月の輪通信 日々の想い
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2004年07月31日(土) 西瓜大好き

今シーズン、お初の西瓜。
先週、生協で頼んでおいたものが昨日届いた。
我が家では、ゲンが西瓜大好き。
「西瓜、頼んどいたよ」と教えてから、なんとなくわくわくと楽しみにしているのがよく判った。
たかが西瓜で単純なヤツやなぁ。
その素直さが可愛くもあるのだけれど・・・

今朝、アユコに包丁を任せ、大きな丸のままの西瓜を切ってもらう。
さすがの包丁名人のアユコにとっても大きな西瓜はちょっと手ごわい。
ヘタの部分に最初の包丁を入れると、ぴりぴりっと皮の裂ける音がして、赤い果汁がじわりとあふれる。
甘い香りが広がって、子どもたちの顔にも笑顔があふれる。
最初の一切れを、先日、入院した義父のために切り分けて、お弁当箱に詰める。
大病というわけではないので、西瓜好きの義父もきっと笑って食べてくださるだろう。

「大きな丸のままの西瓜を買う」
なんだか幸せだなぁと思う。
実家の父も大の西瓜好き。
夏の休日の夕刻には、よく家族で西瓜の買出しに行った。
大きな段ボール箱に2,3個入った西瓜をドンと箱買い。
よくもこれだけ食べるわなぁと呆れながら、父も私も弟たちも飽きもせずたくさん西瓜を食べた。
そういえばあの頃、育ち盛りの弟たちを含めて6人家族が食べる食料品の量は尋常ではなかっただろう。
今の我が家よりもさらに数倍多かったかもしれない。
休日の夕方には、よく父が車で食料品の買出しに付き合っていた。
大きな西瓜の箱をドンと車のトランクに積み込む時、父の胸には、
「家族を食わせてやってるぞ!」という実感がぐんと迫って来たに違いない。
日々膨らんでいくエンゲル係数は頭の痛い問題だけれど、それだけの食料品を平らげる若いエネルギーをはぐくんでいるという実感は親にとっては嬉しいものだと私は思う。

昔、アユコがおなかの中に居た頃、私は切迫早産で一週間入院した。
まだ一人っ子だった一歳半のオニイを父さんやおばあちゃんに預け、産婦人科の病室でただただ安静。
なんだかとっても心細くて、悲しくて、なんだかへこんでばかりの入院生活だった。
そんな日の夕刻、病室のクーラーの風に飽きて、がらがらと窓を開けた。
向かいのスーパーから三々五々出てくるサンダル履きの買い物客。
その日は特売があったのか、大きな丸っぽの西瓜をぶら下げてふらふら歩いてくる人が目立った。
「家族のために丸っぽ大きな西瓜を買う」
その頃、我が家はまだ小さな幼児を含めた3人家族。
いつもスーパーで切り身になった四半分の西瓜を買っていた。
おなかの中でがんばっている小さな赤ちゃんを含めても、まだまだ一家で丸っぽの西瓜を消化できるようになる日は遠いだろう。
それでも、いつの日か、食べ盛りの子どもらのために丸ごと一個の西瓜を買える幸せを味わえるようになりますように。
その為には、まずはお腹の中で早産の危機にさらされている我が子を、なんとしても無事に家族として迎えてやらなければ・・・。
じわりと浮かんできた涙は悲しい涙ではなく、ほのぼのと嬉しい決意の涙だった。

念願の6人家族になって、今では我が家も丸っぽの西瓜を難なく完食できるだけの人員はそろった。
唯一西瓜嫌いでまるっきり口をつけないオニイの存在は計算外だったが、それでもオニイの分までぺろりと平らげる無類の西瓜好きのゲンもいる。
ざくざくと船形にきった西瓜を黙々と食べる。
西瓜の果汁で頬もあごもびちゃびちゃにして、赤い果肉にむしゃぶりつくゲンの嬉しそうな顔は本当に可笑しい。
ホントに野生児だなぁと思う。

ところでこの野生児、決定的な弱点がある。
外食したり、大好きなものを楽しくおなかいっぱい食べたりした後、「うっ」と口を押さえてトイレへ駆け込む。
興奮のあまり、せっかくたらふく食べた大好物を消化しきれずに、トイレできれいさっぱり吐いてしまうのだ。
今夜はオニイ特製のハヤシライスをおなかいっぱい食べた後の西瓜だった。
予想はしていたことだが、果たして、3切れ目の西瓜を平らげた直後にゲンは突然姿を消した。
「あーあ、もったいない、そんなに無理してたべなくても。」
と、みんなのブーイングにあう。
あんなに楽しんで食べた西瓜が彼の消化器官にとどまったのは、わずかに数分。本当に口惜しいのはゲン自身に違いない。
悔しさに目をウルウルさせて、一人ぼそぼそと後始末をするゲン。
なんだか可愛い。
いいよいいよ、ゲン。
吐くまで食べちゃう大好物があるって、幸せなことだよ。
そんな君に食べてもらえて、西瓜冥利に尽きるよ。
残りは冷蔵庫に置いとくから、明日食べな。

丸っぽ一個の西瓜を買う幸せ。
今、確かにそれはここにある。


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