DEAD OR BASEBALL!

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Vol.190 「古田型」と「伊東型」
2004年10月31日(日)

 ヤクルトの古田敦也と、西武の伊東勤。90年代のセ・パを代表するスーパーキャッチャーは、度々その配球面が比較された。

 古田の配球は、内角攻めを有効に使った強気の攻め。伊東の配球は、外角低めを基本線に置いた無難でオーソドックスな攻め。そう括られることが多いが、その背景にあるものは、2人がリードした投手の差という見方が強い。

 渡辺久信、郭泰源、工藤公康、石井丈裕らから、松坂大輔、西口文也、森慎二、豊田清らという現在の系譜まで、90年代以降の西武の投手陣はストレートに頼れる本格派がズラリと並ぶ。対して古田の在籍したヤクルトは、テリー・ブロス、石井一久、伊藤智仁らを擁した一時期を除き、ストレートに頼れる投手がズラリ揃うということはなかった。

 この点が、困った時は外角低めのストレートでいいという伊東のリードと、抑える為には内角も鋭く衝いて揺さぶりをかけねばならないという古田のリードに現れている。それが一般的な見方だろう。

 「再生工場」という言葉がクローズアップされたように、野村政権下以降のヤクルトでは、故障明けの選手や他球団から放出された選手をうまく活用しては戦力として機能させてきた。日本一になった97年を例に挙げると、投手で言えば、田畑一也、吉井理人、加藤博人、野中徹博、廣田浩章らが「再生組」に挙げられる。共通点としては、かつては速球派で鳴らしたにしろ元々速球派ではなかったにしろ、当時は150km級のストレートを操る力を持っていなかったという点だろう。

 古田の配球で注目度が上がった球種に、シュートが挙げられる。今年引退した川崎憲次郎が99年に17勝を挙げて最多勝に輝いた時、躍進の要因に挙げられたのがシュート習得だった。特に顕著なのが、元々スライダーを得意としていた投手にスライダーと逆方向の変化球であるシュートを習得させることで、ベースの横幅を広く使った攻め方を可能にさせること。

 ヤクルトに移籍した選手、特に実績のない投手が好投した際、決まって口にするのが「古田さんのミットだけ目掛けて投げた」ということ。投手から絶大な支持を集める古田のリードは、その投手の死球数が飛躍的に増える傾向からも、内角を攻める率が他の捕手に比べて高い傾向がある。

 本来、内角を厳しく攻め続けるには、シュートを使う使わないに限らず、ボールが抜けないだけの確かなコントロールが前提となる。死球が多くなるのは、内角を攻め抜いた副産物でもあるが、単純に投手のコントロールが悪いという要因もあるだろう。

 それでも古田の配球が注目され、賞賛された点は、古田敦也という捕手としての絶対的なカリスマ性によるところが大きい気がする。投手が集中力として挙げる「古田さんの配球なら間違いない」という思い。死球が増えようが内角攻めが裏目に出ようが、揺らぐことのない古田への信頼感は、結果的には投手の迷いを拭い去り、能力を120%発揮させてきた。それこそが「再生工場」発の投手における真実の側面だと、私は考えている。

 今年の日本シリーズは、多くの場面で捕手の配球がプレイバックされた。最も顕著だったのは第三戦、西武・中日両チームから満塁弾が飛び出し、ランニングスコアが10-8となったあの試合だろう。率直な印象として、荒れた試合になった最大の要因は、バッテリーの野球偏差値の低さだったように思う。

 先に被弾したのは西武。長田秀一郎−野田浩輔のバッテリーが谷繁元信から打たれたのは、カウント1−3からのストレート。野田のミットの寄り方から見て、恐らく内角ギリギリのコースに要求したストレートが真ん中に入ったのだろう。

 初球からスローカーブでカウントを稼ごうとしたものの、それが外れて結果カウント0-2になった時点で、バッテリーは相当苦しくなったに違いない。結果的には谷繁に1-3まで待たれ、押し出しだけは絶対に避けたいバッテリーが苦し紛れに選択したストレートを、中日応援団のトランペットに合わせたかのように狙い撃ち。打った瞬間に谷繁が右腕を掲げたのを見ても、張った球種が張ったコースに来たのだろう。

 なぜあそこで内角なのか。それは恐らく、あの試合を中継した全てのテレビやラジオで解説者が首を傾げたところだろう。スコアは谷繁を打席に迎えた時点で4-1で西武リード、イニングは6回表。1点をやってもアウトカウント1つ、という計算は充分に許された状況だった筈で、結果論とは言え、リスクとリターンの釣り合いが取れた配球だったとは言い難い。

 全般的にこのシリーズでは、バッター有利のカウントから四球を嫌って苦し紛れに投じた甘めのストレートを、ことごとく痛打された場面が目立った。この第三戦のシーンは、それを象徴的に表すものだった。

