さて 昨年観たくて観逃していた「LOOK」という映画が DVDでレンタルされていたので ようやく観たのだが 全編監視カメラでの映像を紡ぎ 赤裸々なプライベート映像と衝撃的な内容 なんて大仰な宣伝文句を謡っていたのだが 数多くの映画がそうであるように 衝撃的なんて謳い文句ほど 衝撃的につまらないのは常識であり 多聞にもれずこの映画も 結論的にはくだらなかったのだけれど まあ手法的に目新しいのでそこそこ話題になったわけで 映画の粗をここでつくのは私の本意ではなく 確かに 至る所に監視カメラが設置され 様々間日常が記録されることに 多少の恐怖みたいなものは そりゃ現代人は少なからずあるものだが この映画は一種のフェイクドキュメンタリーというか 全くのフィクションであり 監視カメラの前で芝居する もしくは監視カメラ風の映像を作り上げてるだけで 実際にどこまでの監視カメラが 現実に設置されているかはわからないのだけれど この映画では 試着室やトイレまで 今更そんなことには驚かないのだけれど もちろん台本があるとはいえ そういった陰の部分で行われることは 当然犯罪であり しかも 金と性欲 勿論台本があるとはいえ しかしアメリカ人は 金と欲だけかいな 人気のないところですることといえば 暗がりですることといえば 全て強盗か性行為 と辟易するほどの性悪説満載の映画なんだけれど アメリカ特にハリウッド映画が非難されるのは ストーリーに内容がなく現実に無理がある 否 それはまた別の話で とにかく 映画で一番重要な感情移入ができない それをしてはいけないと言われてるのにしちゃう そこに行っちゃいけないと言われてるのに行く 生死の境であっても男は自己中心的で女はキーキー喚きやがる 国がでかいという理由だけで 世界の警察と言い張り国連なんぞ無視 それほどにアメリカ人のエゴが強いのは こりゃお国柄と末端まで教育が行き届かない所以なのだけれど ぶっちゃけ 馬鹿 そういう映画を観ると そらイライラしますわ なんでやねんなんでやねんと お前がじっとしてたら何も起こらんねんと お前がでしゃばらんかったら危険は回避できんねんと 最近映画を観るたびに思うわけで そもそも一昔前のロシア映画やドイツ映画 私は好きではないが韓国映画 そして70年代80年代のアメリカンニューシネマ 政治や歴史それにまつわる主義思想 という理不尽な社会が否応なしに不条理な日常に押し迫る そこに起きるドラマこそドラマなのであり ドラマを作為的に無理矢理演出したとこで 何の感動も共感も得らるわけもなく DVDになろうがテレビでやろうが もう一度観る気にすらならないわけで なかなか 良質な映画に出会わないと同様に 良質なAVいうのまた 最近めっきり少ない 確かに 美しい外見の女性の裸及び性行為 を観るのは興奮する だが 性の多様化 AV業界の無国籍化により きれいな女性からブサイクな女性まで 様々な性嗜好に対応するために AV商品も多様化するのは これごく自然な流れで それはそれで 悪いことではないどころか むしろ性的嗜好マイノリティの人間にとって はたまた 自らの性の可能性を模索する若者にとって 非常に有益であることには これ間違いないのだが 驚くべきことに 最近の若者は 字幕についていけない という理由で 吹き替えの映画を観ているという そう ゆとり教育の弊害か 国語力の低下を招き 考える もしくは 感じることを学ばなかった若者にとっては 裸 イコール 興奮 と短絡的に捉えるため 一見多様化するAVにおいても その質においては 大いに疑問を感じる次第で つまり 興奮のメカニズムというか 確かに 女性の裸に興奮はするが その興奮は永遠ではなく 女性の裸に慣れてしまうと 例えば女性の容姿 熟女だとかブサイクだとかデブだとか 例えば状況 車の中だとか公園だとか 例えばアブノーマル SMだとか同性愛だとかもっともっとディープな世界だとか 女性の裸に慣れると そういった他の要因に 興奮を求めるわけで そういう観点においては AVの多様化は非常に良いことなんだけれど 残念ながら 多様化にも限界があり 確かに性行為のジャンルは数多いのだけれど それは無数ではなく 確実に限りは ある わけで もちろん だからこそ 様々な女性が様々なジャンルの垣根を越えて 興奮を導き出すAV業界の自助努力には敬服するのだが やはりそれにも いつかは限界に到達するわけで もちろん 逞しい業界はその度に 新たなジャンルを模索したり王道に帰ったり 資本主義の競争社会に淘汰されまいとあがくのだけれど そこまでして 店頭に並べられるAVに 最近チンコが 興味を示さない その理由が 加齢からくるチンコ力の低下だとか それならまだ良いのだけれど バセドウ病の治療により 最近の俺チンコはいたって元気 それどころか エサをねだる犬のように元気なわけで そこで 思う 昔の黎明期のAVにはドラマがあった 何故彼女はAVに出ざるを得なかったのか 何が彼女をそんなプレイをさせるのか 直接的な表現はないものの 確かに映像から感じ取れたわけで その垣間見えるドラマこそ 興奮の根本でもあり それこそが紛れもない 真実の人間ドラマ なのであり 先のアカデミー賞で話題になった 滝田洋二郎はじめ井筒和幸や周防正行など そうそうたる面々がポルノ映画出身であるように もちろん AVとポルノは全く違うものだが 現在でもAVをたたき上げて映像に進む者や 映画映像の土台にAV業界やポルノ業界があるのは 周知の事実で 性の多様化ゆえに その質が低下してしまっている感は否めなく じゃあじゃあじゃあじゃあ かといって ぼくらはオナニーをあきらめるのか 否 ぼくたちはAV業界以上にたくましい バブル以降の大不況 そしてリーマンショックによる大不況 幾度と変わる国家元首 その度にそのツケが国民に回ってこようとも ぼくたちはたくましくオナニーを続けてきたのだから そんなことくらいで けしてオナニーをあきらめない 興奮しないAVでオナニーするためには 自ら興奮する状況を作り出せば良いのであり ある者は利き腕と反対の腕でオナニーしたり ある者は全裸になったり ある者は家族のそばでコッソリと そうした試行錯誤こそ 妄想力を高めその発想力こそ 日本の産業基盤を支え 世界経済の一翼を担うまでに 日本の経済力は強くなったわけで そこで 新たなオナニーを私は発明したのであり 未来のパチンコの発展の為にと 特有の釘の配列の特許を取らず 広く解放した正村ゲージを開発した正村竹一氏のように ここに ゴリ式オナニーを公開し 是非一度 皆さん試していただき そして今度は友人知人はたまた息子孫 日本の将来の為に後世に ゴリ式オナニーを遺していきたく思う所存であり 方法はいたって簡単 オナニーの前に 映画を観るのである 但し くだらない映画ではなく 良質な映画 観終わったあとに爽快感やしみじみと感じる映画 はたまた感動の涙を流した映画 不条理な境遇で切なさとやりきれなさを感じる映画 つまり 観終わって何も残らない映画ではなく 何かを感じた映画 エンドロールに余韻を感じる映画 そうした映画のあとに AVを観てオナニーをすると 詳しいメカニズムはわからんが なんか興奮する なんかチンコドキドキ なんかチンコ元気 ただひとつ言えることは こうした一連のオナニーにも ドラマが必要なのである ぼくたちの ドラマチックオナニー^ お試しあれ。
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