のりすけの日記
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お彼岸だし、亡くなった人の事を思い出したり、それを誰かに話したりする。
昨日はお客さんが一人も来なかった。恋愛ドラマをしんどい気持ちで見ていたら、ママが話しかけてきた。 「小栗旬てハンサムやねぇ。タモリのやつに出てて、わてやっと覚えたわ。」 ママはハンサム好きで、お客さん・芸能人問わずによく話題にする。ハンサム基準が私とそう違わないので、祖母と孫の年代差があってもガールズトークを楽しめる。 そのうち「昔の田村正和はハンサムだった」「田村正和はレインコートが似合う」「レインコートが似合うハンサムはお客さんがいた」という展開で、五郎ちゃんの話に至った。
五郎ちゃんというのはママがまだ女ざかり(40歳位?)の頃に、お店によく来ていた人らしい。ママ曰く「わてのファン」。ママは主婦から経済的事情により水商売に転身した人だ。病気の旦那さんと4人の子供の面倒を見ながら夜はお店に出ていた。五郎ちゃんはママより8つ程若く、独身だったがそのうち結婚した。恋仲にはならなかったが、天神橋を二人で歩いた時、レインコートの襟を少し立てた五郎ちゃんは本当に素敵だったと嬉しそうに語った。
五郎ちゃんは仕事が忙しくなったせいか、お店に顔を出すことがなくなった。
ある日、お客さんと盛り上がって、お店の女の子とママとその男性とで仕事上がりに片町へ繰り出した。片町のお店のママが「あら、五郎ちゃん!」の挨拶でママはやっと気付いたらしい。「五郎ちゃんやったんか!わて、似とるわーってずーっと思って、でもまさかと思って!」五郎ちゃんはいつ気付いてくれるか待っていたのらしい(笑)。 これが20年ぶり(くらい)の再会。
地元でもハンサムで有名だった五郎ちゃんが娶った妻というのは、(これもママ曰くだから本当のところはどうだか)きつくてわがままな女性で、結婚も女性からのアプローチによるものだった。 五郎ちゃんは妻の希望により、妻にお店を持たせた。そうこうしている内に妻にはやくざな愛人が出来、邪魔になった五郎ちゃんを邪険に扱うようになった。 ママのお店に夫婦で来て、五郎ちゃんを残して帰るということがあった。ママは「奥さん帰るんやったら五郎ちゃんも一緒につれていかなー。」と言ったけど五郎ちゃんの奥さんは「この人はこの店が好きやから置いていくわ。」と一人帰ってしまうこともあったらしい。
五郎ちゃんの仕事の都合で、数年ぶりにお店に来たとき。いつものように盛り上がってお店を閉める時分に、五郎ちゃんはママを飲みに誘った。ママは少しばかり都合が悪くて「今日じゃなくてまた今度は?」と言うと、五郎ちゃんは「今度じゃだめなんや。」と。「何で?」「今に分かるわ。」
これが五郎ちゃんとの最後の会話となってしまうなんて、ママはつゆも思わなかった。「今に分かる」という言葉には五郎ちゃんの覚悟があった。
五郎ちゃんはそれから数日後に亡くなった。地元の名家だったこともあり、死因は伏せられていたようだが、五郎ちゃんは農薬を飲んで自殺したのだった。 やりきれない思いで葬儀に参列したママは、五郎ちゃんは妻によって殺されたも同じだと感じたと言っていた。
私はまだ自分のパートナーが他の誰かに寝取られるという苦しさは想像がつかない。相手が手ごわい女やくざだとしたら?ちゃんとパートナーを自分の元へ取り戻すことが出来るか?少し考えただけでも絶望的だ。
人って静かに壊れていく。壊れゆく人を支えるのは相当自分に余裕がないと無理だと思う。たまに死臭漂う人に出会う。そういう時はちょっと声掛けする。以前に自分がそうされたように。でもこちらに余裕がないと、私が変形してしまう。他罰的・攻撃的な言動が見えて来た時、相手は少し恢復したように見えるけれど、その分私が元気じゃなくなる。傷つくから。 でもまあ、こんなものなんだと思う。人と関わることって。少しづつ補い合っている、そういうことなんだろうなぁと思う。どんなかたちであれ、繋がっていることが大切な気がする。
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