 野田の配球は、伊東の下で育ちながら、恐らく「古田型」に近い。出場試合数から考えると、野田がマスクをかぶって許した死球5という数字は若干多い。同僚の細川亨も、今シーズンの印象からするとやや「古田型」に寄ってきている気がする。

 今年の西武の課題にまず挙げられたのが、現役引退して監督に就任した伊東の後継者争い。野田も細川も、去年辺りからから既に候補には挙げられていた。伊東勤という神通力が現場から完全に消え、実績に乏しい同クラスの捕手がレギュラー争いをするという状況下、野田も細川も配球面については来る日も来る日も考え続けた筈だ。

 「古田型」の特徴である内角攻めは、それが嵌れば抜群に見栄えよく映る。内角攻めで抑え切れば、打者の裏をかいて攻め続けたように見えやすいからだ。そして内角攻めに必ずと言っていいほど付いてまわるフレーズが「強気の攻め」。

 弱気よりは強気の方がアピール度が高いというのは分かりやすいが、内角攻め・ストレートで押すのが強気、外角攻め・変化球でかわすのが弱気という単純な二元論で語るのは、配球というディテールの大きな落とし穴だろう。

 7回裏にカブレラに満塁弾を浴びた谷繁の配球は、自身が満塁弾を打った6回表のシチュエーションと全く同じだった。マウンド上で苦しんでいた岡本真也は、ストレートの制球はバラついていたが、縦に鋭く割れるスライダーとフォークボールは低めに集まっていた。だが、谷繁がカブレラを抑える為に要求したのは、“強気”のストレート。瞬く間に場外に消されたその1球は、配球の難しさより、バッテリーの野球偏差値の低さを如実に示していたように思う。

 あの場面、落合監督は岡本をなぜ代えなかったのか、ということが何度もクローズアップされた。落合は、恐らく全て分かっていて代えなかったのだろう。恐らくこうなるということも、そして全ての批判が自分に飛んでくるということも、全て分かっていた上で敢えて岡本に続投させたのだと思う。

 「オレ流」などという言葉では片付けられない落合の信念は、それでも岡本がカブレラを抑える可能性があるという期待も含み、岡本も変化球に関してはそれだけのものを投げている、という眼によるものだったと思う。

 結果的に、落合の判断は“予想通り”になった。だが、それ以上に、両チームのバッテリーに対して無性に腹が立った。格好をつけているんじゃないのか。本人はそう思っていなくても、何が何でもこのシリーズを勝つんだという率直な貪欲さが、それ故に苦しみあがくというものが見えてこなかったからだ。

 「古田型」の影響は、特に2000年以降、実績のないキャッチャーに対しては特に大きな影響を与えたように思う。「古田型」の配球で抑えれば、レギュラー獲得への大きなアピールになるからだ。

 しかし「古田型」配球の難しさは、その投手がその局面で本当に打者を攻め切れるか、という見極めにある。単純にストレートやシュートで内角を攻めれば強気ということでもないように、「古田型」の定義は難しい。難しい中で結果を残しているからこそ、古田への信頼感が揺るぎないということも言える。

 「伊東型」の攻めは、「古田型」に比べて地味でオーソドックスだという印象が強いが、実際はストレートに力がある投手と組まないとできない配球だった。困った時に外角を攻めきる配球は、投手の球に本当に力がなければ1試合を押し通すことができない。

 「古田型」も「伊東型」も、投手の状態や持ち球、そして局面を充分に考慮しなければ威力を発揮しない。その意味では、「古田型」という配球も「伊東型」という配球も、本当の意味では存在しないのだろう。彼らが90年台以降を代表するキャッチャーとして君臨し続けてきたのは、多種多様の投手とバッテリーを組み続け、それぞれの力を十二分に発揮させ続けてきたからだ。

 タイプというものに縛られることなく投手の力を引き出し続けた捕手が、配球面でタイプ分けされ、その影響という名の“呪縛”に囚われた捕手が織り成すアイロニー。野田と細川は“強気”を前面に出して頭角を表し、2人との経験の差が強調された谷繁の配球も“強気”の2文字が付いて回る。

 その2文字に縛られた捕手が織り成した、豪快なようで荒っぽい試合。4勝3敗で西武優勝という結果を見れば、この試合は確かに分水嶺になったと見られてもおかしくないが、内角を攻め切れない投手に内角ストレートを要求し続ける配球は、とても日本チャンピオンを決めるシリーズの配球とは思えない稚拙さが目立った。

 「古田型」と「伊東型」。“強気”と“弱気”。解釈をどこか取り違えていないか。

 90年代以降の野球に確固たる足跡を残した2人のキャッチャーが残した影響は、思った以上に、重たいのかもしれない。そんなことを考えた今年の日本シリーズだった。 



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