おひさまの日記
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2005年05月05日(木) 言葉の裏にある本当の気持ちを感じてみる

最近、私は自分が放った言葉についてよく考える。

恐れから放った言葉、
不安から放った言葉、
苛立から放った言葉、
痛みから放った言葉、
傲慢さから放った言葉、
たくさんの言葉。

そして、それらを放つと、私はあとでとても不愉快になる。

昔誰かが言っていた。
自分が言ったことは、まず最初に自分に届く、と。
それは、相手により、最も自分に影響を及ぼす、と。



その昔、こんなことがあった。

仕事の流れでそんなに親しくない人達と席を同じくした。
そこでは、その場にいない人の噂や悪口が飛び交っていた。
私はそこそこ話題についていきながらその場に合わせ、
自分もかつて体験したイヤなことを思い出して、
それをおもしろおかしく悪口にして話したりした。

帰って別の友達にそれを愚痴った。
私の気持ちは落ち着かずになんだかどんよりしていた。

そして、ふと気付いた。
自分こそ彼女達のことを、
悪口言ってるなんて、悪く言ってるじゃないか、って。

そして、どうしてそういうふうに彼女達を悪く言うのかと言えば、
それは私に「恐れ」と「不安」があるからだと気付いた。

私はその席で思っていた。
私がもしここにいなかったら、私が悪く言われるのかもしれない、と。
陰で攻撃されるかもしれない、と。
そんな「恐れ」と「不安」があった。

そして、その「恐れ」と「不安」を持った瞬間から、
自分も言われるかもしれないという幻想から身を守るために、
まず彼女達を悪者にし、自己正当化し、
無意識に言葉で攻撃を始めていたのだ。
そんな裏の心理に気付いた。

私の場合は、だけどね。

私は彼女達を悪く言うことで、その言葉を自分が受け取っていた。
自分の言葉の裏にある「恐れ」と「不安」が私にしっかりと届き、
私の気持ちは落ちずかずどんよりとしたものになっていた。

それに気付き、自分の「恐れ」と「不安」抜きで、
改めて彼女達を思い出し眺めてみた。
すると、今まで自分の悪口をいつか言われるのでは…と思った彼女達が、
たまに集まってわいわいおしゃべりして、
日頃の憂さを晴らしている可愛い女の子達に思えた。

それが彼女達の本来の姿であり、
私だって時々イライラがつのって悪口を言うことあるし、
それなのに、自分がいつか悪く言われるかもしれないと言う恐れから、
自分の中でその事実を曲げてしまっていた。

その夜、お風呂につかり、天井を眺めながら、
彼女達に「悪く言ってごめんなさい」と伝えた。

しっかりと自分の言葉(彼女達への批判)の
裏にある自分の想い(彼女達への恐れ)に気付いた時、
自分の中から落ち着かないどんよりとしたものが消えていったのを、
今でも覚えている。



そんな昔のことをふと思い出して、私は、
自分が放つ言葉の中、そして、その裏には、
自分でも気付いていない想いがたくさん込められていると改めて思う。

それは、日常茶飯事に私達が行っていることでもある。

そして、それはクセとなって自分にしみついているものであり、
よほど意識して言葉の裏を感じようとしない限り、感じられるものではない。
けれど、自分が放った言葉で、何か違和感や不快感を感じた時、
そこで、意識して自分から飛び出した言葉の裏にある
自分の本当の気持ちを感じてみるといいかもしれない。
そこに潜んでいる自分の痛い気持ちに出会える。

出会ったらただ抱きしめる。
抱きしめると、そこにある相手や自分の真実が見えてくる。

それができると、
今度は相手の気持ちがわかるようにもなる。
わからないまでも、察することができるようになる。
相手の言葉の裏にある相手の本当の気持ちを。

そして、その行為は、自分を救う。
生きるのを楽にしてくれる。

難しいことでもあるかもしれないけれど、
自分が放とうとする言葉を常に意識し、
衝動で放ちたいと感じる言葉の裏にある自分の本当の気持ちに気付けるような、
そんな人でありたいと思うのだった。


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