おひさまの日記
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2005年01月17日(月) タバコ屋のお母さんと

今日は朝からアンナをああだこうだと叱りつけ、
心穏やかでない一日がスタートした。
大人が子供を叱る時、その8割以上がエゴだという話を聞いたことがある。
まさにその通りだな…そんなことを考えながら、
保育園までの道をすたすた歩いていた。
後ろからしょんぼりしたアンナがついてくる。

いつも通るタバコ屋の前に来ると、
お店のおばさんが朝の掃除をしていた。
私は彼女をお母さんと呼んでいる。
まだお母さんの歳じゃないわよ〜、とおばさんは言う。
おばさんと言えども、とてもキレイで素敵な方で、大好きなの。
いつも元気な私は、よく挨拶をしたり、ちょっとした立ち話をする。

けれど、今日は気持がよどんでいて、それどころではない。
おばさんがいつも通り「いってらっしゃい」と声をかけてくれたけれど、
いっぱいいっぱいな私とアンナは無反応に通り過ぎてしまった。
普段は手を振って「いってきま〜す!」と返事するんだけど。

アンナを送った帰り道、またタバコ屋の前を通った。
またおばさんがいた。
人と話せる心境ではなかったので、軽く会釈して素通りしようと思ったら、
おばさんが声をかけてきた。
「今日機嫌悪いの?」
私はぎくっとした。
「え?私?そうですかねぇ?」と、意味不明な言葉を残して、
目も合わせず足早にその場を去ってしまった。

涙が溢れてきた。
なんでそんなこと言うの?ひどいよ!
そんな気持でいっぱいになった。

朝から一発アンナにかました自分を責めていたところに、
おばさんから「機嫌が悪いの?」と言われ、
まるで「そんなんじゃダメ」と責められているように感じ、
私は途端に反応した。

もう二度とおばさんに挨拶するもんか!
心の中で、今思えばそんな子供じみたことを考えていた。
私の気持ちや状況なんて何も知らないくせに!って。
おばさんに悪いことしたなって気持は、ほんのかすかにしかなかった。

家に帰ると怒りと悲しみが襲ってきた。
自分への怒り、おばさんへの怒り、そして悲しみ。

でも、事実を受け入れようと思った。

アンナを必要以上に叱った事実、
いっぱいいっぱいになって挨拶してくれたおばさんを素通りした事実、
感情でおばさんが自分を責めていると決めつけたという事実、
みんなみんな、ただそこにある事実として受け入れようと思った。
自分や誰かが自分を責める責めないの問題ではなく、
ただそこにある事実として。

ゆっくりだけど、認めていく。
こういう気持だったから、こういう理由だったから、
トラウマで子供にそういう反応をしてしまうからとか、
そんな理由は一切抜きで、
ただただ自分が朝してきたことを自分がしたことして認めていった。

そんな作業をしていて気付く。
いつも私は事実を、出来事を、そのまま受け入れたくないことを。
自分がしたこと、されたこと、自分に起こったことを認めたくなくて、
そこから溢れ出す感情ですべてを判断したいことを。

私の内側が観念し始める。
そう、そうだよ、私は今日、こういうことをしたよ、
したね、したよ、それは子供を傷付けたということだね、
したね、したよ、自分の反応で相手のことを決めつけたということだね、
それがそこにある事実だね、って。

おばさんにあの言葉を言われなかったら、
私はまた被害者ぶって、反省し抜け出せない自分を変える努力ではなく、
嘆くことにだけ時間を割いていたに違いない。
長い時間をかけて、
私はようやくおばさんに心の中で「ありがとう」を言えた。

だから、アンナを保育園に迎えに行く途中に、私はそのタバコ屋に寄った。
そして、おばさんに言った。

「今朝はすみませんでした。
 朝とってもイヤなことがあって、
 落ち込んでたと言うか、イライラしてたんです。
 だからすごく感じ悪い態度をとってしまって。
 子供にもキツく当たっちゃってたんです、悪くないのに。
 だからふたりであんなふうだったんです。
 謝りたかったので来ました」

説教のひとつもされるかもしれない、そんな覚悟さえしながら。

すると「まぁ…!なんて素直なの!?」と言ったおばさんの目は、
たちまち潤んで涙でいっぱいになった。

私はハッとした。
おばさん、泣いてくれるの?私のために?
素直って?こんな私が?
あんなことをした私をほめてくれているの?
衝撃にも似た感覚だった。

おばさんは続けて言った。
「いいママよ」

その言葉を聞いて、私の目にも涙がにじんできた。
今日のすべてがほどけていった。
涙が目頭にたまって、今にもこぼれ落ちそうになる。

謝ってよかった。
自分の過ちを認めてよかった。

私を責めていたのは他の誰でもない、私だった。
それを誰かに責められていると反応して相手を責めて、
事実から遠ざかろうとすることが、私には幾度となくあった。
事ある度、嘆いて、抜け出したいと願いながら、
その場に居続けるための思考回路ばかり働かせていた。

今日、私は、改めて、その思考回路を破壊し、
意図的に新しい思考回路を組み立てることにより、新しい現実を体験した。
そう、こういうふうに生きたいんだ、私は強く感じた。

タバコ屋のおばさんと今日そんな体験をした。
ありふれた毎日の中の、ありふれた出来事。
でも、私の中には深く刻まれた出来事。

私の日々。
楽しい日もある。
今日みたいに心が痛くなる日もある。
いつも、特に辛い日は、私はこうやって自分の心をいじってみる。
そして改めて思う。
辛い日ほど大きな贈り物があるなぁ…って。
きっと神様は私に大なり小なりの困難が含まれるテキストを与え、
どう学習するかにこにこしながら眺めているに違いない。
チクショーと笑いながら思えるようにまでなった。

今日という日がまるごとワークだった。
とても素敵なワークだった。

タバコ屋のお母さん、ありがとう。




アンナのケアもしたかったので、
私は保育園から帰った彼女をお茶に誘い、
朝のことをママが悪かったと謝った。
アンナが保育園である子にイヤなこと言われているらしく、
辛かった話を聞いて、一緒に今後の対策会議をして作戦を練り、
ふたりで「エイエイオー!」をした。
それぞれ自分のこと頑張ろうね、って。


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