DEAD OR BASEBALL!

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Vol.192 誰が為にとんぼは舞う
2004年12月04日(土)

 それもまた、清原和博という生き方なのかもしれない。

 本音を言えば、契約期間が1年残っている選手がわざわざ“残留会見”なるものを開くことには、はっきり言えば何の意味もないと思う。契約破棄で他球団移籍なら確かに事だが、そうではなく従来の契約通りの残留という結論に落ち着いたことは、本来会見に価することではないというのが正直なところだ。

 清原の去就を巡る報道が過熱し過ぎた、と言うよりは、それこそが清原の存在感であると言うことしかできない。どこまでもドラマチックな男。どこまでもドラマチックになってしまう男。

 成績にムラが色濃く現れ、故障で満足に出場を続けることのできない選手が、ファンからあれだけの絶対的な支持を集め、打席に立てば長渕剛の「とんぼ」が球場中に響き渡る。こんな選手は、過去に遡ってもちょっと記憶にない。

 PL学園高時代の甲子園での活躍は、いまさら言うまでもない。甲子園通算13本塁打は、今昔の同僚である桑田真澄、上宮高時代は高校最強スラッガーの呼び声高かった元木大介の6本を大きく突き放す歴代トップ。3年夏には5本塁打を放ち、朝日放送の植草貞夫アナウンサーによる「甲子園は清原の為にあるのか!」という名言も生まれた。

 ドラフトでの因縁。巨人との日本シリーズで見せた涙。FA権を行使しての巨人入り。渡邊前オーナーの「邪魔をしなければいい」発言。通算2000本安打達成。堀内監督の起用法を巡る去就。

 清原のドラマには、常に巨人の影が色濃く映る。西武に入団した86年には高校卒のルーキーとしては歴代1位タイの31本塁打を記録し、.304の打率に78打点の凄まじい成績を記録。モンスター振りを存分に発揮した西武時代の打棒は、巨人移籍以降の成績とインパクトを遥かに上回る。西武在籍の11年間で8度のリーグ優勝、6度の日本一を経験し、野茂英雄や伊良部秀輝との名勝負の中でも“王者西武の主砲”という存在感は不動のものだった。

 高校時代から西武時代まで、記録を辿れば清原の野球人生は順風満帆だったように見える。西武での晩年はやや精彩を欠いた感があったが、その時期と重なって清原はFA権を取得。かねてからの念願だった巨人入団を果たすのだが、そこから始まる清原の第2のプロ野球人生は、非情とも取れる苛烈さと同時に、西武時代の面影をあらゆる面で吹っ飛ばすようなドラマを清原に植え付けていく。

 話はドラフト当日に戻るのだが、当初は相思相愛と思われていた巨人が桑田を1位指名し、6球団による抽選で清原の交渉権が西武に決まった時、清原は唇を真一文字に結び、涙を目に浮かべながら何とも形容しがたい表情でモニターを見据えていた。巨人との“因縁”はそこから複雑な螺旋を描いて今に至る訳だが、その歴史はまさしく“愛憎”という一言に尽きる。

 87年の巨人との日本シリーズ。前述したように清原は、日本一まであと1イニングという局面で、一塁ベース上に立って人目も憚らず涙を浮かべた。二塁手の辻発彦が『まだ終わりじゃないぞ。しっかり前を見ろ』となだめた場面は、テレビ中継でも大きく映された為、ひどく印象に残っている。

 相思相愛だと思っていた巨人が、自分を裏切って同僚の桑田を指名した。KKコンビの愛称で親しまれた桑田と清原。だがマスコミの表記は常に「桑田・清原」の順。

 プロ野球界には今後絶対に抜かれないだろうなという記録がある。金田正一の通算400勝、江夏豊のシーズン401奪三振、王貞治の通算868本塁打、福本豊のシーズン106盗塁&通算1065盗塁、稲尾和久とビクトル・スタルヒンのシーズン42勝……探せばまだあるかもしれないが、これらの記録は今後絶対に更新されないと断言できる。が、高校球界で今後絶対に抜かれないと断言できるのは、清原の甲子園通算13本塁打と桑田の甲子園通算20勝ぐらいのものだろう。この2つの記録はどちらが上という比較ができる類のものではなく、共に双璧、絶対不可侵と言える超絶ものの記録である。

 その清原が常に桑田の後ろで呼ばれ、念願だった巨人は土壇場で清原をソデにして桑田を1位指名した。清原の心中は察するに余りある。87年の日本シリーズで見せた清原の涙には、やっとここまで来た、巨人を倒す為にここまで来た、という清原の感情が迸っていた。

