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2004年06月28日(月) ヘファイスティオン考察。

今日は路上運転でダメ教官にあたり、この60才くらいのオヤジを
レイプしてやろうかと思いました。車窓からタンポポばっか
見やがって! まだ路上2回目だというのにちっとも指示を
出してくれなくて焦りました。後半は開き直って、免許をもう
持ってる気持ちで運転しました。おっさん、通りの子どもに
手を振って左折の指示直前10メートルの地点で出す。針路変更の
確認を忘れても何も言わないもんだから、自分で内心「今忘れた…」
とか孤独に自己反省会してました。
私一人が事故るならまだしも、路上なのだからしっかりやってくれ〜。
私の目下の課題はスピードの出しすぎです。

今日はヘファイスティオンのおいしく素晴らしい情報です。
以前、ヘファイスティオンのしっかりとした情報サイトを教えて
もらったのですが、こちら
です。
オハイオ大学の歴史学部の研究員という男性が、豊富な資料を基に
相対的な見地に立って、"誤解がつきまとう男"ヘファイスティオンの
ことをわかりやすくまとめています。

今日は彼が書いた興味深いことを要約します。紹介したりする時は
連絡が欲しい、と書かれてましたが、恥ずかしいのでリンクだけして
こっそり掲載させていただきます。
私も知らなかったことが沢山載っており、わずかな情報がこれだけ
価値があるものか、としみじみ思ったりしました。

まず、ヘファイスティオンの名前のことが挙げられていました。
古代ギリシア人である彼自身を呼ぶ時は、(ヘファイスティオンではなく)
ヘパイスティオンが妥当だろう、とのことですが、興味深いのは、

ヘファイスティオンはアレクサンダーと共にミエザの学舎で
アリストテレスの教えを受けた。後年、アリストテレスともうひとりの
教師クセノクラテスは彼に数通の手紙を書いている。したがって彼は知的
な人間(もしくは知的に考えようとする人間)だったのかもしれない。
彼の父親はアミュントールという。もし彼が王子(アレクサンダー)と
共に育ち教育を受けたのだとすれば、彼の父親はフィリッポス王の
ヘタイロイ(騎兵仲間)かコンパニオンだっただろう。
つまり彼は裕福な家に生まれた。そして、彼の父親がもし
フィリッポスのコンパニオンだったなら、彼自身はおそらく10代の時、
王の近習(page)だったろう(この場合、pageというよりsquire:騎士見習い
という表現に近い)。母親や他の親族の名前は知られていない。ただし、
祖父の名はデメトリオスというかもしれない。

もう一つ、彼の父親の名前に関して興味深い点を加えるなら、「アミュント
ール」または「アミュンタス」(大王伝を読んでるとよく出くわす名前)は
「スティーヴン」と「ステファーノ」のような、同じ名前の変化形である。
「アミュンタス」はマケドニアでは馴染みのある名前だが、
「アミュントール」は主にギリシア風の名前である(当時辺境の地マケドニア
は、他のギリシアの人々からは蛮族寄りに考えられていた)。
これは奇妙な感じがする。さらに、彼の名前「ヘパイスティオン」もまた
マケドニアにおいては珍しい名前である。これが意味するものは不確かながら、
注目に値する。彼らはギリシア、とくにアテネのある種のつながりを持って
いたと思われる。


なんと……! ヘファイスティオンの父親あたりは、マケドニア人では
なかったかもしれないというのです。これだけで妄想が広がります。
B>このアミュントールとフィリップス王の関係もあやしい。

ちなみにヘファイスティオンという名前は、ギリシア神話の12神の
一人、鍛冶の神ヘファイストスの変化形です。
ロビン・レイン・フォックスの本では、複雑なマケドニア事情がまず
存在しており、王はマケドニアの北方の氏族たちの引き締めを図る為に
ヘファイスティオンなどの、その息子たちを宮廷に招きいれたと
いいますが、この北方の氏族の誰かがアテネ人の女を妻に迎えたとか
いうことなのかな。そういえば、アリストテレスはアミュントールに
沢山の手紙を送りつけていた、というのも別の本で読みました。
アテネのアリストテレスとアミュントールには元々繋がりがあったのか。

とにかく、ヘファイスティオンの家族が純粋なマケドニアンじゃないという
説は支持したいところ。だからアレクサンダーはヘファイスティオンに
強く惹かれた、という風に妄想できるからです。アレクサンダーは
結局のところアテネが好きでしたしね。

