おひさまの日記
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2005年01月24日(月) 小さな先生

本当は週末の中島先生のワークショップのことを書きたかったんだけど、
3時過ぎちまってねむねむなので、さくっと別ネタ。
(それでも書くんかいっ!?)

ワークショップの後はものすごく疲れてぐったりするので、
いつもオフにしていて、今日も実家でだら〜んと過ごしていた。

ボーッとしていたらアンナに遊ぼうとせがまれて、
実家の廊下(メッチャ広い)で一緒にかけっこをした。

ただ、ぎゃーっ!と叫びながら、
廊下の端から端までを走って最後はスライドするだけなんだけど、
アンナはげらげら笑いながらすっごく楽しそうにやるんだよね。
最初は「何が面白いんだ???」と思いながらやってたけど、
ま、せっかくだからと、
私も真似してぎゃーっ!と叫びながら走っていたら、
だんだん面白くなってきて、
最後は子供レベルで叫んで笑いながら走っていた。
しかもかなり楽しい。
奇声をあげて、一体廊下を何往復したことか。

息が切れてギブアップして、はぁはぁしながら、
自分がものすごくハッピーなことに気付いた。
不思議だった。
ついさっきまでは、別に辛くもなかったけど楽しくもなく普通だったけど、
アンナと廊下レースをし終わった後、ものすごくハッピーなのだ。
ただ走っただけなのに。

子供ってすごいな。
何にもなくても何かをして人生を楽しむ天才だ。
子供はとにかく楽しみたい。
だから、楽しもうとする。
なんでも楽しくしようとする。

アンナはなんでも楽しいらしい。
窓ガラスの水滴を見ているだけでも楽しいらしい。
葉っぱのぎざぎざを見ているだけでも楽しいらしい。
空を見ているだけでも楽しいらしい。
立って左右に揺れているだけでも楽しいらしい。
ベッドにもぐり込むだけでも楽しいらしい。
スーパーのカートを押しているだけでも楽しいらしい。
私やダンナと目が合っただけでも楽しいらしい。

そんなアンナと一緒にいると、私も楽しい。
楽しいということを教えてもらっている。
楽しむということを教えてもらっている。
どこにでも楽しみを見出せるのだということを教えてもらっている。
忘れてしまっていた楽しみ方を思い出させてもらえる。

アンナを見ていると、
私は沢山の楽しいことをどこか置いてきてしまっているのだと感じる。
それは、実は、いつも自分のそばにあって、
楽しもうと思う時にいつでも楽しめるのだと、アンナは教えてくれる。
バカみたいに意味もなく何かをすることだって、
とっても楽しいってことを、今日も教えてもらった。

私達も昔はそんな子供だったんだよね。
ただ、忘れてしまっているだけなんだよね。
時々バカになって意味なく何かをするってこともいいなぁ…って思った。
大人は意味や理由や生産性のあることしかしないけど、
何かをするのにそんなものなくたっていいんだって感じた。
そんなものがないところにでも、
とても大切なことがあることだってあるんだって。

また時々一緒になってバカみたいに遊んでみたいな。
あんなに無意味に無条件に楽しかったのは久しぶりだ。
そして、それが本当に心地よかった。
悩みがあったって、辛いことがあったって、
そういう時間を作ったら、そこから何か始まりそうだよ。

ありがとう、いつも素敵なことを教えてくれる私の小さな先生。


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