も*う*は*う*け*い*じゃ*な*い*か*ら♪
も*う*は*う*け*い*じゃ*な*い*か*ら♪

2009年03月01日(日) ぼくたちのドラマ

さて
昨年観たくて観逃していた「LOOK」という映画が
DVDでレンタルされていたので
ようやく観たのだが
全編監視カメラでの映像を紡ぎ
赤裸々なプライベート映像と衝撃的な内容
なんて大仰な宣伝文句を謡っていたのだが
数多くの映画がそうであるように
衝撃的なんて謳い文句ほど
衝撃的につまらないのは常識であり
多聞にもれずこの映画も
結論的にはくだらなかったのだけれど
まあ手法的に目新しいのでそこそこ話題になったわけで
映画の粗をここでつくのは私の本意ではなく
確かに
至る所に監視カメラが設置され
様々間日常が記録されることに
多少の恐怖みたいなものは
そりゃ現代人は少なからずあるものだが
この映画は一種のフェイクドキュメンタリーというか
全くのフィクションであり
監視カメラの前で芝居する
もしくは監視カメラ風の映像を作り上げてるだけで
実際にどこまでの監視カメラが
現実に設置されているかはわからないのだけれど
この映画では
試着室やトイレまで
今更そんなことには驚かないのだけれど
もちろん台本があるとはいえ
そういった陰の部分で行われることは
当然犯罪であり
しかも
金と性欲
勿論台本があるとはいえ
しかしアメリカ人は
金と欲だけかいな
人気のないところですることといえば
暗がりですることといえば
全て強盗か性行為
と辟易するほどの性悪説満載の映画なんだけれど
アメリカ特にハリウッド映画が非難されるのは
ストーリーに内容がなく現実に無理がある

それはまた別の話で
とにかく
映画で一番重要な感情移入ができない
それをしてはいけないと言われてるのにしちゃう
そこに行っちゃいけないと言われてるのに行く
生死の境であっても男は自己中心的で女はキーキー喚きやがる
国がでかいという理由だけで
世界の警察と言い張り国連なんぞ無視
それほどにアメリカ人のエゴが強いのは
こりゃお国柄と末端まで教育が行き届かない所以なのだけれど
ぶっちゃけ
馬鹿
そういう映画を観ると
そらイライラしますわ
なんでやねんなんでやねんと
お前がじっとしてたら何も起こらんねんと
お前がでしゃばらんかったら危険は回避できんねんと
最近映画を観るたびに思うわけで
そもそも一昔前のロシア映画やドイツ映画
私は好きではないが韓国映画
そして70年代80年代のアメリカンニューシネマ
政治や歴史それにまつわる主義思想
という理不尽な社会が否応なしに不条理な日常に押し迫る
そこに起きるドラマこそドラマなのであり
ドラマを作為的に無理矢理演出したとこで
何の感動も共感も得らるわけもなく
DVDになろうがテレビでやろうが
もう一度観る気にすらならないわけで
なかなか
良質な映画に出会わないと同様に
良質なAVいうのまた
最近めっきり少ない
確かに
美しい外見の女性の裸及び性行為
を観るのは興奮する
だが
性の多様化
AV業界の無国籍化により
きれいな女性からブサイクな女性まで
様々な性嗜好に対応するために
AV商品も多様化するのは
これごく自然な流れで
それはそれで
悪いことではないどころか
むしろ性的嗜好マイノリティの人間にとって
はたまた
自らの性の可能性を模索する若者にとって
非常に有益であることには
これ間違いないのだが
驚くべきことに
最近の若者は
字幕についていけない
という理由で
吹き替えの映画を観ているという
そう
ゆとり教育の弊害か
国語力の低下を招き
考える
もしくは
感じることを学ばなかった若者にとっては

