DEAD OR BASEBALL!

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Vol.205 “球界の常識”へのアンチテーゼ
2010年10月06日(水)

 セ・リーグ優勝を果たした中日ドラゴンズが、クライマックスシリーズ第2ステージを控えた今、一軍登録されている全選手を登録抹消したという。以下はサンケイスポーツの記事の引用である。

 セ・リーグ優勝の中日が4日、出場選手登録していた全28選手を登録から外した。
10日間は再登録できないが、中日は20日開幕のクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージまで試合がなく、落合監督は全日程が終了した2日に「一度真っさらにして(CSで)誰が使えるか見ていく」と話していた。

 これに対し、球団から相談を受けたというセ・リーグの大柿和則統括は「抹消を禁じる規定はないが、懸念材料はあると説明した」と語った。フリーエージェント(FA)資格取得の条件となる登録日数はCS終了まで加算されるためで、選手には影響が及ぶ。

 日本プロ野球選手会の関係者は「チーム戦略上の抹消は登録日数に加えるなど、選手が不利益をこうむらないように野球協約と現実との整合性を確認することが必要」と、日本プロ野球組織と協議する考えを示した。


 これまでに例を見ない奇策であるが、落合らしい合理精神に基づいた考え方でもある。しかし同時に、落合博満という人物は、「理解しづらい」タイプの人物でもある。何故かというと、落合の言動や行動様式には、ひどくひねくれた天邪鬼的な部分があるからだ。

 現役時代から落合の言動は、巷の野球人や野球ファンに波紋を投げかけ続けてきたように思う。それは、落合の言動がいわゆる“球界の常識”から逸脱した価値観に彩られ続けているからだろう。

 ロッテ時代は史上最多となる3度の三冠王という輝かしい実績を築き、「人気のセ」と呼ばれたセ・リーグへの価値観――それは巨人中心の球界という価値観も含まれていたであろう――に真っ向からアンチテーゼを唱えていた落合。だが、後に落合はトレードで中日に移籍し、中日躍進の原動力として存在感を示した後、FA資格を行使して巨人への移籍を果たす。

 憧れの対象だからこそ、それを克服する為に真逆の態度を取る……本人は認めないだろうが、落合が40歳にしてFA宣言をし、「憧れの長嶋(茂雄・現巨人終身名誉監督)さんに誘われたらやるしかない」と巨人へ移籍したことを振り返ると、落合の根底には常に注目を浴びるセ・リーグ的価値観、その頂点にいる巨人的価値観に対する、強い憧れがあったことが窺える。

 ロッテ時代の無頼派のような落合に惹かれていたファンにしてみれば、落合が巨人的価値観に身を染めていった流れは、変節、或いは裏切りという言葉に置き換えられるものかもしれない。しかし私は、落合の根底というものは年月を経ても、盤石の実績を積み重ねても、さほど変わってはいないように見える。憧れや嫉妬があれば、それを見せないように敢えて突き放す……そういう人間臭さが、落合の根底ではないかと思うからだ。

 95年に名球会への入会資格を得ながら、落合は名球会への入会を拒んでいる。資格を有しながら名球会の会員になっていないのは、落合と榎本喜八、江夏豊の3人だけである。名球会は野球人の憧れであり、入れて頂けるだけでもありがたいという球界の価値観……もっと言えば“球界の常識”に対して、落合は何らかの理由でノーを突き付けたのではないだろうか。

 特に江夏にも感じることだが、落合は権力や巨大な価値観というものに対して、旺盛な反発心を発揮したがるような部分があるように見える。周囲が当たり前と思っていることに対して、「オレはそう思わねえな」という部分があれば、強烈なねじれを発揮してひねくれたがる性分があるように思えて仕方ないのだ。

 今回のクライマックスシリーズ前に全選手の一軍登録を抹消するというのも、恐らく“球界の常識”から捉えたら前例がないし、考えられなかったことだろう。一軍選手の危機感を煽り、二軍選手のモチベーションを上げる方策としては、確かに合理的ではある。ただし、セ・リーグの大柿統括が懸念するように、FA資格取得の日数などの面から、選手にとっての不利益が生じるのも事実だろう。

 「やってはいけないっていう決まりがないんだから、やっていいだろう」というのが落合の価値観だろうと思う。それは確かに間違いではないが、選手や周囲の関係者とのコンセンサスがきちんと取れているかというと、恐らく取れていないだろう。落合にしてみれば「そんなことの同意なんて、いちいち取る必要がない」ということなのだろうが、時にそんな受け答えが落合という監督のイメージを冷淡なものにしている印象がある。