そして次の未見だった情報はこちら。
イッソスの戦いにおいては、面白い話が残っている。戦いの朝、
アレクサンダーの将軍たちが最後の命令の下達を受けに大王の幕舎を
訪れた時のこと、ヘファイスティオンが現れ、"Joy to you"(あなたに
喜びあれ)と言うかわりに、"Health to you"(あなたに健康あれ)と言った。
これはつまり、「おはよう」「こんにちは」のかわりに、「さようなら」
「こんばんわ」と言ったと同じことだった。将軍たちは、彼の一言を
凶兆と解釈した。彼らはアレクサンダーが(戦いで)死ぬのでは、
と考えたのである。しかしアレクサンダーはこれを、「私の健康を
願うということは、すなわち私は死なないということだ」
、と言って
解釈を改めた。素早い切り返しだ。しかし奇妙なのは、この言い間違え
によってヘファイスティオンがお咎めを受けなかったことである。
彼はばつの悪い思いをした。この件に関する私個人の意見を述べさせて
貰えば、彼は王の幕舎に到着したのではなく、幕舎を立ち去ろう
としていた
のではないか。…つまり、率直に言えば、アレクサンダー
は大きな戦いの前夜、親友を傍に必要としていた。大王が大戦前夜、ぐっすり眠ったとは思えない。


スイートな逸話だ〜っ。萌える〜。ヘファイスティオンって意外とどんくさい。
後ほど紹介しますが、ヘファイスティオンのどんくさいエピソードはまだあります。

イッソスの後、アレクサンダーに連れられ、ヘファイスティオンは
逃亡した宿敵ダレイオスの母、妻、娘たちに会いに行きますが、この時、
どんな大王史や小説を読んでも確実に入れられる出来事が起こります。
映画でこのシーンを見るのが楽しみです。捕虜となったダレイオスの
母后が、征服者の足元に平伏しその手を取るのですが、彼女は
ヘファイスティオンをアレクサンダーと間違えて彼の手を取ってしまい
ます。けれど大王は笑って、「心配なさるな、彼はもうひとりの
アレクサンダーなのだから」と言います。もっとも有名なエピソードです。
見つめあうコリンとジャレッド〜ああっ楽しみv

これはどこかで読んで感動したのですが、アリストテレスの著作の中に、
「真の友達とは第二の自己:second selfである」ということが
記述されているそうです。そうとはどこにも書かれていませんが、
この教えを受けての、アレクサンダーの一言だったのかもしれないですね。

戻りますが、ローマの歴史家クルティウスは、他のどの歴史家よりも
長いヘファイスティオンに関する記述を残してくれている、とこのサイト
の作者は言っています。次のようなものです。

ヘファイスティオンは大王のすべての友人の中で、もっとも寵愛されていた。
彼は大王と共に教育を受け、大王のすべての秘密の相談役になった。
誰ひとりアレクサンダーを戒めるような自由は与えられていなかったが、
彼だけは自分の意見というよりしばしば王自身の意見のように思わせて
忠言することが出来た。彼は大王と同じくらいの年で、大王より体が大きかった。


策士だな〜ヘファイスティオン。これは大王をすっかり理解した者にしか
出来ないことですよね。
クルティウスはまた、ダレイオスの母后がヘファイスティオンを大王と
間違えた理由を、「大王より背が高く、印象的な外見をしていたから」
と書いていますが、これらの描写はクルティウスの想像かもしれないと
言われています。背に関しては、アレクサンダーは143センチだったっつー
面白い噂があります。大方の予想として、彼は肉体は鍛えられていたが、
背は高くなかったとされています。

ナポレオンはアレクサンダーの大ファンでしたが、彼も小男でした。
きっとナポレオンは、大王は背が低かったという説を信じていたことでしょう。

この後、ヘファイスティオンはシドンという征服地の太守を任命する
という大事な仕事を大王に授かります。ここで彼は、もとは王家の血を
引いていたが今は農民の、自分の庭師を推薦します。驚きの采配ですが、
これは功を奏し、この男はシドンの賢明な太守となります。

エジプト遠征でも、ヘファイスティオンは重要な任務を授かりますが、
これは軍隊の糧秣を確保するという兵站任務でした。この時、アレクサンダー
のもとを離れた彼のところに、アテネのアジテーティヴな政治指導者
デモステネスの友人がやってきます。デモステネスは、アテネ・イズNO.1
というアテネ人の典型のような人で、フィリッポス王の時代より
マケドニアの支配に抵抗し、市民や近隣ポリスをマケドニアとの
戦争に駆り立てたオピニオンリーダーです。彼は先王やアレクサンダー
にこてんぱにされたので、身を潜めていました。
そのデモステネスの友人が、ヘファイスティオンのところに来て言ったことは、
「大王に、デモステネスに対する厳しい態度を軟化させるようなことを
囁いて欲しい」。
実際にヘファイスティオンがそうしたかはわかりませんが、デモステネス
が彼の支援を求めたということは、彼が大王陣営の中心に位置していたこと
を意味している、といいます。

