友達とお笑いの話をしたら、「ジンちゃんは大竹と三村を足して二で割ったような感じだな。ギャグは大竹だけどねえ」と言われました。よくわかってるではないか(笑)。 栗のラジオ、「上田さんの子どもを産みたいから、上田さんの奥さんと交わりたい」とおかしな主張を展開する有田、最高。相方の妻を抱きたい、なんてこんな萌える発言ありかー。それに対してリスナーから「じゃあ、3Pはどうか」って意見がきてましたが、もう、もう究極! 萌え過ぎるよー。 爆笑問題の大田の意見は面白い。ラジオなどで、少し極端かな、飛躍しすぎかな、と思うこともありますが大筋において、私は彼の意見に共感することが多いです。司馬遼太郎をはじめ文学に造詣が深い彼の意見をきくと、とても文系らしい考え方をするなと感じます。彼が考えて考えて、時々「思想的な壁にぶつかった」と悩んでいる姿を見ると、なんか励まされます。 前に書いたように、自分の作品が嘘くさい、いや、嘘、と感じているとはいえ、ノンフィクションにしろフィクションにしろ必ず嘘を内包していて、それは程度の問題ですよね。結局私は、なぜ「嘘くさいものでは駄目」なんだろう。なぜ、「いいものを書きたい」んだろう。名声か? 自己満足か? 探究心か? でもそういうことも、考えてみると取るに足らないものです。そうなると書くこと自体に意味がなくなります。結局物語を書くなんてのは、いかに「さも見てきたかのよう」に書くかですよね。その嘘に耐えられないなら、やめてしまうべきだ。だから割り切るしかないです。ただ、前の日記に「より巧く嘘をつくためには漫画の方が楽そうだ」と書きましたが、あの考えはいただけませんね。知識が足りなければリアリティに欠けるという点では、どっちも変わりません。 ところで私は、これに引っかかりそうになりました。 http://www2.atwiki.jp/sound_planet/pages/27.html http://www2.atwiki.jp/sound_planet/ まったく同じ手口で、ひじょうに巧妙でした。さすがに二等があたったときは嬉しいと思った。でも何かあやしいと思ったのでクレジット番号などの大事な情報は書きませんでした。一応それは契約書でしたが、クーリングオフすればいいと思い断ることはせず(商品には興味があったから)、帰って検索してやっぱり当選商法だとわかり、電話で辞退しました。日ごろから悪意のあるものを憎んでいるので、それがいままさに自分に向けられていると知ったとき、私がどんな風に感じたかというと、大 変 興 奮 し ま し た 。ついに私に戦いの時が巡ってきたぞ、という暗い情念が湧き起こる! つまりそれは文学的にカッコよく言ってみればこういうことです。近所で女性や幼女の暴行事件があったとする。犯人に対し怒りを覚えながらも、直接被害を受けていない自分にはどうすることもできない。ところがある夜、犯人が私に襲い掛かってきた。私のポケットには事前にナイフが用意されていた。私は奴との対決の瞬間を待ち望んでいたことに気づく。てなわけで、私は被害に遭った人たちのコメントを読んだ後で、かかってきた電話に出ました。計画していた通り高圧的な態度を貫いたためか、いわゆる契約違反云々ということは言われませんでした。もちろん相手は苦情になんて慣れっこな図太い精神の持ち主だろうから、開き直ったような態度をとっていましたが、私にはぬか喜びを帳消しにする形で爽快感を得られただけで満足です。 今回は自尊心を傷つけられることもなく回避できてよかったと思います。普段から人が好すぎるのをどうにかしたい、と思っていました。車をぶつけられたりしても、相手にあからさまな悪意がない場合は大目にみてやろうという気になってしまいます。それは結局相手の善意を信じる気持ちだから、日ごろからそれを「騙される方が悪い」と一蹴してしまうのはどうかと思っています。これがすでに人が好いってことなのかもしれないけど、やっぱり善意を信じる気持ちがあるからこそ社会秩序は保たれている、と思う。まあ、アリストテレスが言うように何事も中庸が一番です。
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