家族、恋、結婚

人付き合いは苦手ですが、家族と付き合うのも苦手です。

昔から他人以上に他人だという意識が強く、
表向きはそれなりの外見だけど
中身はぼろぼろに腐った建物という印象です。
築30年のマンションといったところでしょうか。
今住んでいるのと同じようなものです。

家族全員がいることによって成り立っていた「家族」の制度が
二年前に姉が出て行ったときからぎりぎりだったバランスが崩れ
今ではなし崩し的にわけのわからないものになりつつあります。

人は誰もが秘密を抱えながら生きています。
そして、その秘密を見ないふりするのが家族です。

「阿修羅のごとく」や「岸辺のアルバム」は納得する内容です。
ただし、我が家は家が流れたからといって団結はしないと思いますが。
各人の帰属意識がきわめて希薄な家庭に育ったがゆえに
私自身も何かに帰属することが苦手になっています。

信頼はできませんし、得られません。
疎外感は常に感じますが、どうしようもありません。

それでも、人のふりを見て生きていますから
今のところはなんとかなっているのでしょう。
しかし、それも限界にきている気がしてなりません。

この悲観的なとらえ方。
久々な発想で我ながら驚きました。

ちなみに、私は恋も一種の制度に過ぎないと思っています。
先日、知人との会話の中で(私に)同僚を紹介してくれるという
流れにのってほいほいと相槌をうっておりましたが、興味はありません。
同期が「本当に恋人が必要なの?」と私に問うてきましたが
これが実は一番の私の気持ちに近いものだったので
内心ドキリといたしました。

恋は自己愛の延長で、結婚は制度です。
あらゆる媒体によって再生産され続ける茶番です。

マンガ、小説、ドラマ、もしくは歴史、
さまざまなストーリーによって再生産された「恋愛」を享受し
受容者はさらなる生産者になっていきます。

恋愛幻想によって恋愛競争に駆り立てられ
(婚活なんてその良い例でしょう)
その挙句が結婚という制度の果て。
そもそも、結婚という契約さえも極めてビジネスライクと思いませんか。
・好きだから(=子どもが欲しいから)
・一緒に生活したいから(=生活が楽になるから=永久就職)
みたいなね。
所詮は自分を楽にするための詭弁です。
そして、それって単なる自己愛だと思うんです。

例えば、リクルートのゼクシィのCMを見るたびに思うのは
ビジネスによってウェディングは作り出されているということ。
すなわち、「プロポーズとウェディングの間にある」時間を
あぶりだすことによってゼクシィは成り立っているわけで
そこに商売のうまさがめちゃ際だって見えてくるのです。
(リクルートはそういうところがうまいですね、いつも)

そして、何が書きたかったわけでもないので
きれいにまとめて終わることができそうにありませんが

当たり前の日常を当たり前に受け止めていいんですか?

というところでしょうか。

家族のことから恋愛なんていらねえぜ、という流れですが
これは思ったことをつらつら書いただけで
何かメッセージを発しているわけではないです。
バカ言ってるな、ハハッという感じで読んでください。

文章を書きたい欲、強めな近頃です。
2009年01月19日(月)

そらいろのねこ / コギト