この後、大王は数少ない友人と共に何日も砂漠を歩き通し、スワの神殿に
神託を授かりに行きます。これは大王の謎のひとつですが、この時
神に何を訊ねたのか、それを大王は生涯誰にも言わなかったといいます。
すべての秘密の相談役だったヘファイスティオンに、これを話した
かどうか、考えずにはいられません。

ちなみに、スワでは20世紀に至るまで、独特の風習が守られてきており、
ホモセクシャルもそのひとつだったといいます。なんと、ここでは
男同士が古代より結婚もできたといいます。
腐女子妄想としては、大王にヘファイスティオンとここで一発挙式して
夫婦になっていて貰いたいです(笑)。
この大王の秘密の中に、このこと
も含まれてるかもしれない!?!?

ガウガメラの戦いでは、ヘファイスティオンはどこの陣営にいたか
明確ではないといいますが、恐らく最前線におり、槍を腕に受けます。
戦いの後、フィロタスとパルメニオンの粛清がありますが、この時
のヘファイスティオンの情報に、驚かされました。
部下からも慕われ、軍を大王と二分するほどの勢力を掌握しかけていた
老将パルメニオンとその息子フィロタス。ある時大王の暗殺計画が
大王の友人プトレマイオスの耳に入り、大問題になるのですが、
これまた男色が絡んできて面白いです。しかしそれは飛ばして、
結果的に陰謀を疑われた(おそらく実際は濡れ衣であった)フィロタスは、
共謀者を吐くよう拷問にかけられます。

ヘファイスティオンは、クラテロス、コイノスと共に、三人の
拷問者のうちのひとりだった。彼らの動機とはなんだったのか。クラテロス
は恐らく、ガウガメラ以降パルメニオンの副将格を代行しており、
大王の若い側近の中で、もっとも有能な男だった。クラテロスはフィロタス
のライバルだった。エジプトでは二人が泥試合を演じたが、大王は
黙認したという。つまりクラテロスはフィロタスを葬り去りたかった
(マケドニアの宮廷人は競争心が強く、善良な者は最後には潰された)。
もうひとり、コイノスはフィロタスの義兄であり、彼の家族とつながりが
深かった。そのため、フィロタスとパルメニオンに謀反の疑いがかかれば
外戚のコイノスのキャリアも危うくなることを意味していた。
そして最後、ヘファイスティオンである。彼はクラテロスやコイノス
のような明確な政治的動機を持っていなかった。そうなると人々は、
彼が単に純粋な悪意や楽しみのために拷問をしたと考えるかもしれない。
しかし実際には、ヘファイスティオンには動機があった。
もっとも明確な動機といえるひとつは、「報復」である。もし彼が
本気でフィロタスが大王の暗殺を企んでいたと信じていなかったとしても、
フィロタスが暗殺の噂を知っていながら報告しなかったことは事実だ。
アレクサンダーの親友として、ヘファイスティオンはこの暗殺計画により、
憤怒に駆られたのだろう。


なるほど、納得です。確かに、自分のすべてとも言える(大王なくして
彼はなかったことは間違いない)もっとも愛する人が暗殺されかけたとして、
その犯人とおぼしき人物が共謀者の名前を吐かなければ、拷問だって
できるかもしれません。

長々と書いてますが、私が一番書きたいことはこの後のことです。
(つ、つ、つかれたよ〜。でも書き上げたら、公開頃には有用になるぞー)

まずヘファイスティオンは、フィロタスの部隊を任されるのですが、
事実上クレイトスが同等の立場として騎兵隊長(ヒッパルカス)に任
ぜられます。クレイトスは古参の兵士で部下からの信望が厚かったのと、
フィロタスの件の後ではひとりの武将に巨大な大隊を任せるのは得策では
ないとしたからといいますが、実際には、ヘファイスティオンは
騎兵隊長として軍隊を率いるのはこれがはじめてだったのです。

しかし、彼は軍隊の指揮官としてだけではなく、何より重要な存在
となっていた。彼は兵站術において優れていた。軍隊の補給物資の調達、
新しい土地の斥候、都市、砦、橋などの建設の監督、また彼は
外交官としても有能だった。事実、彼の最初の重要任務はシドンの
太守の選考というものだった。ご記憶の通り、クルティウスは
彼が宮廷において、大王の許可を得ているかのような名目のもとで、
その地位を巧みに確立したと書いている。


