七転八倒 〜彩音の日常&育児日記〜
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| 2005年03月12日(土) |
幸せな家庭って・・・?? |
先日保護者会を欠席して、ただ息子を学校に迎えに行った時のこと。 まだ時間があったので、近くで休んでいたら、クラスでいちばん口数の少なかったママが 私に声を掛けてきた。 母子共々あまり具合がよくないので、欠席することを告げると、その方はこう言ってくれた。 「○○くん、他の人じゃだめかしら?私でよかったらお迎え行きますよ?」 卒業するお子さんのママで、この前みんなの前で言葉をつまらせていた方。お子さんは号泣していた。 きっときっと、私たちにはわからない苦労をされてきたのだろう。 だから私にも声を掛けてくれたのかもしれない。
他のママたちにも声を掛けられ、「休んだ方がいい」と心配してくれた。
私はいろんな人に支えられて生きている。
ゆうべ、ちょっとしたことで旦那とモメた。 今まで10年以上口答えしてこなかった私が、最近言うようになったせいで、旦那は気分を害することが 多くなった。 以前言われたことがある、「なんで言わないんだ」と。 でも、言わなくても言ってもだめなんだよね・・・きっと。
息子の持ち物に当たってしまった。息子は怒りをあらわにした。当たり前だ。 私はまた泣いてしまった。 「どうしたの?」と息子は心配し、ぎゅうっとして?という態度を示した。私は息子をぎゅっと抱きしめた。 しかもなんでわかるのか、旦那に見えないようにふすまを全部閉めた息子。泣く私にティッシュを何枚も 差し出す息子。 「たーぼーのせいじゃないよ?ごめんね」 それだけ言って、抱きしめた。
息子にまで気をつかわせてしまっている母。こんな母でごめんね。
昔私の母は、周りの人にこう言われたことがある。 「子供はほったらかしたくらいの方が強く育つ」と。 でもその時、母はこう思ったそうだ。 「この子はほったらかしたら育たないのよ!」と。 私はからだが弱かった。ゼンソクも発作がおきるとひどく、母はずっと私の背中をさすっていた。 具合がよくなるなら、注射も入院も苦い漢方薬(煎じるヤツ。漢方医にも母は私を連れて行った)も、 私はまったく平気だった。 私はパジャマのまま「ようちえんにいく!!」と、玄関を出ようとしたことがある。 母が必死で止めていた姿を、今でもよく覚えている。 その光景に、父の姿はない。だから私は昔から母が大好きだった。
以前旦那に、「マザコン」と言われたことがある。 母が好きなのは当然だろう?私に必死になってくれていたのは母だ。 父には確かに、金銭面その他ではお世話になっていたと思うが。
娘である私、母の背を見て育ったせいか、電話ではお互い同じようなことをグチっている。
でも、私はいろんな人に支えられている。母もそれは同じ。 私には息子という小さなナイトがついていてくれるし。
今、「あたしンち」を見て、息子と一緒に笑った。 いいよね、こういう家族。だから見るの好きなんだ。 昨日は、「ドラえもん」を見て、密かに泣いた。「45年前」というタイトルの話で。 45年後ののび太がやって来て、昔を懐かしみ、パパとママに甘えるという話。 そうだね、できるなら私もやってみたい。 のび太が45年後ののび太に、こんなようなことをたずねる。 「どうしてこんなことがしたかったの?」 45年後ののび太が現在ののび太に、このような言葉で答えていた。 「君も大人になったらわかるよ。そうだなぁ、例えば子供が産まれて、自分も親になったら」 うん、私もわかったよ、たーぼーという息子が産まれてから。
私のいちばん望むこと、それは幸せな気持ちになれること。
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