日常茶番事。
管理人のつまらない、ごくごく平凡な日常を晒してみませう。

2002年09月08日(日) 戦争。

夏になると思う事をちらほら語ってみようと思います。


私は広島で生まれました。
親が転勤族な為に、育ちはほぼ愛媛ですが、それでも小学4年生まで広島の山の中で暮らしてたんです。
広島で夏、戦争とくれば、皆さん想像は容易でしょう。
原爆です。
夏になると、小学校でよく歌わされた「禎子の歌」を思い出します。
1番から6番、7番…8番くらいありましたかね…?全校で平和集会という集会をして、そこで一年生は1番、二年生は2番…という風に合唱していくのです。それで、六年生の一番綺麗な歌声を聴いて、最後に全校生徒で合唱するこの歌…。
小さな女の子が被爆し、運良く助かるが、その後原爆症からくる白血病で死んでいくという話です。
私はきっとこの歌の意味など、一年生の頃はよく分からなかったと思います。ただ、「ああ。やっぱり上級生に歌が引き継がれて行くにつれて綺麗な歌声になっていくなぁ…はやくああなりたい」とか漠然と思っていたんです。
して、成長していくと、知識も増え、歌の意味が分かるようになってくるんですね。
学校の遠足で原爆ドームのある平和公園にもいったし、原爆資料館にも行きました。特にこの資料館に展示されている被爆者の様子を模した人形は今でも忘れられません。真っ黒なお弁当箱や止まった時計…人間の影が焼け付いてしまった階段、捻じ曲がった三輪車。
「これは何?」という私の質問にひとつひとつ、説明してくれる大人の回答は衝撃的でした。
資料館は行く度に私に新たな衝撃を与えました。最初は人形のあまりの壮絶さに、ただ怖くて大泣きし、少し成長し、今度は悲しくて泣いていました。

戦争というモノがこの世に存在するという事よりも先に「ゲンバクって大きな爆弾で昔、多くの人間が死んだ」という事実を先に知っていたのです。

時は経ち、小5の春に父親の転勤で広島から愛媛へ…。
父親に「松山(県庁所在地)に転勤だ」と言われて、友人に「私、松山県に転校するんだって…」とそれはもう真剣に寂しそうに言うくらい、頭の悪い子供でしたから、その当時だって「太平洋戦争とはなんぞや…?」ぐらいだったかもしれません。

ただ、原爆の圧倒的な力の恐怖のイメージと、それを作ったのが人間で、落としたのも人間だという愚かしさや悲しさは理解してました。何度「ドラえもんに頼んでタイムマシンで昔に行き、落そうとしている人を止めよう!」と思ったことか…。
禎子の歌を上級生になって歌いたかったというのが、心残りでした。


さて、愛媛。
広島の田舎、山の中で育った私は、県庁所在地に住んでいる子供がとても大人っぽく見えました。何より、小5で「〜ちゃんはXXX君のことが好きでー」とか何とか言っているのが信じられなく、軽いカルチャーショックを受けていました。男子と女子は一緒に遊ぶことは無く、どうやら女の子は昼休みにドッジボールを奪いには行かない様子…。今まで男も女も学校だろうが帰ってからだろうが、サッカーボール蹴って田んぼ道で「外遊び」していた私は、如何に自分が長閑なトコロで生まれたかを自覚しました。
そして、やはりというか何と言うか…「男と女」の区別を付けるのが早いだけあって、何もかもが昔いた小学校よりも進んでいて、新しい学校では勉強もみな平均的にできたのです。私は初めて自分の学力を意識しました。
そして、道徳の時間…。
当然のように原爆や戦争についてかと思いきや、先生が持ってきた画用紙に書いてあるのは「同和」の二文字でした。
そして私は愛媛に来てから2度目のカルチャーショックを受けます。

「同和って、何…?」

広島の学校では習っていたのか、それともはたまたこの性能の宜しい頭が記憶していないだけか知りませんが、当時の私は初めて耳にする言葉と事実に衝撃を受けました。ビデオや発表、本を読むという授業でしたが、とにかく衝撃。
何より、「マセてんなー」と思っていたまわりの子供達が驚きもせず、真剣な表情で授業に取り組む姿が印象的でした。
原爆の存在を知った時と同じような悲しさ、やりきれなさを、私は小5でようやく知ったのです。
同和教育は中学校まではみっちりあり、義務教育を終えた高校でも少し触れていました。
後から知ったのですが、愛媛全体は知りませんが、松山では結構昔から同和教育に力をいれていたそうです。


広島は、いわずもがなの「原爆」。松山は「同和」。
学校のカリキュラムの「道徳」の時間に何をするか。
教師は生徒に何を「道徳」として説くのか。

それぞれの地域によって様々だと、転校をして初めて知りました。
ここまで考えるに至るのに、実に20年。
愛媛を出て、今、ようやく『道徳』の時間に何を伝えたかったのかを学んだ気がします。

今度、広島に行く時は千羽鶴を持って、平和公園に行こうと思います。

私は今でも、ここに立っている
一羽の折り鶴、両手に掲げて

これは僕らの叫びです
これは私らの祈りです

世界に平和を築く為の


以上、堅苦しい身の上話を交えた真夏の徒然語りでした。




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