 二人の軌跡は96年オフの清原巨人入団と共に再び交わることになるのだが、清原と巨人の関係はそうではない。むしろ清原の巨人入団と相俟って、この二者の関係はさらに奇妙に、そして深くねじれていったように見える。

 清原を半ば“放出”した格好に見える西武。なぜそう見えるかというと、清原を失った西武は、97・98年と2年連続してリーグ制覇を果たすからである。

 97年200盗塁、98年145盗塁と圧倒的な機動力を駆使しての連覇は、結果的にはまさしく「逆清原効果」。奇しくも清原と同じPL学園出身の松井稼頭央が核弾頭で台頭し、投手陣では西口文也を中心とした若い戦力で覇権を握った新生ライオンズ。このタイミングは、清原の放出と決して無関係ではない。

 巨人移籍後の清原は苦しんだ。移籍1年目には32本塁打、95打点と充分な数字を挙げたが、前半戦での大ブレーキが印象を悪くした感が強く、Bクラス転落の戦犯扱い。西武での晩年時代を知らないファンが清原和博という名前に必要以上の幻想を抱き、数字上では次第点の成績を残しながら苛烈な反応を見せたというのも、清原の心に微妙なねじれを生じさせたように思えてならない。

 その後、成績は下降線を辿り続ける。加えて、危機感から本格的に取り組んだ肉体改造により、かえって体の柔軟さを失い故障が増えるという悪循環に陥り、それは今も続いている。00年には渡邊前オーナーが故障で開幕を離脱した清原に対して『これで勝てる要因が増えた』とまで発言。この暴言は、清原の巨人に対するねじれを決定的にさせたように見える。

 01年は134試合に出場し、打率.298、29本塁打。打点はシーズン最終盤までペタジーニと激しく打点王を争う121打点。惜しくも“無冠の帝王”返上はならなかったが、清原復活を印象付ける年として、長嶋茂雄監督のラストイヤーに華を添えた。同時に、この劇的と言うにはあまりに生々しい活躍は、かつて清原に野次を飛ばしていたファンの評価を逆転させるきっかけにもなる。

 清原はこれまで、少なくとも2度、巨人に裏切られている。1つ目は言うまでもなくドラフト、2つ目は前述の渡邊前オーナーの発言である。最初の裏切りは、愛憎の裏返しという形で巨人への強烈な負けん気になり、日本シリーズやオールスターゲームでの超人的な勝負強さに転化された。

 しかし、2度目の裏切りは、かえって清原の巨人に対する感情を、むしろ頑なにねじり、縛り付けたように見えて仕方ない。そして今回の去就騒動も、あの時に感じた匂いにどこかしら似ているように思うのだ。

 清原の野球人生は、先ほど高校から西武までは順風満帆だったように見えると書いたが、節目節目では大きなうねりを経ている。巨人移籍後は、マスコミ体質もあって、それがさらに助長された。なぜなら、清原は存在するだけでドラマ性があるからである。

 「番長」の名で親しまれるように、清原はファンとの密着感を感じさせてくれる選手だ。生え抜きでエリートの匂いがする高橋由伸よりも、遥かに距離感が近い。高橋とファンの距離が遠いと言っている訳ではない。それは、清原の持つドラマ性との差に尽きる。清原は特に巨人移籍後の波乱万丈な野球人生が、ファンの胸を打つ。そのキャラクター性もあり、ファンが感情移入するキャパシティが尋常ではない。

 恐らくそのキャパシティは、清原が巨人に移籍しなければ生まれなかった産物である。その引き換えとして、清原は順風満帆な野球人生を失った。それでも故障や挫折と戦いながら劇的な一発を放つ清原に対して、ファンは「とんぼ」の大合唱で清原と一体になろうとする。

 選手として考えた場合、今の巨人に恐らく、清原の居場所はない。堀内監督が清原を干す考えならば、清原にとって巨人残留はいい選択だったとはとても言えないだろう。それでも清原は、巨人残留の道を選んだ。ファンフェスタでのファンの声援を受けて気持ちが固まった、と伝えられている。

 選手として活躍するなら、清原と巨人の相性は多分現時点で最悪だろう。それでも清原は来期も巨人のユニホームに袖を通す。清原がずっと巨人でプレーし続けたいと願えば、ファンも清原を応援し続けるだろう。だが、野球人としての、プレーヤーとしてのけじめは、バットで返すしかない。渡邊前オーナーの暴言に対するけじめは、誰にも文句を言わせない成績でつけるしかない。そしてその決着はまだついていない。

 それもまた、清原和博という生き方なのかもしれない。清原和博という大河ドラマの一節に過ぎないのかもしれない。

 清原和博という選手がいる。来年38歳。節目の20年目。彼は来年、どんなドラマを生み出すのだろう。



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