なんですかね、大統領夫人、ファーストレディみたいなもんですか。

クルティウスはまた、彼を"charming(人を魅了すること)"と書いた。すなわち、
彼は人の心を、少なくとも、大多数の人の心を動かす術を知っていた。
明らかに、マケドニア人にペルシア風の跪拝の礼をさせ、両者間の不和を
解消しようという試みのために内輪の晩餐パーティを
セットアップしたのは、ヘファイスティオンである(しかしこれは
カリステネスの反抗によって失敗する)。アレクサンダーはまた、
ペルシアの貴族やインド人との交渉にヘファイスティオンを使った。
この結果は? クラテロスはヘファイスティオンに嫉妬を抱き始めた。
彼らは口上の喧嘩を展開するようになる。一度など、インドでは彼らは
それぞれの部下たちを交えて大喧嘩を勃発させた。それはそれは口汚い口論
だったに違いない! アレクサンダーは報告を受け、ただちに彼らを諌める
ために駆けつけた。アレクサンダーは二人に警告した。彼が二人をいかに
大切に思っていようとも、今度おめーらが争ってるとこを掴まえたら、
殺すぞコラ。もしくは、少なくともおっぱじめた方を殺るかんな!

彼らは二度と争わず、お互いを貶めるような言葉を一言も投げかけは
しなかった。


ここが問題の箇所。

しかし、アレクサンダーは彼らの間に割って入り引き離したこの時、
大衆の面前でヘファイスティオンに対し悪辣な批判を吐き捨てた。
アレクサンダーは言った。
「私がいなければ、お前は無だ」(without me,you are nothing)
しばしば、この一言は実際にヘファイスティオンが無価値であり、
大王の友人という理由だけで宮廷で地位を確立したという風に
解釈されることがある。しかし実際に、ヘファイスティオンは兵站術
において成功を収めていた。だから彼はアレクサンダーがいなければ
無価値だ、ということはなかった。


ここからのこの作者の解釈が眼から鱗です。

ではなぜ、アレクサンダーはそのように言ったのだろうか?
もちろん、アレクサンダーは激怒していた。ここには二人の
最高位の将軍がおり、まるで遊び場の男の子たちのように叫びあって
いる。「オレの方がお前のよりおおきい!」
そして怒ると我々は、とりわけ我々がもっとも愛する者たちに対しては
特にだが、本当に恐ろしいことを口走ることがある。我々は必ずしも
そんな意味で言っているわけではない。しかしもちろん、時には
実際にそれを意味したりもする。このケースは、この二つのことが
一度に起きたことのように思う。

アレクサンダーは完璧にヘファイスティオンが得意とするものを理解して
いた。ヘファイスティオンがベストを尽くせること――兵站術と外交――
は、配下の将軍たちにすっかり尊重されていたというわけではない。
古代において男たちが賞賛したのは戦闘の技術だった。古代の歴史家は、
何か失敗が起こらないうちは兵站術に関して言及することはあまり
なかった。そしてもし、アレクサンダーがヘファイスティオンの戦闘能力
を理解していたなら、さらに彼は彼の親友が戦闘の指揮官ではないことも
認識していただろう。
ヘファイスティオンが戦闘で指揮を執らなければならない時はいつでも、
彼はもうひとり別の将軍を、明らかに彼のお守り(babysit)をする目的で
あてがわれた(ペルディッカス、デメトリオス、ペイソン、または
アレクサンダー自身)。これはヘファイスティオンの名誉を守り、
同時に彼が醜態を演じることから救ってくれた。戦闘に直面しない場合に
限り、彼は一人で指揮を執ることを任された。事実、ヘファイスティオン
自身、自分の才能にかけては高い評価は下していなかったかもしれない。
子どもたち(大人も)は自分たちが生きる世界を学び、そして彼は戦争を奨励する
文化のもとに育った。
戦略と兵站学の両面においても、アレクサンダーは能力を持っていた。
この場面においては、アレクサンダーの平和を求める気持ちを上回る
戦闘好きな一面が、醜い頭をもたげたのかもしれない。
ここでアレクサンダーが意味したことについて、私の個人的な
意見はこうである:
彼の愛情、彼の理解、そして援助がなければ、ヘファイスティオンの
才能は軍隊においてこれほど高い地位まで彼を昇格させることはなかった。
結局のところ、彼は"単なる"兵站任務を与えられた将軍でしかない。
パルメニオンの死後、彼が最高位の将軍だということは問題ではない。
しかし、最後には、この将軍はアレクサンダーの全支配下において
最高の地位を獲得することになる。


あーもうだめだ…このふたりにめろめろ。

じ、じんさんまたもショック…! これ以下1/3くらいが消えて
しまった…。しかし、ちょうどキリがいいので今日はこのへんで。
明日は、その消えた部分、ヘファイスティオンとアレクサンダーの
セックスの役割について。しくしくしながら退散。

コメントもこちらから。私が旅の途中で撮っただいたいが欧米の風景写真が表示されます(地味に交換してます)




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