懐古 - 2004年12月04日(土) 今日は母方の祖父の七年忌でした。 いろいろ思い出すことがあります。 祖父母は私たちの住むところから車で2時間の、 結構な山奥の中に住んでいました。 語弊があるので記しておくと、高さとしては丘という程度ですので 鬱蒼とした林の中、というのが正しいでしょうか。 よくイノシシが出ました。 祖父は炭焼きをしていて。みかん畑をやっていて。芭蕉の葉を煮て。 祖母は祖母が煮た葉から芭蕉布という、沖縄の織物の糸を紡いでいました。 染める前の芭蕉の糸は金色。私はとてもそれが好きだった。 祖母は80歳を越えても、黒々とした長い髪をしていました。 女性が短い髪、というのは彼女の常識ではあり得なかったようで 母は髪を切って物凄く怒られたそうです。 きっと私が高校の頃角刈りのような頭をしているのを見たら 卒倒するか、延々と説教されたことでしょう。 しかしながら彼女は大変我慢強い人だったようで説話はいろいろあります。 母の兄弟は集まると、必ず彼女の話になる。 祖母は喘息持ちで、ネブライザーが手放せなくて 周りに殆ど家のないあんな場所になぜ二人だけでいたのか 昔は不思議に思いました。 でも今なら何となく解る気がする。 祖母は長い入院後、退院しあの家で亡くなりました。 それは私の中学生の頃。 祖父は時々竹を取りに行く、と行って 獣道を通って山の中に連れて行ってくれることがありました。 鬱蒼として。それでいてひんやりとして。小川があって。 その場所がとても気に入っていた。 ある日みかん畑に弟と二人、遊びに行くと 2匹のウリ坊と遭遇してしまったことがあります。 さてどうしたものか、と微動もできずウリ坊と見詰め合っていたのですが そのうちふいっ、とウリ坊はどこかに行ってしまった。 そのことを祖父に話すと。そのウリ坊の親は死んでしまったとのこと。 あの2匹はこれから生きていかれないかもしれない、と話す祖父が 何だか淋しげだったのを覚えている。 家の裏には山羊小屋があって、つがいの山羊が飼われていました。 ある日。妙に甲高い鳴き声がしたので行ってみると子山羊が。 祖母に「いつ子山羊が生まれたの?」と聞くと 「そんなものはいない。」と言われてしまい。 いやいるんだけど、と言って皆で見に行ったら2匹目が生まれるとこだった。 生まれるところを見ただけに愛着もあったのですが ある日見に行ったら食されていました。ちょっと泣きたかった。 山から帰るとき。 祖父は私たちの車が去るのをずうっと見つめていた。 それがあまりに淋しくて幼心に後ろ髪が引かれた。 その祖父は祖母が亡くなって、山を降りた。 山での時のように畑ができなくて。辛そうで。 胃癌を発病して。恐らく発見時には手術ができない状態だったのだろう。 入院して。亡くなった。 看護婦が気が付いたときには死後硬直が始まっていたらしい。 誰も看取ってあげることができなかった。 それが何より悔しい。 いろいろなことを思い出す。 -
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