DEAD OR BASEBALL!

oz【MAIL

Vol.193 はじまりは今
2004年12月30日(木)

 全ての物事は、後になってから歴史がその正しさを証明するという。ならば、この激動に次ぐ激動に見舞われた2004年という年は、プロ野球界にとって後にどのような年として評価されることになるのだろうか。

 “球界再編”というキーワードで括られた一連の大騒動は、今年急に降って湧いたような話ではない。ただ、これまでに積もりに積もったものが、2月に持ち上がった近鉄球団のネーミングライツ問題を発端に、一つの設計図に従って急速に動き出した。これは間違いないと思う。

 6月に発表された近鉄とオリックスの合併問題以降の流れを、今回改めて取り上げる気はない。ただ、いまからして思えば、プロ野球に寄り添う全ての人間にとって、「プロ野球とは何か」という命題をあらゆる角度から考える契機としては、ある意味で最も刺激的だったのではないか、とも思うのだ。

 そのことに正解はない、というのが持論ではあるのだが、ファンや選手がプロ野球という砦を守る為に考え、声を上げ、動いた事実は、一ファンの自分からしても衝撃的だった。

 結局近鉄はオリックスに吸収された形になり、楽天という新規球団が参入することになった。近鉄の合併消滅を阻止するという流れが途中から12球団制維持に摩り替わり、セ・パ6球団が維持されたことでハッピーエンドのような雰囲気も流れたが、選手会と経営者側の合意会見で見せた礒部公一の涙の意味は、水に流していいものではない。

 今年1年は、あらゆる意味でプロ野球にとって大手術が施されようとした年だった。肝心なのは、「大手術を施した年」ではないということだ。オリックスと近鉄の合併、楽天球団誕生、ダイエーからソフトバンクへの経営母体移動、これで球界再編騒動が一段落ついた訳ではない。

 今年はまだ、手術への計画書がある程度出揃ったという段階だろう。問題点はかなりのところまで表に出されたと思う。それについて、どのように処置すればいいかというカンファレンスも進められた。しかし、肝心のメスはまだ入っていない。

 「ストライキが起きれば責任を取って辞める」と言った根来泰周コミッショナーは、後任不在の事情から来年以降の続投が決まったという。あれだけの騒動の中、イニシアチブを放棄し、「我関せず」の姿勢で他人事を決め込んでいたコミッショナーの続投決定。言い方はきついが、これは一連の騒動でまだ膿すら出し切っていないことの証明だろう。

 一つのきっかけとしては、間違いなく大きかったと思う。ファンの支持を見ても、多くの人が選手会の指針に賛同し、期待しているだろう。反面、一連の騒動でプロ野球から離れていった人もいると思う。いい意味でも悪い意味でも、いまのプロ野球は多くの人の視線を集めている。それは結局、「プロ野球ってこの先どうなるのよ?」というものでしかない。

 試合を観ることから離れていったファンも、「どうなるのよ?」という視線まではまだ捨てていないだろう。プロ野球にまつわる様々な汚さに嫌気が差したファンなら、「プロ野球はこんなにすっきりしました。だからもっと面白くなりました」ということを示せば、いずれ必ず帰ってくる。

 その逆をいくこと、即ち「結局何も変わってないじゃん」と思われることが、プロ野球にとって最大の致命傷になる気がする。その意味でも、今年の騒動は今年で終わりではない。終わりにしてはならない。今年がはじまりなのだ。

 今年を終わりにしない為に、我々ができることは何だろうか。

 巨人の渡邊前オーナーの「たかが選手が」発言に、選手だけでなくファンも反発した。選手を応援しているのはファンである。つまり、「たかが選手が」の向こう側には「たかがファンが」という本音が経営者側にあることを、多くのファンが無意識に感じた。

 そこで上がったファンの怒りを、恐らく経営者側は予測していなかっただろう。予測されていなかった怒りは、ストライキという選手会側にとって禁断のジョーカーがファンの支持を集めるという、半ば異常と言ってもいい状況にも現れた。

 選手の頑張りに歓声を送るとき、私達は間違いなく嬉しい表情をしている筈だ。なぜなら、私達は野球が好きで、最高のパフォーマンスを示してくれる選手たちが好きだからだろう。

 再編騒動の渦中で主役に“押し上げられた”形の古田敦也は、スポーツナビのインタビューで「野球をやっていて、最高の瞬間というのはいつですか」と訪ねられた時、「やっぱり、最高の瞬間っていうのは、スタンドにいるファンが沸いたときかな。だってプロ野球はファンがあってのプロ野球じゃない」と答えたと言う。選手にとっても、ファンの声援というのは大きな力なのだろう。

 ファンは野球を必要とし、選手を愛している。選手は野球を必要とし、ファンを愛している。青臭いかもしれないが、そんな当たり前の関係をファンと選手が改めて見直し、新たに築いていければ、それはプロ野球そのものにとって幸せなことではないだろうか。

 報道を見る限り、一部の経営者は、まだ縮小路線への野望を捨て去っていないようなフシがある。単純にプロ野球という場を狭めようとするその意思は、私達からプロ野球を取り上げようとすることとイコールだと思う。経営者側にも思惑や事情はあるだろうが、一介の野球好きとしては単純に「それは嫌だよ」と思う。

 結局のところ私達ができることというのは、単純に野球を好きでいるということだけなのかもしれない。素晴らしいプレーを見せてくれた選手には惜しみない歓声を送り、しょっぱいプレーをした選手には「なんだよ」と思う。プロスポーツを盛り上げているのはファンの存在が極めて大きいのだろうが、裏を返せば、盛り上げることしか私達にはできないのかもしれない。

 ならば、できるだけ多くの試合を観て、できるだけ多くの歓声を上げたいと思う。

 様々な場所で起きた古田コールは、本来はグラウンドで注がれるべきものである筈だ。グラウンド以外で、グラウンドの外の活動に対してそのような歓声が上がることは、果たしてプロ野球にとって本当に幸せなことだったのか。

 それもまた、後に歴史が証明してくれることかもしれない。だが、歴史が証明する前にプロ野球が消滅していれば、元も子もない。そしてその危機を回避する為の長い長い大手術は、まだ始まってすらいない。

 何が起きたのか。何が起ころうとしているのか。それに目を配りつつ、それでもプロ野球を愛し、選手に声援を送り続けることが、自分なりの2004年のプロ野球界に対する結論であり、2005年の目標である。

 まだ何も終わってはいない。はじまりは今、なのだ。



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