月の輪通信 日々の想い
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2004年04月29日(木) 勉強させていただきました。

父さん、久しぶりの休日。
剣道の朝稽古を終えた男の子達をぶんと車に拾って、京都へ遠出。
以前から券を用意して予定していた絵画展に出かける。
有名な印象派の大作が展示されるというので、混雑は覚悟していたが、果たしてざわざわと続く人いきれで、まずオニイがギブアップ。
我が家の子ども達は山歩きは得意だけれど、都会の人ごみにはめっぽう弱いのだ。小一時間もすると、たいてい誰かが「頭痛い」とか「気持ち悪い」とか言い出す始末。
はいはい、おっしゃるとおり、正真正銘の田舎もんです。

モネの「睡蓮」は想像していたよりずっと大きなものだった。
たくさんの色の重なりが、離れて見ると深い複雑な色合いになって、涼やかな水辺の風を感じさせてくれる。
「とりあえずね、いっぱいの人ごみの中で、大きな睡蓮の絵を見た事だけ覚えておきなさいね。」
ちょっとミーハーっぽくて恥ずかしいけれど、幼い子ども達にとってはそれでいいと思う。
幼い頃にピカソを見たとか、延々並んで月の石を見たとか、そういう本物を間近に見たという経験は幼い心に新しい引き出しを一つ作ることだと思っている。
今はその引き出しが空っぽでもいい。
子ども達が大きくなって、どこかの画集やレプリカのポストカードで「睡蓮」を見たとき、「そういえば、これ見たことあるんだなぁ」と心惹かれるものがあったなら、からっぽの引き出しはそれだけの意味がある。

問題が一応解決して、体調もかなりよくなったオニイ。
おにぎりと途中のお肉屋さんで買ったコロッケ、フライの手抜き弁当をがつがつと食べる。
一応トイレの場所は目で確認しながらも、復活したオニイの食欲を嬉しく眺める。やはり子ども達はモリモリたくさん食べてくれてこそ、頼もしいとつくづく思う。
今回のことで、人の体と心は密接にリンクしているのだということを痛切に感じた。
私自身は、ストレスやプレッシャーが直接体調に現れるという経験があまりないのだけれど、アユコの自家中毒といい、オニイの過敏性腸症候群といい、心に由来する体の病気というのは意外に身近なところであっけなく始まるものなのだなぁ。そして、気持ちが落ち着けばそれに連動して症状も軽くなるという心と体のメカニズムの不思議。
げぼげぼ、ピーピーの続く本人達にとってはとても辛いことだけれど、子どものデリケートな感情のゆれに鈍感な母にとっては、子ども達の悩みや苦悩が突然の体調不良によってダイレクトに伝わってくるということは、ある意味ラッキーなことなのかもしれないと思う。
「このげぼげぼはいつもと違う」
「このピーピーには何か意味があるのかしら。」
そう感じたとき、私は改めて子ども達の心を覗く。
そこからが親子の問題解決の始まりになる。

今回、オニイの不調に最初に気づいたのはアユコだった。
新学期開始直後、「なんだかこのごろ、お兄ちゃん、イライラしてる。やたらとトイレが長いし、ゲンやアプコにしょっちゅう説教しているし・・・」と何気ない会話の中で訴えてきてくれた。
自分自身が事あるごとに、自家中毒や偏頭痛に悩まされてきたアユコならではの観察眼であったと思う。
頭では分かっているものの、心と体が連動するということが実感として感じられない母には、なかなかたどりつけない気づきであっただろう。
そして、オニイがたどたどしく問題解決の道を探す様子を間近に見ることで、アユコもまた、自分自身の心と体の扱い方を少しずつ学んでくれたことと思う。
「兄弟が多いと、子ども達同士で互いに多くのことを学びあう。」というけれど、大雑把で子どもの心のデリケートな部分を見落としがちな母にとっては「互いに学びあう」ということのありがたさがよく判った。
そして母もまた、子ども達の言動によって多くのことを学ばせていただける。
「また一つ、勉強させていただきました。」
オニイの晴れやかな食欲に、母はまた密かに頭を下げる。


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