つ子供をその意思のままに羽ばたかせること、 時には疎ましがられ、届けようとする愛が空回りしようと、 その痛みと共にありながら愛し続けること、 それが親の役目だと。 時に、逆に身を寄せようとする子供を必要であれば突き放すことさえも。
私の従姉妹の娘が飛行機で東北に嫁いだ。 関東に住む従姉妹はそうやすやすとは娘には会えなくなったと言っていた。 そして、娘もそうやすやすとは里帰りできないだろうと。
人のことなのに、私は泣きそうになった。 もしもアンナが遠方に嫁いで、年に1度会えるか会えないかになったら、 しかも、会えてもほんの数日、短時間、 私は寂しくて気が狂ってしまうのではないかしら? そんなことまで考えた。
それでも子供が望んでしたことを、 痛みと共にあるがまま受け入れるのが親。
なんと崇高な行為なのだろうと思った。
私の父は、今は施設でおとなしくなったものの、 かつてはものすごい暴言暴力の人だった。 それでも、これと同じ想いは持っていただろうし、持っているのだろう。 私の母は、愛情表現の下手な人だ。 それでも、これと同じ想いは持っていただろうし、持っているのだろう。
共に過ごした時間がトラウマ作成マシンみたいな過酷なものであったとしても、 この親としての身を切り裂かれるような想いを、彼等は持っていたのだろう。
眠るアンナを見て涙を流しながら、 私は、かつて自分のその涙と同じ涙を流したであろう、 もしくは、流さずともその涙を飲み込んだであろう両親に想いを馳せた。
彼等はそれだけでもものすごい親業を成し遂げたのだ。
私は彼等に対して深い敬意と感謝を感じた。 どんな形であれ愛されていたことを、今だからこそ感じる。 そして、今も愛され続けていることを。
なにはできなくとも、私はアンナにそんな親業をしていきたい。 私の両親がしてくれたように。 愛する子供と離れていく痛みを正面から受け止めながらも、 握っていた手を離すことで、 彼女自身が選択し創造していく人生へと、 送り出すという作業をしていくのだろう。 「あなたは何があっても大丈夫」という絶対の信頼という贈り物と共に。
とても悲しく辛い作業だと思う。 けれど、それが親から子へと見えない愛を伝えていく道ならば、 そして、その愛こそが子供の人生を豊かにするのならば、 私はその道を選ぼうと思う。 私に愛を思い出させてくれたそのお礼に。
すやすや寝息を立てる小さな宝物の隣で、 私はひとりただただ涙を流していた。
今までもそうだったように、 これからのこの子との一瞬一瞬が、 とどめることのできない、輝きに満ちた、 美しいものであることをかみしめながら、 記憶に刻んでいこうと思う。
たかが別々のベッドで寝るというそれだけのことなんだけど、 私はそんなことを感じ考えていた。
ひとりで寝たはいいものの、 「ママぁ、やっぱり寂しい」と言って、 彼女が私のベッドにもぐり込んでくることを期待しながら。
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