イコール
興奮
と短絡的に捉えるため
一見多様化するAVにおいても
その質においては
大いに疑問を感じる次第で
つまり
興奮のメカニズムというか
確かに
女性の裸に興奮はするが
その興奮は永遠ではなく
女性の裸に慣れてしまうと
例えば女性の容姿
熟女だとかブサイクだとかデブだとか
例えば状況
車の中だとか公園だとか
例えばアブノーマル
SMだとか同性愛だとかもっともっとディープな世界だとか
女性の裸に慣れると
そういった他の要因に
興奮を求めるわけで
そういう観点においては
AVの多様化は非常に良いことなんだけれど
残念ながら
多様化にも限界があり
確かに性行為のジャンルは数多いのだけれど
それは無数ではなく
確実に限りは
ある
わけで
もちろん
だからこそ
様々な女性が様々なジャンルの垣根を越えて
興奮を導き出すAV業界の自助努力には敬服するのだが
やはりそれにも
いつかは限界に到達するわけで
もちろん
逞しい業界はその度に
新たなジャンルを模索したり王道に帰ったり
資本主義の競争社会に淘汰されまいとあがくのだけれど
そこまでして
店頭に並べられるAVに
最近チンコが
興味を示さない
その理由が
加齢からくるチンコ力の低下だとか
それならまだ良いのだけれど
バセドウ病の治療により
最近の俺チンコはいたって元気
それどころか
エサをねだる犬のように元気なわけで
そこで
思う
昔の黎明期のAVにはドラマがあった
何故彼女はAVに出ざるを得なかったのか
何が彼女をそんなプレイをさせるのか
直接的な表現はないものの
確かに映像から感じ取れたわけで
その垣間見えるドラマこそ
興奮の根本でもあり
それこそが紛れもない
真実の人間ドラマ
なのであり
先のアカデミー賞で話題になった
滝田洋二郎はじめ井筒和幸や周防正行など
そうそうたる面々がポルノ映画出身であるように
もちろん
AVとポルノは全く違うものだが
現在でもAVをたたき上げて映像に進む者や
映画映像の土台にAV業界やポルノ業界があるのは
周知の事実で
性の多様化ゆえに
その質が低下してしまっている感は否めなく
じゃあじゃあじゃあじゃあ
かといって
ぼくらはオナニーをあきらめるのか

ぼくたちはAV業界以上にたくましい
バブル以降の大不況
そしてリーマンショックによる大不況
幾度と変わる国家元首
その度にそのツケが国民に回ってこようとも
ぼくたちはたくましくオナニーを続けてきたのだから
そんなことくらいで
けしてオナニーをあきらめない
興奮しないAVでオナニーするためには
自ら興奮する状況を作り出せば良いのであり
ある者は利き腕と反対の腕でオナニーしたり
ある者は全裸になったり
ある者は家族のそばでコッソリと
そうした試行錯誤こそ
妄想力を高めその発想力こそ
日本の産業基盤を支え
世界経済の一翼を担うまでに
日本の経済力は強くなったわけで
そこで
新たなオナニーを私は発明したのであり
未来のパチンコの発展の為にと
特有の釘の配列の特許を取らず
広く解放した正村ゲージを開発した正村竹一氏のように
ここに
ゴリ式オナニーを公開し
是非一度
皆さん試していただき
そして今度は友人知人はたまた息子孫
日本の将来の為に後世に
ゴリ式オナニーを遺していきたく思う所存であり
方法はいたって簡単
オナニーの前に
映画を観るのである
但し
くだらない映画ではなく
良質な映画
観終わったあとに爽快感やしみじみと感じる映画
はたまた感動の涙を流した映画
不条理な境遇で切なさとやりきれなさを感じる映画
つまり
観終わって何も残らない映画ではなく
何かを感じた映画
エンドロールに余韻を感じる映画
そうした映画のあとに
AVを観てオナニーをすると
詳しいメカニズムはわからんが
なんか興奮する
なんかチンコドキドキ
なんかチンコ元気
ただひとつ言えることは
こうした一連のオナニーにも
ドラマが必要なのである
ぼくたちの
ドラマチックオナニー^
お試しあれ。



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