 「勝つ為にやっているんだから、勝てば全て認められる」というのが、監督としての落合の基本理念であると思う。それ故に、落合の策というのは理解しづらい面があるのも確かだろう。

 代表的な“事件”は、07年の日本シリーズ第5戦で、8回までパーフェクトピッチングをしていた山井大介を9回で降板させた件だろう。あの継投は、当時も様々な議論を巻き起こした。勝利の為には最善の策だったという声もあれば、あそこで山井を降ろすなんて山井本人にもファンに対しても失礼だという声もあった。

 落合にしてみれば「勝つ為にやった」ということだろうし、賛同する声も批判する声もどちらも間違いではないと私は思った。ただし、あそこで山井の日本シリーズでの完全試合という快挙のチャンスを奪ったことで、山井という投手の将来を一つ潰したとは思ったし、スイッチした岩瀬仁紀がもし逆転でも許していたら岩瀬にも多大な傷を負わせることになっただろうなとも思った。その意味で、落合というのは選手に対して冷徹な監督なんだなという印象を、あの時から持っている。

 昨年のペナントレースでは、防御率1位を独走するチェンを先発させて、最多勝争いを繰り広げていた吉見一起に勝ち星を誘導させたこともあった。チェンを3〜4回まで投げさせた後、吉見にスイッチして勝ち星を吉見に付けようとしたというものだ。

 確かに、勝ち星を与える為には手っ取り早いし合理的でもある。しかし、左のエースでありながら吉見の最多勝の為に“利用された”チェンのプライドは傷付いただろうと思うし、そうまでして勝ち星を与えられた吉見自身も右のエースとしてのプライドが傷付いたのではないかと思った。吉見は結果として最多勝を手にしたが、そのタイトルに翳りを作ることにもなり得るし、ファンの目も厳しくなるだろうと思った。

 第2回ワールドベースボールクラシック(WBC)への代表選手派遣に対して、非協力的な態度を貫いたのも昨年だ。「文句がある奴はオレのところに来い。説明してやるよ」という尊大な態度は、サムライジャパンに対して期待していたファンを少なからず不愉快にするものであったし、WBC連覇を果たした歓喜から中日だけ取り残されたのは、単純に選手のモチベーションに悪影響を与えるのではないかと思った。

 監督としての落合は、「勝てばいい」という行動原理によって、あらゆることを動かしているように見える。確かに冷静になって考えれば、その合理性は一般社会の常識と重なり合う部分も少なくない。それでも理解されづらいのは、合理性に全てを集約するが故に選手の将来性や帰属意識、選手やファンも含めた人に対しての気配りを蔑ろにし過ぎているというように見えてしまうからではないだろうか。

 “球界の常識”から逸脱し続け、そのことに対するブレがないというのが、落合博満という野球人の特色であると思う。そして、落合は監督に就任後、その逸脱っぷりを維持したまま結果を残し続けている。在任7年目でBクラスに転落したことはなく、優勝は今年を含め3回、日本一にも1度輝いている。この実績は半端なものではなく、球団史上に残る名監督の成績だろう。

 それでも落合という監督の評価が難しいのは、落合の采配や言動、更に言えば選手や球界に対するスタンスが理解されづらく、時に傲慢で配慮に欠けているように見えてしまうからではないだろうか。“球界の常識”と決して相容れない落合は、存在そのものが球界へのアンチテーゼである。恐らく落合が落合でいる限り、球界で理解を得ることはほとんどないようにすら思う。

 “球界の天邪鬼”と言っていい落合は、実は球界でもトップレベルの常識人なのではないかと思っている。ただし、一般社会の常識と“球界の常識”は、決して交わり得ない部分があるのも確かだろう。落合は史上稀に見る大選手であり、史上稀に見る名監督である。それでも、巨人と同様に巨大マスコミがバックについていながら、今の中日が巨人や阪神のような全国的な人気を得られていない理由は、そのあたりの印象も関係しているのだろう。

 もしかしたら落合は、ユニフォームを着ている間ではなく、もっと先の未来に、全く違った形で評価される可能性のある野球人なのかもしれない。そうなれば、それもまた天邪鬼、アンチテーゼとしての落合らしいかなという気がしてくる。



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