唐突に雨。
最近はからりと晴れが続いていただけに
突然の雨降りに少し驚いてしまう。
雨のせいか少し寒くなった。

東京は四月になってから急激に暖かくなって
まるで初夏のような陽気さだったので
ようやく送られてきたカーボンヒーターを使う機会がなく
なんとも悔しい思いをしてきたわけだが
もしかすると今晩は使えるのかもしれない。

仕事は落ち着いてはいないものの
否応無く12時間労働になることは少なくなった。
ただ、日々の中でフェアじゃないと思うのは
なぜ私だけ前任者不在で新しい仕事に就くのかということ。
引継ぎもほとんどなしだ(マニュアルが師匠)。
あと、中間だということ。
これは自分が中間管理職的ポジションにありながら
管理職ではないので単なる中間だという意。
これ、ものすっごい気疲れするんですけどー。

行きの憂鬱さ、帰りのくたくたさ。

誰かと会いたいと思っても
急な誘いに応じてくれる人もおらず
こういう時に人望と運の無さを思い知らされる。

それにしても、頭が随分とおかしくなってきた。
思考は自分自身を追い詰める方へと働き
強気と弱気のせめぎあい。
心の中に天使と悪魔がいるというのはよく言われるが
まあ、天使ほどでないにしても、私の中にも
やさしい自分ときつい自分がいるが
その二つが同時に表出しているようなおかしな気分。
まさに、混沌、である。

通勤経路の約半分は徒歩なのだが、
雑踏の中を歩いていると色々なことを考える。
昨日の朝、考えたことは学ぶことについてである。
勉強などしなくていい、と親に言われながらも
進学してしまった私だが、なんのために勉強するかとなると
自身を持っていうことができない。
社会に対して生産性を持った学問でないということが
その「うしろめたさ」の主な理由であろう。

朝、ラジオで福岡伸一が出ていて
アメリカでは研究とはすなわちビジネスであると言っていた。
生産性が重要なのである。
確かに、福岡氏のような理系の学問は生産性がわかりやすい。
しかし、文系の学問において生産性はいかなるところに現れるのか。
源氏物語を深く読み解いたところで何が生まれるのか。

心が豊かになる、といったような理由では
社会の求める生産性に値しないだろう。
現に、法学部出身のサークルの先輩は悪気なく
「文学を勉強してどうするんだ?」と言っていた。

そして、今日考え付いた結論は、学ぶことによって
自分自身を発見することができるということだ。
このことをもう少し遠ざかって考えて見ると、
文系学問は、自分を知ること、言い換えれば
人間を知ること、を目的としているのかもしれない。
ただ、即効性がないだけに、生産性に乏しいと思われざるをえない。
難しいと思う。

眠くなってきた。

誰かにそばにいてほしいような気がする。
でも、誰とも話したくないような気もする。
どうしたいのか自分でもわからなくて困っている。
とりあえず、気分は良好ではない。

明日は休み。
学校に行くつもりだ。
2009年04月14日(火)

そらいろのねこ / コギト